閑話 まちゅみ再び
6月下旬のこの日、俺と花沢さんは再び新宿二丁目を訪れていた。
目的は言うまでもなくアイテムの売却と購入、ついでに例の卵の鑑定だ。
細い路地を何度か曲がると見えてくるのはやっぱり毒々しい紫色の看板。
オネェのチンパンジーが店長を務める不思議すぎる謎の店、『まちゅみ☆キャンタマーニュの不思議なお店』二度目の来店である。
『猿と言えば?』
板チョコみたいなドアを3回ノックすると、中からとても猿のものとは思えないよく通るバリトンの声が合言葉を訊ねてきた。
ちなみにこの店の合言葉は定期的に変わるらしく、変更された合言葉は店の公式ラインで見ることができる。
公式ラインのIDは兄貴から教えてもらった。
「ワオテナガザル」
「はぁいオッケー、お客様ごあんな~い」
正しい合言葉を伝えると、やっぱり声が女々しく裏返ってドアの鍵が開く。
南国風のオシャレな衝立を横切り店の奥へと入ると、カウンターの奥にやっぱり例のチンパンジーが座っていた。
「あらぁん! また来てくれたのぉ~? まちゅみの魅力にとりつかれちゃったかしらん? んもう、イケナイボーヤたち」
「ははっ、前回はどうも」
「いやんっ、塩対応っ! でもそんなクールな眼差しにゾクゾクしちゃう。ささ、座って座ってぇん」
オネェチンパンが長い両腕で自分の身体を抱いてくねくねしながら、俺たちに椅子を勧める。
フカフカの丸椅子に俺たちが座った所で、まちゅみが要件を聞いてきた。
「そんで~? 今日もやっぱり買取かしらん?」
「いえ、今日は回復薬も買いたいと思ってまして。それと、買取とは別に見てもらいたい物もあるんですけど……」
「あらぁん? ダンジョンの中で変なもんでも見つけちゃった? どれ、見せてごらんなさいな」
花沢さんに目配せすると、彼女は一つ頷いてアイテムボックスの中から例の卵を取り出してカウンターの上に置いた。
「あらあらあら、まあまあまぁ! こりゃまたでーっかい卵ですこと!」
まちゅみが口を大きく開けて、大げさに仰け反って驚く。
……やっぱりパン君にしか見えないんだよなぁ。
「さぁて、アンタの秘密、まるっとするっと見せて頂戴なっと」
カウンターの下からルーペを取り出したまちゅみが、頭を人差し指でポリポリしながら唇を尖らせて卵を観察する。
「ふぅん? なーるほどね」
「な、何か分かりましたか!?」
「少なくともコレ、食べて効果のあるアイテムじゃないわね。ワタシの鑑定によればだけど、大体人肌くらいの温度で1ヵ月くらい温めれば『何か』が孵るわ」
「な、『何か』って……?」
「さあ? そこまでは分かんないわよ。気になるなら温めてみ~れば? ま、もし変なのが生まれてきてもワタシの責任じゃないけどね~。っていうか、ワタシ猿だから、責任とれないし~ぃ! キャーッキャキャッ!」
コイツ、ここぞとばかりに猿を利用しやがって。
大体、それを言うならこの店の法的な営業責任者は誰なんだよって話になるだろ!
