女神新生 俺と彼女の世界変革の時 8
誰にも聞こえない演奏が病院の中庭に響き渡る。
ギターを務めるのは勿論トミー。それ以外の楽器の音は守護霊の力で音を変換して作り出している。
しかし、そこにあるべきヴォーカルの力強い声は無い。
守護霊の力を使えばその音も作れるが、あえてやらない。トミーにとってヴォーカルとは神聖なものであり、それはそのまま彼が崇める奈々と同義だからだ。
悲しみに塞ぎこむ過去の奈々へ送る曲は、未来の奈々が作曲した、自分の運命を変えてくれたあの曲。
届かないと知りつつも、それでも何度も何度も、何度だって彼女のために音を届ける。
それがギタリストというものであり、ヴォーカルの傍に寄り添い歌を盛り上げるバンドマンの役目だと信じているから。
(―――――もっと、もっといい音を出せるはずだ! あの時感じた無敵感はこんなもんじゃなかった! あの時俺はどんなことだってできるって思った! この世界に不可能なんてないんだって、心の底から信じられた!)
その時の感動を再現、否、それ以上をやらなきゃ時間を越えて音なんて伝わるわけがない。
超えるんだ。自分の限界を。この世界に不可能なことなんて本当はなにもなくて、やるかやらないか、それだけなんだ。
彼の強い思いは音を紡ぐ指先に伝わり、心震わす旋律となって世界を飛び越える。
「……なんの、音?」
(っ‼)
聞きなれない微かなメロディーに奈々が顔を上げる。しかしその音はまだ周囲の環境音にかき消されてしまうほど弱い。
それでも、届いた。それが何よりも嬉しくて、だからもっと届けたくて。
貴女に涙は似合わない。そんなキザな台詞は口が裂けても言えないけど、それでもギターでなら。
思いの強さはそのまま彼の力に変わり、その力に引き寄せられるように、時の彼方からその時代時代を生き抜いた伝説のミュージシャンたちの霊が集まって彼の守護霊として加わり、その力を貸し与える。
「……まただ。どこかで演奏でもしてるのかな。……やめてよ」
奈々の頬に一筋の雫が伝う。
こんな、もう楽器も弾けないのに。これじゃまるで当てつけだ。
それでも、そんな奈々の思いとは裏腹に、音はどんどん大きく強く、彼女の全身を震わせる。
(やめない! だって先輩が歌ってくれなきゃ俺の未来も変わっちまう! アンタの歌には世界を変える力があるんだ! だから、だからもう一度歌ってくれ! 俺の運命を変えてくれ―――――――――――――――ッッ‼)
彼の魂の叫びはそれ自体が本人すらも自覚せぬうちに一つの詩になり、それに共鳴した守護霊たちがトミーと同化して彼の神格が爆発的に高まっていく。
紡がれる音は時空を越えて、彼の魂の詩はついに奈々のもとへ、
「……なんで、……なんでこんな滅茶苦茶な歌なのに、こんなに響くの……?」
――――――――届いた‼
それは歌詞というにはあまりにも粗削りで、思ったままの気持ちを伝えるだけの叫びに近いものだったけど、それでもちゃんと彼女の心にトミーの熱い思いは届いた。
拭っても拭っても、目から熱いものが込み上げてきて止まらない。
(腕が使えなくても、先輩にはまだその喉がある。歌が歌える‼ 俺、未来で待ってるから‼ だから、必ず歌いに来て、また俺の運命を変えて―――――――――)
世界が歪み、奈々の姿が遠くなる。
相手には見えていないはずなのに、最後のその瞬間、奈々と目が合った気がした。
◇ ◇ ◇
長い、長い神のすごろくゲームの旅路の果て。とうとうゴールマスが地平の先に見えてきた。
だが、なによりも待ち望んだはずのそれを見ても、すでにマックスの心は僅かな感動すらも抱かない。
そんな余計な感情は遥か彼方に置き去りにしてきた。
無限にも思える道のりと、こちらの限界を試すように徐々に過酷になっていくペナルティ。
すでに鼻からカレーうどんを食おうが、視界内に筋肉ムキムキのナイスガイと、その他大勢のなんだかよくわからない奴らの幻影がチラつこうが何とも思わないし、常に耳元を蚊の羽音が掠めても何も感じない。
痛みは感じてもそれで心に波風が立つことは無く、蚊の羽音もただの雑音として無視できる。
正確な狙撃のためだけに効率化された機械のような精神。
故に、その狙撃には寸分の狂いもなく、まさしくマシンの如き正確さで、最も被害の少ないペナルティマスに止まれる数字を狙い、先へ少しずつ確実に進んでいく。
【残念、ペナルティマス。生爪全部自分で剥げ】
痛い。無視して全部の爪を剥いで回復魔法で治療。
