大和めし
⚫大和めし
国道をひたすら南下し、深部「大和は南北に広く、実際には中部表記が正しいのだが」に差し掛かると丸い塚や樹木に覆われた大きな墳丘が目立ち始める。
それが奈良に帰ってきたと実感する瞬間である。
いわゆる大和顔と云われる、奈良独特の顔立ちをした人々が暮らす奈良深部が好きすぎて困ってしまう。JR 桜井線内等で、大和弁を話す老人達や通学途中の女の子達に古代の髪型や服装を空想の中でコスチューミングしてしまうのは、かなり悪い癖である。そうすると半島からやってきてまだ間もない、百済ことばを操る女性や熊野灘経由で恐る恐る大和に入ってきたミクロネシア系統との混血顔、祈祷を終え、霊魂果てて三輪山に戻る妖しき巫女達で桜井線内の車両は一杯になる。
そして己の面、この顎とエラが張った自分の顔立ちも代々大和奈良に祖を持つ男の証なんや、と妙に納得してしまう。
陽光、空気、古代の文に頻繁に登場する神々が降臨したという山々、それらが発する大和のオーラを浴びていると何やら不可思議な玉のようなものにくるまれてゆくのを感じる。広すぎる空を見上げると流れてゆく大雲によって変化する陽光濃度。脳裏に異国という言葉が浮かぶ。何故?海もないこの場所というのに。南海から、東海から、楷をしならせながら海を渡ってきた人々が集い、原族を滅ぼし、そして争ってきた歴史は、この地に濃く残り、沈殿している。その経過は、棒のようなもので攪拌するとすぐに湧き立つ。濃く漂う古代の気を被った為の奈良酔いという症状、これが横浜に帰ってからも毎回暫く続く。今回はそんな大和深部の宇宙サロンに点在する古い食堂のお話です。
古い国道沿いにある小さな食堂、段田の丘にぽつんとあるお好み焼き屋。その素朴で何かが隠れているよな佇まいに思わず嬉しくて小躍りしてしまう。昭和の大衆食堂、大衆ホルモン屋。
「めし」と染められたのれんを潜り抜けて店内に入るとたまらないあの懐かしい香りに出逢える。胸にこみ上げてくる安堵感と懐かしさ。半熟の甘い味付けの卵に絡められた揚げたてのカツが乗った丼、添えられた吸いものは青いネギがたっぷり浮いた合わせの味噌汁、黄色い卵と玉ねぎの
淡く程好い甘みが染み込んだやきめし、涙が出るほど純朴なあじのする汁肉うどん...昔おかんが作ってくれたあの決して柄の良くない阪奈の味に瞬時に再会できてしまう。
大和深部の大衆食堂のセカンド定番は、やはり関東炊き。大きな鍋にのせられた重い蓋を勝手に開けて、牛すじやらたまごやら大根やらを勝手に皿に取り瓶に入ったカラシもたっぷり皿の縁に盛る。牛すじは固いが噛むとあの肉くさい味わいが口に広がる。カラシとの相性も大変良い。メインが運ばれてくる間の楽しみである。
大衆ホルモン焼き屋も、うまい肉を出す店が多い。昔ながらのガスロースター。人気の部位はすぐ売り切れる。売り切れたら終わり。新鮮な肉をすぐそばの加工場からその日に直で仕入れ冷凍物は一切使わず売り切る。
めし、丼物、中華、洋食、
これらの懐かし食堂を探し求めて、以前は口伝てや、腹がくうくう鳴るのを我慢しながらドライブしたものだが、今はスマホに話しかけるだけで簡単に見つける事ができる。スマホに大衆食堂か大衆ホルモン焼きと投げ掛けるだけで一瞬にしてマップ上に何本もの赤いピンマークがバンッと表示される。「大衆」である。いい響きである。大衆。暖かい情がある。大衆音楽、大衆酒場.....カチグミなどとほざく中途半端な成り上がりのさもしい金持ちにバケツでぶっかけてやりたくなる位の良い響きである。異国で感じる心地好さと不安が交互に襲ってくるあのシナモンフィーリングは異文化庶民の感性に触れた時に突然起こる。肌触り、匂い。茶色い肌のエキゾチックな横顔に揺れるイヤリング、アンラッキーな空気に包まれたアパートから響いてくる出所不明なコンガの音、青すぎる空と棕梠の葉、古びた小さなガソリンスタンドから流れてくるスペイン語のローカルラジオ、妖しい巻きタバコの匂い、こんな回路を奈良にも繋げてみる。
