7 オフィーリアの本音
重苦しい気持ちでエドガーは部屋に用意されたワインを口に煽った。
用意されたのはオーディール家の上等なワインだった。
いくら飲んでも酔えない辛さにエドガーは顔をしかめた。
もとからエドガーは酒には強かった。なのに、なぜ、あの時だけはあんなに泥酔してしまったのか。
知らず知らずの内に自分はジュディスに勧められるまま、許容範囲を越える程のアルコールを摂取してしまったのだろうか。
ガゼボで愛しいジュディスと別れてからの記憶が曖昧だった。ただ、最後に自分の胸に魅惑的に指を滑らすジュディスの姿だけが何時までも脳裏を過っていた。
彼女を想うと身体中が熱くなり、堪らず彼女を求めた。
彼女の部屋を確認し、ベッドに眠る彼女を溢れ出す感情のままにその腕に抱いた。
彼女の匂いを鼻で感じ、彼女の滑らかな肌の感触を己の肌で感じると、もうあとは無我夢中だった。
理性は飛び、本能のままに彼女を抱いていた。
あの時の自分はまるでいつもの自分じゃなかったかのようだった。
それでも、彼女の温かい体温と触れ合う肌の心地好さに身も心も蕩けてしまうようで、猛烈な多幸感に満たされたのは事実だった。
目を覚まして隣で眠るオフィーリアの姿を見るまでは――
「っくそ――!! 」
ダン!! とエドガーはワインが置かれたテーブルを乱暴に拳で叩いた。
先程視界に捉えた腫れ上がったオフィーリアの左手が思い起こされる。
ジュディスよりも華奢で色白な彼女の手はその赤みを一層強調させた。
女性を叩いたのは人生で初めてのことだった。
いくら憎んでいる女性とはいえ、元は真面目で紳士なエドガーは、とてつもない罪悪感に苛まれた。
本当は、毎日罵倒しても表情一つ変えずにひたすらに謝り続けるオフィーリアに対して、エドガーはいつも言い難い感情に苛まれていた。
(あの夜、故意ではなく、何かの手違いでたまたま彼女がジュディスの部屋に寝ていたのだとしたら……)
ぶるり――
それは自分の犯したあまりにも大きい罪を認めるようなものだった。エドガーは身体を震わせると苦痛の表情で頭を抱えた。
オフィーリアの身体を力ずくで暴いてしまった。
それは紳士として、騎士として、人として絶対的に許されるものではない。それを事実として認めてしまったら自分はもう今の立場ではいられない。
だからそれに必死に気付かない振りをして、オフィーリアだけを悪者にし、エドガー自身の向けようのない怒りの矛先を彼女にぶつけ続けている。
愛しいジュディスはもう自分の手に入らない。
その事実を受け入れることが未だに出来ない。
(どうしてこうなった。誰が悪いというのか。不幸な事故というなら誰を責めたらいいのか。いや、オフィーリアさえいなければ……。そうだ、やはり全てオフィーリアが悪いのだ……っ! )
罪悪感と喪失感から逃れる為、エドガーは必死でオフィーリアを憎しみ続ける努力をしていた。
「ジュディス、ジュディス……。君が恋しい……」
ポタリとエドガーのブルーグレーの瞳から涙が溢れた。
彼の心は限界だった。
(誰か自分を救って欲しい。 いや、いっそ地獄に突き落として欲しい……)
「う、ううっ……」
苦しさにベッドへと横たわり泣き疲れ眠るエドガーの元にそっと誰かが静かに近付く気配がした。
エドガーの冷えきった心と身体を優しく包むように温かい毛布がふわりと掛けられる。
それから躊躇いがちにエドガーの髪の毛を優しく撫でる手の感触に、エドガーは重い目蓋をうっすらと開くと、彼の目にサファイア色の瞳が重なった。
「ジュディス……」
エドガーはそう呟くとまるで赤子に戻ったかのように、自分を優しく撫で付ける愛しいかつての恋人の手の感触を味わいながら、ようやく穏やかな気持ちで眠りに着いた。
スースーと規則正しい寝息を立てるエドガーを確認するとオフィーリアは静かに彼の側を離れた。
結婚後、このようなエドガーの姿をオフィーリアは何度も目にしていた。
彼から受ける仕打ちはオフィーリアにとって辛いものではあったが、彼自身もまた、このように苦しんでいる事実を知るオフィーリアは、どうしても彼を憎むことが出来なかった。
