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十八、サルスベリの下で蘇り、あの夏の午後をやり直す』1


 家に帰ると、僕は一目散に自分の部屋へと駆け込んだ。机の上にA4のクリアファイルが乗っていた。

 また幽霊の物語を読むことができると思うと胸が熱くなる。でも、これで本当に最後になる。



ーー石川くんへ。これは最初の物語です。

 

 貼られたメモにはそう書いてあった。

 

(最初?)


 僕はもう読むのを止めることはできない。再び、幽霊の作った物語を読み始めた。




『サルスベリの下で蘇り、あの夏の午後をやり直す』

作、幽霊




 坂の多い住宅地のなかでも、ひとつ高いところにそのその喫茶店はあった。

 まるで喫茶店のためだけに用意されたかのように、丘の上に一軒だけぽつんと存在する。

 オレンジ色の屋根のその店の前では、濃いピンク色のサルスベリが咲いていた。レトロなステンドグラスのはめ込まれた木の扉には『OPEN』と書かれた木製プレートが下げられている。どこか小洒落ていて、あざといぐらいにカメラ映えしそうに見える。


 恵太がこの店を訪れたのは不幸な偶然だった。


 夏祭りの花火をみるために穴場スポットを探していた。喧嘩中の彼女と仲直りのきっかけにしたくて、わりと必死に辺りを見回していたところ、たまたま坂の上に背の高いサルスベリの、濃いピンク色の花が見えて、ふと気になったのがきっかけだった。

 

 それはある年の7月20日。時刻は午後2時45分。つまり、夏真っ盛りの午後であり、熱気で視界も揺らぎそうなほどの猛暑だった。汗まみれになった恵太は涼みたい一心で喫茶店の扉を開けた。


「いらっしゃいませ」


 カウンターにいた厳つい男が恵太を見て、営業スマイルを向ける。

 冷房のよく効いた店内の空気に安堵しつつ、すぐに高窓のステンドグラスに目を奪われた。

 

「綺麗ですね」


 思わず声が漏れる。

 小さな白い花のデザインされたステンドグラスは、灼熱の夏の日差しを青みを帯びた柔らかな光に変えていた。


「ありがとう」

 

 店主が嬉しそうに恵太の前にお冷やを置く。


「お世辞でもうれしいよ」

  

 恵太はアイスコーヒーを頼むと、店主に尋ねた。


「この辺りって、花火見えますか」  


「よく見えるよ。あまり知られてなくて、人も少ないからデートにぴったりだよ」


 彼女のためにリサーチしていたことを見透かされ、恵太は照れ笑いをするしかなった。

 こんな綺麗なところに連れてきたら、彼女はきっと喜ぶだろう。

 そんなことを呑気に考え、ひとり頬をほころばせていると、店主が恵太の背後からアイスコーヒーを置いた。


「やっぱり、女か」


 突然、店主の声色が変わった気がして、恵太は振り返ろうとした。

 でも、できなかった。

 体が動かない。金縛りのように。


「いいね、幸せで」

 

 恵太が動けないことをいいことに、背後の店主の手がその首を掴んでいた。締め潰すように強い力で。


「おじさんはね、若い男が憎くて仕方ないんだよ」


 薄らいでいく意識の中で、恵太は店主の言葉を聞いた。 

 

(何でだ)


 恵太はわけがわからなかった。

 苦しさのあまり涙がにじむ。


(何でこんなことに?)


 泣いても何にもならない。恵太が絶望に気づいた時、恵太の視界はもう何も映さなくなった。


(喫茶店に入ったから?)


 店主は、若い男が憎いと言っていた。確かに恵太は若い男かもしれない。


 それだけの理由で、たった今出会ったばかりの中年の男に首を絞められ、殺されてしまうなんて信じられるものではない。


(何故だ?)


 抵抗したくても恵太の体が動かない。

 わけもわからないまま、このままここで人生が終わってしまう。


(死にたくない)


 そう思ったのに、恵太は深く昏い暗闇に引き寄せられていく。

 この苦しみから早く逃れたくて、何もかもあきらめかけたーー

 その時だった。


ーーねえ


 コーヒーの匂いが微かに漂った。完全に意識を失おうとして、無理やり揺り戻された。


ーーねえ、やり直したい?


 遠くで声がした。

 ステンドグラスの向こう。 


ーーやり直してくれないかな。


 声は続く。


ーーそして、店主を殺して。僕らのかわりに


(僕ら?)


 僕らって誰なのだろう。そんな疑問も浮かんだ。でも、そんなことはどうでもよかった。誰でもいい。何でもいい。今は理不尽に奪われた自分自身の命を、人生を取り戻したい。

 どうせ、この声は死に際の自分を慰める幻聴なのだろうから。

 

(……それでも、やり直したい!)


 恵太は心の中で強く答えていた。

 


 気づくと坂を登っていた。坂の先にはサルスベリとオレンジ色の屋根が見える。

スマホを見ると7/20。午後2時42分。

レトロな扉を開け、あの喫茶店へ入る3分前だ。

 恵太の記憶にははっきりとあの喫茶店での出来事が残っている。あの喫茶店へ入り、店主に殺され、やり直すか問われたことを、ちゃんと覚えている。


(全部夢だったのか?)


 あまりの暑さに、おかしな夢を見たのかもしれない。そう自分に言い聞かせても、無理やり夢と思い込むには鮮明すぎる。


(とにかく帰ろう)


 恵太はくるり背中を向け、カフェを後にした。

 家族に会いたい。

 彼女に会いたい。

 ここにいたくない。

 ついさっき感じたばかりの死の恐怖が全身にまとわりついている。

 そう思ったはずなのに、恵太は思わず足を止めた。

 前から誰かが来たからだった。坂を意気揚々と登ってくる。

 それは高校生らしき、『若い男』だった。

 坂の上には『あの喫茶店』しかない。

 

(行っちゃだめだ)


 恵太は勢いよく振り返った。

 でも、そこから先、体が動かない。


(見ず知らずの、赤の他人に、どう説明する?) 


「さっき、殺されたんです。夢かもしれないけど」


 なんて、言って信じてもらえるとは到底思えない。

 恵太が迷っている間に高校生らしき若い男はどんどん恵太から離れていく。喫茶店へと近づいていく。


(いや、もしかしたら喫茶店に入らないかもしれないじゃないかーーいや、入らないでくれ)


 どうか、その喫茶店に入らないで。

 そんな祈りなど通じることなく、高校生らしき若い男は躊躇いがちに店内を少しのぞき込んでから喫茶店の扉を開けた。

 それは当たり前だった。扉の木製プレートには『OPEN』と書かれているのだから。

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