大衆食堂、味わい深いのはそこで出される懐かしい味だけではない。その店にタムロする常連もこれがなかなか味わい深い。
色なし観音菩薩
関西では、お好み焼きの看板がある店でもホルモンが食べれる場所が多い。偶然熊野に続く古い街道を川伝いに吉野方面に上っていた時、お好み焼きの看板に惹かれ入った店。ドアを開ける。 奥で料理を賄ってる女将の姿は小さな仕切り口に隠れて見えないが、カウンター席の男女二人連れのずんぐりした後ろ姿が目に入った。とりあえずテーブルに席を取る。暫くして気付いた女将がこっちにやってきた。運転は友人に任せていた日だったので、取り敢えずビールを頼む。カウンターの後ろ姿の男の耳が素早く反応する。その赤いジャージの常連男が立ち上がり、冷蔵庫を開けて瓶ビールを持って来てくれた。「はい、冷えてまっせー、どうぞよろしくー」 と何とも応えようのない大和弁を発し、スタスタとまたカウンターに戻って行く。店内に充満する粉モンと内臓を焼く匂い。女将を入れて五人だけの店内でテレビからは平日のワイドショーが気だるく流れていた。壁に貼ってあるメニューから、サイボシ「馬の干肉」を頼み、ビールのつまみにした。残念ながら油のまわりすぎたサイボシは美味くなかった。ビールを傾け酔いが回ったのか、頻繁に女将と女に話しかける男と、一言も発しない連れの女。女将を入れて五人だけの店。突然男がこちらを振り返り話しかけてきた。何処の人や?何してらんの?俺はこの裏や。箸で食べんのけ?コテで食うやろ?手にビールの入ったコップを持って終始ニコニコである。その間、女は一回ともこちらを振り返るでもなく平日テレビに顔を向けビールを傾けている。するといきなり、兄ちゃんえーもんみしたるわと、やおら赤いジャージを脱ぎ捨てその脂肪にたるんだ上半身に彫られた刺青を披露した。丸い坊主頭に猪のような首、その下に入っていたのは見事なまでの色なし筋彫りであった。色彩を入れていない蔑称金なし根性なしの筋彫りである。色なしの観音菩薩をこっちに向け、男は身動ぎ一つせずに立ち尽くしている。奥では女将が何くわぬ顔で太麺の焼きそばに水を足している。湯気が鉄板からジュワーと立ち昇る。口内に広がるキャベツの芯の味わい。またやっとるわと言いたげな横顔で目にはテレビを、口にはビールを流し込み続ける女と立ち尽くす男の半分出た尻の線。この意味不明の時の流れ。猪首の身体をくるりと返し、顔をこっちに向け「いやいや、すんません」と脱いだシャツをまた着直して「みっちゃーん、ビール俺からー」と女将にことわり、スタスタとビール瓶をこっちのテーブルに持ってきてくれた。「兄ちゃん、乾杯やーこんな辺鄙な店に来てくれてありがとー乾杯っ」とグラスを合わせ、またスタスタとカウンター席に戻っていった。「いやーほんまやでーありがとーやで兄ちゃん。」間髪入れず仕切りの奥からも女将の声が飛んできた。建築関係に従事しているというこの人にとって一声も発する事なく男に寄り添う連れの女は、筋彫りで終わった男を母性で支えている無口菩薩なんやわとふと思うと、不思議なことに、さっき男が見せた背の筋彫り菩薩の残像が脳内で極彩色に輝き始めた。食事を終え、ご加護を授かったよな、何故かこの場を去りたくないようなメロウな気持ちが沸き起こった。少し酔いが回った頭で店の前に架かる古い石の鳥居をくぐって街道に出る。午後も3時を周り、日が既に山裾に隠れ始めていた。この土地の山を渡り川を伝い降りて吹いてくる風は冷たい。
一羽の鳥がひと哭きして川のほうに飛び去って行った。
