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4話 心の中の住人

 あの後食事を済ませた俺たちはそれぞれ部屋に戻ることになった。最後に見たみんなの顔は重々しく、どこか不安を抱えているようだった。俺はかける言葉も見つからず、口をつぐむことしかできなかった。結局、あいつらを安心させてやることさえできずにおめおめと逃げ帰ってしまった。何度も言うが、俺はみんなの父親みたいなものだ。だからこそ、子供のために何もできないと言うのが非常に悔しい。でも、あそこで俺が何かを言ったところで結局みんなから完全に心の闇を晴らすことなのできないのだ。皮肉にも、今の俺がそれを物語っている。

 俺は部屋に戻るとすぐに椅子に座った。この場所は俺の安息地であると同時に俺を閉じ込めるおりでもある。何もない。ただ冷たい空気がこの部屋を満たしている。本も睡眠も一時的な軽減薬でしかないのだ。だったらもう無いものと思ってもいいんじゃいだろうか。研究員に要求すれば許容範囲内の娯楽は提供される。しかし俺はあえて何も求めなかった。そうだと知っていたから。本に手を伸ばしても、寝ようとベッドで横になってみても、最終的には現実へ引き戻されてしまう。それに縋って生きるよりはこうして嫌でも現実と向き合うべきではないのだろうか。

 そんなことを思っているとふと部屋の隅に置かれている本棚に気になるものを見つけた。俺は椅子から立ち上がり、それに向かって歩き出す。目の前までやってくると、それがかつて自分が読んでいた外の世界についての本であったことが分かった。手を伸ばそうとしてみるが、なかなかに掴むことができない。触れようとしてその手を止めてしまう。夢物語だと分かりきっていたのに、どうしても頭から消せない。一時の淡い希望が俺にはとても眩しいものに感じたから、今更傲慢にもそれに触れようとすることに気がひける。穢したくない。自らの現実で子供時代の夢を潰したくないのだ。それでも、このままでは何も変わらないと意を決してその本を手に取った。再び椅子に座ると俺は一呼吸置く。覚悟を決めた俺はその長く閉ざされ続けた窓を力いっぱいに開いた。

 瞬間、炭酸が抜けるみたいに一気にそのビジョンが俺の中に流れ込んできた。凄まじい突風が吹き荒れたかのような感覚に陥り、思わず狼狽えてしまう。しかし、再度向き直るとそこにはかつて自分の夢見た空想が広がっていた。この身を吹き抜ける風と目の前に広がる光景に俺は空を飛んでいる気分になる。それほど壮大で夢物語な話。だけれども、当時の俺からしてみれば信じることなど容易く、むしろその枠を越えた世界すらも妄想していた。

 あの時の感覚に懐かしさを覚えながらペラペラとページを捲る。その度に心臓は高鳴って、目も徐々に見開かれていく。のめり込んでしまう。世界にはこんなにも素晴らしい景色が広がっているのかと。でも、俺はその世界に足を踏み入れることができない。好みを縛る鎖が憎い。これではまるで外の世界を夢見る鳥籠の中の小鳥ではないか。大空を飛ぶ鷹や鳶のように自分も飛んでみたいとそう心の底から願ってしまう。しかし、良くも悪くもこの鎖は俺を外の世界に干渉させないようにしている。もしかすれば、鎖に繋がれていた方が幸せなのかもしれない。でも、それは真に外の世界を見ていないから分からない。であれば、それが最悪だったとしても見る価値十分というやつだろう。そして俺は気がつけば全てを読み切り、窓をゆっくりと閉じていた。

 なんとも言えない満足感が心の中を満たしている。この余韻すらも堪能してしまうとはよほど未練がましかったのだなと実感してしまった。諦めたと思っていたのに、ひとときの安息など自分を苦しめるだけだと思っていたのに。結局、俺は心の奥底で一縷の望みというものに縋っていたらしい。と、そんなことを思っていると


「ゼウス、改良の時間だ。すぐに部屋から出ろ。」


と鎖を引かれ、現実に戻されてしまった。なんというか、一番いいところで本が終わってしまった。少し物足りない気もするがそれを言ったところで仕方ないだろう。すると俺は違和感を覚える。移動のために椅子から降りてそちらに視線を向けたのだが、いつもより護衛の装備が強力なものになっている気がした。それに大人しく拘束されるのだが、耳や鼻までも塞がれた。気のせいだろうか。いつにも増して何から何まで厳しくなっているような…。ひとまず俺はいつも通りに連れていかれることにした。



