女神新生 俺と彼女の世界変革の時 7
澄み渡る湖面のような心で、呼吸すら忘れるほど深く、静かに――――――撃つ!
ルーレットの針がピタリと停まる。針の指し示す数字は56。狙い通り。
『鷹の目』スキルで確認したこの先100マスの中でも、もっともマシなペナルティマスに止まる。
【残念! ペナルティマス。鼻から食べてください】
残念も何も、ここから先はペナルティマスか、スタートに戻るマスしかないじゃないかクソッたれめ。
そんな悪態を喉の奥に押し込んで、自分に冷静になれと言い聞かせる。
するとマックスの前に現れたのは……熱々のカレーうどん。
これを鼻から食えと? ふざけんな。
だが、ここ以外のマスはもっと酷いペナルティを受けなければならない。
例えばそれは『大切な思い出を一つ、永久に失う』だったり、『頭皮の毛根が完全消滅する』だったり。
どちらも絶対に許容できないペナルティだ。
それらに比べれば、鼻から熱々のカレーうどんを啜るだけでいいなんて、実に良心的だ。
「……っ、ええい! やってやる!」
ぐつぐつとマグマのように煮えたぎるカレーの中から、白いうどんを箸でつまみ上げ、一本一本鼻の穴にねじ込んで一気に吸い込む!
痛い。痛すぎて涙が出てくる。
けど、大事な思い出を失うよりはずっとマシだ。
「―――――――っ、あ゛~ッ‼ ゲホッゲホッ! おえ~ッ……。食った! どうだ食ったぞ! これでいいんだろ畜生め!」
うどんを全て腹の中に収めてどんぶりを掲げてみせる。
……だが、ルーレットは現れない。おいおい嘘だろ。汁まで全部飲めってか。
「ファーーーーーーーーック‼‼ お残しは許されないよな当然だよなぁホント冗談キツイよクソッたれ‼」
それでも、やらなきゃ先へ進めない。
目の奥にスパイスの刺激が染みる。何度もむせて顔をカレーでべちゃべちゃに汚しながらも、激辛カレーうどんをどうにか完食した。
誰だよ、これが一番マシとか言ったやつ。ぶっ殺してやる。
尋常じゃない鼻の奥の痛みに、誰に向けるでもない罵りを吐き捨てながら、再び現れたルーレットに向き直る。
超級ダンジョンに挑む前の準備期間中に覚えた中級回復魔法を自分にかけると、鼻の奥の痛みがすっと消えた。流石中級、効き目が違う。
それでもまだ涙がカレー臭いが気にしたら負けだ。集中、集中。
今までもこれからも、たった一度のミスが全てを台無しにしてしまう。
未だに見えないゴールを目指して、マックスは再び極限の集中の中へ潜り込んでいく――――――――。
◇ ◇ ◇
薄く、鋭く、心を研ぎ澄ませる。
世界から色が抜け落ち、音も重力もすでに感じない。
ただ重たい空気の感触と、剣を握る腕と、そこから連動する全身の感覚のみが今の美香の世界だった。
段階的に硬度と速度を上げて迫りくる壁。
音速の三倍の速度で迫るのは、切り裂いても元の形に戻る形状記憶合金の塊。
朧気に掴み始めた剣の理に導かれるように、一閃。
――――――――――斬‼
目の前に迫る合金の壁。その形の記憶ごと一刀のもとに切り伏せる。
元の形を忘れた合金はただの頑丈な金属の塊と化し、自らの速度に耐えかねて音もなく滑り落ちるように崩壊。……一拍遅れて轟音が轟く。
心を一本の刃のように磨き上げていくほどに、余計な雑念は消え去り、自分の本当の気持ちが見えてきた。
怖かったのだ。突然向けられた無条件の好意が。愛と言い換えてもいい。
顔も性格も全然違うけど、それでも彼はどこか、死んでしまった父に似ていて。
そんな彼から向けられる愛情を失うのが怖くて、一歩踏み出せずにいた。
この世界に『絶対』なんて無くて、それまで当たり前だと思っていたものは、ある日突然終わってしまう事もあると美香は知っている。
だが、それでも―――――――
(―――――――だったら、そんな運命、アタシが切り裂いてやるッ‼)
この力は何のための力か。自分が望む未来へ進むための力だ。
仮に世界が二人を引き裂こうというのなら、運命も因果もなにもかも切り開いて進んでやる。
絶対に離れたくない。伝えに行かなきゃ。この気持ちを。アタシの答えを!
