2 オーディール家とアーバン家
オーディール男爵家は成り上がり貴族であった。
数年前、辺境の地でひっそりと農業を営んでいた農民のヨナスは当時の辺境伯から開拓が頓挫した荒廃した土地を譲り受けた。土地の開拓を断念した辺境伯がその地を去ると、ヨナスはそこから地道に農地開拓を進めていき、元々の才能も手伝って苦労の末に一代で見事な農園を築き上げることに成功した。
その功績からヨナスはオーディールの姓と男爵の地位を国から授かった。
その後もヨナスは開拓を進めていった。その中でも特にヨナスが功を成したのが葡萄畑だった。
ヨナスは葡萄栽培を成功させると、そこからワインの製造にも取りかかった。
良質なヨナスの葡萄を原料として作られるワインは国内外で大いに人気を博した。
そこからオーディール家は着々と国内屈指の資産家へと昇り詰めていった。
そんなオーディール家に目を付けたのがアーバン伯爵家であった。
王国屈指の騎士団を束ねるアーバン家は由緒正しい名門貴族ではあったが、騎士団の維持費には常に莫大な資金を必要とした。
当然、王国から資金援助はあるものの、絶え間の無い戦により、年々国の経済事情はひっ迫し、資金不足は深刻なものとなっていた。
騎士団の為に、いよいよアーバン家の財を使わなければならない状況となった折、城の王よりアーバン家当主にある提案が言い渡された。
その提案とは今や飛ぶ鳥を落とす勢いで経済発展を遂げるオーディール家の娘とアーバン家の息子であるとの政略結婚の打診だった。
この提案にアーバン家とオーディール家の両当主は飛び付いた。
経済支援を必要とするアーバン家は勿論のこと、成金男爵と馬鹿にされ、格式を重んじるプライドの高い貴族達が跋扈する社交界では肩身の狭い思いをしていたヨナスは名門貴族の後ろ楯を得ることで、ようやく身分差別が解消されるだろうと喜んだ。
一方で婚姻を結ぶ当の二人はと言うと、両家の親同士で決められた政略結婚であったが、婚約の場で初めて出会った二人はまるで運命の相手を見つけたかのように互いに一瞬で恋に落ちた。
エドガーは美丈夫で女性の人気は高かったが、早くから騎士団に所属していたこともあり、厳粛で真面目な性格も相まって騎士道精神に乗っ取り、安易に女性と交わることなく、ストイックに自己鍛錬に明け暮れた日々を送ってきていた。
そんな女性への耐性が極めて低いエドガーにとって、国一番の美女と名高いジュディスを前にして心が動かない筈がなかった。
(こんな美しい令嬢が自分の妻となるのか……)
大輪の薔薇の花が霞むほどの圧倒的な美しさを放つジュディスにエドガーは放心したように見惚れていた。
そんなエドガーを見てジュディスがふふ、と魅惑的な微笑みを浮かべた。
「この国を護る勇敢な騎士のお一人であり、令嬢達の憧れの存在であるエドガー様と婚約出来ることを、私はとても嬉しく思っております。ですが、私のような身分の低い者が貴方のような立派な方と一緒になるなんてなんと恐れ多いことか……。貴方の名に泥を塗らないように日々淑女として努力を重ね、精進致しますわ」
(美しいだけではなく、なんと奥ゆかしい……)
ジュディスの殊勝な言葉に、エドガーはすっかり彼女に夢中となった。
* * *
この国のしきたりで、婚約関係を結んだ者同士は結婚の日まで純潔を貫き、決して婚約者以外の異性と身体を重ねてはいけない決まりとなっていた。
貴族間の結婚は政治的な意味合いを強く持つ。
お互いの家門の純粋な血筋を継承するため、間違っても不義があってはいけない。
世継ぎに関して余計な争いを生まない為にも、王族貴族の婚儀を執り行う教会によってそのことは強い掟として定められていた。
そのしきたりにジュディスに夢中なエドガーは散々苦しめられていた。
美しく艶かしいジュディスに、真面目ではあったが、根本的には体育会系で脳筋比率の高いエドガーは、自身の欲望を抑えることにいつも必死であった。
しかし、その苦しみももうすぐ終わりを迎える。
無事婚約披露パーティーを終えた二人が結婚式を迎えるまで、あとひと月後となっていた。
◇
パーティーを終えたエドガーとジュディスは会場となった薔薇園の中央にあるガゼボの中で、パーティーの余韻に浸るようにワインを飲みながら二人の時間を過ごしていた。
「……あとひと月後に私は貴方の妻になるのね」
「ああ。その日が待ち遠しくて仕方がないよ」
「ふふ、エドガーったら」
ジュディスは甘えるように隣に寄り添うエドガーの逞しい肩に、コテンとその小さな頭を乗せた。
「……私も、早く貴方のその逞しい腕に抱かれたい……」
「おいおい、ジュディス。私の理性を試しているのかい? これでもずっと必死で耐えているんだぞ? 」
お酒の力を借りていることもあり、ジュディスはエドガーに対して大胆な胸の内を明かした。
そんなジュディスに体育会系のエドガーは分かり易く狼狽えた。
「だって、私達婚約してから貴方の遠征もあって殆ど一緒にいられなかったから……。貴方の活躍は良く耳にしていたけど、それでも離れていることが寂しくて……。こうやって一緒に居るとやっぱり貴方は素敵な人なんだなって実感するの。ほら、貴方が側にいるだけで、私こんなに胸がドキドキしているのよ? 」
白い陶器のような肌をほんのりと赤く染めながらジュディスはエドガーの手を取ると、その手を自分の胸元にそっと当てた。
大胆に胸元が開かれたドレスを着ていたジュディスの肌に直に触れたエドガーは、ジュディスの柔く滑らかな胸元の感触に全身の血が沸騰した。
「ジ、ジュディス!? 」
焦ったエドガーは思わずジュディスの胸元から手を引こうとしたが、それを阻止するようにジュディスは両手で彼の手をギュッと握り締めると、サファイアの瞳を潤ませならエドガーを上目遣いで見上げた。
(うっ、破壊力が物凄い……っ! )
単純なエドガーはすっかりジュディスに魅了され、その場にピシリと固まった。
「……どうせ私達は遅かれ早かれそうなる関係じゃない。ひと月それが早まったって大したことじゃないわ」
「し、しかし……」
明らかにエドガーを誘っているジュディスに、しきたりを重んじる騎士であるエドガーは何とか理性を保とうと、この場に於いて騎士道精神を必死で発揮した。
一向に誘いに乗ってこないエドガーに対してジュディスは諦めたようにシュンと項垂れるように俯いた。
「ごめんなさい。はしたない女って幻滅したでしょ? 婚約披露パーティーも無事に終えて、私少し浮かれ過ぎたみたい……。どうか今の話は忘れて」
「ああ、ジュディス。私が君に幻滅する日なんて永遠にやっては来ない。……君の気持ちは痛いほど分かる。私だって叶うことなら今すぐにでも君をこの腕に抱き、私のものにしたい。そして誰にも触れられることのないようどこかに閉じ込めてしまいたいと思っている」
「エドガー……。ふふ、この気持ちが私だけではなかったと分かっただけでも嬉しいわ」
ジュディスの顔にようやくいつもの華やかな笑顔が戻り、エドガーはそんな彼女の様子にホッと息を吐いた。
「じゃあ、改めて飲み直しましょう。ひと月後に結ばれる私達に乾杯! 」
「乾杯」
チンとガゼボにグラスが重なる音が響いた。