 やはりおかしい。あれから少し歩いたところでいつもより移動時間が長いことに気づく。これは体感的な問題なのだろうか。それとも現実で本当に時間が過ぎ去っているのだろうか。すると、


「階段を降りろ。」


 そう指示された。今まで移動のときに階段を降りたことはない。違和感を覚える。イレギュラーすぎる状況に俺は疑問を感じることしかできない。確かに俺は以前の改良でとてつもなく能力が飛躍した。それこそ軽装備の相手ならば余裕で制圧できるくらいには。だからと言って今のこの拘束されている状況でここまでの厳戒態勢が必要あるだろうか。それに下の階に行くのはどうしてか。いつもの改良室ならばこのフロアにあるはずなのに。そう訳のわからない状況に尻込みしながらも俺は歩を進める。

 冷たい空気が頬を伝い、肺を張り詰めさせる。少しじめっとしたこの空間は地下だと予測できる。微塵も音や匂い、景色さえも見れない状況で先の見えない暗闇を進まされる。ここはどこなのかと問いたいが、生憎と声を発することもできない。問うたところで応えてくれないのだろうが。何度か立ち止まることはあるのだが一体どこまで行くと言うのだろう。とそんなことを思っていた刹那。突然首に激痛が走る。防ぐこともできないまま俺は徐々に湧き上がる微睡に落ちていくのであった。


「諸君、集まったかな?」


 彼の前には円を描くように並ぶ研究員たちの姿と手術台の上で眠る男が一人。


「君たちはすでに耳に入れていると思うが、アンセスの固有名を昨日からゼウスに変更することにした。彼には目覚ましい能力の発展が観測された。他のプロトタイプも少しずつではあるが超越率の上昇が観測されている。ゼウスのみそれが芳しくなかったが、昨日の成果から決断した。これより計画を大幅に進める。高次元ヒューマノイド計画の第一フェーズの完遂まで行くぞ。当分の間は改良をメインにする。プロトタイプの教育の頻度もしばらく無しだ。現在“改造中“のプロトタイプ化は中止。以上が今後の流れとする。質問はあるかい?」


そう男が言うと、続々と疑問の声が上がる。


「今後の改良は全てここで行うのですか?」

「ああ。ここの方が上の改良室よりも設備は整っているからね。計画を大幅に進める上で従来の改良では足りない。」

「今回の改良で運用不能になってしまう個体が現れるのではないでしょうか?」

「そうかもしれないが、リスクは負うべきだよ。いつまでもちまちまやっていたら計画実現も夢物語だからね。」「失礼を承知で申し上げますが、今回の改良はあまり賛成できません。研究員たちの疲労も想像を絶するでしょうし、もしプロトタイプが運用不能になってしまえば計画自体が水の泡になってしまいます。」

「確かに一理あるね。計画が台無しになってしまうのは私としてもあってはならないことだと思っている。だが焦っているわけではない。さっきも言ったが、今の計画進行度はあまりに喜ばしくない。だからこそ転換期を迎えなければならないのだよ。それに失敗する確率はできる限り下げておくよ。そのためにアスラナ局長とゼンク局長に来てもらったんだからね。」


 アスラナとゼンクはそれに対して何も言葉を返さない。


「研究員たちの疲労に対してはそれぞれ改良ごとに交代を挟むことで休憩をとってもらうことにするよ。ではもう質問はないね。それじゃ、始めようか。」


 その言葉を合図に全員がゼウスの方へと向き直る。そしてその魔の手は彼の方へと伸びていくのであった。


白い。ただ白い。音も匂いも何もない。気づけばそんなところにいた。そして俺は拘束も外れていて部屋にあるはずの椅子に座っている。ここはどこかとそう言葉を漏らそうとした時、


「目が覚めたか?」


 と声がした。そちらの方へ目をやると自分とまったく同じ椅子に座る人の姿。足を組み、肘をつき、手に顎を当てている。堂々と構えている様子はさながら王を彷彿とさせる。しかし特定の形を持っていない。顔も肌色も輪郭でさえもはっきりと捉えることができない。人の形をした黒い物体が目の前にいた。声も様々な声色を混ぜ合わさって人の声とも機械の音ともとれない不協和音が耳をつく。


