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オードリーの冒険!  作者: マリオン
第1話 鏡よ、鏡よ!
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6

「おばちゃん、焼きそばパンとコロケッパンとカレーパン、あと牛乳ね」

「五百十円」

 オードリーの注文に、店主の老婆が、ぼそり、とつぶやく。

「トム、十円」

「はいはい」

 答えて、僕はオードリーの手に十円玉を載せる。


 学校の敷地のそばにある青葉商店は、昼休みを待つことができずに抜け出してきた生徒にも、黙って食料を売ってくれる。一部の生徒にとっては、なくてはならない存在だった。

「僕は、ハムとチーズのサンドイッチと、烏龍茶を」

「二百六十円」

 老婆の差し出した手に代金を載せて、レジスターの隣にある台で商品を袋に詰める。年老いた店主一人だけで切り盛りしているこの店では、大抵のことはセルフサービスである。


 日の高いうちは電気代を節約しているのであろう、電灯のともらない薄暗い店内には、僕ら以外の客はいない。近隣の住人は、買い物となれば、品数の多い駅前の商店街まで足を伸ばす。夕方にもなれば下校中の生徒で賑う店内も、日中は数少ない不良生徒が訪れるばかりで、寂しいものである。


 商売として考えるのであれば、夕方のみ店を開けておけばいいのであろうに。

「ありがと、じゃあね」

 オードリーの笑顔に、老婆はかすかに目尻に皺を寄せる──きっと、それがすべてなのであろう、と思う。

「ほら、トム、行くぞ!」

 言って、オードリーが外に出て手招きをする。今行くよ、と返しながら、僕は老婆に小さく頭を下げる。


「サンドイッチ一つで足りるのか?」

 僕の持った袋の中身をのぞき込みながら、オードリーが問いかける。

「昼休みになったら、食堂で何か食べるつもりだから」

「あたしだって食べるぞ」

「オードリーは食べすぎだよ」

 話しながら、店の裏手へと続く道を行く。木陰に入ると、どこに咲いているものやら、咲き始めの金木犀がほのかに香る。満開の頃とは違う、自己主張の少ない優しい香り。うっすらと色づき始めた木々に埋もれて、前を行くオードリーの赤毛が、まるで紅葉のように映える。授業をサボったという後ろめたさが、嘘のように消えていくのがわかる。


 オードリーが、パンを食べる時のために買ったであろう牛乳を、早々と袋から取り出す。

「もう飲むの?」

「喉が渇いたからな。トムも飲むか?」

「いらないよ」

 断る僕を見下ろして、彼女は鼻の先を笑わせる。

「そんなんだから、背が伸びないんだよ」

「余計なお世話だよ。オードリーの方こそ、どこまで伸びる気なのさ」

「そうなんだ。それは確かに大問題なんだ」

 たどり着いたフェンスの前で、オードリーは腕を組んで苦悩する。うなる彼女を尻目に、僕はフェンスに空いた穴をくぐり抜ける。運動部用の部室長屋の裏にある抜け道は、閉じた世界と外界とをつなぐ唯一の通路である。

「次は、もう少し穴を広げておくとしよう」

 続くオードリーが、窮屈そうに穴をくぐり抜けながら不平をもらす。


 部室長屋から体育館の裏を抜けて、東校舎の入口まで歩く。職員室のある中央校舎からは死角になっており、教師に見つかる心配はない。はずである。


「三限目の授業をサボって、視聴覚室にこい」

 朝練の後、僕らにそう言ったのは部長だった。有無を言わせず、理由も告げず──それでも、授業を受けるよりはサボる方がよかったのであろう、オードリーは跳ねるように廊下を進み、たどり着いた視聴覚室の扉を勢いよく開く。

「──遅いぞ」

 部屋の中央に陣取った部長が、弁当を突きながら言う。

「桜子が早すぎるんだよ。お前、二限目の授業受けたのか?」

 軽口を叩いて、オードリーが部長の隣に腰をおろす。何の用事で呼んだのか、問い質すことさえせずに、取り出した焼きそばパンにかぶりつく。部長の方も、何のために呼んだのか、説明することさえなく、弁当箱の隅に残ったカブのぬか漬けを貪る。


「何の用で呼んだのさ?」

「まず、飯を食ってからな」

 仕方なく尋ねる僕に、部長はすげなく返す。黙々と食べ続ける二人を前に、僕もあきらめて、サンドイッチを取り出す。


「お茶くれ」

 いつのまに食べ終えたものやら、オードリーが焼きそばパンの袋を丸めながら、僕の烏龍茶に手を伸ばす。見れば、すでに牛乳は飲み干してしまったようで──餌をねだる雛鳥に、親鳥はあっさりと篭絡されてしまう。

