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ハアロとリエッサ 

「お母様は御在宅かしら?」

その日、ルシールは朝早くからハアロ邸を尋ねた。

寝起きを狙ったのだ。


早朝の訪問に家令は驚いた。

そして慌てて「いえ。いらっしゃいません」と答えた。

「いない? こんな早くからどこへ行ったの?」

ルシールは訝しんだ。

「昨日お出かけになって、そのままお泊りになるという事でした」

「お知り合いの貴族の別荘だと聞いております」

「だから、そこは何処だと聞いているのよ!」

ルシールは鋭く言った。

「も、申し訳有りません。私共は聞いておりません。多分将軍が御存じだと」

家令は慌てて言った。



「リエッサ様。お早うございます」

大きな花瓶を持って現れたのは古くからこの家で働く初老の侍女だ。ずっとルシールの世話をして来た。(即ち自分の)

「お早う。アン」

「随分お早いですね。ご朝食はお取りになられましたか? もしまだなら、将軍とご一緒に如何ですか?」

アンは朗らかに言った。

「父がいらっしゃるの?」

「はい。珍しく」

「そう。じゃあ、そうします」

ルシールは答えた。

「では、その様に料理長に申し付けて参ります」

家令は助かったとばかりに急いで部屋を出て行った。

アンはおしゃべりが過ぎる侍女だが、気は良く陽気で、我儘なルシールの世話もよくやっていた。

彼女は鼻歌を歌いながら花瓶の花を整える。

ルシールはアンがとても懐かしいと思った。



「アン、その歌は何の歌なの?」

ルシールは尋ねた。どこかで聞いた様な歌だ。

「あら? 申し訳が御座いません。鼻歌など。これはルシール様が最近ずっとお歌いになっていた歌です。何という歌ですかとお聞きしたら『私の子馬』と」

「えっ?」

「昔、サロンで歌った歌なのですって」

アンはくすくすと笑うと「だって、ルシール様と来たら、もうずっと自分がリエッサ様だって騒いでいて……。リエッサ様になったお積りなのでしょうね。奥様に罰を頂いたのが余程ショックだったのでしょうねえ。あのお年にしては頭のしっかりされていたお方でしたが、ショックで呆けてしまったのでしょう。ご高齢の方はちょっとした事でダメージを喰らいますでしょう? でも、まあもうお年がお年ですから……」


延々と続くアンのおしゃべりを遮ってルシールは言った。

「『青い小鳥』では無くて?」

「はい?」

アンはきょとんとする。

「その歌の題名よ。『青い小鳥』でしょう?」

「いえ。ルシール様は『私の子馬』と。小さい頃にうんと練習してサロンで歌ったから絶対に忘れないって。思い込みのそこまで行くと恐ろしい事ですわね。すっかりリエッサ様になり切っておりました。きっとリエッサ様が小さい頃に歌って聞かせてあげたのでしょうね。ミア様の作詞作曲だってルシール様は仰っていましたよ。私は、はい、はいって聞いていました。もう、何を言っても分からないからミア様も諦めていて……」

