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十七、邂逅

 7月26日、日曜。いつも使う南口最寄りの駅をくるりと回り、北口方面を歩く。


(どうかしている)


 夕方、幽霊を信じて僕は家を出た。

 友人に会いに行くと言ったら、家族は疑いもせず送り出した。ホッとしているように見えた。いつも悶々としていて口数も少なく、あからさまに機嫌の悪い受験生は腫れ物に近いのだろう。

 伊藤に連絡をしたかったけれど、怒りに任せて伊藤の連絡先を消してしまった。こうなったら今日、あの店へ行く伊藤を掴まえるしかない。


(もしかしたら、まだこの辺を歩いているかもしれない)


 歩きながら、僕は伊藤を探した。花火大会の日は、ひとつ先の駅から花火観覧の特設会場行のバスが出るためか、駅へと向かう浴衣姿の若者の姿をチラホラと見かけた。自分も若者なはずなのに、仲間外れにされているような感覚は何なのだろう。来年の所属先が決まっていないというだけで、こんなに心細いのは何故だろう。


(幽霊を信じて良いのだろうか)


 あいつの小説が現実になるなんて。そんな嘘みたいなことを僕は信じて良いのだろうか。


(でも、あいつは本物の幽霊だし)


 今は正誤なんてどうでもよかった。『行ってはいけない喫茶店』という物語の結末を変えなくてはならないのだから。伊藤とオレンジの屋根のカフェを目指して僕は汗も拭かずに歩いた。

 

 店は小説の通り坂の上にあった。


(……本当にあった)


 木製のスタンド看板には、『喫茶カフェ』と書かれている。


ーーあの店に若い男が行くと死ぬ


 その言葉が一瞬頭を掠めた。でも、ドアのプレートはOPENの表示だ。僕は思い切ってノブを回した。


「いらっしゃい」


 店内は薄暗く、カウンターの向こうには体の大きな男が立っている。


「あの」


 僕はすぐに逃げられるよう、開けたドアの半分だけ店に入って立ち尽くす。小説の通り、背が高く、筋肉質で、髭の生えた大男だ。

 そして、幽霊の言葉を思い出していた。


「恵太を知っていますか」


 店主の手がとまった。にこやかな表情が瞬時に凍りつき、険しい顔のまま僕の顔を見つめ、


「あそこだよ」


と、窓の外を指さした。そこにはサルスベリの木が濃いピンク色の花を咲かせ、また違う木が真っ白な花をつけている。


(エゴノキだ)


 真夏に咲くはずのないエゴノキが咲いている。地面にぼとぼとと花を落としている。僕は頭を下げると急いで外へ出た。

 もしかして、もう突き落とされた後ではないだろうか。

 花火の音が響き始める。走って崖のそばに近づいた。


「伊藤!」


 幽霊に抱えられた伊藤が崖の下から浮かび上がる。

 これも小説の通りだ。


「石川!?」


 地面に降り立った伊藤が僕を見て目を見開く。


「どうして石川がここにいるんだ?」


「幽霊に頼まれたんだ」


「幽霊?」


「恵太だよ」


「恵太が?」


 伊藤は呆けたまま、首をかしげる。


「恵太なら今ここに」


 しかし、伊藤が振り返ると幽霊はきえてしまった。


「いない……」

 

「幽霊が、伊藤を助けてほしいって伝えに来てくれたんだ」


 だいぶ回りくどいやり方だったけど。

 幽霊が持ってきた物語たちのおかげで、僕は幽霊を何処かで信用するようになっていたし、自分の夢や、伊藤との関係を冷静に考えることができた気がする。


「助けに来てくれたのか?」


 伊藤の目は潤んでいた。


「あんな酷いことを言ったのに?」


「それとこれとは関係ないでしょ」


「石川、ありがとう。ごめんな」


「もういいよ。泣くなよ」


 伊藤は涙も拭かずに首をブンブンと振った。


「泣いてませんけど?」


 急に不満げな顔になる伊藤に思わず吹き出してしまった。

 その時、崖の向こうで花火が上がった。二人でそれを眺める。

 