「ありがと」

 言って、一口。そして、流れるように手渡しされて、それを部長が、また一口。返ってくる頃には烏龍茶は半分にまで減っていて──いたずらを見とがめられた子どものように、二人がそろって舌を出す。困ったものだ、と苦笑しながらも、何気ない日常の築きあげたその連帯感が、僕は嫌いではない。


「それで、何の用で呼んだのさ?」

 食事を終えて、二度目の問いを発する。

「──これだよ」

 答えて、部長は手もとの鞄からビデオテープを取り出す。

「お前らが入部してすぐの頃、部室で財布がなくなったって騒動があったの、覚えてるか?」

「ああ、結局勘違いで、制服のポケットから出てきたってやつだろ」

 オードリーの返答に頷いて、部長は続ける。

「あの時、財布が出てくるまで、ちょっと険悪な空気になっただろ。あれはよくないと思ってな──お前らにも言ってなかったんだが、部室に防犯用のビデオカメラを設置したんだ」

「ビデオカメラ! そんなもの設置してたのか、やるじゃん!」

 オードリーが感心の声をあげる──その一方で、常識に縛られた僕は、そんなものを勝手に設置してよいものなのであろうか、と渋面をつくる。


「ま、映像の方を見てくれ」

 僕らの対照的な反応をさらりと受け流して、部長はビデオデッキにテープを押し込む。

「なるほど、それで視聴覚室に呼んだんだな」

 合点がいった、という顔で、オードリーが頷きながら続ける。

「それにしても、防犯用のビデオカメラなんて、よく用意できたな。そういう機材って高そうなイメージがあるけど」

「さあ、値段までは知らないな。借り物だから」

 考えたこともなかった、と続ける。

「誰から借りたんだ?」

「写真部の部長。録画用のビデオデッキとセットで借りた。何でも、普通のビデオテープ一本に、最大で四十日分くらい録画できるらしい。その場合、一秒あたりのコマ数は減るみたいだけどな」

「ふうん。そんなもの、よく貸してもらえたな」

「少しコネがあってな」

 言って、部長は、にやり、とよからぬ笑みを浮かべる。


「まさか──」

 その笑みが、僕の想像力を刺激する。

「──この視聴覚室も?」

「少しコネがあってな」

 部長は平然と答える。授業中に視聴覚室を確保できるほどのコネとは──いったい誰のどんな弱みを握っているのやら、考えるのも恐ろしい。この女に借りをつくることだけはやめておこう、と心に固く誓う。

「吉崎も呼んだんだけどな、授業をサボるなんてとんでもないって怒られたよ」

「らしい返事だな」

「だろ」

 笑いながら、部長はビデオデッキの再生ボタンを押す。


 教壇の横に備えつけられた、古ぼけたテレビ──その画面に映し出されたのは、演劇部の部室を斜め上方から見下ろした光景である。誰もいない部室で、画面の中央を占拠した鏡だけが、孤独を塗りつぶすように自己を主張している。


「桜子──お前、バカだろ?」

 言って、オードリーが呆れるように溜息をつく。それもそのはず、ビデオテープの映像には、肝心の部分がまったくとらえられていないのである。部室の入口、衣装部屋へと続く扉、どちらか一方だけでも映っていたならば、侵入者の存在を確定できたというのに、そのどちらも映っていないのでは、手落ちもいいところであろう。


 オードリーが憐れむように部長の肩を叩いて。

「うるさいな! 設置したばかりで確認する暇がなかったんだ! 私だって反省してるんだよ!」

 部長は肩に置かれた手を振り払って、ふん、と鼻を鳴らす。

「でも、このまま眺めていても、何の意味もないよね」

 犯人が映るわけでなし──僕は一向に変化のない画面をみつめながら、ぽつり、とつぶやく。

「本当にうるさいな! お前ら黙って見てろ! 偶然だけど、役に立つシーンだって映ってたんだからな!」

 言って、部長が映像を早送りする。


 倍速の世界──誰もいない部室に部長が戻ってくる。椅子を並べ直して、その上に、ごろり、と横になり、鞄から取り出した本を読み始める。唯一ビデオカメラの存在を知っていたはずだというのに、何ともだらしない。


 次いで、僕らが現れる。オードリーが机の上に、僕が椅子に腰かけて、三人の他愛のない会話が始まる。やがて、オードリーが鞄を手にして、衣装部屋の方へと消えていく。僕がジャージを取り出して、部長の視界から逃れるように、部屋の隅でズボンを脱ぎ出す。

