ジィド辺境伯とルイス(シンジノア)
救助の手を差し伸べたラミスに対してサラース男爵は感激の涙を流した。
そしてジィド辺境伯が戻るまでは何も手出しをしない事、その後話し合いの席を設けてきちんとした線引きをするなどの約束をした。
王都へ向かうルードや兵の為に武器や馬を貸し出してもくれたのだ。
「兵も貸してやりたいが、それではリエッサ王妃を刺激するだろう。ラミス殿。俺はあなたを見損なっていた。本当に済まなかった。あなたの家族が無事に帰って来る事を願う」
サラース男爵はそう言った。
ルードとカランは兵を連れて出立した。
「兄上。急ぎましょう」
カランは言った。
「早くしないと王都に入ってしまいます。そうしたら大変な事になります」
「分かっている」
カーラ山脈から王都に向かう一本道をカランとルードと兵達は走り抜けた。
◇◇◇
一方、その頃王都へ向かうジィド伯一行の行く手を遮ってルイス(シンジノア)とその従者達が待っていた。
ジィド伯の行軍は歩みを止めた。
「アクレナイト侯……」
「ジィド辺境伯。群衆を連れて王都へ入る事は出来ません。このまま領地へお帰りください」
シンジノアは叫んだ。
「それは出来ぬ!!」
ジィド辺境伯が大喝した。途端に地面が割れるばかりの歓声が信徒達から沸き上がった。
ジィド辺境伯は胸を張ってシンジノアを見詰める。
「アクレナイト侯よ。そなたに話がある!!」
ジィド辺境伯はまた大喝した。
信徒たちはやんやの騒ぎである。武器を打ち鳴らし、地面を踏みならす。アクレナイトの軍を威嚇する者もいる。
「大将らしく前に出られよ!!」
ジィド辺境伯はまた怒鳴った。
シンジノアは馬を進める。
ジィド辺境伯も馬を進めた。
二人は道の真ん中で相対峙する。
周囲に緊張が走る。
「アクレナイト侯。実は折り入って話があるのだが……」
ジィド辺境伯はシンジノアにひそひそと話をした。
「儂はリエッサ王妃に対して何の不満も持っておらぬ。後ろにいる奴らは勝手について来たのだ。お願いだ。儂とシャルルだけ王都に入れて欲しい。後ろにいる奴らがその後どうなろうと儂は構わん。儂はリエッサ王妃に助けを求めてやって来ただけなのだ……」
シンジノアは驚いた。
「それがどうしてこんな大勢を連れて来る事になったのですか」
「信徒たちに祭り上げられてにっちもさっちも行かなくなってしまったのだ。アクレナイト侯よ。儂は謀反など企ててはおらぬ。どうか助けて欲しい」
「しかし、王都に入る事は罷りなりません。リエッサ王妃は謀反だと思っておられます」
「そこを何とかリエッサ王妃に説明して上手く取り計らってはくれまいか……。お願いだ。一生の恩に着る」
ジィド辺境伯は苦悩に満ちた顔で言った。
「信徒を解散して頂ければ、その様に私から父に伝えましょう」
シンジノアは言った。
「だがどうやって……」
ジィド辺境伯は困り果てた顔をする。
シンジノアも声を潜める。
「私から伯爵にお尋ねいたしたい事があります。この森でしばし休憩を取り、私と話をして頂きたい」
「うむ……。心得た」
そう言うとジィド辺境伯は馬を取って返す。
「敬虔なるゼノン教の信者たちよ。儂は今からアクレナイト侯との大事な話し合いがある。暫しこの森で休憩を取ろうでは無いか」
群衆はわいわいがやがやと言いながら思い思いに森の中に入って行く。
ジィド辺境伯とシンジノアは馬から降りてそこに立ったまま話を始めた。
「儂に聞きたい事とは?」
その様子を見てシンジノアはあの手紙はジィド辺境伯が寄越したのでは無いなと分かった。
「ふむ……」と難しい顔をして無駄に精悍な顔になったオヤジを見る。
(オヤジは苦労と苦悩で苦行する聖人の様な精悍な顔になっていた)
「ジィド辺境伯はリエッサ王妃が妊娠していないと言う事をご存じでしたか?」
シンジノアは徐に言った。
「えっ?」
オヤジは驚いた顔でシンジノアを見た。
「妊娠していない?」
「はい。ゼノン神官が手紙を寄越したのです。ジィド辺境伯に頼まれたと言って。リエッサ王妃の妊娠は嘘だと」
オヤジは茫然とする。
「ちょ、ちょっと待って」
ジィド辺境伯は慌ててシャルルを呼ぶ。
「ジィド辺境伯。これは大変ナーバスな問題です。誰にも秘密にしてください」
シンジノアはジィド辺境伯の腕を掴んだ。
「分かっておる。シャルルだけだ」
シャルルが何事かとやって来た。