「君は誰だ?ここは一体?」

「俺が誰かはいずれ分かる。ここはお前の無意識の世界。言うなればお前の心の中だ。」

「俺の心の中?」

「お前は改良によって内側の世界に干渉し、意識的な行動だけでなく無意識下で制御されていた行動でさえも支配できるようになった。呼吸数,熱の発散・保持,ホルモンの分泌,心拍,血流に至るまで。それを可能にするほどお前は脳を使用できる。電磁波を知覚したり整体電気をコントロールしたりとなるのももうすぐだ。」

「もう人間の領域を超えてしまってるね…。」

「どう思うかはお前次第だ。でもこのくらいで頭垂れているようじゃこのあとは地獄だぞ。奴らはどんどんペースを上げてきてやがる。お前だから耐えられるが果たして他のプロトタイプはどうなのやら。」

「何か良くないことが起こってるって言いたいの?」

「それもまたお前がその目で見ろ。俺の言っている意味が分かるはずだ。」


そう言うと突然、人影は頭上を見上げた。


「終わったみたいだな。お前はもう現実に戻る時間らしい。」

「ということは改良が終わったのか。」

「そこの察しはいいんだな。最後に一つ言っておくが、自分を見失うなよ。」


 とその瞬間、体が暗闇に沈んだ。その様子を影はじっと見つめている。手を伸ばそうとしても深い微睡が襲ってきて体の一つも動かせない。と影は俺にこう言った。


「お前はまだ人を捨てたわけじゃない。心が死なない限り、お前は人でいられる。だから心だけは絶対に()()()()()()。」


 その言葉が何を意味するのかは分からない。ただ、閉じゆく瞼の向こう側に憐れむような表情が見えた気がした。


 俺は目が覚める。いつもと変わらない自分の部屋。拘束は外されているらしい。体を起こし、部屋を見渡す。時計は翌日の朝を示していた。どうやら昨日と同じく1日が経過していたらしい。朝の日差しを感じないこの部屋は依然として物寂しい。そう思う頃には寝ぼけた頭も覚めてきて、ようやくその変化に気づくことができた。

 全てのものを鮮明に捉えることができ、音の反響でさえ寸分違わず聞き取れ、鉄に近いような匂いも鼻につく。さらにはこの空間を満たす空気がひしひしと肌に伝わってくる。ここから推測できるのは知覚機能の向上といったところだろうか。それで思い出す。俺の心の中での出来事を。あいつは俺が無意識下にある行動を意識的に行えるみたいなことを言っていた。と言うことは俺の体温を上げたり心拍を速めたりすることもできるのだろうか。そんなこんなで俺は食堂に向かうのだった。

 これもまた言い忘れていたが、朝に食堂に向かう際や部屋に戻る際は部屋のドアは自動で開閉する仕組みになっている。と部屋の扉の前に立ったのだが扉が一向に開かない。首を傾げていると、突然部屋の窓に外の景色が映る。そしてそこには研究員の姿。


「悪いが今後数日間は出歩き禁止だ。食事は一日3食配膳されるから安心しろ。それとお前は二日後に改良する。以上だ。」


 それだけ言うと外の景色は映らなくなった。そして部屋の扉が開くと配膳係らしき人物が部屋に入ってきて食事を置いていった。まぁ、そういう決定なら仕方がない。俺は食事の置かれたテーブルにつき食べる。ただ気になるのはみんなのこと。内心穏やかではない。心配にはなるがこの目で確かめることもできなければ近くに寄ることもできない。無力感に苛まれながらとる食事はなんとも味気ないものだ。


「みんな大丈夫なのかなぁ。」


 とそんな心配の声に大丈夫だよと言ってくれる親切な人はいなかった。


「また来たか。」


 あれから二日が経過して改良の時を迎えた。そして、もう一度自分の心の中に足を踏み入れたらしいが、俺は目の前の人物の変化に驚いていた。肌色はまだ分からないものの体や声の輪郭ははっきりしていた。