「盗撮だ!」

 僕の脱衣シーンを食い入るようにみつめながら、オードリーが囃したてる。

「茶化すな」

 部長が切り捨てるように返して──僕らが部室を後にしたところで、ようやく通常の再生に切り替える。誰もいない部室、画面に変化はなく、時折ノイズのような粗い線が走る。


()()──見たか?」

「──何?」

 問い返す僕に、部長がしたり顔で続ける。

「巻き戻すからな。鏡をよく見ておけよ」

 言って、僕らが部室を出たところまで巻き戻し、画面上の鏡を指差す。布がまくれて、鏡面の一部があらわになった鏡。部長は再生をスローに切り替えて、画面を指先で叩く。ほんの数瞬──鏡面には、部室の入口から衣装部屋へと向かって動くジャージ姿が、確かに映っている。

「な? ここで誰かが部室に侵入してるんだよ」

 部長は僕らと画面とを交互にみつめながら、勝ち誇るように告げる。僕は、部長が先にみつけていたものを見落とした、という事実が悔しくて、得意げな部長に、つい水を差す。

「でも、ジャージの一部が鏡に映ってるだけじゃないか。誰かが部室に侵入したのは間違いないんだろうけど、犯人を特定するまでには至らないよ」

「文句ばかり言うな。立派な成果じゃないか。なあ?」

 部長は唇を尖らせて、オードリーに同意を求める。


 しかし──彼女は答えない。

「今のところ──巻き戻して、もう一回再生してもらえるか?」

 先ほどまでの態度とは打って変わって、オードリーは神妙な顔で口を開く。

「──何かわかったのか?」

 部長の問いに答えず、オードリーは画面を凝視する。突然の変貌に怪訝な顔を見せながらも、部長は頼まれたとおりにビデオデッキを操る。


 問題の場面──あらわになった鏡面の中を、学校指定のジャージ姿が行く。左から右、部室の入口から衣装部屋へ。何度見直しても、間違いはない。


 僕らが見守る中、オードリーは考え込むように黙り込む。

「オードリー?」

 呼びかけても返事はない。無言のオードリーに手を振って見せるが、それにも反応はなく、部長が降参するように両手をあげる。お手あげである。


「そいつが出ていくところは映ってないの?」

 僕は話題を切り替えて、部長に問いかける。

「そこまでは見てなかったな」

 自らの発見に舞いあがっていたのであろう、部長は手抜かりに気づいて、ぺろり、と舌を出す。部長が意図しているであろうほどには、かわいくはない。

「もしかしたら、さっきの映像よりも役に立つ何かが映っているかもしれない」

 頷いて、部長がビデオテープを早送りする。


 先ほどと変わらない、倍速の部室──無人の部屋に動くものはなく、何かが起これば、すぐにそれとわかるはずである。

 楽観的に映像を眺めていた僕らだったが、やがておかしなことに気づく──いや、おかしなことが「起こらない」ことに気づいた、と言うべきであろうか。画面の左端、部室に備えつけられた時計の針は、その動きが確認できるほどの速さでまわっているというのに、期待していたような変化は一向に起こらない。四時を過ぎ、やがて五時がくる。部室は次第に朱に染まり、ついには僕らが練習を終えて戻ってくるところまでを再生したというのに、再び鏡面にジャージ姿が映ることはなかったのである。


「どうなってんだ!?」

 言って、部長がビデオテープを巻き戻す。

「出てくるところ、映ってなかったぞ!?」

 騒ぎ立て、再び映し出された画面を、食い入るようにみつめる。しかし、結果は変わらない。無言の中、二度目の早送りの映像を見終えて、部長がうなり声をあげる。


 僕らが部室を出た直後、誰かが衣装部屋に侵入した。それは間違いのない事実であった。ところが、その侵入者が衣装部屋から出てきた形跡がない。僕らが練習を終えて戻ってきた時には、衣装部屋には誰もいなかったというのに──その矛盾こそが、部長を悩ませている。


「オードリー、さっき巻き戻せって言ったよな。何かわかったのか?」

 藁にもすがる、という心境であろうか、頭を使った答えなど、普段はオードリーに求めるはずのない部長が、わずかな期待をのぞかせる。

「──いや、わかんねえ」

 歯切れの悪い言葉を返しながら、オードリーが立ちあがる。

「あたしは降りるよ。面倒くさいし」

 言って、三限目が終わったわけでもないというのに、どこへ行く、とも告げずに──授業をサボる際に申告したように、保健室にでも行くのであろうか──視聴覚室を後にする。

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