三姉妹と魔王
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「アリシアお姉様はいつお帰りになるのですか? エリザお姉様」
「それが、一年くらいはかかるかもと聞いたわ」
「まぁ、そんなに?」
王宮の庭園でエリザとマイアは咲き誇るバラを眺めながら午後のティータイムを過ごしている。
「マイアはアリシアお姉様に随分長い間会えていないわよね?」
「そうですわね。ヘンリー殿下と王都へ出発して以来ですわ」
「まさかあんな事になるとはね」
「本当に。誰も予想してませんでしたわね」
「アリシアお姉様が勇者に選ばれるなんてね」
「いまだに信じられませんわ。もう一度詳しく聞かせて下さい、エリザお姉様」
「ええ、あれは王都に向かう途中で寄ったカナンの街での出来事だったわ」
マイアは空になったカップに紅茶を注ぐ。侍女と護衛は二人に遠慮して遠くに控えている。
「街で昼食を取ろうとお店を探していると、街の中心にある広場で、大岩に突き刺さった剣を抜こうとしている人達がいたの」
「まぁ、それが勇者が持つと言われる覇者の剣ですわね」
「そうだったらしいわ。何人もの屈強な男達が剣を抜こうとしていて、みんな困っている様子だったから、アリシアお姉様が 『私もお手伝いいたしますわ』って剣に手を添えたの」
「アリシアお姉様らしいですわ。それで剣が抜けたんですね?」
「あっさりとね」
エリザは頷きながら、王宮のパティシエが作ったデザートを見回し、カヌレを取るとナイフで切り込みを入れフォークで上品に頬張る。
「あまりにあっさりと抜けたものだから、初めは何かの悪戯かと思ったわよ。でもみんなも唖然としているじゃない?」
「それで、どうなりましたの?」
「それからがまた大変だったのよ。三百年ぶりに剣を抜いた勇者が現れたって、街を上げてのお祭り騒ぎよ」
「でも、アリシアお姉様は剣を握ったことなんかありませんよね?」
「それまで一度も無いわ」
「そうですよね! それなのに勇者なんて……」
マイアはゆっくりカップを持ち紅茶を飲み干す。午後の日差しは高い木に遮られ、優しい春風が吹いている。
「王都から急遽、王侯騎士団団長のベリエ様がいらして、剣の特訓が始まったの。後、賢者のローガン様もいらして、魔法使いの叔母様と四人でパーティを組むことになったわ」
「ベリエ様とローガン様が慌てた様子で出かけられて何事かと思いましたわ」
「お姉様は割と楽しそうに剣を振っていたわよ」
「それから、四人で魔王の城に向かわれたんですね?」
「ええ。最近、魔物が増えて勇者の再来を誰もが待ち望んでいたものね」
「アリシアお姉様、……ご無事かしら」
小鳥の囀りが聞こえ、マイアは梢の上の遠い空を見上げた。
――――
「アリシアお姉様、ご無事でお戻りになられて嬉しいですわ」
「マイア、心配かけてごめんなさいね」
「本当に無事で良かったわ。でも随分早かったのね。一ヶ月で帰って来られるなんて」
エリザの言葉にアリシアは少し困ったような顔をして紅茶を口に含む。
ここは王宮の温室にあるサロンだ。人払いをして三姉妹だけのティータイムを楽しんでいる。
「それがね……実は……、魔王退治はしていないの」
「え? じゃあ、何をしに行って来たの?」
「そうですわ。でも、最近、魔物は少なくなったと聞きましたけれど」
「そうね、順を追って話すわね。騎士のベリエ様と賢者のローガン様、叔母様と魔王退治をするために魔王の城へ行ったのは本当よ。でもね、魔王は悪い人じゃなかったの」
「……悪い人って、人じゃないけれど。まあ、いいわ、それから?」
「魔王の城に着いて、魔物を倒しながら最奥の魔王の玉座に辿り着いたのが出発から一週間後のことよ」
「そこまでも早かったのね」
エリザはまたカヌレを取り、皿に盛り付けている。
「叔母様の魔法が凄かったの。次々魔物を殲滅していく様は圧巻だったわ。ベリエ様とローガン様もただ見ているだけだったわね」
「叔母様ってそんなに強い魔法使いでしたの?」
「なんでパン屋のおかみさんに収まっていたの?」
「それは叔父様を愛しているからじゃないですか?」
「あの人の良さそうな叔父様を放っておけないのかもしれないわね。アリシアお姉様、それからどうしたの?」
エリザはアリシアのシフォンケーキに生クリームをたっぷりと乗せながら、先を促す。
「魔王と対峙して、いざ戦闘という時に、魔王が私達に手伝ってほしいことがあるって言ってきたの」
「手伝ってほしいこと?」
「最近、魔物が増えていたでしょう? それは魔王が魔物の素を床にこぼしてしまったからだったの」
「魔物の素? そんな物があるのですか?」
アリシアはシフォンケーキを口に含んで満足そうに微笑む。