【残念、ペナルティマス。ゴールするまで頭痛付与】
すでに付与されていた頭痛がさらに酷くなる。頭が割れそうだが無視して狙撃。
【残念、ペナルティマス。ゴールするまで下痢付与】
すでに付与されていた下痢の腹痛がさらに酷くなって再び襲ってくる。
だが、すでに出すものは遥か彼方に置いてきた。これも無視。
【残念、ペナルティマス。2歳までの記憶を全て失う】
思い出せない記憶など失った所で痛くも痒くもない。そのはずなのに、なにか大切なものを失ったような気がして、知らず頬を涙が伝う。
視界が滲む。涙など邪魔なだけだ。
指で軽く涙を払いのけると、それだけで涙は枯れた。
【残念、ペナルティマス。ゴールまで三半規管に回復不能ダメージ】
平衡感覚が狂い、立つ事すらままならなくなる。
だが、他に選択肢が【今までの記憶全てを失う】か、【スタートに戻る】しかなければこれが一番マシだ。
それに、すでに随分と前から彼は、心の目とでもいうべき何かだけを頼りに狙撃しており、今更五感の一つが狂った所で特に問題は生じない。
「ミ……カ…………」
目がグルグル回る。頭は割れそうだし、お腹は下痢と腸捻転で死にそうなくらい痛い。
意識が遠のく――――――――――――
ティウンティウン。
再び覚醒。……と、同時に酷い腹痛と頭痛、吐き気が襲ってくる。
装備の効果で死因をダミーに押し付けて、本体が再び健康な状態でリスポーンしても、ペナルティから逃れることはできない。
この苦痛を終わらせるには、ゴールまでたどり着くしかないのだ。
ここでは失ったレベルは時間経過で元に戻るようなので、何度でも死ねるのがせめてもの幸いか。
何度もリスポーンしては少し進み、その先で力尽きてまた進んで。そんなことを随分前から繰り返していた。
……全ては彼女の答えを聞くために。
どんなに辛くても、苦しくても、彼女を思えば乗り越えられた。
それ以外の殆どのことは、耐えがたい苦痛と果てしない旅路の中で随分と薄れてしまったが、それでも彼女への気持ちだけは今も変わらず持ち続けていた。
たかが一目惚れ。されど一目惚れ。
人を愛することに、きっかけなど些細な事だ。
はじめて彼女を見た瞬間、この人こそが運命の人なのだと直感した。
そして、その直感は正しかったのだと、自分の愛は本物だったのだと、ゴールを目前にして彼は確信する。
一時の浮ついた感情だけで、この地獄に人間の心が耐えられるわけがない。
もしもそれを成せる力があるとするなら、それは間違いなく、愛だけだろう。
これが最後の狙撃。いつも通り、心で視て、静かな心で撃つ。
いつも通り狙った数字が出た。この程度、死にかけだろうと朝飯前だ。
ゴールまでの残り83マスを這いずるように進む。
ここまで本当に長かった。けど、それもあと少しで終わる……。
【強制停止マス。ボスを倒せばゲームクリア!】
……が、残り1マスというところで、足止めをくらう。
彼の前に立ちはだかるは、長い旅路を共にしてきたルーレット。
側面から手足を生やしたルーレットが、両の足でバトルフィールドにズシンッ! と降り立った。
『よくぞ長い旅路―――――ブーン―――――越えここまでたどり着い―――――プーン』
ルーレットマンが何か言っているが、三半規管が狂っているせいか、音がグワングワンと歪んでうまく聞き取れなかった。
常に耳元を掠める蚊と蠅の羽音が鬱陶しい。
オイリーなナイスガイと緑の恐竜(?)とサンマーマンの幻影が視界内でキレのあるタンゴを踊っている。
耳もうるさければ目もうるさい。
それでも、心は常に無風の湖面の如く何処までも平らかで。
機械のように無感情に、無造作に、その場に座り込んだままバスターライフルを構えた。
ルーレットマンとナイスガイとサンマーマンと緑の恐竜(?)が無駄に統率の取れた動きで襲い掛かってくる。
狙い撃つべきは一体のみ。他は幻影なので無視して構わない。
グルグルと回る視界。ルーレットの数字版も高速回転して、どこにどの数字があるのかも判然としなくなる。
数字版が回転する前にチラリと見えたドクロマーク。あそこに針を止めれば、こちらの勝ち。
ルーレットマンが大きく跳躍。空中で錐揉み回転しながら隕石のように迫る。
自分の感覚すらあてにならない死の間際にあって、マックスは敵と自分との間に繋がる一本の線を視た。
それは因果の糸。何時からかおぼろげに感じられるようになったそれを、ここに至り彼はようやくはっきりと知覚する。
