1 最悪の関係
「全部お前のせいだ」
「……申し訳ございません」
アーバン夫妻の朝は毎朝このような挨拶から始まる。
毎朝毎朝飽きもせず、夫であるエドガー・アーバンはその端正な顔を歪ませて、数ヵ月前に妻となったばかりのオフィーリアに対して罵倒する言葉を吐き続けていた。
そんな夫に対して、オフィーリアはまるで流れる滝のような長く美しいプラチナブロンドの髪の毛を、床に着く程に深々と頭を下げ、謝罪の言葉を返す。
「ふん、お前の顔を見るだけで清々しい朝も途端に陰鬱な気持ちになる」
「……申し訳ございません」
毎度のことながら、このやりとりがあとどれくらい続くのだろう、とオフィーリアは頭を下げた先の足下の床をぼんやりと眺めながら数ヵ月前の出来事に思いを巡らせていた。
◆◇◆
それは今から三ヶ月前の出来事だった。
快晴の空の下、ここオーディール男爵家では自慢の薔薇園で長女のジュディス・オーディールとその婚約者であるエドガー・アーバン伯爵令息の婚約披露パーティが華やかに開催されていた。
ジュディスはハニーブロンドの髪の毛とオーディール家特有のサファイアの瞳、薔薇色の艶やかな唇の美貌を持つ令嬢で、その美しさは王国一とも噂されていた。
貴族令息達はこぞってジュディスに結婚を申し込んだが、オーディール家に選ばれたのは王国騎士団を束ねる名門貴族出身のエドガー・アーバン伯爵令息であった。
世の令息達はそれはもう悔しがったが、 騎士団に所属するエドガーもジュディスに負けず劣らずの美丈夫で、ブロンズ色の短髪な髪の毛にブルーグレーの切れ長のキリリとした瞳を持ち、鍛え抜かれ引き締まった身体に名門貴族の令息という文句無しの身分と容姿を併せ持つハイスペックな彼に対して、誰も文句を言う者はいなかった。
そんな誰もが羨む程の美男美女の二人は初めて顔を合わせると、お互い一瞬で恋に落ちた。
晴れて婚約関係を結んだ二人は、互いが政略結婚であるとは思えない程深く愛し合う仲となった。
しかし、そんな二人に悲劇が起こる。
婚約披露パーティーの日、とある出来事によって二人の結婚は叶わぬものとなってしまったのだった。
* * *
婚約パーティーの華やかな主役の二人をガーデンの端っこでひっそりと見つめている一人の令嬢の姿があった。
令嬢の名前はオフィーリア・オーディール。オーディール男爵家の二番目の娘であり、ジュディスの二つ年下の妹であった。
オフィーリアはまるで薔薇のように華やかで美しい姉のジュディスとは正反対で、内気で大人しい女性だった。瞳はジュディスと同じオーディール家特有のサファイアの色をしていたが、髪の毛の色は姉の金色の髪とは異なり白銀で、それがまるで太陽と月のように、二人の印象を大きく分けていた。
幼い頃から何かとジュディスと比べられていたオフィーリアはなるべく目立ないよう気配を消してパーティーに参加していた。
そんなオフィーリアに、挨拶の輪から少しだけ席を外してやって来た姉のジュディスが声を掛けた。
「オフィーリア。そんな端っこに一人でいないで貴女もこちらにきて挨拶に回ったらどう? もしかしたらこれが縁で貴女にも素敵な相手が見つかるかもしれないわよ? 」
にっこりと薔薇のような笑顔を浮かべながら、ジュディスはオフィーリアの腕を掴むと、パーティーの中心へとオフィーリアを連れ出そうとした。そんなジュディスに対し、オフィーリアは慌ててその場に足を踏み留めた。
「いいえ、私はどうも華やかな場所と貴族が苦手で。もう少ししたら部屋へ戻ろうと思っていたの。挨拶はさっき一通りしたからもういいわ」
「オフィーリア、貴女ったらいつまでも平民だった頃の癖が抜けないのね。私達はもう誰もが認める立派な立場を手に入れたのよ? もっと堂々とすればいいのに」
「私はお姉様のように華やかな美しさや社交性を持っていないから、上手に立ち回ることが出来ないの。何処かで平民のボロが出て折角築き上げたオーディール家の品位を落とすといけないわ。結婚だって、私は無理にしなくてもいいから……」