アンがそう言った時、家令が入って来て朝食の準備が出来たと告げた。




「お父様。ルシールおばあ様はどこの療養所へ行かれたの?」

リエッサは朝から猛烈な食欲を見せる将軍に尋ねた。

「儂は知らん。ミアが勝手にどこかへ連れて行った。あんな胸糞悪い婆がこの敷地内にいるのは業腹だったから丁度いい。顔も見たくもない」

ずずずと音を立ててスープを飲む。

ルシールは将軍の顔を見る。嘘を言っている様には見えない。


「ねえ。お父様。城にいたサンドラ王女なのですけれど……」

「うん? サンドラ王女がどうした?」

「サンドラ王女は今頃どうしているかしら? お元気でいらっしゃるかしら? ねえ。どちらにいらっしゃるのかしら?」

ルシールは何気ない風を装って聞いてみた。下を向いてスープを口に運ぶ。

「……」

「お父様?」

ルシールは顔を上げた。



ハアロ大将軍は難しい顔をして王妃である娘を見ていた。

「……ミアがリエッサはおかしいと言っていたが……。これは確かに変だ。まるでリエッサは別人になってしまったみたいに昔の事を忘れていると言っていたが、これは……」

ルシールは狼狽えた。

何か変な事を言って仕舞ったみたいだ。


「御免なさい。ちょっと最近忙しくて。それにジィド辺境伯の事が頭から去らなくて……」

しどろもどろになって答える。


「儂は知らん! サンドラ王女の事など! 何処にいるのか知らん!! あれ程駄目だと言ったのに勝手な事をしおって! 今思い出してもむかっ腹が立つ! 何もかもお前がやった事だ。自分で責任を取れ!」

突然怒鳴ると腹立たしそうにむしゃむしゃとパンを食べる。

ルシールは唖然とする。


「それよりもリエッサ。医者を呼べ。お前は健忘症だ。酷い健忘だ! そんな事が皆に知れたら廃位となるぞ!気を付けろ! いいか。帰ったら直ぐに王宮医に相談しろ! 儂からも王宮医に言って置く! 脳みそが溶けているんじゃないのか! 」

将軍は口にパンを入れたまま大声で怒鳴った。お陰でパンがあちらこちらに飛んだ。

ルシールはげんなりしてそれを見た。


ルシールは立ち上がった。

「だったら、先にお母様にご相談を致しますわ。最近物忘れがひどくて困っていると。

お母様は一体どちらにいらっしゃるのかしら!」

「儂は知らん! サロンじゃろう!」

「サロンに泊まっているという事ですか!」

もう,怒鳴り合いである。

召使達は「流石似た者親子」と呆れて見ている。



「ん? ミアは外泊しているのか?」

将軍は口の周りにパンくずを付けたまま家令に尋ねた。さっきまでの怒りはもう忘れている。

「はい。どちらかの貴族の別荘へ……」

暫し考える。

「……ああ。思い出した。そうだ。そうだ。最近、レノン湖の畔の村で小さな別荘を買った知り合いがいるらしい。別荘と言っても農家をそのまま買って、それに手を入れただけのものらしいがの。それを借り受けておるのじゃ。ララと時々出掛けている」

「ララ?」

「新しい侍女じゃ。乗馬が得意でのう」


「ミアは乗馬が好きじゃから馬で出掛けておるよ。馬車だとうんと遠回りをしなくてはならぬからな。お前も昔はよく行っただろう? レノン湖。その貴族もよくもまあそんな不便な所に別荘を買った物よ」

「何と言う貴族?」

「名前は忘れた。サロンで知り合ったらしい」

「……」



「そうじゃ。リエッサ。今から儂と一緒にそこへ行ってみぬか? 馬で2ルワン程であろうよ。実は儂もその別荘とやらを見てはおらぬのじゃ。だが小さい村じゃから聞けば分かるであろう。よし、行くぞ。おい、リエッサの乗馬服を」

ハアロ大将軍はそう言うと立ち上がった。

「いい栗毛の馬が手に入ったのじゃ。リエッサの為に」

すぐにでも出立する勢いである。

ルシールは慌てた。

「お、お父様。お誘いは有り難いのですが、私はすぐに王宮へ戻らねばなりません。乗馬などしている暇は無いのです。仕事が山積みで。忙しい所を抜けて来たのです」

「今日は仕事を休みにするがいい」

ハアロは上機嫌である。


ルシールは躊躇いながら付け加えた。

「あのう、それにもう私は馬には乗りません」

馬などとんでもないと思った。乗れる訳が無い。

誘われるのもこれきりにしたいと思った。

将軍は口をあんぐりと開けた。

「何だと?」

「もう、馬には乗りません!」

ルシールはきっぱりと言った。

「あんなに乗馬が好きだったお前が……、嘘じゃろう?」

「嘘では有りません。二度と乗馬に誘わないでください!」

「……」

ハアロ将軍はじっとリエッサを見詰める。

ルシールは背中に冷汗が流れる。

「お前は本当にリエッサか? リエッサ、一体どうしてしまったのじゃ」

ハアロはそう言って娘を見詰めた。



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