5 二人の日常
エドガーの朝は早い。
毎朝騎士団の早朝訓練がある為、明け方近くに目を覚まし、支度を整える。
エドガーが支度を終え部屋から出てくると、玄関先でオフィーリアが夫を見送る為、ひっそりと入り口に立っていた。
オフィーリアは結婚してから毎日欠かさず、エドガーの早朝訓練の見送りを続けていた。
「行ってらっしゃいませ、エドガー様」
深々と頭を下げ、エドガーへ送り出しの声を掛けるオフィーリアに対し、エドガーは忌々しげに口を開いた。
「ふん、毎日毎日鬱陶しい。朝一番にお前の顔を見るのが不快で堪らないと言っているだろう。それなのにいつも見送りに顔を出すなんて、俺に対する嫌がらせのつもりか? 」
エドガーの暴言をオフィーリアは静かに受け止めながら、自分の真摯な気持ちをエドガーへと告げた。
「嫌がらせのつもりは毛頭ありません。私はただ、この国の為にその身を捧げ、いつも朝早くから鍛練へと行かれるエドガー様を労いたいだけなのです。不快に思われるかもしれませんが、騎士の妻としての役目をどうかこのまま続けさせて下さい」
「……ふん、それで献身的な妻だと言うことを私にアピールしているつもりか。抜け目のない女だな、お前は」
オフィーリアの言葉を受け、エドガーは嫌悪感をあらわにオフィーリアの横をさっと通り過ぎると、見送る妻へ挨拶をすることなく、屋敷を出て行った。
エドガーの姿が見えなくなると、オフィーリアは下げていた頭をゆっくりと上げ、小さくその場で「ハァ」と、溜め息を洩らした。
「あの、奥様……」
おず、とオフィーリアの背後から申し訳なさそうに声が掛けられた。
オフィーリアが声の方をゆっくりと振り返ると、そこには屋敷で働く執事を筆頭に、数名の使用人達がオフィーリアを痛ましそうな顔で見ていた。
「旦那様に毎日あのようなことを言われるのなら、その、……もうお見送りには出られない方が良いのではないでしょうか? 」
そこにいる使用人達の気持ちを代弁するように、白髪の年配の執事長が、気まずそうにオフィーリアに進言してきた。
この屋敷の使用人達は、オフィーリアが屋敷に来た当初、彼女の悪い噂を鵜呑みにし、オフィーリアが姉の婚約者であるエドガーを奪った悪女だと否定的な気持ちでオフィーリアを迎え入れた。
しかし、この数ヶ月の間、彼女を間近で見てきた使用人達は、オフィーリアが噂通りの悪女とは程遠い人物で、控え目で献身的な女性だという事実を徐々に知っていった。
結婚後のオフィーリアの生活は実に質素なもので、本来なら伯爵婦人として充てられているお金を使って贅沢な暮らしをしてもよいものを、オフィーリアはそのお金には一切手を付けず、身に着けるドレスや宝石はいつも同じものを使い回していた。
使用人達はそんな彼女の姿に胸を打たれ、反対に、彼女の本当の姿を知ろうともせず、ひたすら彼女を罵倒し続けるエドガーに対して、いつしか不信感を抱くようになっていた。
執事長の言葉に、オフィーリアは小さく首を横に振った。
「……いいえ。妻としての務めは何があろうと果たさなくてはいけません。私は大丈夫です。あなた達に毎日見苦しい姿を見せてしまってごめんなさい。……全部私が悪いのです。どうかエドガー様を悪く思わないで下さいね」
決してエドガーを責めないオフィーリアに対し、使用人達は一様に心を打たれ、押し黙った。
「……出過ぎた真似をしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いえ、私のことを心配しての言葉だったと充分理解しています。……ありがとう」
執事長が謝罪の言葉を述べると、オフィーリアはその口許に僅かに微笑みを浮かべた。
「これから教会に出掛けるので馬車の手配をお願いします」
「承知致しました、奥様」
オフィーリアの言葉に、使用人達は彼女の為に手際よく外出の準備に取りかかった。
* * *
伯爵家の馬車で教会に到着したオフィーリアはいつものように誰もいない教会に足を踏み入れた。
教会の中心に掲げられた十字架に向かって暫く祈りを捧げたオフィーリアは、祈りを終えたあと、顔を上げると端に設置された小さな懺悔室へと入っていった。
「憐れな子羊よ。そなたの懺悔を聞こう」
懺悔室に入ると、いつものように板で仕切られた向い側の小窓から神父が声を掛けてきた。
「はい、神父様。私は罪深い人間です。愛し合う二人の仲を引き裂き、自分は姉の婚約者と結婚し、ぬくぬくと毎日を過ごしています。姉は今でも私の夫を想い泣いているでしょう。また、夫も姉を想い、毎日私に辛く当たりますが、本来の彼は決してそのような人ではないのです。私の存在が彼を苦しめ続けています。しかし両家の縁を断ち切ることは出来ず、私達は夫婦で在り続けねばなりません。罪深い私はどのようにして二人に償えばいいのでしょうか……」
結婚してからオフィーリアは毎日教会に足を運び、懺悔をしていた。
愛し合う二人の仲を引き裂いた自分がどうしても許せなかった。
それならせめて二人の為に祈りを捧げ、少しでも罪が拭われるよう懺悔を続けた。
オフィーリアは小さな頃からとても信心深く、教会の教えは彼女にとって絶対だった。
自分の存在が罪であるならば自死という手段も考えたが、それは教会の教えに酷く反するもので、オフィーリアには到底抗えないものだった。
「幸い私達夫婦の間に子供はいません。私がこの世からいなくなれば、オーディール家の血筋は姉のジュディスただ一人になります。そうなればエドガー様とお姉様はもう一度結婚出来る機会が持てるのに……」
深く重い気持ちがオフィーリアを支配する。
「優しいオフィーリアよ。あなたの想いは必ず神に届くでしょう。今までと変わらずに祈りを捧げ続けなさい。そして決して自死などと考えてはいけません。あなたの魂が永遠に暗い冥府の世で彷徨うことになるでしょう」
「……はい、ありがとうございます……」
いつもと同じ神父の答えに、オフィーリアは力なく項垂れた。
教会を出たオフィーリアは、外の空気の冷たさに思わずぶるりと身体を震わせた。
「急に気温が下がったわ。今日はこれから雪が降りそうね……」
どんよりとした灰色の空を見上げながら、オフィーリアはぽつりと呟いた。