6話 大天使カマエル
「カマ…エル…?」
もちろん知っている。『神を見る者』を意味する大天使で、神の立てた正義を忠実に執行する。しかし、その攻撃的な性格から恐れられていることもある。ウェプノはそこまで攻撃的な性格じゃない。戦闘術を研究していたのはあくまで自分の願いのため。そのはずだ。
だが、何故だろうか。彼から感じるのは凄まじい闘気。まるでこちらを殺そうと言わんばかりの殺気にすら感じる。彼の目の奥に鋭く光るナイフのような意志がチラチラと姿を見せている。
それに先ほどまで影で隠れていて分からなかったが、髪の色が少し赤く変色していた。それが血を浴びた姿に見え、彼の隠されていた殺戮者としての本性が表に現れたことを知る。
「親父とは何回もやったことあったけど最近はやってなかったからなぁ。それに今の俺はすっげぇ気分がいい。親父と戦うのが楽しみで仕方がねぇんだ。」
そういってニヤニヤとこちらを見やるウェプノ。いや、もうカマエルと呼んだほうがいいか。どうやらこれは手が抜けなさそうだ。
「まったく、君はいつからそんなことを言うようになったのかな?」
「本当につい最近のことだ。改良されて性格が変わってんのかもなぁ。まぁいいじゃねぇか。そんなこと気にしてるくらいだったら自分の心配したらどうだ。」
「自分の心配?」
そう言うと彼はその両手で短刀を弄びながら言う。
「今の俺は全く手加減できなさそうだからなぁ。万が一親父を殺しちまうってことがあるかもしんねぇからなぁ。」
その言葉に俺は
「だったら来な。父親が息子より強いってことを見せてやる。」
と同じように圧をぶつけながら彼を敵として歓迎する。すると、離れた場所で見ていたザッケハルトが口を開く。
「それじゃあ始めるとしようか。ただいまより被験体番号00ゼウスと被験体番号02カマエルの戦闘実験を行う。」
俺たちは各々構えをとる。二人の間には張り詰めた空気が満ちており、衝突し合う闘気が空間を歪めてさえいるような気分になる。カマエルは前傾姿勢になり、短刀の切先をどちらとも後ろに向け、居合のような構えをとる。一方、俺はガードを固める。一瞬でも気を抜けばその瞬間に死が確定する。そんな緊張状態の中でも時間は着実に音を刻んでいた。そして、いよいよその時が来る。
「3…2…1…実験開始」
「なっ…!」
と“始”の音が言われると同時に彼はもう目の前まで接近していた。はなからそこにいたかのように。生物である以上抗うことのできない“死”。今それが俺の中に明確なイメージをつくりあげた。完全に懐まで入られている。さらに短刀もすでに振りかけている。普通の人間であればこの後コンマ1秒にも満たない時間で体に一線入れられるだろう。
「…!」
しかし、その横薙ぎが放たれることはなかった。それどころか彼は後ろに身を引き、俺から離れてしまった。まったく勘の鋭い子だ。あのまま俺の体に一線を入れようとしていれば、彼の体が焼かれていたことだろう。しかし彼はそれに反応してみせた。本能からの反射でなければ確実に避けることはできない。それほどまでに彼の感覚は研ぎ澄まされていた。
「あんた今、何しようとしてたんだ?」
と彼は圧をかけながら尋ねる。その顔には一筋汗を垂らしている。彼自身何が起こったのか分かっていない。ただその本能に身を任せたまで。先の状況を把握していないのだ。だからこそ今は守りを固めている。しかし、依然変わらずニヤケ面は浮かべたままだ。
「さぁね、そんな簡単に教えてあげると思うのかい?」
「それもそうだな!」
