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ルシールと黒い犬 2

 ルシールは商人の金をほんの少しずつ盗んだ。彼が気付かない程度の金を。

 彼が家を空けると貯めたその金で肉屋へ行って肉を一枚だけ買った。それを持って墓地に向かった。


 その内ルシールが墓地へ向かうと犬が出て来る様になった。犬は大きくジャンプすると2メートルもの柵を軽々と飛び越えてルシールの元へ走った。そして与えられた肉を食べた。


 まるで墓守の様なこの犬だけがルシールの唯一の友人だった。一族の眠るこの墓の前で黒い犬に話し掛ける事だけがルシールにとっての心の安らぎだった。


 商人が家にいる時は商人の仕事を手伝って貴族の家に向かった。そうでない日は彼があちらこちらで購入して来たものを整理していた。店の倉庫には色々な物が置かれていた。怪しげな呪術に使うもの、黒魔術の本……、その中で特にルシールが気に入ったのは毒に関する本だった。ルシールはその本を暗記する程読んだ。

 ルシールは毒草に関する知識をその本から得た。墓地に向かうと植物を観察し本に載っていた毒草を探した。黒い犬はルシールに付いて歩いた。


 ルシールがハアロ大将軍の父親に見初められて小さな家を与えられた時、彼女は庭に毒草を植えた。そしてある日、商人の酒にそれを入れて彼を毒殺した。

 夜に酒を飲んだ商人は朝にはベッドの中で死んでいた。ルシールは泣いて彼の体に取りすがった。けれど心の中では自分が精製した毒がうまく効いた事に満足し、自分の秘密を知る唯一の人間がこの世から去った事を喜んだ。



 商人の骨とう品は全てルシールが引き継いだ。何故なら彼の身内はもうルシールしかいなかったからだ。彼女はそれを丹念に整頓した。


 将軍の妻が亡くなり、ルシールは将軍家に後妻として迎えられた。ハアロ大将軍の家には息子のジャネ、それとジャネの妻のミアがいた。だが、屋敷に入る事は出来ないと夫に言われた。

 庭の片隅に小さな東屋を建ててそこに住む事になった。

 ここが自分の終の住処となるだろうと思った。


 将軍の家に引っ越す前日にルシールは肉を持って墓へ向かった。

 ここを訪れるのも今日で最後だと思った。

 自分が先代王朝の生き残りだなどと気付かれては命が危うい。城下の別宅にいる時はそれも可能だったが、屋敷に入ってしまったらもう無理だろうと思った。


 犬の姿は見えなかった。

 ルシールは犬を呼んだ。暫く待ったが犬は現れなかった。

 ルシールは小瓶に墓の土を摘まんで入れて嫁ぎ先に持って行こうとした。



 ◇◇◇◇◇◇


「そこまでだ」

 そう言った声にびくりとしてルシールは慌てて手を引っ込めた。

 見るといつの間にか黒い犬が隣に来て座っていた。

 犬はじっとルシールの顔を見ていた。犬の目に赤い炎がちらちらと揺れていた。

 ルシールはその目から目を離す事が出来なかった。



 気が付くとルシールはそこに倒れていた。

 ルシールは倒れたまま自分の隣を見た。黒い犬はいなかった。持って来た肉も無かった。

 犬が食べたのだ。

 ルシールはさっきまで見ていた夢を思い出した。

 黒い犬は夢の中でルシールに告げた。



「俺はこの墓の墓守だ。俺は地獄から遣わされた。お前の家族はここで静かに眠っているのに、お前がここへ来て恨みがましい事を言うから彼等は煩くて眠れない。折角俺が落ち着かせたのに。

 お前の言葉は彼等に苦痛と憎しみを蘇らせる。一族の生き残りである不憫な末娘に対する哀惜、現世に対する愛着と悲哀を蘇らせて、お陰でこの辺りには異様な気が漂う様になった。お前のせいだよ。

 だが、もうお前は来ない。やれやれ、やっと静かになるな。



 ところでお前は復讐をしたいのだろうか? 誰に対してだ? ダッカの森の神々にか? それともブラックフォレスト王国だろうか? それともチャンドラル王朝をあっさりと見限ったマルシド王朝、ジョレス・マルシドだろうか? 