「そうなの。壺に入った黒い液体なのだけど、少しずつ使うつもりが、うっかり壺を床に落として、何度掃除しても魔物が溢れて来るから、掃除を手伝ってほしいとお願いされたの」
「……それで、掃除をしたの?」
「ええ、魔王と一緒に床掃除をしたわ。掃除は男爵家でいつもしていたから慣れているもの。叔母様達はその間、溢れる魔物を殲滅していたわね」
「ある意味、アリシアお姉様が勇者に選ばれたのは正解だったのね」
「覇者の剣は見る目がありますわね」
マイアは三人の紅茶を下げると、冷えた果実水をグラスに注ぎ、チェリーを盛り付けている。
「黒いシミが根を張って染み付いていて、なかなか取れなくて大変だったわね。油断するとまたどんどん広がってくるのよ」
「まるで黒カビみたいね」
「掃除に一週間かかって、ようやく綺麗になったので帰ろうとしたら、魔王が私と一緒に行きたいって言い出したの」
「魔王がですか?」
「ええ、魔物掃除を手伝ってもらったから恩返しがしたいって」
「魔王の恩返し。なかなかシュールな響きね」
「それで、どうしたんですの?」
マイアは冷たいグラスを配りながらアリシアに聞く。
「初めはお断りしたのだけれど、どうしてもって言うので、付いて来てもらったの」
「……え⁈ 魔王、付いて来たの?」
「今どこにいるんですの?」
「帰って来た時に、黒い服の男性が一緒にいたでしょう?」
「あの眉目秀麗な美男子カイン? 人間にしか見えなかったけれど、あの人が魔王なの?」
「魔王は変化もできるようよ」
「今は何をしているの?」
「騎士団と魔物退治に出かけているはずですわ」
「……それはいいの?」
エリザは頬を引き攣らせながら、今度はマカロンに手を伸ばす。
「それでね、一度私の家族に挨拶がしたいって言っているの」
「誰が?」
「カインが」
「何故ですか?」
「私、カインにプロポーズされたの」
「「……」」
エリザとマイアは目を見開いて黙り込む。
「二人は祝福してくれないの?」
「ア、アリシアお姉様、本気ですか? 相手は魔王ですよ?」
「そうよ! 魔王と結婚できるわけないでしょう!」
「でもね、カインは寂しがり屋なだけなの。すごく良い人なのよ。世間で言われるような悪い人じゃないわ」
「そういう問題じゃないわよ。そもそも人ではないじゃないの。悪い事は言わないから人間にしておきなさい」
「でも、もう結婚の誓約をしてしまったわ」
アリシアの左手首には金の腕輪が付けられている。
「もしかしてそれは、」
「カインがくれたのよ。結婚の証にと」
「すぐに外しなさい!」
エリザとマイアはアリシアの腕から腕輪を取ろうとするが、どうしても外すことができない。
「魔法の制約がかけられてますわね。もうこれは外せませんわ」
「なんてことなの」
「私きっと幸せになるから、二人共、心配しないでちょうだい」
微笑むアリシアを他所目に、二人はゆっくりと果実水を飲む。
「みんなはカインが魔王だと知っているの?」
「私達と叔母様だけしか知らないわ」
「もう仕方ないわね。魔王だという事は秘密よ。絶対に誰にも知られてはいけないわ」
「分かりましたわ。決して口外しませんわ」
「アリシアお姉様の幸せを祈るわ」
「私もお祈りますわ」
「エリザ、マイア、ありがとう。そうそう! 叔母様から二人にお土産があるのよ」
アリシアは手を打って嬉しそうに側に置いた鞄から何やら茶色くて大きな丸い物を取り出す。
「何ですか? これは」
「パンよ。二人にどうしても手作りパンを食べさせてあげたいと叔母様が焼いてくれたの。これを作っていたから、帰るのが少し遅くなったのよ」
「これは何日前のパンなの?」
「これは保存もできるパンで、半年は保つらしいわ」
「凄いですわね」
マイアがパンを受け取り、一瞬固まる。
「岩みたいに硬いですけど、これはどうやって食べるのでしょう?」
「切ってから牛乳につけると美味しいと聞いたわ」
エリザもパンを受け取り、コンコン拳で叩いている。
「まずどうやって切るの?」
「良い考えがあるの」
そう言いながら、アリシアはまた鞄をガサゴソ探っている。そして銀色に輝く両刃の剣を取り出す。
「アリシアお姉様、それはもしや、覇者の剣ですか?」
「ええ、この剣だと切れるはずよ」
「切れぬ物は無いと言われる剣だものね」
エリザは目を細めて光る剣を見つめつつ、椅子を引く。
「じゃあ、切ってみるわね」
「アリシアお姉様、頑張って」
アリシアは剣を振りかぶり、パンめがけて剣を振り下ろす。
見事に剣はパンを真っ二つに切り、エリザとマイアはアリシアに拍手を送る。
「素晴らしいですわ! アリシアお姉様!」
「硬いパンが綺麗に真っ二つね。下のお皿も半分に切れてるけど。若干、机も……まあ、いいわね」
「さあ、牛乳に浸して食べましょう」
「覇者の剣も最後に役に立ったわね」
三人はパンに舌鼓を打ちながら、朗らかな笑い声を響かせた。
完