十二、『エゴノキ』4
広い駐車場に車を停め、僕と妻と娘は外へ出た。春の終わりへとどめを刺すように日差しが強い。
僕らは店には入らず、崖の近くにあるあの木の前に立つ。やはり、白い花を咲かせていた。
「きれいだね」
僕が言うと、妻も頷く。
「ほんと、きれい」
娘は妻に抱かれたままだ。眠ったまま動かない。
「僕を殺そうとしている?」
木を見上げたまま訊ねる。
「うん」
妻も見上げたまま答えた。
「あなたを殺そうとしていた」
僕の妻は、はっきりとそう言った。
「願いが叶うまで時を巻き戻してくれるっていうこの木に願ったの。私たちを忘れたあなたを殺したいから力を貸してほしいって」
ああ、やはり。この木に願い事をしたのは、妻だったのだ。
「この子」
妻はそっと娘を抱きしめる。
「産まれたばかりのこの子が熱を出したのに、あなたはそばにいてくれなかった。何事もなかったように過ごすあなたが許せなかった」
「僕は退院の日に迎えに来るのも忘れた」
娘を守るために必死だった妻の話を、他人事のように聞いて、丸投げしていた。
「ごめん」
逃げていたのだ。僕は妻と娘から。
「本当にごめん」
娘は妻に抱かれたまま。何も言わない。
妻は娘を抱いたまま、木を見上げている。
「でも、願いが叶うまで同じを日を繰り返すって店主が言っていたけど、本当?」
「本当みたいね」
「でも、僕は何度か殺されている気がするんだけど」
崖に突き落とされ、包丁で刺され、毒を盛られ、意識を失っている。
「違うの」
妻は木に向かって語りかけた。
「助けてしまったの。崖から落ちた日も、包丁を刺した日も、毒殺しようとした日も」
確かに僕は幾度か倒れた。その先の記憶がない。
いつもそばにいたのは妻だった。
もしも、気を失った僕を妻が助けてしまったから、また5月1日に戻ったということなのだろうか。
「何もかも忘れたあなたを殺したかった。覚えていたら、ためらっちゃうでしょ?」
妻がこちらを向いた。優しげ微笑んだ妻を見るのは、いつ以来だろうか。僕を殺そうとした妻に少しも怒りを覚えないのは何故か。多分わかっている。胸がぎりぎり痛い。後悔の音を立てて僕を責め立てる。
「あなたを殺せれば、5月1日から抜け出せるはずなのにね」
「違う方法はないのかな」
「ないみたい。店主が言うには」
「店主はこの木の持ち主なの?」
「わからない。でも、願い事の仕方を教えてくれたのは店主だった」
「でも、抜け出したい」
「そうね」
僕を殺せなかった妻の、寂しそうな横顔を見つめた。
「やっぱり殺したいの?」
「どうなのかな。怒りに任せて願ってしまった。きっと本当の望みではなかったのに」
「本当の望みがあるの?」
「うん」
「不安なとき。あなたにいてほしかった。寂しかった」
妻がまた木を見上げた。
「それだけなのに、殺意を抱くなんて」
妻の唇が震えている。妻も後悔しているんだ。
何とかしたい。何とかしなくては。きゅっと手を握りしめたとき、ふと気になった。
「この、手の甲の合言葉って何?」
ーー喫茶カフェ。合言葉は「美しいですね」
「私は知らない」
「君が書いたんじゃないのか?」
「私じゃない」
「じゃあ、誰なんだ?」
二人で顔を見合わせる。
「あの店主に聞いてみよう」




