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「──何だ、あいつ」
オードリーのつれない態度が気に入らなかったものか、ビデオデッキからテープを抜き取りながら、部長が不満気に眉をひそめる。
「まったく、他人事みたいに言いやがって」
他人事であろう、と思ってはみても、口には出さないのが嗜みというもの。
「オードリーが犯人なんじゃないかって言ってるやつもいるっていうのに」
「何で!?」
青天の霹靂──他人事ではないではないか。うろたえる僕を一瞥して、部長はビデオデッキから取り出したテープを鞄に戻す。
「主役をやらせろって、皆の前で何度か騒いでただろ。私らにとっては、いつものように冗談まじりの駄々をこねてるに過ぎなかったけど、変に勘繰るやつもいたってことだよ」
「そんな──主役になれなかったからって、衣装を破るなんて嫌がらせ、オードリーがするわけないじゃないか!」
「そうだな──あいつなら、気に入らないことがあれば、きっと先に手が出る」
想像に難くない。猛るオードリーの様子を思い描いたものか、部長から堪えきれぬ笑いが、くっとこぼれる。
「動機だけの問題じゃないよ。犯人が部室に忍び込んだのは、僕らが部室を出た後なんだ。オードリーはずっと僕らと一緒にいたんだから──」
そうだ──オードリーは確かに僕らと一緒にいたのであるからして、彼女にはアリバイが成立することになる。
「そうだな。何せ、練習前に閉めたはずの鍵があいてたんだ。ビデオテープの存在を知らない連中も、犯人が部室に忍び込んだのは練習中のことだと思ってるだろう。そうすると、オードリーはおろか、部員の中には犯人はいないということになる」
「だったら──」
「でもな、演劇部はトムが思っているほど、健全なわけじゃないんだよ」
遮るように言って、部長が眉根に皺を寄せる。
「オードリーのこともそうだが──陰口を叩くやつはいる。派閥だってある。私のことを嫌っているやつだっている。表面化していないだけで、いくつかの問題は常に内包されているんだ」
部長は苦く笑う。
「同じ部に所属していても、仲良しの集まりってわけじゃない。陰口を叩くようなやつらは、嫌いだっていう感情が先に立って動いてるんだ。鍵の問題を持ち出して犯行時間を限定しようとしても、鍵を閉め忘れたんじゃないかって難癖をつけられるのがオチさ。理屈をぶつけても納得はしないよ」
「──見てきたように言うんだね」
「見てきたのさ」
お前より一年長く生きてる分な、と部長は遠くを眺めるように続ける。吐き出した息は重く、そこには僕の知らない一年の苦労を推し量らせるものがある。
「私の仕事が何だか──わかるか?」
と、不意に部長が問いかける。
「──部長」
質問の意図がわからず、咄嗟に思い浮かんだ単語が口をついて出る。間髪を入れぬ返答が、よほど意外だったものか、部長は堪えきれずに吹き出して──ひとしきり笑った後、めずらしく真剣な面持ちで語り出す。
「うちの部活ってさ、そんなに演劇に本気じゃないだろ。将来、舞台に立ちたいなんて思ってるのは、せいぜい高野くらいのもんで、他の皆は特に上を目指してるわけでもない。ただ、楽しくやれれば、それでいい部活──でも、それってきっとそんなにわるいことじゃないんだよ」
これは先輩からの受け売りなんだけどな、と前置きをして、部長は続ける。
「演劇部には、いろんなやつがいる。いいやつもいれば、そうでないやつもいる。いいやつも、そうでないやつも、皆まとめて、揉め事のない部活動を楽しませるのが、私の仕事なんだよ」
部長は、誇らしそうに、胸を張る。
「だから、私は私のやり方で、それを実行する。やれることなら何でもやる。使えるものなら何でも使う。防犯用のビデオカメラを設置したのも、それが役に立つと思ったからだ」
実際これほどすぐに役に立つとは思ってもみなかったけどな、と部長は自嘲するように笑う。
「ビデオカメラを有効に使う方法は、二つある。存在を公言して抑止力とするか、隠匿して切り札とするか──私は後者を選んだ。誰も知らないからこそ、力になるということもある。実際に決定的瞬間をとらえる必要はないんだ。とらえた、とさえ言えば、後ろ暗いことのあるものは勝手に勘違いしてくれる。ビデオカメラの存在が知られていないからこそ、勘違いしてくれるんだ。ビデオカメラという切り札は、できることなら今後のためにも取っておきたい」
