二十『サルスベリの下で蘇り、あの夏の午後をやり直す』3
「あの、この先の喫茶店にいくんですよね?」
恵太は息を切らせて、振り返った高校生に説明を始める。
「えっ?」
高校生の顔をしっかり見たのは今回が初めてだった。黒髪で眼鏡をしている。素朴で、擦れたところのなさそうな優しげな青年だった。
しかし、恵太をみて次第に眉を寄せる。
成人男性が汗だくで必死に追いかける様は、さすがに怖かったかもしれない。坂の上には喫茶店しかないとはいえ、行き先を知っているのも気持ち悪いのかもしれない。恵太はそう思って、謝ろうとした時だった。
「もしかして喫茶店、閉まってましたか?」
大真面目な顔で高校生は言った。思わぬ言葉だった。
(なるほど! 定休日だから帰ったほうがいいと嘘を言えばいいのか!)
なぜ思いつかなったのだろう。恵太は安堵して、息を整えてから帰るように言おうとした。しかし、高校生は笑顔をむけて恵太を遮った。
「今日を逃したら土曜日まで来られないんです。だからせめて写真だけでも撮るんで」
(それでは店が開いていることがバレるじゃないか!)
恵太は猛暑と走ったことによる暑さと、変な焦りとで、汗まみれになっている。
「いかないほうがいい」
絞り出した言葉がなんとも頼りなく、恵太は自分自身にイライラしてしまう。
「喫茶店へ行きたいなら、違う店にいったほうがいい」
イライラしながら、どうしても伝えたいことを伝えるしかない。
「どうしてですか?」
「どうして?」
どうしてか。どうやって説明するべきか、一瞬迷った。それでも恵太は引き下がれなかった。
「殺されるからだよ」
恵太は真剣に、はっきりと言った。もう二度と殺されたくない。殺された人を見たくない。見殺しにした後悔などしたくない。
高校生も深刻な表情に変わり、ゆっくりとうなずいた。
「ーー都市伝説ですよね」
「都市伝説?」
高校生の言葉を情けない声で復唱した。
(都市伝説だって?)
恵太は膝から崩れ落ちた。
都市伝説という俗的な言葉に今までの緊迫感をすっかり壊され、力が抜けてしまった。
「都市伝説ってどういうこと?」
思わず声が掠れた。
「ずいぶん前に閉店して、廃屋になったはずの喫茶店が開いている時があって、しかも若い男が訪れると神隠しにあうっていうーー都市伝説です。だから止めたんじゃないんですか?」
高校生は困惑しつつも、その顔は相変わらず朴訥で優しかった。突然話しかけてきた恵太も、都市伝説も、疑うことがない。
「都市伝説なんて」
恵太は唸るしかなかった。店主に殺され、生きて戻れないなら確かに神隠しかもしれない。それが拡散されたら都市伝説になるかもしれない。
(いや、呼び方なんて何だっていい)
とにかく、喫茶店へ行ってはいけない。店主に会ってはいけない。
「大丈夫です。そっちの都市伝説は信じていないんで」
「そっち?」
恵太は顔をしかめる。
「もう一つあるってこと?」
「そっちを知っててこっちを知らないですか?」
高校生は首を傾げる。
「もう一つの方、時間が巻き戻るって言う都市伝説のほうが有名ですよ?」
「時間が巻き戻る……」
「SNSでそう証言している人がいるんです。しかも複数」
(現に、君も巻き戻ったんだ。俺と一緒に)
そう言いたかった。そんなことを言ったらーー喜びそうでむしろ怖い。
「都市伝説を調べているの? 好きなの?」
「いえ、そういうわけじゃ」
「じゃあ、なんでここに?」
「それは、あの、個人的な理由です。心配してくれてありがとうございます」
高校生は恵太に一礼すると、駆け足で再び坂を登り始めた。
「待って!」
恵太も慌てて追いかける。
「一緒に行くよ」
そういうのが精一杯だった。
恵太には、「時間を巻き戻ってきたからわかるけど、君は店主に殺される」と伝える勇気はなかった。
今自分だって「都市伝説」という言葉に気が抜け、何なら少し小馬鹿にしたような気持ちになったのだから。
自分の言う事には、都市伝説と同様に証拠がない。小馬鹿にしたくせに同じことをしよくとしている。
殺された記憶がはっきりあるのに、今、確実に生きている。つまり無事な証拠ならある。
(何もかも夢だったのでは?)
