新卒、死ぬ気で帰宅する
布団を洗っているときに思いついた話です
「急げ! 化け物をこれ以上先に進ませるな!」
「分かってる! ああ、糞! 多すぎる! アキレスと亀の競争結果の起動はまだなのか!?」
「住人達の避難が終わってない! 終わるまで起動はまだだとよ!」
「糞が!! 少数を捨てきれない思いやりの精神溢れる都知事には感謝の気持ちで一杯だよこっちは!」
「誰が! なんと言おうと! この交差点から先に通してはいけない! 我々に撤退の文字はない! 撤退は認めん! これ以上の戦力低下も避けろ! いいな!? 野郎共!! 気張れよ!!」
平成135年9月24日
地下迷宮新宿争乱
予測されていた迷宮氾濫が9月末に発生。
日本内閣府は緊急事態宣言を発令。
非戦闘民の避難及び新宿の封鎖を敢行した。
時間は遡ること平成135年4月。
場所は新宿地下迷宮。
その迷宮の中で俺は手に入れた銃を片手に駆けずり回っていた。
「グルポァ!!」「ウシャア!」「ジュクジュク」
俺の後ろを追いかける形容し難い化け物の咆哮が鼓膜を揺さぶり、死への恐怖が俺を心胆寒からしめる。
「クルポォ!」
背後から痰が絡んだ唾を吐き捨てるような音が聞こえた。
とっさに前に倒れ込むと俺の走っていた場所をかすめるように淡黄色の粘っこい液体が通過し、更に先の地面に着弾。
吹き上がる白煙。
鼻を突く異臭。
グズグズに溶けていく地面。
あたっていたら間違いなくヤバイことになっていた。
「クソが!」
こんな所で死んでられねえんだ俺は!
公務員試験にも落ちたし、まともな就職先も軒並み高倍率で無事お祈り。
迷宮で稼いで一発逆転狙うならフリーランスで一発でかいの当てるしかねえだろうが!
一緒に潜った運び屋の山田も、砲術師の金城も食われて死んだ。
チキって二の足踏んだ俺だけが生き延びた。
それももう終わるかもしれない。
終わってまるか!
走りながら今持っている装備品を確認する。
持っているものは先にあの世に逝った山田と金城の装備品だ。
俺の装備は気がついたら無くなっていた。
たぶん落としたのだろう。
金城の持っていた銃の弾倉を確認。
弾丸は残ってる。
当然だ。撃つ暇なんてなかったからな!
山田のカバンを確認。
見た目に反して中は非常にものが詰まっていた。
羽のように軽いのにこの中身。
間違いなく迷宮技術が使われているカバンだ。
コイツはマメな性格に違いない。
きれいに整理整頓されてる中身、薬にもラベルが貼ってあり見やすいようになっていることから読み取れる。
何か、何かないか!?
適当に手を突っ込んで引き抜いたシリンジのラベルに書かれた文字は『超走薬 ~100m5秒~』の文字。
「っしゃ! サンキュー山田ぁ!」
RIP山田!
お前の物資は俺が大切に使ってやる。
キャップを外し、太ももに突き刺し、中の液体を注入!
蛍光オレンジの液体が血管の中を走り回り、熱を眼球の奥に感じる。
あまりいい感覚じゃない。
が、体が羽のように軽くなって、長時間走っていた疲労を感じなくなった。
「あああああああああああ!」
この一歩が生への一歩だ。
「おらあ!」
走りだした速度そのまま壁に向かって跳び、勢いを利用して壁を軽くダッシュ!
勢いで駆ける壁走りにも限界がある。
限界を感じた瞬間に足に力を込めジャンプ!
生まれた運動エネルギーを殺さないように地面を転がり、さらに走る。
後ろは振り向かない。
地下鉄駅構内のような通路を転がるように駆け抜ける。
もう出口が何処かなんてわからない。
出口につながるというエレベーターの操作方法も設置場所も忘れてしまった。
エレベーターが無理なら自販機だ!
白いラベルの缶を買えば帰ることができる!
