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EP.18 浄化よ、今

何処までも途方もなく続く世界。穏やかで、静かで、心地よいはずだった。

 

 いつからか、ぼんやりと喧騒が耳を突き刺し、黒い汚れが宙を舞うようになった。耳を覆うとも聞こえてくる。ひどい、だれがこんなことを。うるさく汚れた世界に彼は胸を痛めた。ずっと静寂に包まれるはずだった。純白に包まれるはずだった。嗚呼、うるさい、汚らわしい。だから彼はその手を払い、すべてを焼き尽くし始めた。これは掃除。汚れを消し去るための。そう言い聞かせ、ひとつ、またひとつと消し去った。消えろ、消えろ、消えてしまえ。


 しかし、どれだけ焼き尽くしても、汚れは依然こびりついている。早く消さなければならないのに。でも、どうしてだろうか。この汚れがどうにも懐かしく感じる。この五月蠅さも。そう、遠い昔に経験した懐かしさ。自分の片割れのように慈しんでいたはず。なのに、いつの日か手放してしまったのだと思い出す。


 そして、先ほどから誰かが名前を呼んでいる気がする。その名前に聞き覚えはない。が、呼ぶ声はぼんやりと記憶にあるような気がする。思い出さなければならない、そう思った。しかし、体は心と相反して、その糸すらも消し去ろうとする。いらない、いらない、この世界に雑音はいらない。


 鬱蒼と頭の中で絡み合う思考の数々が、自身を惑わせ、考えることを放棄させる。けれど、それでも喧騒を受け入れなければならない。そうする理由があったはずなのだ。だから、カレは頭を抱えた。こびりつく五月蠅さと、懐かしい汚れ、果たすべき使命。それらが彼を抑えつけた。


「私は…。」


 とうとう耐えきれずにその手で埃を薙ごうとした。が、彼の予想とは裏腹に、その手は止まった。それどころか、動こうともしない。力を入れても、離そうとしても、動かない。何が起きているか分からず、彼は困惑する。


・・・・・


 死。その明確なイメージがアスラナとゼンクを襲った。避けようのない絶命の一手。確実に届くと思われたそれは、彼らの眼前で止まった。カレの腕には誰かの手が被せられていたのだ。その手は彼らの頭上から伸びている。筋肉が隆起した岩の如きその腕の主は、血眼でカレを睨みつけていた。その顔には、烈火の如く怒る鬼が宿っている。


「やらせるかよ。」


 ウェプノは腰に納めた刃をカレに向けて放とうとした。力強く、そして速く。神速で抜かれた刃はカレを捉えたかのように思われた。しかし、ウェプノは舌打ちをこぼした。カレは自らの残像をその場に残し、姿を消していたのだ。彼が薙いだものはカレの形を成した軌跡に過ぎなかった。


 カレは何事もなく、後方に佇んでいる。それどころか、ウェプノの攻撃に怯えることなく、触れたと思った手を見ながら顔をしかめている。どうやら邪魔されたことではなく、"救済"を受け取らないことに不服であるようだ。それはまるで、ウェプノたちが眼中に無いかのような振舞いだ。


 もはや、カレには家族の絆や愛情もなくなってしまったのだろうか。アスラナやゼンクは別としても、ウェプノやサウンドにまでその矛先を向けようとしている。以前の「家族を守る意思」とは相反する行為だ。


アスラナとゼンクは、考える。

カレの凍り付いてしまった心を溶かす治療法を。

ウェプノとサウンドは、祈る。

以前の彼が戻ってくることを。


 しかし、そんな彼らとは真逆にゼロ・ポイントは再びこちらを救済するため歩み寄ろうとしている。一触即発。ヒトの顔に冷や汗が流れた。皆が一様に息をのみ、その瞬間に備えて身構える。対して神は、顔色一つ変えず、笑みさえ浮かべている。そして、とうとうが千切れる…かと思われた。


 突如、アスラナの胸に取り付けられた無線機がジジジと鳴った。刹那、彼女に一つの考えが頭をよぎる。彼女は急いで無線を手に取り、腹の底から叫んだ。


「おい、今すぐ保護している被験体すべてを地下階段の前まで回せ!繰り返す、今すぐ被験体を地下階段前まで回せ!」


 絶叫にも近しいそれは荒々しく響き渡る。ぶつかるような勢いを伴い、無線機を貫いて向こう側まで届く。


 その瞬間、音を裂く衝撃が耳元まで迫った気がした。だが、すんでのところでぴたりと止まり、風が吹き荒れる。ようやくでそちらに目を向けると、やはり眼前にまで迫る手と、それを止めるもう一つの手。必死の形相と対照的に映るカレの優しい表情はとても恐ろしく感じる。


「見えてんだよ。」


 今度は、カレの手を掴んだまま、脚を曲げる。刹那、放たれた一撃は迷いなくカレの腹部を貫いた。鈍く鳴る打撃音とメキメキと音を立てる肋骨。間違いなく、カレは深く損傷した。


 なのに、やはりカレの顔色は変わらない。ウェプノはその一撃に慢心してしまったのだ。当然、アスラナもゼンクもサウンドも、誰もが気を抜いた。瞬間、彼の視界に広がったのは赤。爆風の如く広がる炎と熱が彼の全身を包む。皆が彼を案じて名を叫んだ。ただ、目に映るのは灼熱の中にさらされるシルエットだけだった。


