無関心無知
「あ……」
ダージリンの紅茶を口に運ぼうとしたその時、彼女の姿が視界に入った。ちょうどお店の出入り口が見える位置の席だったから、カフェ・リンクスティップに入ってきた新たなお客が彼女――響谷ちよであることが分かったのだ。
「どーしたの? いろは」
向かい側の席に座っている友人のルビー・スカーレットが不思議そうに尋ねてくる。ルビーの真っ赤なポニーテールが揺れた。
「ああうん、ちょっとね」
ひとまず紅茶を飲んで、
「知り合いがいたもので」と答えた。
「ふーん、学校の?」
私は頷く。
「そーなんだ。……うん」
ルビーも頷く。そして、
「なかなかだね〜、ここのチーズケーキは」と続けた。
「感想言うタイミングおかしくない?」
確かにこのカフェのスイーツは私も気に入っているけれど。
「多分、私の学校の友達について話す雰囲気だったと思うのだけど」
「友達ー? あんなに気まずそうに『知り合い』って紹介しておいてー?」
痛いところを突いてくる。
「……うん、そうだね。実を言うと、クラスメートなだけで、話したことはない」と私は言った。
続けて、私は響谷さんに聞こえないように声を潜めて、
「あの、彼女のお名前は響谷ちよ、っていうんだけどね。私の友達がとある出来事から響谷さんになんていうか……好意を持ってて」
「ほー」とルビーは相槌を打つ。
「だから同じクラスの私から紹介してほしいって言われてて……でも正直困ってる。私も話したことないから」
「じゃあ、今こそ良いチャンスなんじゃない?」
「え? チャンス?」と私は訊き返す。
「ほら、響谷さん、今ノートに何か書いてるよねー?」
響谷さんが店員さんに案内されて座った席のほうにルビーは素早く視線をやり、
「何やってるかは分かんないけどさー、少なくとも響谷さんは一人でいる。それに今日は休日だよー? 少し話を聞いてもらうくらいできるって。ね? チャンスだよ」
響谷さんは学校でもわりと一人だけれど。
でも、休日の方が話しかけやすいのは確かかもしれない。平日は学校はもちろんのこと、人によっては色々と忙しいだろうし。
「分かった」
私は空っぽのティーカップをソーサーに置き、
「ちょっと行ってくる」と言った。
「うん。いってらー」
ルビーの笑みに元気を分けてもらい、響谷さんの席に向かう。
響谷さんは彼女のトレンドマークであるマゼンタカラーの頭を覆うようにヘッドホンをしている。そしてよほどノートに何か書くことに集中していたようで、私が席のすぐ前に来た時、ようやく存在に気がついた。
彼女は眉を顰めながらヘッドホンを外す。邪魔をしてしまったな。
「ごめんなさい。ちょっといいですか?」
申し訳なく思いながら、私は声をかける。
「……は?」
響谷さんはハスキーな声で返事をした。続けて、
「あー待って。あんた、どっかで見たことある……」と言った。
クラスメートなのに「どっかで見たことある」程度だった。
「伊勢だよ。伊勢いろは。クラスメートの」
「……ああ。クラスメートの、成績よくて、顔がいい人じゃん。どうかした?」
「そ、そういう認識だったんだ。ええとね……」
私は話しかけるに至った経緯を響谷さんに説明した。
響谷さんは興味あるのかないのかよく分からない感じで話を聞いていた。
ひとしきり私が話し終えると、
「ふうん。ジブンが気になってたこと言うわ」
と響谷さんは口にする。
「何?」と私は訊き返す。
「クラスメートなら名前で良くない? さん付けって固いじゃん」
「あ……うん。じゃあ、ちよって呼ぶ。私のこともいろはでいい」
「うん。で、ジブンに好意を持ってくれてるいろはの友達? のことだけどさ」
私は小さく頷いて、続きを促す。なぜか私がドキドキしてきた。返事は……。
「興味ないからごめん、って言っといて」
ちよは思った以上にバッサリ断った。
「そっか」と返す。「答えてくれてありがとう」
「いいよ。てか、いろははさ、今日一人で来てんの?」
「ううん、私は一人じゃなくて友達と一緒に来てて……」
