北の辺境伯 レンドル侯
ルイス一行が山を越えた頃、雨が雪へと代わって行った。
「やっぱり北は雪ですな」
ハシン(父の参謀)は言った。
空を見上げると厚い雪雲が辺り一面に覆っている。
「めちゃくちゃ寒い。これは積もるかも知れないな」
ルイスはぶるりと震えた。
「あの岩山の上に見えます、あれがレンドルの城ですね」
ハシンは指を差した。
「そうだ」
ルイスは答えた。
「すごい所に建っていますね」
「だが、守りは強固だ。蛮族に攻められても持ち堪える」
ルイスは城を眺めながら言った。
蛮族とは森の民の事である。
隣のグリンデルタ国の北、イエローフォレストの東、そこに広がる広大な森。そこに蛮族は住んでいる。
北の辺境侯の仕事はこの蛮族の侵入を防ぐことが第一である。
岩山の上から辺りを見渡した。遠く北には白い帯が見える。あれがインディグランド川でその向こうには雲を突く程の岩壁が立ち並んでいる。岩壁の向こう側に行った者は誰もいない。
東側にはどこまでも森が続く。
目を南西にやれば、そこに連なる山々はカーラ山脈である。
カーラ山脈の東側がグリンデルタ王国だ。
「ルイス・アクレナイト侯。久方振りじゃな」
老レンドルはそう言って目を細めた。
「其方は死んだと聞いておったが、生きておったのだな。御父上はさぞかし喜んだ事じゃろう」
「有難う御座います。レンドル侯。神のご加護で何とか命を長らえ、母国に戻って来る事が出来ました。……頭巾を着けたままの会談をお許しください。片頬を鮫に喰われてしまい、失くしたのです」
ルイスは頭を下げた。
齢70を過ぎた北の辺境侯の謁見室には主人を始め、老齢の妻、その息子のブライアンなどがいた。
ブライアンはリナ王妃の弟である。即ちサンドラ王女にとっての叔父である。
「それで、ルイス殿は我が王女との結婚を許可して欲しいと?」
レンドルは言った。
「はい」
「許可を頂けたら私はすぐにノニ子爵の元に参り、王女をお連れしてレンドル侯ご領地の神殿で式を挙げたいと存じております」」
「うむ……全てはリエッサ王妃退位の為か?」
「はい」
ルイスは答えた。
「あなたが不在の間は弟君がリエッサの婚約者役を御勤めになられていたとか」
そう言うとブライアンはクックと笑った。
「よくご存じですね」
「王都の話を逐一教えてくれる友がいるのですよ」
「成程」
「偽妊娠の話も届いております」
「素晴らしいご友人ですね」
「あなたは幸運だ。その顔のお陰でスズメバチと結婚しなくて済むのだから。我が王女なら盲人であるから大丈夫だと?」
ルイスは首を傾げた。
「その様な訳では有りません。先程も申した通りリエッサ王妃退位の為には是非ともサンドラ王女のお力が必要だと、そう思ったからです」
ブライアンは「これは失礼」と言ってまた笑った。
「王妃の結婚許可証があると言う。それは本当ですか?」
「はい。お見せ致します」
ルイスは結婚の許可書をブライアンに手渡す。ブライアンはじっとそれを見る。
「おい。リエッサが寄越した軍分割の命令書を持って参れ」
妻に言う。
妻がそれを持って来ると二つを見比べる。
「筆跡が微妙に違うようだが、確かにこの獅子の飾り枠はリエッサ王妃の物だ。王家の印章の透かしもある。これは正式な文書であると認めよう」
ブライアンはそう言うと文書を戻した。
「リエッサは今、物忘れの病気になってしまって、色々な事を忘れてしまっているのです。自分の手筆も忘れてしまったのでしょう」
ルイスは笑った。
「物忘れの病? 健忘症と言う事ですか?」
「はい」
「きっとレンドル侯の事も忘れていますよ。お疑いなら王宮に使者を送ってみればいい」
「何と!」
「自分がどこへサンドラ王女を送ったかも覚えていないと思いますよ」
「まさか、そんな馬鹿な!」
「いや、本当です。今頃、右往左往している事でしょう。……そんな女が王妃として、今のイエローフォレスト王国を牛耳っておるのです」
「……マジか?」
レンドル一族は揃って息を吐いた。
「アクレナイト家が我が王女と結婚か。まさかそんな事があろうとは思ってもいませんでしたね。……これは父上、我らも腹を括らなくてはなりませんな」
ブライアンは言った。
「リエッサに恨みを晴らす時が来たのじゃ! リエッサは我が娘と婿殿を毒殺した。その報いを受けさせる時がようやくやって来たのじゃ」
レンドルの老妻はひぃ~と叫ぶように言った。そしてばたりと倒れた。
ルイスはびっくりする。
家臣が慌てて駆け寄る。
「いつもの事じゃ。すぐに目を覚ます」
老レンドルとブライアンは平静な顔で言う。
「其方がここへやって来たのはジョレス国王が亡くなられた時だった」
レンドルはそう言ってルイスを見た。
「サンドラを救う手はこれしか無いのだと言って」
「はい。レンドル侯には苦渋の選択だったと思われます」
ルイスは言った。
「蛮族討伐だけならそんなに大きな軍は必要が無い。東軍と西軍のパワーバランスが拮抗すると国の為に良くない。それにサンドラ王女を城から出すにはそれだけの犠牲を払わなくてはならないと」
「はい」
「給付金も半額に減らすと言われた。儂の領地は耕作には向かぬ。岩山が多く痩せた土地が広がる。給付を半減されたら今までの軍は養えない」
「はい」
「リナ王妃が亡くなり、ジョレス国王が亡くなった。リエッサが国政を司る様になって、力関係は大きく動いた。それに儂とハアロはそりが合わない。儂はハアロの下に付くのは嫌だった。張り合って勝てない状況ならさっさと表舞台から降りてしまった方が国の為にも兵の為にもなる。其方の話を聞いて儂はそう思った」
「はい」
「我等はサンドラを人質に取られている様なものだった。軍を縮小する見返りにサンドラを城から出すとリエッサは約束した。ルイス・アクレナイト侯。だが、これはそなたが描いた構図であろう」
「はい。あの時はレンドル侯には申し訳が無い事を致しました。だが、あれがお互いに納得できるぎりぎりの線だったかと……」
「ふむ……」
老レンドルは息を吐いた。
「結婚を許す」
彼は断言した。
「サンドラ王女を守り、必ずリエッサを退位させて王となられよ。我等はアクレナイトと命運を共にしよう」
「はっ。有難き幸せ。必ずやリエッサ王妃を退陣させ、私とサンドラ王女でこの国を再建して参ります。それをここに誓います」
ルイスはそう言った。
「しかし、一番の難題がある。サンドラを軟禁しておるノニ子爵が素直に解放するかという事だ」
ブライアンが顔を曇らせて言った。
「あの男はお父上に恨みがありますから」
「うむう……」
レンドルは苦い顔をした。
「きっと上手く行くと思います。強力な援軍を得ましたから」
ルイスは真顔でそう言った。




