僕たちのハードル
「具合悪いの?大丈夫?」
「うん、ちょっと車に酔ったかな」
饅頭の食べすぎだということは伏せた。
「酔い止めの薬貰ってこようか」
「いや、いいんだ。ちょっと寝たら治ると思う」
胃薬なら欲しいのだが、それは言えない。
「いいよ、寝てて。私は適当にしてるから」
「ありがとう」
意外と素直に僕を寝かせてくれた君に感謝しながら僕は目を閉じ、先程のフロントでの出来事を思い返した。
「はい、田中くんあと書いて」
さっき君が僕の名前を呼んだ。君が僕の名前を呼んだんだ。
僕たちはなんとなく気恥ずかしくて、お互いの名前を呼べずにいた。
ずっと「ねえ」とか「君」ってごまかしながらやってきたよね。でも違和感を感じていた。少なくとも僕は。君もきっとそうだと思う。
僕たちがまず越えなくちゃいけないハードルって、これだったんだ。
これまでの自分の妄想や、電車の中でしたプロポーズが急に恥ずかしくなってくる。
君は僕よりずっと地に足がついていて、大人だ。不甲斐ない僕に見せるため、先にハードルを超えてみせたんだから。
千歳さん。千歳さん。僕は千歳さんが好きだ。僕は千歳さんに好かれたい。千歳さんに愛されたい。千歳さんと抱き合いたい。
千歳さん、僕は君と……。