 俺はお前を追い払う積りだったのだが、お前は俺に肉をくれた。お前はなけなしの(盗んだ)金で俺に肉を買ってくれた。自分の食うものを我慢しても。だから俺はお前に少し力を貸そうと思う」


「お前は選ぶ事が出来る。魔女となるか、それとも今のままの人生を歩むか」

 黒犬は言った。

「さて、ここから先は魔女になる気があるなら教えよう」


 ルシールはあっさりと「魔女になるわ」と答えた。

「本当なら幼い頃に死んでいた筈。それをここまで生き長らえる事が出来たのはブラックフォレスト王国とマルシド王朝に復讐する為よ。天の神の計らいだわ」


 それを聞いた黒犬はクックと笑った。

「言って置くがお前達一族は時の運に恵まれず滅亡したのだ。初心を忘れ、傲慢になったお前の父がブラックフォレスト王国に身勝手な戦を仕掛けたのが切っ掛けだ。それこそ自業自得と言うべきものだろう。確かにダッカの森に棲む神々の呪いも受けたかも知れぬがな。ダッカの森は焼いてはならぬ。それは古くからの言い伝えだ。お前の父は奢り高ぶり、矮小な人の身である事を忘れたらしい。高々人間如きが」

 黒犬は言葉を切ってルシールを見詰めた。


「だから復讐は神々の意思では無いぞ? いいのか? 神の加護は得られないぞ?」

「そんなのへっちゃらよ」

 ルシールは平静な顔で答える。

「加護を与えてくださるのなら、それは悪魔でも地獄の使いでも何でもいいわ」


「誰もお前に加護は与えない。悪魔でさえも。お前はたった独りだ。憐れだな。ルシール・ド・チャンドラルよ」

 だが、俺はお前に力を貸そう。お前がたった一人で世の中と神に戦いを挑むのを余興として愉しむのも悪くはない。……では教えよう。お前が指で摘まんだここの土。丁度二回分だ。お前は二回だけ他の誰かと入れ替わる事が出来る。それは王であっても構わない。中身が入れ替わるのだから周囲の人間は気が付かないだろう。入れ替わった者が騒いでも気が違ったとしか思われない。だが、魔女と知られたお前の最後は火炙りだ。地獄で永劫の火に焼かれるのだ。」

 黒犬はにやりと笑った。

「入れ替わるには相手の一部が必要だ。髪の毛や爪など。それをさっきの土に混ぜて呪文を唱えながらぐつぐつと煮るのだ。そしてそれを飲むのだ。呪文は今から教えてやる。一度しか言わないから良く覚えて置くのだ」


「髪や爪は新しい方が良く効く。……繰り返す。術は二回だ。その見返りとしてお前のその美しい指を二本貰おう。そうだな。中指と人差し指にしておこうか」


 転がったまま黒犬の言葉を思い返していたルシールは慌てて立ち上がり、バックの中を引っ搔き回してペンと紙を取り出した。そして忘れない内に呪文の言葉を書き出した。最後の文字を書き終えた途端に右手の指が猛烈に痛くなった。ルシールはペンと紙を放り出して指を押さえた。呻き声が漏れる。脂汗が額に滲んだ。ルシールは余りの痛さに気を失った。


 気が付いた時にはもう夜だった。

 ルシールは自分の指を見てみた。指が二本真っ黒に変色していた。そしてそれはぼろりと根元から崩れて落ちた。



 ◇◇◇◇◇◇



 次の日の朝。

 リエッサはブルリと震えて目覚めた。



 部屋の中が寒い。

 体が痛い。すごく痛い。

 何でこんなに痛いのだろうと思った。

 自分の顔に手をやる。

「あれ……?」

 何かおかしい。

 皺?

 皺があった?



 慌てて起き上がった拍子に背中がぴしりと音を立てた。

「痛い!」

 思わず叫んだ。

 その声はしゃがれた老婆の声だった。

 リエッサは自分の手を見た。

 思わず悲鳴を上げた。

 だが、悲鳴は「ひいぃぃ~」と言う掠れた音でしかなかった。

 皺だらけの小さな手。指が欠けている。この手は。

 リエッサはドキドキしながら部屋の中を見渡した。

 ルシールおばあ様の部屋だ。


 リエッサはそろりと起き上がると化粧台の鏡をおそるおそる覗き込んだ。

 そこにはルシールお婆様が映っていた。

 リエッサは悲鳴を上げた。


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