「そうらしいね。それより君のその声…。」

「声?ああ、俺の実体を掴み始めてきている証拠だな。」

「本当に君は何者なんだ?」

「言っただろ?いずれ分かる。その時まで待つことだな。」

「君から教えてはくれないんだ。」

「それはできない。俺がその正体を言ったところで物理的にお前はそれを理解することはできない。俺の声がノイズになるか、あるいは聞こえなくなるかのどっちかだな。」

「それなら待つしかないかぁ。」

「おそらく今回の改良でお前の体は本格的に人間から逸脱する。それこそ昨日までならまだ人の機能を強化しただけにしか過ぎない。だが今回に至っては話が変わる。確かに今回もただ人の身体機能を高めるだけだ。おそらくそれは今も後も変わらないだろうな。でも、前言ったみたいなことができるようになってしまうのは確かだ。言ってしまえば、ファンタジーの世界に迷い込んだみたいなことになる。改良され尽くしたお前の体は物理学,生物学,科学でさえも歪める。例えば、お前の持つ熱の発散・保持を利用して突風を吹かせることも生体電気を発生させて周囲の塵やあるいは自らを発火させることもできる。あとは生体電気自体を放電することもできるだろう。ここまでくると本当に天候を操るゼウスみたいだな。ある意味ゼッケハルトはその名前をつけたのが間違いないのか、あるいは奴はそれを分かっていたのか。何にせよ、お前は超能力を手にしたわけだが、何か言いたいことはあるか?」


 実感が湧かない。こいつの言っていることは何故か全て本当だと分かる。でも、人でありたいと願う心とそうなってしまったことへの恐れが俺の口をつぐませた。かといって、感想も何もないのだが。そこで俺はふと疑問に思ったことを口にする。


「逆にそんなことができるようになって、俺の体はどうなるんだろ?そんな過剰負荷に耐えられるとは思えないけど。」

「さあな、分からん。でも、お前は改良によって全てに至るまで向上している。だからそれに適応できる体にはなってるんじゃないか?」

「そういうもんなの…?」


すると人影は椅子から立ち上がると、こちらに歩み寄ってくる。


「ま、何にせよお前はその目で見てきたほうがいいだろう、な。」


と人影は俺の肩を強く押した。するとまた俺の体は暗闇に沈み、深い微睡が俺の意識を手放した。


「意識を取り戻したか。」


俺は目を覚ますのだが、その声をはっきりと聞き取ることができる。まだ覚醒したばかりだというのに、寝ぼけていない。だからこそ、俺はバッと体を起こしてそちらを見る。金髪の長髪にキレ目の女。誰だろうか。


「あ〜、あんたはあたしと会うの初めてか。だったら分からないのも当然か。っていうか、あんたなんで起きたばっかなのにそんなに元気なのよ。いや、改良による覚醒状態への高速移行が可能に…。まぁいいや、とりあえず私のことを言っておくわ。あたしはアスラナ。インテラとベティ,ケイトの母親って言ったらわかる?」


確かにその名前は聞き覚えがある。3人から話は聞いたことがあった。


「あんたのことは3人から聞いてるよ。何でもとても優しいお母さんだとか。」

「そりゃあ嬉しいね。娘からそんなふうに思われてるだなんて。あたしはあんたが父親扱いされてるのがちょっと気に入らないけど。」

「それを俺に言われても…。」


するとアスラナは俺に向かって頬を膨らませた。


「だって、あたしの娘たちなのに!あんたの方がお父さんって懐かれてるじゃないか!」

「だから俺に言っても仕方ないって。文句があるなら局長に言いなよ。父親扱いさせてるのはあの人なんだし。それに改良だの実験だので構ってやれてないからじゃないの?」


そう言うとアスラナは「クソッ、ザッケハルトのヤツめ…。」とブツクサ文句を言う。


「あぁもう、世間話はここで終わり。ここに何であたしがいるかわかる?」

「俺を改良したからとか?」

「それもそうだけど、あんたに用があるの。」

「俺に?」

「そうじゃなきゃあたし独りここに残るわけないでしょ?」


 そう言われて辺りを見渡すとここには自分とアスラナの二人だけ。護衛の姿がない。何を企んでいると言うのだろう。そう思っていると、アスラナはこちらをまっすぐ見つめ落ち着いた声色で話し出す。


「あんたと取引がしたい。」

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