「……またそんなことを。貴女だって、堂々としていればとても魅力的な女性なのに。……まぁ、いいわ。でもお部屋に引っ込む前に私とエドガーと三人で祝福のワインを飲みましょう? 今日のためにお父様がとっておきのワインを用意してくれたのよ? 貴女もヨナス・オーディールの娘なら『ヨナスの酒』を飲まなくちゃ」
「私、お酒は苦手で………」
「もうっ! ほんの一杯だけでいいから。さっ、エドガーを待たせてるから、早く! 」
「あっ、お姉様ったら……! 」
ジュディスは渋るオフィーリアを強引に中央に引っ張って行くと、テーブルに綺麗に並べられていたワイングラスを二つ手に取り、二人を待つエドガーの前迄やって来ると、エドガーとオフィーリアに手にしていたワインを手渡した。
「エドガー、私の愛する妹が私達を祝うために来てくれたわ。三人で乾杯しましょう。――ああ、こっちにワインを一つ頂戴」
ジュディスは近くにいた使用人に自分用のワインを頼むと、二人を見ながら満足そうににっこりと微笑んだ。
そんなジュディスにオフィーリアは諦めたように小さく溜め息を吐いた。
この強引だが、どこかしら無邪気で憎めないジュディスにオフィーリアはどうやったって適わないのだ。
オフィーリアは、ジュディスがワインを受け取ったタイミングで、手に持っているワイングラスを二人に向かって掲げた。
「今日の良き日と二人の幸せな未来に」
「ありがとう、オフィーリア」
「乾杯」
オフィーリアの祝福の言葉を受け、エドガーが社交的な返事を返す。
二人もオフィーリアに倣ってワインを掲げると、ジュディスが乾杯の声を上げた。
三人は微笑み合いながら同時にワインをこくりと飲み干した。
「ふふ、ありがとうオフィーリア。あとはゆっくり休んで頂戴」
「……そうさせて貰うわ。本当におめでとうお姉様、エドガー様」
ジュディスの言葉に甘え、オフィーリアは部屋へ戻る為パーティー会場を後にした。
* * *
男爵家の屋敷に戻ってきたオフィーリアはエントランスでよろりと足元をふらつかせた。
「ふぅ……。やっぱり、私にはお酒は合わないみたいね……」
そう言うとオフィーリアは近くに設置されたソファーにドサリと腰を降ろした。
オフィーリアはお酒を殆どといっていいほど口にしない。アルコールの一滴でも口にするとあっという間に酔いが回ってしまう程、お酒に弱い体質だったからだ。
いくらジュディスの為とはいえ、グラス一杯のワインは自分には無理があったか、と今更ながらオフィーリアは飲んだことを後悔した。
お酒がグルグルと身体中を回る。こんなところで寝てはいけないと思いつつ、最早オフィーリアは一人で立つことも出来ない程に酔いが回っていた。
「――オフィーリア様、大丈夫ですか? 」
そんなオフィーリアに誰かが声を掛けてきた。ぼんやり霞むオフィーリアの視界に、自分を心配そうに見つめるメイド服の若い女性の姿が映った。
「少し酔いが回ったみたい……」
「そのようでございますね。お顔が真っ赤です。ここで眠られてはお風邪を引いてしまいます。オフィーリア様のお部屋にお連れいたしますので、私の肩に手を回して下さい。歩けますか? 」
「……ええ、何とか大丈夫……。手を煩わせてしまってごめんなさい……」
「いえ、私のことはお気になさらず。さ、ゆっくり歩きましょう」
そう言って、使用人がオフィーリアの身体を支えるようにエントランスを進む。階段を上がり、ようやくオフィーリアの部屋へと辿り着くと、どさりとベッドへとオフィーリアを寝かし付けた。
「お水をご用意致しましょうか? 」
「……いいえ、少し眠るわ……。ありがとう……」
「ご用がある時はいつでもお呼び下さい。それでは失礼致します」
使用人が出ていき、パタンと部屋の扉が閉まる音が聞こえると、オフィーリアはそのまま直ぐに眠りに落ちた。