「恵太にお礼を言いたかったのになぁ」


「そうだね」


 花火が上がる。

 もしかしたら、恵太は成仏をしたのではないだろうか。


 さっき読んだ小説で気になった箇所がある。


ーー私も同じくここに突き落とされましてね


 もしかしたら、恵太はここで死んだのかもしれない。でも、幽霊はもう現れない気がするし、確かめようもない。


「でも、もういいのかもしれない」


 伊藤を助けられて、僕は本当に嬉しかったから。


「帰ろう」


 そういったときだ。  

 僕は視線の先に店主がいることに気づいた。

 穏やかな笑顔を湛えたまま、黙って僕らを見つめている。

 伊藤の首を絞めた、ガタイのいいあの店主。


(逃げなきゃ)


 伊藤の手を引っ張ろうとしたが、店主に気付いた伊藤は突然駆け出した。


「すみません!」


 止める間もなかった。


「僕を突き落としたの人、見ませんでしたか?」


 伊藤は近づいて訊ねた。


(知らないのか!)


 そうだ。伊藤は自分を突き落とした犯人をまだ知らないんだ。首を絞められて初めてわかるから、まだ知りようがないんだ。

 僕は咄嗟に伊藤の前に立つと、店主に向かって静かに訊ねた。


「伊藤を突き落としのは、あなたですよね?」


 伊藤が驚いて僕を見た。店主は黙って頷くと、獲物を追い詰めるみたいにジリジリと近づいてくる。


「恵太って誰ですか? 何者なんですか?」


 訊ねると、店主は微かに笑った。


「恵太か」


 また花火が上がる。それを眺めた後、しばらく考えた店主は半笑いで答える。


「ーー恵太は死んだ息子だ」


 穏やかな声はむしろ狂気を帯びていた。


「事故でね。だから、私は無駄に生きている青年が許せなかった」


「ーー恵太が居なくなった日に時間を巻き戻したいんですか」


「……そうだね」


 嘘をついているように見えた。でも本当かもしれない。僕も伊藤もなんて答えていいかわからなくなってしまった。


「だから、可哀想なおじさんをどうか許して欲しい」


 店主は再び、少しずつ僕らに近づいてくる。崖に追い詰められ、二人で身動きがとれない。


「嘘をつくな」


 その時、崖の向こうから唸り声がした。振り返ると、白装束に黒縁眼鏡の若い男の幽霊ーー恵太が再び現れたのだ。


「石川くん、伊藤くん。この店主は嘘をついているから」


 そういうと僕の隣に立ち、ふいに耳打ちをする。


「もう一作ーー最初の物語を書いたから読んでね」


 そして、恵太は音もなく店主の前へと立ちはだかる。いつもの朗らかな幽霊ではない。その背中から憎悪が滲み出ている。まるで怨霊のように。


「まさか、お前……」 


 驚きのあまり店主は青ざめる。唇まで青くなっているのを見て、幽霊はニヤリと笑った。


「俺は息子なんがじゃない。俺の名前を知っているのは、何度も時間を巻き戻して、俺を殺しているから。そうだよな?」


 瞬間、幽霊は店主の首に掴みかかり、店主を崖へと引きずり込もうとする。


「離せ!」


 店主が暴れて抵抗するのを、恵太が必死で押さえつけている。

 恵太は幽霊だから店主の金縛りは効かない。

 一方的に首を絞められてきたけれど、今回は違う。


「離せよ!」


 焦った店主の姿が変わっていく。下半身がドロドロに溶け、皮膚は赤黒く染まっていく。化けの皮が剥がれるように、哀れで醜悪な肉体が晒されていく。


「お前に何がわかる!」


 叫んだ店主が恵太を跳ね除けようと右腕を振り上げようとしたときだった。


ーーお前に何がわかる?


 崖の下から囁きが聞こえると、何かが這い出て来て店主の右腕にしがみついた。


ーーお前には何がわかる?