店主に殺され、そのあと店主を殺してほしいと呪いの言葉をかけられ、時間が巻き戻るーーなんていうことを本当は信じたくもない。嘘であってほしい。夢であってほしい。その思いは、高校生を見殺しにした後悔の背後から顔を出す。
夢かもしれない。でも、逃げたらまた、彼は殺されるかもしれない。
その、恐怖は残っている。
(二人でいればどうにかなるかもしれない。いざとなれば逃げ出せばいいんだ)
恵太はそう考える他なかった。
本当のところは、決断しきれずにそう考えることに逃げることにした。
★
レトロなステンドグラスの扉には『OPEN』と書かれた木製プレートがかけられている。レトロな扉を開けて、店内へ入る。
「いらっしゃいませ」
カウンターにいる店主をみて、恵太の体は強張ってしまった。
よく冷えた店内に高窓のステンドグラス。すでに見たことのある景色だ。
「すごい。綺麗なステンドグラスですね」
思わず高校生が呟いた。
「ありがとう」
店主は顔を綻ばせる。
「お好きな席にお座りください」
高校生はカウンター席に座ろうとしたが、恵太はそれを止める。座ったらどうなるか、知っていたから。
「どうしました?」
「私は座りません」
「この人、都市伝説を本気で信じているんです」
「都市伝説?」
高校生が身を乗り出す。
「この喫茶店、時間が巻き戻るって、都市伝説がありますよね」
「ああ」
「本当ですか?」
店主はじっと高校生を見つめた。
「どうして時間を巻き戻したいんですか?」
優しい声色にゾッとしたのは恵太だけのようで、高校生は照れたように少しモジモジしている。
「別に、特に意味はないんです」
「わかった。彼女と喧嘩したんだね?」
「違います!」
変な誤解をされたくないのか、高校生は先走って否定する。
「友だちです。男の」
「そうですか」
店主は穏やかな笑みを浮かべたまま相槌を打つ。
「それで、時間が巻き戻るのは本当ですか?」
「さあ。私は戻ったことはありませんね」
真剣な眼差しを向ける高校生をあしらうように、店主はごくごく自然に答えを返す。
「はあ」
残念そうな高校生に、恵太は怪訝な顔を向けた。
「本気で巻き戻ると思っていたの?」
(もう高校生なのに?)
そんな疑問が顔に出ていた。
「違います!」
高校生も恥ずかしくなったのか、慌てて否定する。
「違うんです……なんとなくスッキリしないから、気分転換に来たんです。受験生なんです。集中できないのは大問題です」
ここへ来たのは、受験と友だちとの喧嘩で生まれたモヤモヤを発散するなのだろか。
恵太は、この高校生はどこか本気で時を巻き戻せて、やり直せればいいのにという願望が隠していると思っていた。
「もう一つの方の噂は聞かないんですか?」
店主が訊ねる。
「もうひとつって?」
「この喫茶店、若い男が訪れた時しか現れない。そして、姿を消す、という噂」
高校生は息を飲んだ。
「本当なんですか?」
「はい。本当ですよ。私が消していますから」
あまりに淡々と、何気なく言ったからか高校生はしばらく動くことができなかった。
「……えっ?」
高校生は半笑いで店主を見つめる。冗談だと否定するのを待っている。そんなわけないと言うはずだと信じている。しかし、店主は優しげな笑みを湛えたまま頷いた。
「若い男が憎いんです」
恵太は店主を睨むことしかできない。
体が動かない。
金縛りのように。
(結局同じことをやらかしている)
「どうして、若い男が憎いんですか?」
恐る恐る高校生が訊ねると、店主は嬉しそうに答える。
「未来ある若い男が、憎いんですよ」
店主の体が赤黒く染まっていく。
「私には未来がない。私は女に切り裂かれ、殺されたから」
ふいに店主の下半身が崩れ落ち、消えていく。
高校生は恐怖で動けなくなっていた。
「許せないんだ。幸せに暮らす若い男が」
上半身だけになった店主が恵太の背後に回り込む。
「若い男がここへきたら、首を絞めて崖に捨てているーーその瞬間だけは、どこもかけていない私は完全な男に戻れる気がする」
饒舌にしゃべりながら恍惚の表情で恵太の首を絞める店主は、高校生へ視線を映す。
「来なければよかったね。時間は巻き戻らないよ」
ーー謝ればよかった
恵太には高校生の心の声が聞こえた気がした。
ーーこんなことになるなら、都市伝説なんかに気を取られてないで、直接あいつに謝ればよかった
(こいつ、謝りたいのか)
喧嘩した友だちに謝りたくて、時を戻したかったのかもしれない。都市伝説を本気では信じていなくても、何かすがるような気持ちでここへ来たのかもしれない。
恵太の脳裏に彼女の顔が浮かんだ。このままでは、恵太も喧嘩別れのままだ。
仲直りするために、一緒に花火をみようと誘うはずだった。
(俺だって、もう一度会いたい)
そう思ったのを最後に、恵太の意識は失くなった。涙が流れ落ちるのを感じながら、ゆっくりと。
★
恵太は激しい衝撃で目を覚ます。
意識を失った恵太は店主に崖から落とされたのだろう。
(苦しい。息ができない)
か細い呼吸でなんとか目を開ける。
わずかに土の匂いがした。
ーーねえ
あの声が聞こえた。視界には恵太と同じく地面に倒れ込んだ高校生がいる。背中しか見えない。あの声が聞こえたということは、きっと、もう……
ーーねえ、やり直したい?
ーーやり直してくれないかな。
ーーそして、店主を殺して。僕らのかわりに
あの声は同じセリフを吐くだけだった。
(勝手なことを言うな)
あの男の前では金縛りで動けなくなる。
生き延びることもできない。
焦燥ばかりが積もっていく。
(どうすればいいんだよ)
生き返ってやり直したところで、同じことを繰り返してしまうじゃないか。
もう一度殺されるくらいなら、死んだままのほうがマシなのではないだろうか。
ヤケクソでそんなことを考えていた。
(死んだまま……)
死んだままなら店主に対抗できる?
「もし、俺が生き返えらなかったら?」