話を聞いてびっくりする。
「それで本当に妊娠は嘘なのか? と言うか、其方がその、子の父親ではないのか? ルイス殿。其方はリエッサ王妃の婚約者であろう」
ジィド辺境伯は、何をやっているのだ、この男は……と言う顔でシンジノアを見る。
(ジィド辺境伯はシンジノアの事を知らないので、皆が言っている様にシンジノアはルイスだと思い込んでいる)
シンジノアは「いや、面目が無いのですが、私も騙されていたのです。だが、もう婚約は解消しました。そんな嘘つき女、こっちから願い下げです」とさっぱりとした顔で言った。
「先日、王都の父から早馬がやって来ました。リエッサは腹に詰め物をしていたそうです」
シンジノアはクックと笑った。
「何と!!」
ジィド辺境伯もシャルルも呆れた。
「信じられん。一国の王妃ともあろう者が……、呆れたものだ……」
「その手紙には『儂もリエッサ王妃に騙された』と書いてありました。『アクレナイトも騙されているのだ』と」
「何と!!」
「父はその手紙をリエッサ王妃の前で読んだそうです。あなたからの手紙だと言って」
「がーん!!!だが、儂はそんな手紙は出しておらぬ」
ジィド辺境伯は慌てる。
「信じられぬ……誰がそんな策略を……」
「あなたには申し訳が無いが、リエッサ王妃はあなたの手紙がもとで自分が窮地に陥ったと思っています。だが、悪いのは皆を騙した王妃であろうと」
「それはその通りだ」
「しかし、そんな訳で王妃はあなたに対して恨みがあります。今、王都へ行くのは得策では有りません」
「しかし、今更ここで取りやめる訳には行かない。ここで解散するなどと言ったなら儂とシャルルはこの者たちに殺されてしまう……。それに帰った所で儂のいる所はもう無いのだ……」
ジィド辺境伯は苦しそうに言った。
「息子達に城を占領されてしまった。儂は塔に閉じ込められて、そこをシャルルが助けてくれた。儂は命からがら逃げて来たのだ」
「ああ。成程。あなたはリエッサ王妃に助けを求めに行く積りだったのですね?」
「その通りだ」
シンジノアはジィド辺境伯をつくづくと眺めた。
それがこんな事になるとは。何とも呆れた話である。
「アクレナイトは辺境伯対応の任務を解かれます。その後にやって来るのはハアロ大将軍の西軍です。西軍は中々厳しいと思います」
「……」
「ジィド辺境伯。今からでいい。群衆に村へ帰るように言ってください。ここから先は陸軍が待っていると脅かして。王都に向かうのは命懸けだと民衆に告げてください。人数が減ればあなたの身の処し方も変わるだろう。お願いします。そうしてください」
シンジノアは真剣な顔でそう告げた。
◇◇◇◇◇◇
ジィド辺境伯は付き従って来た村人や信者を前に「これから先王都に向かうのは命懸けだ」
と話をした。「リエッサ王妃は我々を謀反人だと思っておる。この先にはハアロ大将軍の西軍が我らを阻止しようと待っておる。アクレナイト侯が教えてくださった」
大きな声でそう言うと慈愛に満ちた顔で言った。
「儂は其方達が死ぬのを望まない。これは儂からのお願いだ。出来る事なら全員ここから引き返して欲しい」
群衆はどよめいた。
「ジィド辺境伯はどうされますか?」
信者の一人が尋ねた。
「儂は王都へ向かう。王都へ行ってリエッサ王妃に話をするのだ。だが、大勢で行けば謀反と思われて皆捕えられ、縛り首になるだろう。だからここは儂に任せて欲しい」
ジィド辺境伯は言った。
「其方達の王家に対する不満や憤りは儂が必ず伝える。だから村へ帰るのだ。命を大切にするのだ。それが我が願いである」
シンジノアはそれを聞いてジィド辺境伯とはなかなかの役者だと思った。
「後ろにいる奴らはどうなっても構わない」。
彼はそう言った。それが本心なのにそんな所は微塵も見せない。
これなら皆騙されてしまうなと思った。
「全く蛇の様な男だ」
そう呟いた。
◇◇◇◇◇◇
ジィド辺境伯のスピーチで大勢の人々が去って行った。だが、しかしそれでも辺境伯と一緒に行くと心を決めた人達もいた。主にゼノン神官、ゼノン信者。それから傭兵たち。傭兵は村へ帰っても仕事が無いのだ。そして城から付いて来たジィド辺境伯の兵達である。
総勢100人程度である。半分以上が村へ帰って行った。
シンジノアは命を懸けてもリエッサ王妃に苦情申し立てをしようとする人々はこんなに多かったのかと改めて感じた。