(酷い男。私の初めてを力ずくで奪い、人生を終えさせた男。……だけど、彼も被害者だわ。あれは誰が悪い訳でもない悲劇的な事故。だけど――)
憔悴するエドガーをこれ以上見るのは辛かった。
精悍で真面目で愛するジュディスに一途な騎士。
そんなエドガーをオフィーリアは他の令嬢達同様、恋愛感情まではいかないものの、密かに憧れの気持ちを抱いていた。
姉の婚約者であり、武勇に優れ皆の憧れの存在であるエドガーは、オフィーリアにとっては雲の上の存在。姉の影に隠れ、何の取り柄もないオフィーリアとは決して一緒になるはずのない人物だったのに。
皆を照らす太陽のような彼を、暗い地獄の底に堕とてしてしまったのは紛れもないオフィーリア自身。
オフィーリアは唯一姉のジュディスと同じサファイアの瞳を辛そうに歪めると、ベッドに眠るエドガーに懺悔するようにポツリと呟いた。
「………もうすぐあなたを楽にしてあげるから」
* * *
朝になり、エドガーは二日酔いの重い頭を無理矢理振って気持ちを引き締めると、いつものように身支度を始めた。
しかし、昨日の夜から降り続けた雪により、本日の訓練は中止となり、急遽一日休日が出来てしまった。
仕方なくエドガーは少し早めの朝食を食べる為、食堂へと足を運んだ。
食堂にはいつものようにエドガーよりも早く席に座っているオフィーリアの姿があった。彼女の姿にエドガーは表情を険しくさせ、悪態を吐こうとしたが、オフィーリアの左手に巻かれた包帯を見て、その口を閉じた。
彼女の細い左手を覆う白い包帯がとても痛々しく見えた。
「怪我は……大したことないのか? 」
エドガーが呟くような小さな声でオフィーリアに怪我の具合を尋ねた。
初めて自分を気にかけるエドガーの言葉に、オフィーリアは驚きで瞳を大きく見開いて、思わず彼を凝視した。
「……怪我はどうだと聞いている」
コホンと気まずそうに咳払いをしながら、オフィーリアの返答を待つ間、エドガーは食席に腰を降ろした。
「あ、はい。少し腫れている程度で痛みは殆どありません」
遠慮がちにオフィーリアが答える。
「……そうか」
すまなかった、と喉の奥まで出掛かった謝罪の言葉が最後まで言えず、エドガーは苦々しい表情で押し黙った。
今迄散々オフィーリアに酷い仕打ちをしてきた自覚のあるエドガーは、今更、彼女に対して素直に謝ることが出来なかった。
「昨夜は本当に申し訳ありませんでした。私の配慮が足りませんでした。以後気を付けます」
そんなエドガーとは反対に、いつものようにオフィーリアが自分が悪いのだと、謝罪の言葉を口にした。
彼女のその姿勢に、自分の狭量さが浮き彫りとなり、エドガーは大きなショックを受けた。
(謝るのは寧ろ突然暴力を振るった自分の方だと言うのに。どうしてそんなに簡単に謝ってしまうんだ)
エドガーの中でオフィーリアに対して理不尽な怒りが込み上げる。しかし、流石に暴言を吐くことも出来ず、エドガーは再び気まずさに顔をしかめた。
重苦しい雰囲気の中、料理が運ばれてくると、エドガーは静かに食事に口をした。
それを確認してからオフィーリアも皿の横に並べられていたナイフとフォークに手を伸ばした。
「あっ……」
オフィーリアが左手にフォークを持った瞬間、左手にズキリと痛みが走り、思わず持っていたフォークを落としてしまう。
ガシャン――
皿の上に落ちたフォークの音が食堂に鳴り響いた。
「も、申し訳ありません」
オフィーリアは自分のマナーの悪さに、申し訳なさそうに謝罪すると、落としたフォークに再び左手を伸ばした。
「無理をするな」
その様子を見かねたエドガーは、反射的に席から立ち上がると、オフィーリアの元へと駆け寄り、オフィーリアが落としたフォークを代わりに素早く拾い上げた。
「え? 」
そしてそのままフォークで皿の上の食事を掬うと、それをオフィーリアの口の前までぶっきらぼうに運んだ。
「私が食べさせてやるから口を開けろ」
「え?」
エドガーの突然の献身的な態度に、オフィーリアは嫁いで初めて目を白黒させたのだった。
ようやくここから二人の関係性が変化していきます( *´艸`)