十六、『行ってはいけない喫茶店』3
崖の上にたどり着いた。
サルスベリのそばに降り立ち、空を見上げる。何だか気分がいい。
「ありがとう」
僕は振り返る。しかし、背後にいたはずの幽霊の恵太はいなかった。その代わりに、近くに誰かが立っていることに僕はようやく気づいたのだ。
「大丈夫ですか?」
そこにいたのは喫茶カフェの店主だった。
遠くで花火があがる音がした。
周辺を見回したけれど、もう幽霊の姿はない。
「どうしたんですか? 大丈夫ですか?」
怪訝な顔の店主を僕はじっと見つめる。幽霊がいなくなったなんて、この人に言っても仕方のないことだ。
「大丈夫です」
汚れまみれの服をそのままに、僕は空を見上げた。
「美しいですね」
花火が空を彩る。その時の僕はお気楽だった。全く油断をしていた。花火を見て、幽霊が登りきった僕を褒めているのではないかと、勝手に思っていた。
「君はどこまで巻き戻したい?」
花火が上がり終えて、一瞬の静寂。店主は低い声で言った。心臓が飛び上がるかと思った。
忘れかけた元々の目的を、この店主に問われるとは思わなかったのだ。
「噂を聞いてきたんじゃないのか?」
この人は何もかも知っていたのだろうか。
びっくりはしたものの、自分でも驚くほど落ち着いて店主に答えていた。
「本当は友だちと喧嘩する前に戻りたかったんです」
「なんで喧嘩なんかしたの?」
「夢を笑ってしまったんです。けど。でももういいです。今謝ってきます。まあ、できれば恵太にも、もう一度会いたいけど」
「恵太だって?」
「はい。僕を助けてくれたんです。なのにお礼を言ってなかったから」
時間は巻き戻さなくていいから、ありがとうを言ってからお別れしたかった。
「そうか」
店主の声は酷く静かに沈んでいた。
その声にようやく違和感を覚えた。でも、もう遅い。
「そうか」
店主の手が伸びる。当たり前に。こうなることが自然とでもいうように。
「恵太、あいつまだいたのか」
店主が僕の首を絞めていた。圧倒的体格差に僕はなすすべもなく、惨めに暴れるだけだった。
「君の夢は? 教えてくれたら助けてあげる」
店主の顔は無表情で、感情が読み取れなかった。答えたところで何か変わるとも思えなかった。
「いいから言いなさい!」
怒鳴られて、僕の目尻に涙が浮かんだ。
「……脚本家」
「そうか」
答えを聞くと、店主はわずかに口元を歪ませて更に手に力をこめた。
「叶わない夢を見て滑稽だな」
素直に答えた僕を嘲笑う。僕はただ、石川に謝りたいのに。
小説家になりたいなら、目指しなよって。
実は僕も脚本家になりたいんだ。
目指す大学は違うけど、人に言いづらい夢だけど、お互い頑張ろう。
そう言いたいんだ。そのためにここへ戻ったのにに。
「ヒドイよ」
声は声になっていただろうか。
頬を涙が伝っていく感触もいずれ消えた。
★
読み終わって、僕は手が震えていた。
これはなんだ。A4の紙に問いかける。
僕の、友人の、伊藤の話なのか?
最後のページを激しく見つめた。そこには手書きでメッセージがついていた。
石川くんへ
伊藤くんを助けに来ていただきたい。
7月26日、『喫茶カフェ』で伊藤くんは、この物語のとおりに殺されます。
それを阻止して欲しいんです。
そして、二人には仲直りしてほしい。
それが私の望みです。
多分幽霊の恵太より




