11 オフィーリアの決断
ジュディスの結婚の報せを聞いて、エドガーはショックのあまり膝から崩れ落ちた。
オフィーリアはそんなエドガーに駆け寄ると、エドガーの手から手紙を取り上げ、自分もその手紙の内容に目を走らせた。
「お姉様が結婚……」
いつかは訪れることだと分かっていたが、オフィーリアが思っているよりも早くその時が訪れた。
ジュディスの相手については何も書かれておらず、おそらくエドガーの気持ちを配慮してのことだろう。
ヨナスの手紙の最後に、ジュディスの結婚を祝して婚前パーティーを開催する為、是非エドガーとオフィーリアの二人にもパーティーへ参加して欲しいと書かれていた。
二人の参加はジュディスのたっての希望だと付け加えられていた。
どうやらジュディスは新しい結婚に前向きであり、立ち直っているようだった。
しかし、もう一方のエドガーはと言えば……
オフィーリアは床に崩れ落ちてショックを受けるエドガーを痛ましそうに見下ろした。
「そんな、ジュディス……ジュディスっ! 」
今の彼に掛ける言葉が見つからず、オフィーリアは静かに彼の前から姿を消した。
そして、部屋に戻り身支度を済ますと、急ぎ教会へと出掛けて行った。
* * *
教会に到着してオフィーリアはいつものように十字架の前で祈りを捧げた後、数日ぶりに懺悔室へと足を踏み入れた。
「哀れな子羊よ。そなたの懺悔を聞こう」
懺悔室に入ってきたオフィーリアに、神父がいつものように言葉をかけた。
「神父様。私は罪深き人間です。今日実家の父から姉がどこかの貴族のご令息と結婚するという報せが届きました。一途に姉を思う夫は深い悲しみの海の底に沈んでしまいました。愛し合う二人がこのように別々の相手と一緒になろうとしています。私の心は罪悪感と苦しさで張り裂けそうです。どうしたら愛し合う二人をまた一緒にさせられるのでしょうか」
「優しいオフィーリアよ。あなたが罪の意識など感じる必要は全くもってありません。あなたは結婚後もあなたに辛く当たる夫の仕打ちにひたすら耐え、彼を支え続けてきた。きっとその姿や想いはあなたの夫にも届いているはずです。今は辛くても、あなたがしっかりと彼を支え続ければきっと二人に幸せが訪れることでしょう。それまでは神に祈り続けるのです」
「いいえ、神父様。私では無理なのです。夫が心から愛しているのはお姉様唯一人。夫は優しい人。自分の罪に苦しみながらも、自分の気持ちを押し殺し、私にも情を注ごうとされています。私はこれ以上彼の苦しむ姿を見たくないのです」
懺悔を続けながらも、オフィーリアの言葉にどこか決意のようなものが伺え、神父は不穏な気配を感じ、思わず自身の言葉を口にした。
「オフィーリア、決して早まってはいけません。あなたが一人で罪を背負っても誰も報われない。それに、万が一《《それ》》をしてしまえば、何度も言うように、あなたの魂は永遠に暗い冥府をさ迷うことになるでしょう。あなたはとても綺麗な魂を持っている。あなたは必ず幸せになれます。だからどうかこれ以上、誰かの為に犠牲になろうとしないで下さい」
「……神父様、ありがとうございます……」
必死にオフィーリアを説得する神父にオフィーリアは感謝の言葉を残すと、静かに懺悔室を退室した。
教会を出たオフィーリアは身に着けていた黒いフードを頭から深く被ると、今度は街の外れのとある場所へと足を運んだのだった。
* * *
ジュディスの結婚の報せを聞いてから、エドガーは以前の荒れていた頃にすっかり戻ってしまっていた。
登城後は再び帰りが遅くなり、更には毎晩大量のアルコールを浴びるように飲んで帰ってくるようになった。そんなエドガーをオフィーリアは毎晩気遣うように出迎えていたが、エドガーは彼女の存在をまるで無いものとするように、彼女の姿を見ればさっと視線を外し、一緒に居ることを避けるようにそそくさと部屋へと引きこもるようになっていた。
そんなエドガーをオフィーリアは静かに見守ることしか出来なかった。
数日後にジュディスの婚前パーティーが開催される。今の状態のエドガーをジュディスに会わせるのは酷と思ったオフィーリアは一人でパーティーに参加しようと、ひっそりと準備を進めていた。
◇ ◇ ◇
エドガーが酔って一人でベッドに横たわっていると、不意にコンコンと部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
「――入れ」
「失礼致します」
部屋に入ってきたのは険しい表情をした執事長のハーメルだった。
ハーメルは酒に酔って横になる主を非難するようにじっと見つめていた。
「何だ。私に文句を言いたそうな顔をしているが」
「はい。無礼を承知で申し上げます。いい加減、屋敷の者達は旦那様に呆れ返っています。この屋敷を去ると言う使用人が後を絶ちません。今は私の方で止めているところですが、もう彼らの我慢も限界に達しています」
「……何故だ? 何故そのような事態になっている? 」
酒が回る頭で、考えるのも面倒だと言うように気だるげにエドガーがハーメルに尋ねた。
「オフィーリア様です」
ハーメルの口からオフィーリアの名前を耳にし、エドガーはピクリと身体を揺らした。
「旦那様のオフィーリア様に対する仕打ちに皆耐えられないのです。それはこの私も同じです。どうか、奥様のことをもっと気にかけてあげて下さい。奥様のように辛抱強く、慈悲深い御方はおりません。……今奥様はジュディス様の婚前パーティーに一人で参加しようと旦那様に内緒で準備をされております。きっとお一人でパーティーに参加されたら旦那様と不仲だということが世間にバレて、パーティーでゴシップを好む貴族達の格好の餌食になるでしょう」
ハーメルの言葉をエドガーは息を呑んで聞いていた。そんなエドガーの姿を見て、ハーメルは深々と頭を下げた。
「出過ぎた意見を申してしまい、誠に申し訳ございませんでした。どうか、私の処分は如何様にも致して下さい。それでは失礼致します……」
パタンと扉が締まり、しんとエドガーの部屋に静寂が訪れた。
『奥様はジュディス様の婚前パーティーに一人で参加しようと旦那様に内緒で準備をされております』
『旦那様のオフィーリア様に対する仕打ちに皆耐えられないのです』
『それはこの私も同じです』
エドガーの頭の中でハーメルの言葉が何度も繰り返されていた。いつから彼女はこんなにも屋敷の者達の心を掴んでいたのだろう。
(いや、屋敷の者達だけではなく……)
「……オフィーリア……」
エドガーは自身の部屋のテーブルに飾られた白い百合の花に視線を向けると、切なそうにその名を口にした。