長いことルビーを一人にしているのが気になっていた。戻らなくては。
「一緒に来てる友達って、さっきからアツい視線を送ってきてるあの猫目の子?」と言ってちよは指差す。
「え?」
私が背後を振り向くと、離れた席のルビーと目が合った。背を向けて座っていたはずのルビーは、イスの向きを半身ほどこちらに向け、興味津々、といった様子で私たちを見ていた。私と視線が交わると同時に、ルビーは私に手を振ってくる。私も小さく手を振り返す。
「仲、いいね」とちよが言った。「懐かれてるって感じ」
「そうだね」
私は返事しながら考える。ルビーのあの表情……ちよと話してみたいっていう気持ちだろうな。うーん……。
「ちよ」と呼びながら響谷ちよの方をもう一度見た。
そして勇気を出して言う。
「もしよかったら相席しない?」
「え、いろはと、あっちのお友達と?」
ちよは意外そうに目を丸くする。
「うん。ちよが良ければ、だけれど。あ……色々といきなりごめん。ただでさえ私が話しかけたことで、ちよが今やってる作業の妨げになってるのに……」
これ以上を要求するなんて申し訳ない。
ごめん。またタイミングが合った時にしよう。そう言おうとした時、
「別に邪魔じゃないけど」とちよが言った。
「え?」と私が訊き返すと、
「だってさー、いろは」
間近でルビーの声がして、私は驚く。振り向くと、そばにルビーがいた。恐らく、私をびっくりさせる為に忍び足で近寄ってきていたのだろう。
だとしてもちよの位置からはバレバレだったと思うけれど。
「ちよさんがOKしてくれてー、嬉しいです〜」
ルビーはいそいそとちよの向かい側の席に座る。こっちで相席するのか。確かにちよが案内された席の方が横長のソファ席で広くて三人で掛けるには良さそう。
その後、私とルビーは店員さんに席の移動を伝え、ついでにルビーは食べ終わったチーズケーキの皿を下げてもらった。
それからルビーとちよがお互いに軽く自己紹介をした。
「るびーすかーれっと? るびーで区切るってことは、すかーれっとが名前?」
ちよが勘違いをしていたので、ルビーは惜しいですね〜と言って、
「ルビーで区切るという点に目をつけたのは、素晴らしいです。しかし、スカーレットは名字なんですよー」
「へえ。先に名前が来るんだ、面白。ちなみに、るびーってどういう字を書くの?」とちよは重ねて問う。
「にゃはは、インフィ文字で書くのが正式ですけどー、この国に来てからは簡単な仮名で書いてます。楽なので」
「インフィ文字……? この国に来てから……?」
ちよは不思議そうな顔をしている。そして、
「ねえ、いろは」と話しかけてきた。
「何?」
「インフィ文字って何だっけ」とちよは訊いた。
「……ええ!?」
さすがに驚く。ちよは何事もなかったように、
「どうかした?」と言う。
「い、いや別に」
返事をしながら、内心、本気で言ってる? と疑ってしまう。
ちなみにインフィ文字とは、学校がある国なら基本的にどこでも習う世界共通言語である。私たちが住む国――東ヒノデ国でも幼い頃から少しずつインフィ文字に触れ、少しずつ学ぶ。
高校生ともなるとかなり深く学習する学校も多い。それは、私や響谷ちよが通っている東天知高校も例外ではない。
どう返事をしたものかと考えていると、
「ちよさん、インフィ文字知らないんですか!?」
隣でルビーが反応している。ちよは瞬きを早めて、
「聞いたことはある気がするけど……忘れた」と言った。
なぜかルビーは瞳をきらきらさせて、
「じゃあ――」といくつかのワードを挙げた。それらは、ルビーの出身国の名前や、ルビーの使う宝石魔術に関連したものなど、全てが彼女にまつわるものだった。それらに対し、ちよは全て、
「知らない」「聞いたことはあるかも」
そう答え続けた。
「あんた、なんでそんなに訊くの?」
ルビーの質問攻めに、さすがにちよが苦言を呈す。
「ごめんなさーい」とルビーは謝罪し、
