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十九、『サルスベリの下で蘇り、あの夏の午後をやり直す』2

 心臓の鼓動とともに、恵太の視界も揺らぐ。


(あの高校生らしき若い男はこれから、どうなるんだ?)


 どうにもならない。だってあれは夢だ。

 コーヒーを頼んで、飲んで、店を出てくる。そうに決まっている。

 店主に首を絞められて死ぬなんて、そんなの夢だ。だって、今、自分は生きてここにいるんだから。


 そう言い聞かせながらも、恵太は立ち止まったまま動けずにいた。


 (……あの高校生らしき若い男が無事に店から出てくるまで、帰れそうにない)


 このまま帰ったら、恵太は一生後悔するとわかっていた。


 蝉の声も聞こえない。静かすぎる午後。日差しだけが痛いほどの存在感で降り注ぐ。

 次に店の扉が開くまで、5分とかからなかった。

 ガタイのいい店主が出てきた。何かを引きずりながら。

 それが高校生らしき若い男だと、恵太にはすぐにわかった。ぐったりと、ただ、引きずられている。

  

(あっ)


 恵太は肩をビクリとさせた。

 高校生がチラリとこちらをみた気がしたから。

 店主は若い男を引きずりながら、店の裏へと歩いていく。恵太は追いかけることもできず、立ち尽くしかできなかった。

 やがて店主だけが店の裏から戻り、扉の中へと消えていった。

 あの高校生はどこへいったのか。

 耳鳴りが始まる。

 視界が揺らぐ。 

 

(誰かに連絡を……)


 スマホを握りしめる。

 警察にする?

 まだ確証もない。

 誰にする?

 

 恵太は店の前を通らないように、店主の通ったのと反対側から店の裏へと回り込んだ。

 店の裏手は正面の華やかさとは正反対に、地味なブロック塀に囲まれているだけだった。壁の向こうにはダクトが見える。目隠しなのだろう。

 高校生らしき若い男が隠れられるような場所などなく、とにかくブロック塀と、店の前にあったのと同じ、濃いピンク色の花を咲かせたサルスベリの木があるだけだった。サルスベリの向こうは崖で、完全に行き止まりだ。

 

(見間違い? まさか、崖から落とされたとしたらーー)


 恵太は崖に近寄り、スマホを握りしめたまま四つん這いになって下を覗き込もうとした時だった。

 後ろから声がした。


「見ていたのか?」


 振り向くまもなく、突然頭を殴られた。

 スマホが手から滑り落ちた。


(何が起きた?)


 恵太は必死に暗んだ目を凝らす。地面のサルスベリのくしゃくしゃな花びらを見えて、自分が倒れたことに気づいた。


「見ていたのか?」


 同じ声がした。店主の声だと気づいたところで答えることなどできなかったなかった。体は固まって動かない。声も出せない。

 恵太はされるがまま無理やり引きずられる。


「お前も行け」


 店主は恵太を崖から落とした。

 地面に強く打ち付けられら痛みで意識を守っていられない。昏くなっていく視界の中に飛び込んできたのは、高校生らしき若い男の横たわった姿だった。

 まるで人形のように動く気配がなく、意識があるようには見えない。

 そして、身体はこちらを向いているのに、首がねじれているせいで顔が見えず、黒髪の後頭部だけしか確認できない。

 生きているとは思えなかった。

 

ーーねえ


 声がする。


ーーねえ、やり直したい?


 声はどこからか聞こえて来る。


(……またか)


 すごく近くで気配を感じる。でも、それを確かめる力はもうない。


(またやり直せる?)


 恵太は自分の目から涙があるれているのを他人事のように感じていた。

 少なくともこの高校生は、救えたのではないだろうか。

 無理にでも引き留めていたら、こんな無残なことにならなかった。目の前にいる人を、死ぬと分かって死なせてしまった。何もせずに。傍観者になって。


(だからって、俺のせいなのか?)


 自分だって理不尽にニ度も死の恐怖を味わった。これ以上苦しむことはないのでは?


ーーやり直してくれないかな


 恵太の葛藤を無視して声は続く。恵太の直ぐ側で。


ーーそして、店主を殺して。僕らのかわりに

 

 僕ら。それはだれだろう。

 知らない誰かのために、また危険を冒すのか?

 やり直して、何もなかったように坂を下りて、彼女に会いにいけばいいんじゃないか?


(お願いします)


 恵太は声に強く応える。


(やり直させてください)


 恵太は目の前で死体として転がっている高校生の向こうに、誰かいることに気づいた。

 スニーカーやローファーの足だけがかろうじて見える。足首から上は霧がかったように見えない。

 高校生の向こう側で「誰か」たちは、徐々に意識を失っていく恵太を見つめていた。



 突然青空が広がる。痛いほどの日差しが降り注ぐ。

 恵太は再び、あの坂に戻っていた。

 落としたはずのスマホは手元にあり、7/20の午後2時42分だと知らせている。

 恵太はもう決めていた。


(引き返そう)


 目指していたはずの坂のてっぺんに背を向け、そのまま走り出した。坂を転がるように駆け下りながら、高校生らしき若い男とすれ違う。


(だって、俺は知らない。何も知らないんだ)


 恵太にとって、あれは知らない人だ。

 高校生なんて知らない。名前も、素性も、ここへ来た目的も。


(ここで無視して走り去れば、恵太は何事もなく生きていけるはず……たぶん)


 何事もなければ、恵太は週末に彼女と花火をみると決めていた。いずれ結婚したいと思っている彼女と。

 だから、ここから早く立ち去ればいい。  

 それなのに、恵太の足は止まってしまった。


(なんで前に進まないんだ!)


 前に動かそうとしても、少しと動かない。


ーーねえ


 脳裏に声が話しかけてくる。


ーーやり直したい?

ーーやり直したい?

ーーやり直したい?

ーーやり直したい?


 うるさいくらいに何度何度も問いかけてくる。


(もしかして、やり直すまで帰れないのかもしれない)


 恵太はなぜだか笑っていた。

 「やり直したい?」の問いに、心の何処かで「はい」と答えていた。

 崖の下で横たわるあの高校生の死体が恵太の脳裏から離れない。


(自分で思っているより正義感が強いのかな)

 

 立ち止まった恵太の足元に、風に散らされたサルスベリの花が地面を転がっていく。


(いや。呪いなのかもしれない)

 

 高校生の死体の向こうで足だけ見えた、得体のしれないものたちの呪いかもしれない。  

 それとも、自分自身の意思かもしれない。

 どんなにごまかしても、言い訳しても、仕方がなかったと言い聞かせても、自分があの高校生を見殺しにしたことを忘れられるわけない。

 忘れようとすれば、この場から逃げようとすれば、


ーーやり直したい?


 と、問いかけてくる。

 

(だから。わかったから)


 そんなことしなくても、崖から落とされて首がねじれて横たわる姿を、都合よく記憶から追い出すなんてできない。


(生き残る術を考えなければならない)


 恵太は両手の拳を握りしめる。


「待って!」


 振り返ると叫んでいた。そして、訝しげに振り返る高校生に追いつくために、坂を駆け上っていた。




 

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