「この…程度で、」


 突如聞こえたその声に、皆が驚く。それは紛れもなく炎の中で呟かれた。見れば、影は少しだがピクピクと動いている。徐々に動きは大きくなり、ついにムクリと起き上がった。


「やられるわけねぇだろうが!」


 その叫びと共に、炎の中から何かが飛び出る。それは、ほんの少し思考が止まったカレの顔に直撃する。そのまま、カレは後方へと吹き飛ばされる。そんなカレが目にしたものは、ところどころがブチブチと焼き焦がれながらも、肩で息をしながら立ち上がった男の姿だ。


「さぁ、親父。リベンジマッチだ。」


 刃先がギラリと光り、ウェプノは獣となる。一度は敗れた身。自分が勝てるという確信はない。しかし、それでもこの場を抑えることができるのは自分しかいないと悟ったのだ。


 対して、カレは不服だった。二回も自らの手を払いのけられた。せっかくの救いの手を。もう、これ以上は看過できない。カレは表情を重々しくし、ウェプノの方を見据えた。


 瞬間、ほとばしる閃光。皆が目を覆う。それでも、腕の隙間から光が漏れ出て、瞳を穿つ。目が慣れるにつれ、徐々に開かれる視界に、カレが映し出された。纏う紫電が龍のように、唸りをあげて舞い踊る。纏う電気が、肌を、骨を、神経を突き刺してくるように感じてしまう。


 そして、カレは一呼吸整えた。それに呼応するようにウェプノも一つ息を整えた。緊迫感が辺りを包み、静寂は空間を重くする。圧のようなものが上からのしかかり、思わず膝をついてしまいそうになる。


 やがて、時は来る。


 刹那、轟く轟音と弾ける衝撃波。骨の髄まで伝わるその威力は、壁や床をも揺らした。外野は傍観することしかできないどころか、気圧されて後退りをしてしまう。だが、その熱が冷めぬうちにまた互いの一撃がぶつかり合う。舞踏会は重圧を伴ったまま熱を帯びていき、その後も観客の言葉を失わせ続ける。


 と、そんな時であった。


「サウンド!」


 そう言ったのは、ゼンクであった。彼はその場で、サウンドに指示を飛ばす。突然のことで困惑するも、サウンドはその声をしっかり聞き届けようと耳を澄ます。ゼンクは一刻も早くこの状況を打開するために、とあることを思いついたのだ。


「君の力を使って、助けを呼んでくれ!君なら遠く離れていても伝えられるはずだ!」


 ゼンクの必死の懇願により、サウンドは自らのすべきことを認識する。が、ゼンクはその危険性について重々理解していた。最悪の場合、自分たちの危険を招く危険のほうが高くなる。それでも、このままではウェプノの体力が削られるだけ。そうなれば、結局自分たちの命はなくなる。だからこそ、この命がけの綱渡りに賭けるしかない。そう、ここがすべてなのだ。


 そのようにゼンクが決心している間に、サウンドは肺に空気を溜め込んでいた。相も変わらず、衝撃波のようなものが空間を揺らし続けていた。そしてついに、その喧騒を塗りつぶすように子供の声が炸裂した。雷鳴のように激しく、地震のように雄大に。その体格から発せられていることを疑ってしまうほど、すべてを貫くようにして響き渡る。その場の誰もが耳を覆い、立往生を余儀なくされた。すると、側面からメキメキと音が鳴り始めた。アスラナやゼンクがそちらを見ると、壁に亀裂が入っていた。それは正真正銘、彼の力の大きさを示している。


 「よくやった。あとは願うしかない。」


 残響の中、ふらふらと体勢を整えるアスラナがぎこちなく返事をする。一方で、ウェプノたちも一時膠着していた。どうやら、カレも先ほどの轟音を無防備で耐えられるほどの力はないらしい。それに気づいたウェプノが、カレを煽る。


 「どうしたよ。さすがに親父でもこれには堪えるか?それとも、ビビってんのか?もしかしたら、あんたも大したことないのかもな。」


 しかし、カレはその表情を変えることはない。ウェプノの煽情を真に受けず、彼の心を見透かすように冷たく鋭い視線を向けている。また、緊張感があたりを包み始める。そして、再び互いの攻撃が激突し合う。紫電と灼熱がウェプノを襲い、体術と刃物がカレを打ち抜く。激しい攻撃の嵐の中、頭が追い付かないほどの速度で展開が繰り広げられる。

 

 が、目に見えてわかるのは、ウェプノが不利ということだった。カレはウェプノに受けたダメージを徐々に回復させている。反対にウェプノはその速度も遅く、傷も深い。とうとう彼の動きにキレがなくなり始めた。先ほどよりも攻撃を喰らい、ふらつきが見える。そんな隙をカレは見落とさない。即座に、蹴りがウェプノの腹に突き刺さり、カレは大きく飛ばされてしまった。壁に激突してしまったウェプノは、膝から崩れ落ちる。


 誰もが、絶望した。もはや、打つ手はない。カレの命が消えるとき、自分たちの命も消える時だと悟っているから。しかし、そんな彼らをよそめに、カレは追い打ちをかけようとする。ついに、その拳が彼に叩き込まれた。骨の砕ける音と、臓器がぐちゃりとつぶれる音。それが聞こえた…はずだった。

 

 彼が拳を叩き込んだ位置には、ウェプノではない何かが、いや何者かがいた。その者は腕でカレの拳を受け止めて、微動だにしていない。その何者かは腕を大きく薙ぎ払い、カレを吹き飛ばす。その者の後ろにいたウェプノは攻撃を喰らっていない様子だ。隆起した筋肉が壁となり、ウェプノの守ったようだ。そして、その者は大きく負傷した彼に話しかける。


「兄さん、これはどういうことなの。」


 ウェプノはそれに対して言葉を失う。なぜなら、そこにいたのが、かつての面影ない堂々とした”弟”の姿だったから。


「お、お前…、マスラーなのか…?」

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