マジで訳わかんねぇな、この店。
「それと、今回は初回だからサービスって事でタダにしといてアゲルけど、次からはちゃんとお金払ってねん」
「金取るのかよ!?」
「当たり前じゃない。こう見えてワタシ、『鑑定』スキル持ってんだから! プロの仕事にはお金が発生するの。よーく覚えておきなさい!」
歯を剥き出してちょっと臭い人差し指を鼻の頭に突き付けられては、流石に黙るしかない。
これ以上何か言ったらこの指が俺の鼻の中に入ってきそうだ。
チンパンジーとハナクソ交換は流石に勘弁願いたい。
「……で、後は買い取りと回復薬の購入だったわね? 買うのは下級ポーションでいいのかしらん?」
「あっ、いえ。できれば中級ポーションを」
「あらまっ、奮発するじゃない。まあ、探索者なんて何があるか分かんないし、1本くらいはお守りで持っておいた方がいいかもね。……でも、高いわよぉ?」
中級回復ポーションは下級のポーションやヒールでは治療できないような複雑な骨折や破裂した内臓なども元通りに治せる。
しかしその分値段は下級ポーションの比では無く、1本6~700万円ほどと消耗品の中でもかなりの高額アイテムである。
今回のダンジョンには回復アイテムの持ち込み制限があるが、中級ポーションは1本までは持ち込めるらしいので、いざという時に備えて用意しておきたかった。
「まあ、そのためにどっさりアイテム溜めてきましたから。花沢さん、頼む」
「うん。『アイテムボックス』」
花沢さんがカウンターの上の卵と入れ替えるように、中身がパンパンに詰まった大きなリュックを5つ、カウンターの上に出した。
「あらやだマジじゃない。やーね、こんな可愛いお猿さんを過労死させる気かしらこのボーヤは!」
「プロなんじゃないんですか?」
「あら、言ってくれるじゃない。ま、別にこのくらいの量、全然大したことないんだけどねー。んじゃ、査定してくるからちょいとお・待・ち~」
まちゅみはカウンターの下から畳んであった台車を引っ張り出して、そこに荷物を載せるとカーテンの奥へと下がっていった。
「加苅くん、凄いね。私、まだちょっと慣れない……」
「いや、俺も別に慣れた訳じゃないからね?」
ビビってるとオモチャにされると学んだだけさ。
それから30分ほど、何をするでもなくぼんやりと待っていると、やがてカーテンの奥から小さな箱を持ってまちゅみが戻ってくる。
「はぁいおまた~。まずは今回の査定額だけどぉ、632万円で~す。でもそれじゃあ最近値上がりしてる中級ポーション買うにはぜーんぜん足りませーん!」
「そうですか……」
まあ、元々買えたらラッキーくらいのつもりだったしな……。買えないなら仕方ない。兄貴に相談してみるか……。
「で~す~が~! 今回だけ特別に1本売ったげるわん」
「えっ!? い、いいんですか!?」
「ま、ぶっちゃけ利益的にはギリギリ赤字ってとこかしらねぇ。そんでもぉ、期待の新人への先行投資だと思って貸しにしといてア・ゲ・ル」
まちゅみがカウンターに肘を付きながらウインクを飛ばしてくる。
こういう仕草とかは本当に人間そのものなんだよなぁ。……まさかこの猿、元人間だったりして。
藤堂さんも呪いでプリケツ蛙に変えられてたんだし、もしかしたら……いや、ないか。
「あ、ありがとうございます」
「その代わり~、今後ともご贔屓にしてねん」
まちゅみの獣臭い投げキッスを躱しつつ、俺は「そうさせてもらいます」と頷いた。
「ところでぇ~アンタたち、あれから何か進展とかあったのかしらん?」
「……俺はもう迷わないって決めましたんで」
花沢さんを世界一の美少女にするまで、俺はもう迷わない。
「……そう。覚悟、決めたのね。彼女、幸せにしてやんなさいよ」
「……? はい、勿論です」
もし仮に花沢さんが誰かと付き合ったとしたら、俺はそれを全力で応援するつもりだ。
せっかく美少女になっても、幸せになれなかったら意味ないからな。
「は~あ、世話のし甲斐が無いボーヤたちですこと。いいわよいいわよ、猿は大人しくバナナでも食ってるわよ。ふーんだ!」
そう言ってまちゅみはカウンターの下から取り出したバナナを食べながら俺たちをしっしと追い払う。
「……絶対に何か違ってる気がする」
「何が?」
「……なんでもない」
花沢さんが何とも言えない微妙な顔で唸っているのが気になったが、結局それがなんだったのか、彼女は教えてくれなかった。
まちゅみ、まさかのアンジャッシュ!
責任感を拗らせすぎた結果、自分の気持ちを鋼の意思で封印してしまう鈍感系主人公の鏡()
さてこの二人、どうやってくっつけたもんか……。