三輪、耳成、天香久の独立丘陵が見渡せる域。このまるで人が造ったピラミッドのようにそびえる不可思議な三山を何処からでも見渡せる古代域に車は入った。南部大和の霊感研ぎ澄まされる風景が車窓に広がる。心がふわりと浮き立つ。
牛骨うらない
昼過ぎ2時頃、線路沿いにある食堂から香ばしい煙が換気扇を伝って外に吹き出ていた。のれんに焼肉 ホルモンとある。たまらずサッシのドアを開けて店内に入る。昔懐かしいガスロースターがテーブルに6器、畳に3器という昔懐かしい大衆焼肉屋のスタイルである。常連さんらしき四人組が女将さんと何やら話し込んでいた。恐らく子供の頃からの仲間らしく、近所の話題で盛り上がっている。ツマミとビールだけで火の入っていないロースターを囲み、まるでバットとグローブと自転車が店のドアの前に投げ捨てるように放置してあっても何ら不思議ではないような、子供がそのまま大人になったようなテンションで、金のアクセサリーやらカスタムした携帯やらを見せ合って自慢しあっている。壁に貼られたメニューはツラミ ハラミ センマイ アカセン 何という素晴らしいラインナップ。ホルモンを適当にお願いして朝鮮漬と白めしもオーダー。朝鮮漬とはキムチと表記されている物とは明らかに違う、白菜にニンニクと唐辛子が染み込んだものである。色もそれほど赤くない。
日本でアレンジされた、朝鮮風の漬物、
朝鮮漬。余談だが日本全国スーパー等で扱っているキムチに美味いものはない。色合いは赤く、いかにもキムチだが味にパワーとセンスがない。日の丸キムチとあたしはよんで軽蔑している。日の丸キムチより、この朝鮮漬の方が白めしと肉との相性が良い。
さて運ばれてきたホルモンを焼いていると、白いジャージに髪をポニーテールに纏めた40過ぎとおぼしきお兄さんが入ってきた。大きな身体、首にも手にも派手な金のアクセサリーを身に付けている。誰かにそっくりなのだが名前が出てこない。
「あんな、昨日な、コボチ「解体」やってたらなっ、これみーっ、昔の金出てきょってよ、みしたるわこれヤバっ。ザックザク」大きな太い指につままれた光るせんべいの缶。身に付けているゴールドと白いジャージと、シルバーに光る缶と、誰に似てんねやろとさっきからずっと継続中の裏思考とでこっちも訳が分からなくなってくる。「なんや、お前どこぞから盗ってきたんやろ。そんなもんすぐ返してこい、今やったらまだ間に合うど!」女将は常連のリーダー的ポジションのようであり、必ず話の流れの最後を〆る。やしきたかじんのような匂いの人である。覗きこんだ女将はたじろぎせずに腕を組んでせんべい缶の中を覗き込んでいる。目を細めて暫く覗き込んでいたがやおら組んでいた腕をほどき手と手をパンと打ち鳴らし、「これなっ、肉屋に電話してな、牛骨持ってこさせるわ。牛の骨で磨いたら、綺麗に文字出る。電話するっ。」
大変な現場に遭遇したと思った。常連対一人肉焼く俺。興奮がこちらにも伝染して来る。しかし何食わぬ顔で肉を焼く。
「えらいこっちゃ、和同開珎ちゃうんけ、お前売ってクラブ連れてくれんのけ」
「車のタイヤ代位は稼げんちゃうの」
とえらい騒ぎである。
暫くして、サッシのドアがカラカラと開いて小さな男が入ってきた。手には新聞紙にくるまった牛の骨が握られている。
牛骨を持つ手を硬貨持参のお兄ちゃんに向けて「ホンマに?うっそやろ。」
「嘘な事あるかい、よーこれ見ぃー。さーさっ、皆さんお立ち会いやんけ、はよ擦れ、はよ、はよ、」と白ジャージの兄ちゃんがまくし立てる。しかし誰かに似ている。が、名前がまだ出て来ない。
「にぃちゃん、証言者になってやー。こっち来てちょっと、ちょっと!はよー!!」女将が祭りの御輿でもやってきたように手招きして呼んでくれたので待ってましたと輪に加わる。解体現場で見つけた赤銅色の硬貨はせんべいのアルミ缶に大量である。