「ちよさんが、あたしにまつわること……何も興味持たないのが嬉しくってですね〜」
「嬉しい?」と私は訊き返す。
「うん、嬉しい。知られてるって、良いことばかりじゃないから」
ルビーはまぶしい笑顔で言った。
私は改めてルビー・スカーレットという姿を見る。
この国では滅多に見かけない真っ赤な髪。顔立ちが整っている、というのも一つの特徴だろう。それから魔力探知されたら魔力量まで。
ぱっと見だけでこれだけのことが知られてしまう。それはきっと、良いことばかりではなかったに違いない。
「意味分かんない」とちよは呟く。
「そんなんが嬉しいなんて、変な奴」
「にゃはははー、そうですか?」
ルビーは両腕を天井に向け、しなやかに伸びをする。ちよはそれを見ながら頬杖をついていた。
……それにしても。
ルビーの発言も気になるけれど、ちよは本当に色々と知らないことが多いみたいだ。大きなお世話だとは思うけれど、インフィ文字を知らずに学校の授業についていくのは大変なんじゃ……。
あ、授業といえば。
「ちよ」私が名を呼ぶと、彼女はこちらを見る。
「先週の最後の登校日に、外国語の授業があったの覚えてる? その時、インフィ文字に関する小テストの答案用紙も返却されたはず」
んー、とちよは考え込んだあと、
「ああ、思い出した。アレね、そういえばインフィ文字とかって呼ぶよな」と言った。
不意にちよはため息を吐く。
「はぁ。ジブン、勉強に興味持てなくてさ。その小テスト、零点だったんだよね」
「そ、そうなんだ」
そんなに興味が持てないのか……。
「その気持ちー、ちょっと分かります」
ルビーはにへらと笑いながら、
「あたしも、勉強はビミョウなのでー、いろはに教えてもらってますねー」
「そうだね」と私は頷く。
「……ん。待って」
ちよが私の目を見る。そして、
「そうだよ……いろはって頭いいんじゃん」と呟いた。
「え」
急に何だろう。
「頼む、いろは。勉強教えてよ」
ちよは姿勢を正しながらそう言った。
「それは……」と私は口ごもる。
ルビーとは年齢が違って一学年下の学習内容だったおかげか、教えるのはそこまで困難に感じなかった。しかし、同学年の勉強を教えて、となると……どうだろう。私に教えられるのだろうか。
「頼むよ」とちよは繰り返して言う。
「いろはが勉強を教えてくれたら、あんたの友達の……誰だっけ。さっき言ってた友達の話もちゃんと聞くんで」
「話?」
「あれだよ。いろはの友達がジブンに好意を持ってるとか言ってたやつ。話違ったっけ」
「あ、ううん。合ってる。ちゃんと教えられるかは分からないけれど……というか」
「ん」とちよに続きを促される。
「戸松慧のほうが頭いい……と思う」
と私は言った。
「誰?」とちよは言った。いや、あなたにはさっき言ったでしょう。
「戸松慧ってー、ちよさんのことが、好きな人の名前だよねー?」
ルビーが不意にそう言った。私は意表を突かれてルビーの方を見る。彼女は何でもないことのように、
「さっきの話で出てきたひと〜。いろはからちよさんを紹介してもらおうとしてる、いろはの友達ー」
と戸松慧の説明をした。
「そういやさっき、そんなん言われたな」
ちよはうんうんと頷いている。それはともかく、
「ルビー、私とちよの話、聞いてたの?」
驚きながら訊く。
「あれくらいの距離の話し声なら聞こえるよー。あたしの耳は敏感だからね〜」
ルビーはそう言って、満足げに胸を張った。やっぱりルビーはすごいな……。
「……で、トマツ? の話は?」とちよが話を促す。
ああごめん、と私は軽く謝罪してから、
「彼は頭良くて、テストの総合点で学年トップを取ったこともあるの」と話した。
「すごいね!」とルビーが褒める。
「そいつに教えてもらったらいいんじゃないかって?」
ちよが私に聞いてきたので、頷く。
「と言っても、初対面の男子といきなり二人きりはハードル高そうだから、初めは私も勉強会に着いて行くよ。それでどう?」
ちよはしばらく何かを考えていたようだが、
「分かった」と言った。