言って、唇を舐める。
「私のわがままだってことは、よくわかってる。でも、これは前部長から譲り受けた職務なんだ。できることなら最後まで──引退まで全うしたい」
そう結んで──部長は懐かしむように目を細める。
前部長──彼のことは、正直なところ、あまりよく覚えていない。部長だというのに影が薄く、どこか個性の強い部員の間に埋もれているようなところがあった。我を抑えて主張せず、皆の声に耳を傾ける。僕らのように志の低い部員が、それなりに居心地よく過ごすことができたのも、彼の配慮があったからなのであろうか。
「──桜子を信じてもいいんだよね?」
思わず、昔の呼び名が口をついて出る。
「バカ、情けない顔すんな。オードリーのことは何とかする。絶対だ。本当にどうしようもない時は、ビデオテープを公表するさ」
諭すように優しく言って、部長が口許をほころばせる。何とも不遜な、その笑顔──僕はいつも心地よく騙される。
「しかし──お妃様が犯人でないとすると、一体どこの誰が白雪姫のドレスを切り裂いたものやら」
メルヘンというオブラートに包みながらも、部長が続く言葉を生々しく切り出す。
「トム──ビデオテープの内容について、どう思う?」
「どうもこうも、見たままで判断するなら、僕らが部室を出た直後に、誰かが衣装部屋に忍び込んだのは間違いないことだろ」
部長の問いに、素直なところを返す。
「でも──ビデオテープには、その誰かが衣装部屋から出てきた様子は映っていない」
部長の示唆するところを汲みとって、僕は言葉を加える。
「僕らが練習を終えて戻ってきた時、衣装部屋には誰もいなかった。それは間違いない」
「衣装部屋のどこかに隠れていた、という可能性は?」
「ないよ。しいて隠れるとしたら衣装棚だけど、そんなところに隠れていたのなら、衣装を確認した時に見つかってるはずだろ」
僕の答えに、部長は、確かに、と頷く。
「僕らが練習を終えて戻ってきた時には、犯人は衣装部屋にはいなかった。ビデオテープには犯人が外に出る様子は映っていなかった。つまり──犯人はビデオカメラに映らない場所から外に出た、ということになる」
「──衣装部屋の窓からか?」
部長が疑念の声をあげる。
「あの時、衣装部屋の窓の鍵はあいていたのか?」
「衣装部屋の窓の鍵は壊れてる。年中あいてるよ」
しかしな、と部長は渋い顔を見せる。
「衣装部屋の窓は中庭側にしかない。部室は三階なんだぞ?」
「無理──かな?」
「無理だ──とまでは言わないが、そこまでの危険を冒して窓から出ていく意味がないだろう。ビデオカメラが設置してあることを知っていたのは、私と機材を貸してくれた写真部の部長の二人だけだ。ビデオカメラの存在を知らなかったのなら、普通に出ていけば済むことじゃないか」
「そう言われると、そうなんだよね」
顔を見あわせて、互いにうなり声をあげる。
「ビデオカメラに映らないように外に出る、か」
そう口に出したところで、先ほどの部長のビデオテープに関する説明が頭をよぎる。
「そういえば、ビデオテープ一本に四十日分の録画が可能だって言ってたよね? その場合、一秒あたりのコマ数が少なくなるとか何とか」
「ああ、写真部の部長からは、そういう説明を受けたよ」
「それなら──コマとコマの間に移動したってことは考えられないかな?」
コマとコマの間──飛んだコマに犯人が移動していたとすれば、ビデオテープに犯人が映っていないことにも説明がつく。
「コマの間ねえ。その間がどのくらいあるかってことがわからないと、何とも言えないなあ」
「どのくらいあるか、わからないの?」
「写真部の部長に聞いてみないと、何とも」
「聞いてみようよ」
「聞いてみようよ──って言ってもな。さっきも言ったけど、あまり吹聴して事を荒立てたくはないんだよな」
言いながらも、部長の方も限界は感じているようで──思案顔のまま指先で机を叩き、やがて決意を固めたように口を開く。
「仕方がない、聞いてみるか」
部長は深い溜め息を吐く。
「ビデオカメラの設置で貸しは消えてるからなあ。嫌なんだよなあ、あいつに借りをつくるの」