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ブラックコーヒー

「だから――戸松(とまつ)。遊びに行くのは一向に構わないけれど、いきなり家に来るのはやめて」

 私はそう言いながら、カフェ・リンクスティップという行きつけの喫茶店へ足を踏み入れていた。

 連れの友人――戸松(けい)は私の文句に対して「今度から気をつけるって」と悪びれる様子もなく返した。本当に反省しているのだろうか。

 私たちは店員に促され、空いていた席に座り、使い捨ての紙おしぼりで手を拭った。

「それで――最近はどうなんだい? 青井(あおい)さんとは上手くやってるのか?」

 戸松はパラパラとメニュー表を開きながら聞く。青井さんとはもちろん青井瑪羽(めう)のことだ。

「上手くかは……分からない。いつも通り変わらないと、思う。なぜそんなことを聞くの?」

 不思議に思って尋ねると、戸松はきょとんとした後、

「そうか。キミには話していなかったな」と言った。

「え、何を?」と聞き返す。

「僕が青井さんと伊勢(いせ)いろは――キミとの関係を気にする理由だよ」

 戸松は芝居がかった動きで話す。私はちょっと呆れて、

「理由は?」と続きを促した。

「いやー、実は僕、青井さんに惚れてるから。キミに取られたくないんだよね」

「本当の理由は?」

「青井さんと伊勢の長年の友情が破綻したら見ものだなって思ってワンチャン狙って聞いたんだよね」

「うわ……」と私は引いた声を漏らす。

「なんだよー。僕の性格くらい知ってただろ?」

 戸松はにこにこしながら言う。確かに知ってはいたけれど。

「はぁ……私、紅茶だけでいい」

 私はメニュー表を閉じた。

「僕はコーヒーにする。店員さん呼ぶよ?」

 私が頷くと、戸松は呼び鈴を鳴らす。店員さんがやってきたので、二つの飲み物を頼んだ。

 店が混んでいないおかげもあったのだろう、紅茶とコーヒーはすぐに私たちのテーブルへ届けられた。シロップとミルクがついていたが、私は何も入れずに紅茶を口に運んだ。たいした舌を持っていないが故に、値段に関係なく大抵の紅茶を美味しく飲める。幸せな味覚だと自負している。

 ティーカップを置き、戸松の方を見ると、コーヒーにミルクを入れたみたいだった。それは好みの範疇だとは思うのだが、

「……砂糖、入れすぎでは?」

「いや、ほら、苦いじゃん。伊勢、シロップ使わないだろ?」

「使わない」

「だったらもらうね」

 私の紅茶についてきたシロップまでコーヒーに入れた。別にいいけれど……。

「だったらなんでブラックを頼んだの……」

「最近、友達になる予定の子が飲んでて、カッコいいと思ったからさ」

 戸松は砂糖とシロップまみれのミルクコーヒーをすする。

()()()()()()()の子……とは?」

 なんだか変な言い回しだ。

「キミのクラスにいるだろ、響谷(ひびや)ちよって子」

「……あ、うん。いる」

 響谷ちよ。

 すらりとした美人で、楽器ケースのような物を背負って登下校している印象があるクラスメートだ。あまり人と話しているところを見たことはなく、かく言う私も話したことはない。

「あの人が、どうかしたの?」と私は聞く。

「僕ね、響谷さんの路上ライブ聞いちゃって」

「えっ! ……あ、でも、そこまで意外ではない」

「そうだろうね」と戸松は言う。

 先ほど、響谷さんのことはクラス内であまり発言しないと回想したため、路上ライブをするイメージと繋がりづらかったところがあった。でも、

「響谷さんって選択授業で音楽を選択してるでしょう? そこで、歌が上手って評判になってるの聞いたことがあるから。だからきっと路上ライブも素敵だろう、と思って」

 と私は言った。

 戸松は「ああ、そうなんだよ!」と嬉しそうに頷く。

「僕はたまたま通りかかっただけだから、半分も聴けなかったんだけどさ……。本当にきれいな声なんだ。演奏も素晴らしいんだよね」

「そう……! それはよかった」

 私は思わず関心を寄せた。いつも大袈裟な戸松だけれど、今日は特に熱をこめて話している気がする。彼は続けて、

「もちろん、路上ライブでも響谷さんより歌や演奏が上手な人はいくらでもいると思うよ。でも、僕はあの瞬間に響谷さんの音楽が最高になってしまった」

「そんなに……すごいライブだった?」

「いいや、まあ、僕が勝手に感動しただけで、客観的に見たら高校生の域は出ないだろうね。ただの路上ライブだから、お客さんも僕含めて二、三人しかいなかったし」

「悪いけど……だったら、なぜ?」

 失礼かもしれないが、当然の疑問だ。響谷さんは確かに素晴らしいライブをしたのかもしれないが、それはあくまで“高校生にしては”の話。先ほど戸松自身が言っていた通り、路上ライブですらもっと良いアーティストはごろごろ居るのだろう。

「それはちょっと、説明が難しいな」

 コーヒーを一口すすって、戸松は窓の外を見ながら言う。

「あの時、僕は死にたかったんだよ」

「え?」

 私はティーカップを持ち上げようとした手を止めた。戸松はそのまま話す。

「ああ、別に問題は何もなかったんだよ。いじめも虐待もハラスメントも罪を犯すことも犯されることも、苦痛は何もなかった」

 彼は淡々と続ける。

「ただ、生死のリスクリターンを考えた時、死ぬリターンが生きるリスクを上回ってしまってさ。死んだほうが楽なんじゃないかと思ったんだよ」

 そんな、そんな――。

「損得勘定で死ぬなんて……馬鹿なこと言わないで」

 絞り出した声は震えていた。私のこれは何だろうか。怒り? 失望? どちらでもいい。

 そんな私の気持ちを気にした様子もなく戸松は、

「結果的に死んでないだろ? ならいいじゃないか」

 そう言った。私は黙る。

「話を続けるね」と戸松は言った。

「とにかく僕はそんな気持ちで、忘れもしない二月二十九日の夜、寒空の下散歩してたわけだ。死に場所を探してね。その帰り途中、道に迷って……そしたら出会ったんだ」

「響谷ちよさんに?」と相槌を入れる。

「そう」戸松は無邪気そうに微笑む。

「その時僕は久しぶりに泣いた。他人の歌で泣くなんて馬鹿らしいと思っていた自分が恥ずかしいくらいに泣いた。何故なら響谷さんの全てが輝いて見えたから。それで僕は死ぬのをやめて、伊勢に響谷さんを紹介してもらおうとこの話をしたってわけ」

「あ、それで今日家に突然来たと?」

 やっと話が繋がった。

「最近知ったんだよ。響谷さんと僕が同じ学校だって」

「そうなんだ」

 うちの学校はけっこう人数が多いし、それもクラスの違う異性となれば知らなくても無理はないのかもしれない。

「響谷さんと友達になりたい! というわけで、今度、彼女と僕を引き合わせてくれ」

 戸松は調子よく言うが、

「ううん……。そもそも、私、響谷さんと話したことがあまりないから……」

 困ったな……。

「そこは僕も考えるから、頼む!」

「……まあ、そこまで言うなら……できる限りのことはする。だから、もう頭を下げなくていい」

 そう伝えると、戸松はがばっと頭を上げて、

「よっしゃ! ゴネ得!」と喜んだ。

「やっぱり断ればよかった、かも」と私は言った。

 いつの間にかティーカップは空になっていた。

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