ーー我々を殺しておいて、何がわかる?


 それは人間の男に見えた。

 しかも一人ではない。人間の男の形をした何かが幾人も幾人も崖の下から現れ、店主の体にしがみついていく。


(この人たちは店主に殺された若い男なのか?)


 全身から恨みを露わにし、店主の髪を引きちぎり、皮膚を毟り取り、目を血眼にして崖へと引きずり降ろそうとしていた。


ーーお前に何がわかる

ーーお前も堕ちろ

ーーお前も堕ちろ



 ささやき声が重なり、やがて怒号となる。

 そして、店主は若い男たちと崖へと落ちていく。

 僕はその落下する塊の中に恵太の姿をみつけた。

 恵太は僕と伊藤をみつめなが、手を振っていた。優しい笑みを浮かべて。

 そして、血だらけになった店主と落下していく男たちは、暗闇だけ残して見えなくなってしまった。

 覗き込んでも底の見えない真っ暗闇があるだけ。

 

「さっきまで白い花の木がたくさんあったのに」


 伊藤が呟いた。

 その白い花の咲くエゴノキも、さっきのおぞましい光景も、暗闇は全て飲み込んでしまった。

 恵太も一緒に。


「ねえ……人が落ちたわけだし、警察を呼ばないとかな? それとも救急車?」


 ふと、震えた声で伊藤が言った。 


「人って?」


 僕はあの光景をみて警察に通報しする気にはなれない。あんなの信じてもらえるとはとても思えない。

 僕の両手は震えているし、立っているのがやっとだった。


「一応、人みたいかものが落ちたじゃないか」


「あれは人なの?」


 伊藤は冷静なのか思考が変わっているのか、それとも混乱しているだけのだろうか。


「伊藤は怖くなかったの?」


「恐かったけど、念のためだよ。ああ、でも、スマホが圏外なんだ」


「じゃあ、店の電話なら……」


 僕が振り返ると、声を失った。

 もう、そこに店はなかった。ただ空き地にくさむらが広がっているだけだ。

 僕と伊藤はふたりでしばらく立ち尽くしてた。


「もしかして、全部夢だったのかな」


 伊藤の口からようやく言葉が溢れたのは、一幕の花火が上がり終え、次の花火の準備に取り掛かっているであろう、静かな時間帯の事だった。

 僕はもう一度崖を見下ろす。


「……そんな」


 思わず声が漏れた。さっきは暗闇しかなかった。剥き出しの崖だった。それなのに、今は見えず景色はガラリと変わっていた。

 崖はがけ崩れ防止のコンクリートで覆われ、下に降りられる階段と街灯までついていた。階段の先に公園ができている。誰もいないブランコは静止したままそこで利用者を待っている。

 エゴノキの木の森はない。

 一面の暗闇もない。

 落下した店主の姿などどこにもない。

 正しく整備された街の一部しかない。

 警察に言ったところでイタズラと思われるだろう。


「あの幽霊、助けてくれたんだ」


 ふと、伊藤が呟いた。


「信じてくれる?」


「信じるというか。こっちもあの幽霊にここに来るように頼まれたんだ。伊藤を助けてって」


 伊藤の顔がさらに曇る。


「ちゃんとお礼を言いたかった」


「僕も」


 また会えるっていったのに、もう会えない予感がしていた。


「帰ろう」


 伊藤がさっぱりとした笑顔を向けると、駅の方向へと歩きはじめた。どこか腹を決めた背筋に、負けずについていく。


「そうだね、帰ろう」


 今もどこかで時間が巻き戻り、誰かが何かをやり直しているかもしれない。


(例えば、小説家志望の黒縁眼鏡の男とか)


 僕たちは崖の上を後にした。 

 僕らの時間はもう巻き戻らなくて良いんだ。 


(それに、帰って読まなくちゃいけない)

 

ーー最初の物語を書いたから読んでね


 恵太は確かに、そう言ったのだから。


 

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