004 逆襲
無理無理無理無理!
そう思いながらも、僕は一週間耐えた。
一度神経内科にも行った。
夜中にババアが出てきて、僕を殺そうとするんです。そんなこと言っても信じてもらえないし、変なクスリをやってると思われるのも嫌だ。そう思い、最近嫌な夢ばかり見ます、おかげで眠れませんと話した。
結果、睡眠導入剤を処方された訳だけど。
この薬はやばかった。
飲んで1時間もしない内に、強烈な眠気に襲われた。倦怠感半端ない。
これならババアにまたがられても、目覚めることはないだろう。そう期待した。
でも無駄だった。
毎晩、決まった時間に目が覚めた。
ババアとの逢瀬は毎晩欠かさず続いた。
しかも薬のおかげで体がだるくて、朝起きるのが半端なく辛い。
僕は薬を飲むのをやめた。
このままだとおかしくなる。
頭も、体も。
会社でも、社長さんたちが心配してくれた。
僕は愛想笑いを浮かべ、「大丈夫です」と答えることしか出来なかった。
でも。
もう限界だった。
引っ越そう。
なるべく近場で、同じぐらいの家賃のところに。
そう決めた。
でも、現実は非情だった。
流石に今と同じ家賃は望んでなかったけど、どこを見ても倍はする。
しかも敷金礼金あり。
どう見積もっても持ち金が全部消えてしまう。
僕は絶望した。
でも。このままこの部屋に居続ければ。
いずれ僕は殺される。
それか精神を壊されて、過去の住人のように自ら死を選んでしまうか。
どちらにしても、僕に明るい未来はない。
そう思い、ため息をついた時。
ふと頭に浮かんだ。
あのババア、何が目的なの?
いつもいつも現れて、ニヤニヤ笑いながら僕を見下ろして。
鎌を手に、今からお前を殺すとばかり振り下ろす。
でも、僕はまだ生きている。
初めて現れてから今日まで。僕はいつも、鎌が振り下ろされる時に気を失っている。
気を失っても、そのまま殺せばいい筈なのに。
どうしてそうしないの?
考えてみたらあのババア、僕に危害を加えていない。
怖がらせているだけだ。
恐らくこの部屋は、ババアにとって大切な居場所なんだろう。
調べてみたけど、他の部屋でそういう事例はないようだった。
管理人さんに聞いてみたんだけど、
「やっぱり……まだいるんですね、あの部屋に……」
そう申し訳なさそうに言って、僕に頭を下げた。
そして。他の部屋では聞いたことがない、そう言った。
僕の部屋にだけ現れる存在。
恐らく無縁仏の一人で、まだ成仏出来ずに彷徨っているんでしょう。あなたが入ってきたことで、大切な居場所が奪われた、そう思い、出て行くように仕向けているんじゃないでしょうか。そう言って、管理人さんは再び頭を下げた。
そして。
日本酒と粗塩、盃をくれた。
これをお供えしてみてください、そう言って。
その夜、部屋の隅に置いてみたんだけど。
朝見ると、酒にも塩にもカビが生えていた。
それだけで、あのババアが妄想なんかじゃないことは分かった。
でも。
追い出したいのなら、さっさと殺した方が早くない?
怖がらせて逃げるのを待つって、そんなに効果的?
僕のようなビビリには効くだろうけど。
でももし、僕が幽霊なんか気にしない男だったら?
ババアにまたがられても気にならず、すやすや安眠出来る鈍感だったら?
ババアの思惑通りにはいかないよね。
これってもしかして。
危害を加えないのじゃなく、加えられないんじゃない?
そう考えた方が自然なように思えてきた。
殺さないにしても、傷ぐらいつけてもよさそうじゃない。
そこまで考えてたら。
だんだん腹が立ってきた。
何で?
どうして僕が出て行かないといけないの?
墓地を破壊され、その上唯一の居場所にまで他人が入ってくる。たまったものじゃないのは分かるし、同情しないこともない。
でも。
ここの家賃を払ってるのは僕なんだよ?
僕がここに住むのは、当然の権利なんだよ?
なんで僕が、僕だけが。こんな目に合わないといけないの?