「ほな、いきまっせ。」小さな男が一枚手にとり、牛骨で擦り始める。
「なんや、出てこったでーえー漢字やーこれみー」
時間にして一分、小さな男が一通り擦り続け、硬貨を持ち替え天にかざした。
「なんて書いたるっ」
「ぁあー」
「なんて読める」
「あのな、」
「京都 製菓」
「他のは?!」
「京都 製菓」
「これは!?」
「京都 製菓」
古い住宅の解体中に出てきた謎の硬貨は京都製菓のお菓子の景品、オマケだった。
古いオマケの硬貨を大量に缶に入れて持ち込んできたようである。
オマケ=お負け。
「ぁあーにぃーちゃん、この阿保、笑たってやー」女将が俺に嘆きかける。
「この阿保ヅラ見ぃー、何が和同開珎や、その辺のドブさろてもこの辺、もっとえーもん出てくんどっ」「きょぉーと せぇいかやてぇー」
なおも剣幕の女将の集中口激が飛ぶ。
女将は一通り罵声を浴びせると、ビールサーバーの前に行き、ジョッキにビールを注ぎ始めた。そして白ジャージの前にコンっ。とビールを置く。
そうしてまた腕組みをして、白ジャージの前を離れずタバコを一本取り出し吸い始めた。負けた白ジャージを擁護するようにまた腕組みし、その場を離れようとしなかった。
胃にはたらふく、身体には美味しすぎるホルモンの匂いをたっぷり染み込ませ店を出る。そしてこの起承転結に遭遇できた事を心より喜んだ。店前の線路の遮断機の音が鳴り続けている。通過してゆく近鉄電車の赤色が騒動の赤銅コイン色と重なって見えてくる。カタンカタンと音を残し通過してゆく列車。踏切が上がって遠ざかってゆく最後部車両の行き先ボードに「京都製菓」の文字を勝手にすり替えてみる。そして大和深部の煙の中に現れた白いホルモンの神に静かに手を合わせた。
とりあえず今回は二編ご紹介したが、勿論実際に体験した事実である。阿保な男衆、濃い情を持つ女。実際奈良中部から南部、果ての熊野の女性には共通した類いの母性を感じる。情。その濃い情を裏切った時、恐ろしい暴君に変化するということも感じとって戴きたい。書き忘れた事だが、京都製菓のオマケコインを店に持ち込んだ兄ちゃん。へた打つけれど憎めない。愛嬌のある兄ちゃん。彼はチャンバラトリオの結城の哲ちゃんソックリであった。多分関西の同年代の方は、あー、哲っちゃんなっ、おる、おる、と同感の声を上げてくれている筈。遭遇出来た土着の人々の感性がユニーク過ぎてかなわない。目の前で繰り広げられるバタバタ。それに幼い頃、自分をとりまく親族が繰り広げてきた四コマ漫画のような愚行動を懐かしむ祖の血が反応し興奮する。ここでシナモンフィーリングを起動すれば、アメリカの田舎の黒人やチカーノ達の無意識での常識はずれな行動、これもやはり同じ匂いを放っている。南部の田舎で蛇を見つけ縞蛇か茶色い蛇かでお互い言い張り合い、気持ち悪がりながらも、蛇を手に掴み空中に放り投げたり、その辺で拾った棒にタコ糸をくくりつけただけの道具でナマズを釣りながら口喧嘩したりする、不思議な黒人世界が収められた、宝映像満載のライトニンホプキンスの1960年代の生活ビデオや米軍属の黒人老夫婦 ソファーの隙間から転げ落ちてきたどこの国の物か判らぬ硬貨をてのひらに乗せ、暫く考えた後、「セムアイランド」=Some Island と呟き、瞬時に指で天に弾き捨てた無意識行為、これらと同じ匂いがする土地と人々。遠い古に異国人の血が入った奈良のマイペースで不可思議な人々。実はシナモンフィーリングとは自分の血にある遺伝子が騒ぐ装置で、異国の中で感じてしまうどうしょうも抑制の効かない心のざわめきは、我の中に混じった異国人の血が騒ぐ、混血人特有の反応がも知れない。〆。