「どこだ!?」
背後の音が遠のいていく。
引き離したか。
だが落ち着いて歩くわけにはいかない。
もうちょっと距離を離すために走る。
心音が激しい。
耳元で大太鼓が鳴っているようだ。
こめかみが脈拍に合わせてズクズク脈動しているのを感じる。
「うぐっ、ごほっ、うぉえ、えほっ」
喉奥から胃液がこみ上げ、激しい吐き気に襲われた。
胃を絞り出すような吐き気に身を任せれば当然喉奥から溢れ出る吐瀉物。
甘苦い味と横隔膜の引きつりに涙が溢れで思わず袖口で目を拭った。
涙でぼやける視界がクリアになって初めに映ったものは自分の吐瀉物だった。
口から漏れ出た液体の色は目が覚めるようなショッキングピンク。
なんだコレ……人類の、いや生物の口から漏れ出る液体の色じゃねえ。
「げへっ…ごほっ、ぺっ」
口の中に残った吐瀉物も吐き出しきった。
帰りたい。
「死んで、たまるか」
ここで死にたくねえ。
こんなところで死ぬわけにはいかないんだ。
「ひっくり返してやる。ぜってえひっくり返すんだ」
まずは自販機。
出口の切符を掴む。
「自販機。たしかいたる所に設置されているはずだ」
そして自販機の商品を買うには迷宮クレジットが必要だ。
帰るためのクレジットは用意してある。
迷宮に入るときには絶対用意しておかないといけないものの一つだからだ。
胸ポケットを触って500クレジット硬貨の感触を確認し、安堵のため息を吐く。
大丈夫。俺はまだ帰れる。
腰に下げた手榴弾の樽のような形を手で触って確認した。
大丈夫。俺は尊厳を持って死ぬこともできる。
500クレジットと手榴弾は迷宮に入るときに絶対用意する物だ。
どちらも簡単に手に入る。金さえ積めば。
全身を倦怠感が襲うが押し殺して足を進める。
足を動かさねば見つかるものも見つからない。当然だ。
見えた。
高さ2mの箱型機械。両脇に立っているピンクのパンダ。
間違いない。自販機だ。
目の前に吊り下げられた大きな餌に視線が、注意力が集中し周辺の警戒を怠った瞬間ソイツは現れた。
ペチャリ。
小さな、とても小さな音が背後から聞こえた。
その音は粘性の高い液体がそれなりの高さから地面に落ちたような音だった。
生卵の中身を地面に落としたような音だ。
「!」
頬を冷たい汗が流れる。
背筋につららを突っ込まれたような寒気が走る。
緊張で全身の毛が逆立ったような感覚に囚われた。
この緊張はヤバイ。
とにかく動かなくては拾える命も拾えなくなる。
反射的に振り向き、背後にいる何かと相対する。
そこにいたのは下半身が蜘蛛、上半身が蟷螂のような頭が猿の化け物。
鎌を舐め、垂れた涎が地面に落ちた。
先程の音はそれか。
温度を感じさせない虫の目が俺を見つめて鎌を振り上げた。
背後に跳び、距離を取ることで鎌の振り下ろしを回避。
手に握った金城の遺品で反撃を行った。
破裂音が鳴り響き、弾丸が銃口から飛び出した。
化け物からしたら小さな豆粒に感じるだろうがそれでも撃たない、何もしないよりはマシだろう。
何もしないよりマシ。
そんなつもりで撃った銃は予想以上の効果を上げた。
化け物の鎌の一つが吹き飛んだ。
拳銃なのにこの威力。
間違いなくこの銃は迷宮技術で作られている。
これは嬉しい誤算だ。
反動で腕が痺れていなければ追撃もできただろうな!
この状態で調子に乗って攻撃したら反撃で死ねる。しびれた腕で撃つ銃だ。弾は当たらないし晒した隙を見逃さないのは間違いない。
アイツの攻撃を受けたら死ぬのは変わっていないからな。
ジリジリと距離を取る。
俺の勝利条件はコイツを殺すことじゃない。
家に帰ることだ。
俺の背後には自販機。
アレに硬貨を入れて白いラベルの飲み物を買って、中身を一口でもいいから飲む。
できるか?
できる。やるんだ。
『自販機は迷宮の作った構築物。
その中でも自販機は壊すと罰が下る。
人畜問わず壊した者に等しく降り注ぐ。』
探索者なら皆知っている基本知識だ。
免許取得の為の参考書に必ず乗っている。
つまり、流れ弾をうっかり当てたりしないようにしなくちゃいけない。
あの糞蟷螂に自販機を攻撃させることで倒すこともできるだろうがそれは今はやらない。
目的を間違えてはいけない。殺すのは二の次三の次だ。
「俺は家に帰る」
「ウシャー!」
蟷螂が吠え、鎌を振るう。
片一方になった腕を可能な限り引き伸ばして俺を捉えようとおおきく動いた。
引き切るのが鎌の動きだ。
引き伸ばしたらなら引き込む動きが当然付随してくる。
そらきた。
体を倒し込み、地面に頬をつけることで回避。
俺は家に帰る。帰るんだ!
「うおおおおおおおおおお!」
倒れた体を跳ね起こし、自販機に走る。
懐から500クレジットを取り出して握りしめた。
手からにじみ出る汗で滑り落とさないように気をつけなければ。
ピンクのパンダの前を通り過ぎ、硬貨を機体に叩き込む。
入れた瞬間自販機が光り輝いた。
キャバーン!
眩い光とけたたましい音を発した自販機から白いラベルの缶ジュースが吐き出された。
ガコン!
転がり出る缶を掴み取り、そのまま飛び退く。
ゆったりと飲む暇なんてあるわけない。
俺がプルタブを開けるのを虫が待ってくれるなんて思えない。
待つわけない。
俺なら開けてる間に殺す。
背後で空気を切り裂く風切り音。
遅れて耐刃ジャケットの背中部分がパックリと開いた。
俺の予測と対処は当たっていた。
飛び退いていなかったら俺が開きになっていた所だ。
着地と同時にプルタブを引っ張り開封。
中身を一気に飲み干す!
甘ったるい栄養ドリンクのような味が喉元を落ちていく感覚とともに視界が漂白されていく。
勝った。
「ギチギチ」
「じゃあな化け物!」
虫はもはや俺を見ていなかった。
まるで俺のことが見えていないように背を向け、周囲を探索している。
せわしなく動く熱を感じさせない瞳が薄く発光しているのが不気味だった。
「やっぱフリーランスは駄目だな。規模に拘らないで会社の下で探索者やるか」
無事に帰ってきた俺の独り言が新宿駅改札口に響き渡った。
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