そっちの事情なんて知らないよ。
大体お前、家賃払ってないじゃない。
それなのに出て行けだなんて、理不尽にも程があるでしょ。
そう思い、僕はこの夜。
怒りマックスの状態で布団に入った。
深夜2時。丑三つ時。
いつものように目が覚めた。
目の前にババアがいる。
本当に気色悪いババアだ。みっともない半開きの口、垂れて来る涎。
おかげで毎朝、僕はシャワーを浴びなきゃいけないんだぞ?
髪の毛も汚い。幽霊は風呂にも入らないの?
ボサボサなんてもんじゃない。
僕を見てニタリと笑い、鎌を振りかざす。
僕は言った。言ってやった。
我慢の限界だった。
「……おい」
僕の声に、ババアの動きが止まった。
あれ? このババア、ひるんでる?
ひょっとして狼狽えてる?
「お前……毎晩毎晩、夜中に起こしやがって……何か訴える訳でもなく、怖がるのを楽しそうに見て……何がしたいんだよっ!」
そう怒鳴ると、ババアは後ろに転がり落ちた。
「逃げんなっ! 毎晩毎晩、いい加減にしろよ!」
そう叫び立ち上がる。
あれ?
体が動く。
これってもしかして……
そうか! 金縛りだと思ってたけど、そうじゃなかったんだ!
恐怖で動けなかっただけなんだ!
ババアの仕業だと思ってた。でも違ったんだ。
僕の中の恐怖が、勝手にババアの力を大きく見積もってただけなんだ。
そう思うと、俄然勇気が湧いてきた。
――この二週間の恨み、今ここで晴らしてやる!
僕はババアの前で腕を組み、見下ろした。
「僕は家賃を払ってここに住んでる。お前がここにどれだけいるのか知らないけど、この部屋の今の住人は僕だ。お前じゃない」
ババアは腰砕けになり、白濁の瞳で僕を見上げた。
状況が理解出来ず、混乱しているようだった。
まあ、それも仕方ないか。まさか幽霊に説教する人間がいるなんて、ババアも思ってなかっただろうから。
「僕は絶対に出て行かないよ。ここは僕にとっても大切な場所なんだ。気に入らないならお前が出て行けよ! と言うか出てけっ! 今すぐここから出てけっ!」
そう怒鳴ると、ババアは鎌を捨てて後退った。白濁の目から、涙が溢れていた。
――逆転ホームランだ!
今怖がってるのは僕じゃない、ババアの方だ。
僕は拳を握り締め、笑みを浮かべた。
「さあ! さっさと出てけっ!」
そう叫んでババアの腕をつかもうとした。
でも、僕の手はババアの腕をすり抜け、空で拳を握っただけだった。
あれ? このババア、ひょっとしてつかめない?
確認の為、ババアが持っていた鎌を拾おうとした。でも無駄だった。つかめなかった。
そうか。このババア、言うなればホログラム、実体がないんだ。
だからいつも、僕を殺せる状況にも関わらず、何もしなかったんだ。
いや、出来なかったんだ。
胸に圧し掛かっていたババアの重み。それも僕の心が生み出した幻覚だったんだ。
つまり。
ババアは僕に何も出来ない。
怖がらせる、それしか出来なかったんだ!
怖いって何だろう。いつも考えていた。
そして今、結論が出た。
人は未知のものを怖がる。だって分からないことだらけなんだから。
何をされるか分からないんだから。
でもそれが解明出来た時、人はそれを恐れなくなる。
僕は幽霊に勝ったんだ!
「ババアあああああっ!」
一喝すると、ババアは再び転がりながら部屋の隅に逃げた。
完全に立場が逆転した。僕はババアに勝ったんだ。
頭を抱えて震えるババアに満足し、僕は再び布団にもぐった。
「もう……起こすんじゃないよ。明日も仕事なんだから」
そう言って目を閉じた。
ババアは僕に何も出来ない。危害を加えられない。
なら、別にそこにいても問題ない。
確かに気味悪いし、見た目は怖いけど。でもそれも、見慣れてしまえばどうってことはない。
あれはただのホログラム。声も出せない出来損ないだ。
放っておいても問題ない。とにかく僕は寝る。
達成感、満足感が心を埋め尽くす。
今日は久しぶりに……よく眠れそうだ。
そう思いながら、僕は夢の世界へと旅立っていった。