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僕の求める愛

小学3年生の時、家族で遊園地に行った。


父は自然が好きで、キャンプや運動公園へはよく連れていってくれたのだが、遊園地やいかにもな観光地はあまり好まない。だから、自らの運転で僕と母を遊園地に連れていってくれるなんてと、子供ながらに驚いたものだ。




僕は遊園地が初めてだったからソワソワして、車の中でもずっと父や母に話しかけ、落ち着きなく過ごしていた。父からうるさいと怒られた記憶があるので、よく覚えている。


しかし、肝心の遊園地内での出来事はあまり思い出せない。


きっと皆で遊具に乗って遊んだのだろうが、どんな遊具があったのかすらも分からなくなってしまった。




ひとつだけ、鮮明に思い出すことができるのは、夕暮れの風景だ。




閑散とした園内には夕日が差していて、僕は母と二人で園内を歩いている。閉園間近だったのかもしれない。父はなぜかその場にいなかった。


母に手をひかれ、滑らかに舗装されたコンクリートの上を歩く。


足が疲れていた。


母におんぶをねだりたかったが言い出せず、うつむきながら必死に重い足を動かした。


足元を見ながら歩くと危ないと母に言われて顔を上げると、少し先にあるベンチの脇に、大きなクマの着ぐるみが立っているのが見えた。




臆病な性格だった僕は、突然現れたそのクマが地球にとって異物のように思えて恐ろしく、咄嗟に母の後ろに隠れた。


母の背中越しに恐る恐る見てみると、クマは通る客たちに手を振ったり、客と並んで写真を撮ったりしている。母に同じように並んで写真を撮るよう促されたが、僕は拒否し続けた。


お父さんを探して早く帰ろう、僕はそう母に言ったと思う。


しかし、母は僕の手をひいて、クマの所まで半ば無理矢理に連れていこうとした。僕は強く抵抗したが、騒いだせいか、クマの方が僕の存在に気づいてしまったのだった。そしてゆっくりとこちらに近寄ってくるものだから、僕の恐怖はピークに達した。


もう人生が終わった。そう思った。




お母さん、逃げなきゃ。


僕はしきりにそう言ったが、母は笑いながら全くその場を動こうとしないので、僕はひどく腹が立った。怒りと恐怖でメチャクチャになって、泣きながら母の手を力一杯引っ張ったが、母はニコニコしている。




そうこうしている内にこちらに到着したクマは、近くで見ると最初の印象よりもずっと大きかった。固定された笑顔のまま、体を折って僕の顔を覗き込んでくる。


食われる、と思ったが、クマは襲ってはこず、代わりに僕の前にそっと両の手の平を差し出したのだった。




その動作が驚くほど優しいものだったので、僕は拍子抜けした。


ふっと体の力が抜ける感覚。僕は自然とその上に自分の手の平を重ねた。




クマは僕の手をそっと握る。


そして、小首をかしげて見せた。




言葉はなかったけれど、ねっ?怖くないでしょう?と言っているのだと分かった。


僕の手を離したクマは、今度はゆっくり立ち上がって両手を大きく広げた。今度はこっちにおいでと言っているのだと分かった。


僕がゆっくりクマに近づくと、クマは大きな両腕で僕をそっと抱きしめる。


クマの茶色い毛は毛布のようで、温かくて、気持ち良かった。




その後はどうしたのだろう。


気がつくと父がいて、車で家に帰った。


クマと並んだ僕の写真がアルバムに残っているから、写真は撮ったのだろう。




あのクマの大きな体。




抱きしめられて身体中がほかほかとあたたかくなったあの感覚を、僕はいつまでも忘れられずにいる。


父とも母とも違う、あのぬくもり。


あの巨大なやすらぎ。


言葉がなくても気持ちが伝わった喜び。




一言で言うと愛だ。


僕の求める愛って、きっとあれなんだと思う。




僕はベッドの上で天井を眺めながら、今日の出来事を思い返した。


千歳さんに声をかけられて、会話をした。


そう、僕は千歳さんと話したんだ。




千歳さんがペンションへ行きたいって言って、僕は予約の電話をした。


つまり僕たちは旅行へ行くってこと。


ああ、まだ夢の中にいるようだ。千歳さん。君と僕は付き合うことになるのかな。


一緒に旅行に行くってことは、そうなんだと僕は思うよ。


早く君の彼氏になって、君に優しくしたい。君と抱き合いたい。君と愛を確かめたい。




僕は、千歳さん、と口に出して言ってみた。


千歳さん。千歳さん。千歳さん。


それからそっと、恵梨香、と言ってみた。顔が熱くなった。

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