若者の早期絶望
「結城蒼、今日で辞めます」
その一言に、オフィスの空気が一瞬だけ静まり返った。
「……え?今日って、まだ五日目だよな?」
係長の田口が眉をひそめる。周囲も「またか」とでも言いたげに小声でざわついた。
結城蒼――22歳。
日本が誇る名門大学を卒業後、いわゆる“ホワイト企業”に入社。これで9社目。すべて5日以内に辞表を出している。
「何か不満があったのか?」
「いえ。ありません。むしろ、皆さん親切で、会社も風通しがよかったです。ただ……“仕様通り”だったので、もう十分です」
意味が分からない。だが彼はいつもこうだった。
就業規則や研修資料を初日に丸暗記。翌日には部署の課題点を見抜き、3日目にはシステム改善案を提案。4日目には上層部が彼を評価し始める。
5日目には辞表。
彼の中で「満足」か「絶望」のどちらかが点灯したのだろう。
※
その夜、業界紙の記者が取材にやってきた。
「“5日後の男”」という仮タイトルの特集を企画しているらしい。
「なんで毎回、5日なんですか?」
記者が尋ねると、結城はコーヒーを飲みながら答えた。
「5日あれば、その会社が“生きてる”か“腐ってる”か分かります」
「腐ってる、とは?」
「制度が整っていて、福利厚生もある。上司も“褒めて伸ばす”。でも、実態は“中身のない努力”が評価されてる。改善提案を出せば、『前例がない』で却下。問題に触れると、空気を読めと言われる」
「つまり、表面上は良くても、中は空っぽ?」
「空っぽというより、“整ってる”ことが目的化してるんです。機械的な評価、マニュアル通りの行動。『考えなくてもいい職場』が求められてる」
記者は少し笑った。「まあ、そういう会社多いですよね」
「でも、それでみんな“安定してる”って言うんです。
“夢”とか“やりがい”なんて言葉、使うだけで嘲笑される」
「君は、それが許せない?」
「いえ。諦めてるんです。社会が“思考停止の優等生”を量産する以上、俺のようなノイズは邪魔者。だから、俺は“壊す”ことにしました」
記者が身を乗り出した。
「壊す?」
「ええ。内部に入って、5日で改善案を提出して、意図的に組織を“混乱”させてから辞める」
結城は、まるで何でもないことのように言った。
「俺の提案は、正論です。無視すれば良心が痛むし、通せば上が困る。誰かが変化を強いられる。たった5日間で、社内は“ざわつく”んです」
「まさか……それが目的?」
「ええ。そういう意味で、俺は“プロの炎上屋”です」
※
数日後、「結城蒼炎上説」はSNSで拡散された。
“5日ルール”は彼の信念であり、“問題提起”という抗議手段だったのだと。
界隈は騒然となった。
「テロだ」「革新だ」「ただの構ってちゃん」など、意見は割れた。
だが、不思議なことに、結城がかつて在籍していた企業の一部では“急な制度見直し”や“業務改善会議”が頻繁に開かれるようになったという。
ある企業では、彼の提案資料を社内マニュアルに昇格させた。
別の企業では、改革派の若手社員が台頭した。
彼の“5日”は、組織の無関心に火を点けたのだ。
※
ある時、テレビ局が特集番組で彼を追った。
「あなたはヒーローですか?それとも破壊者ですか?」
結城は笑った。
「ただの観察者ですよ。社会は“異常”に慣れすぎてる。俺はそれを、たまに“違和感”として投げてるだけです」
「では、次も5日間だけ?」
「いえ、次はもっと長くいるかもしれません。
ついに、“変化する気のある組織”を見つけたので」
そう言って、彼は新しい辞令をポケットにしまった。
そこには、社員全員が匿名で提案を投稿できるベンチャー企業の名があった。