あの糸が張り詰めた瞬間に起こした行動は、確定した結果として世界に現れる。
刹那よりも短い、涅槃寂静の狭間に潜む世界の奇跡。
運命の糸が張り詰め、途切れそうになる僅かな時の狭間を、今――――――狙い撃つ。
確定した因果に導かれ、縦横に高速回転するルーレットの中心へエネルギー弾が吸い寄せられていく。
針の停止位置は当然……一撃必殺、ドクロマーク‼
『よくぞ我が試練を乗り越えた‼ 新たな神の誕生に祝福あれ――――――――ッ‼』
自らが祝いの花火となり、新たな神の誕生を祝福して盛大に散るルーレットマン。
しかしマックスは感動のフィナーレにも眉一つ動かすことは無い。そんな感情はとうに擦り切れてしまった。
だから、ただ淡々と、ふらふらと、ゴールへ這いつくばりながら近づいていく。
そして……ついに、
【congratulations!】
何よりも焦がれたゴールの赤いマスに手が届く。
安っぽい花火が空に何発も撃ちあがり、絵の具で塗ったような無機質な青空を彩る。
酷かった頭痛や腹痛が嘘のように楽になり、視界の端で常に存在感を放っていたナイスガイたちがサムズアップして消えていく。最後までうるさい奴らだった。
狂っていた三半規管も元に戻り、耳元を騒がせていた羽虫の音も消えた。
長年付き合い続けた苦しみが急に消えて逆に違和感しかない。
アイテムボックスから上級ポーションを取り出して一気に呷る。
ファイト一発! 下痢で弱っていた身体に活力が戻る。完全回復。
常に身体を清潔に保つ、『清潔』スキルは持っているが、一応全身を一瞬で丸洗いできる生活魔法も掛けておく。
なぜそんな無意味な行動をとったのか自分でも分からなかったが、なんとなくこうしておかなければならないような気がした。
そして、その答えはすぐにやってきた。
目の前の空間が裂けて、中から美しい少女が飛び出してくる。
失って久しいはずの感情が微かに波立つ。
「マックス‼」
邂逅一番、美香がマックスの胸に飛び込んでくる。
長い旅の果て。狙撃の神へと至り、運命を見通す目を獲得した彼は、数秒先に訪れるだろう未来に備えて無意識に魔法を使ったのだ。
どんなに清潔でも、洗ってない身体で彼女の前に立つことなどできない。
そう考えられるだけの心が、まだ自分に残っていることが意外だった。
しかし、本当はなによりも待ち望んだはずのことなのに、それでも彼の心は次第に穏やかな湖面の如く静まっていく。
「マックス……?」
彼の異変に気付いた美香が不安そうな顔で見つめても、彼の心はすでに波風一つ立たない。
この長い旅路は彼にあまりにも大きなものを失わせてしまった。
剣神へと至り、あらゆるものの本質を見抜く神眼を手に入れた美香は、彼の果てしない旅路と、それにより得たもの、失ったもの、全てを悟り涙を流す。
「……ごめんね。アタシなんかのために、こんなになるまで……っ」
応えなければ。彼の愛に報いてやらねば、彼のここまでの旅路が無意味になってしまう。
ガラス玉のように澄み切った目でこちらを見つめる彼の頬に愛おしそうに手を這わせた美香は、優しくその身体を手刀でなぞった。
「―――――――――っ!? あ……れ……? 僕、なんで……」
まるでせき止められていた感情が溢れ出すように、涙がどんどん溢れ出す。
「あなたの中の日常と非日常の境界を切り分けたの。すっかりくっついて混ざってたけど、アタシのこと忘れないでいてくれたから、どうにか切り離せた。……ありがとう。こんなにもアタシのこと、思ってくれて。……愛してくれて、ありがとう……っ」
つられて美香の瞳からも大粒の涙がぽろぽろ零れだす。
言わねば。ずっと後回しにしていた言葉を。自分の本当の気持ちを。
溢れる涙を拭い、思いの丈を口に出す。
「―――――大好き。あなたのこと、心の底から愛してる。だから…………っ、こ、これからも、ずっとアタシと一緒にいてくれますか?」
青い瞳が大きく見開かれた。感動で言葉が出ない。
顔が熱い。心臓の鼓動が痛い。こんな感覚、久しく忘れていた。けど、それがなんだかとても心地よくて。
「……永遠の愛を君に誓うよ」
誓うべき神は目の前にいる。だから誓いの言葉はこれでいい。
嬉しさと感動で瞳をさらに潤ませ、顔を鬼灯の色に染めた剣の乙女もまた、運命すら貫く狙撃の神となった彼へ愛を誓う。
「アタシも、永遠の愛をあなたに誓います」
二人の影が重なり、眩い光が世界を白く染め上げた。
さあ、残るはラスボスだけぞ。彼らの愛が世界を救うと信じて!