すると彼は持っていた短刀の一本を俺に向かって投げた。それと同時に彼も距離を詰めてくる。先ほどよりも警戒を強めた動きゆえに攻撃を放つことが難しい。だから俺はあえてその場にとどまった。彼が攻撃するタイミングでカウンターを放つ。そう思っていたのだが、突如として彼は予想外の行動に出た。なんと先ほど投げたナイフに追いつき、それを俺に突き刺そうとする。完全に不意を突かれてしまった。俺は左に体を倒し、それをなんとか避けるが、それによって体勢が崩れてしまった。彼はその隙を狙いもう一本の短刀で俺に攻撃を浴びせようとする。
だが、俺もこの事態を想定していなかったわけではない。俺はさらに後方に体を倒す。そして地面に体がつく前に空中で腰を捻り、右足で蹴りを放った。しかし、体重が乗っていない不安定な姿勢から放たれたそれは十分な威力を伴わず、簡単に左腕で流されてしまう。そしてそのまま俺との距離を詰めた。空中で身動きの取れない状態ではこれを躱わすことはできない。彼が俺に短刀突き立てようと腕を伸ばした。その瞬間俺は自分に短刀が当たる前にその腕を掴み、自らの体を彼の腕を土台にして上に押し上げた。そして身を屈めた状態から蹴りを思いっきり彼の顔目掛けて放つ。そしてその状態から俺は身を翻して着地をしたのだが、どうやら俺の放った蹴りは避けられてしまったらしい。彼は俺と同じように体を倒すことで避けていた。再び俺たちは距離をとり、相手の出方を伺う。
「おいおい、あんな攻撃の仕方あるかよ。予想外すぎるっつーの。」
「それを言うなら君の攻撃もなかなかに危険じゃないか。避けるので精一杯だよ。」
「嘘つけよ。あんだけ蹴りを放っておいて。」
迂闊に動くことができない。彼の攻撃一つ一つが命に届き得る。逆も然り。それゆえに攻撃を繰り出すに至らないのだ。その様子をザッケハルトらは観測部屋から見ていた。逐一俺たちの様子を詳細に記録しながら。
「両者ともにバイタル安定。超越率ゼウス62.3%カマエル51.5%」
「素晴らしい。実に素晴らしい!これほどまでに戦闘能力が高いとは。あぁ、これぞ私が求めた新たな人類の形!だがまだだ。まだ足りないよ。もっと、もっと!その力を見せてくれ!」
「随分と嬉しそうですね。」
「これを喜びと言わずして何と言うんだい?これこそが我々が目指す人類の姿そのものなんだよ。」
「そうですね。」
興奮する彼とは対照的にその女は落ち着いていた。まるで興味がないみたいに実験を観測している。キーボードを打つ音が観測部屋のあちこちから鳴り、観測は順調に行われている。すると一人の研究員が声を漏らす。
「あれ、おかしいな?」
「どうしたんだい?」
「さっきほどから何度も試しているのですが、実験室の環境の調整が上手くいかないんです。設備に問題があるとは思えませんし、原因の解明を急ぎます。」
「確かに設備は毎回事前に確認させている。それにここにいる者たちが操作ミスを起こすとも考えずらい。とすれば…。」
その頃、実験室内ではとある変化が起きていた。
「待った。なんであんたの肌が徐々に赤くなってるんだ?」
そう俺の肌は赤くなっていた。それもそのはず俺の体温は徐々に上がっている。心拍を上昇させ、血流を速めたのだ。そのせいで呼吸は回数をより深くより回数を重ねなければいけないが。さらに作り出した熱を逃さないように熱発散を極限まで抑えている。幸いなことに、改良で皮膚の呼吸量は増加している。
「被験体ゼウスのバイタルに異常あり!体温,心拍ともに上昇中!39…43…46…。一向に低下しません!」
「ザッケハルト局長、原因が判明しました!ゼウスを中心として実験室内の温度が上昇しています!」
「何だって!?」
「クックック、いい調子だ。」
「おいおい、これはちょっとヤバそうだな。」
そう目の前の状況に驚きを隠せない彼に、俺は不適な笑みを浮かべながらこう警告する。
「覚悟しな。今までの常識で物事を考えてたら足元をすくわれるよ。」