すでに迫りくる壁は無く、目の前に立ち塞がるのは、自分と彼を隔てる空間の壁。
本来であれば切り裂くことは叶わぬはずの、神が定めし絶対の壁は、自分の本当の気持ちに気付いた剣の乙女の前にあっては薄紙も同然だった。
――――――――――――――/ 斬 /―――――――――――――
「待っててマックス。今いくから‼」
自ら切り開いた次元の裂け目に美香は躊躇うことなく飛び込んだ。
◇ ◇ ◇
剛と剛、二匹の荒ぶる猛虎の死闘は、道場の屋根を突き破り熾烈な空中格闘戦へと移行していた。
瞬きよりも短い刹那の間に二人の拳と蹴りが何度も交差する。
互いの拳がぶつかり合うたびに空気を震わす爆轟が轟き、嵐のような暴風が吹き荒れた。
『「覇ァァァァァァァァァッ‼‼」』
まるで鏡像のように全く同じ姿勢から繰り出された魔力拳が衝突。
燃え盛る二つの巨大な拳が混ざり合い、異空間に一つの太陽が顕現する。
肺を焦がす灼熱すらものともせず、莫大な熱量を相手に叩きつけようと二人はさらに魔力拳を連打、連打、連打‼
『どうしたッ! 動きが鈍ってきているぞォッ!』
「くっ……‼」
強い。ほんの僅かな差だが、あちらの方が確実に。
そしてその差はこの極限の戦いの中で徐々に、そして確実に、自分の疲労という形で現れる。
差を埋めようと無意識のうちに身体に無駄な力が入り、そこから生まれる疲労がさらにお互いの差をさらに広げていく。
落ち着け。相手のペースに振り回されるな。
思い出せ。誰よりも強く美しいあの人の戦い方を。
「―――――――邪ァッ‼」
『ッ!?』
剛が轟々と燃え盛る炎の塊を蹴り破り、強引に突貫する。
まさか自ら炎の中へ飛び込んでくるとは思っていなかった剛は、ほんの僅かに反応が遅れた。
その隙をこじ開けるように、剛の技もへったくれもない力任せの回し蹴りが相手のガードごと粉砕して吹き飛ばす。
あの人の、涼さんの本気の戦い方はまるで出鱈目で、人間の動きというよりはまさに獣そのものだった。
野生の動物が強いのは、人間の何倍も強い身体能力を扱う方法を、本能で理解しているからだ。
人間は理性を手に入れた代わりに、本来なら本能が教えてくれるはずの身体の使い方まで忘れてしまった。
だから意識して身体を鍛えなければその力を引き出すことさえできない。
そうして生み出された人体を最も効率的に使う技術こそが武術であり、人類が長い歴史の中で研鑽を重ね、練り上げ続けてきた力。そのはずである。
……だが、果たして本当にそうだろうか?
それらの技術は本来、普通の人間の規格に合わせて練られたもので、こんな出鱈目な身体能力を持つ者が扱う事を想定していないのでは……?
いつか師範代は言っていた。武術とは涼にとって最大限の手加減なのだと。
人体の運用方法を正しく知れば、手加減をすることも可能になる。今まで自分は、師範代の言葉をそう解釈していた。
確かにそういう側面もあるのだろう。
どれだけ能力が高かろうと、骨格が同じなら関節の可動域なども同じだからだ。
しかし、もしも。……それらの技術すらも上回るほどの出鱈目な反射速度とパワーがあったとしたら、その前提は覆ってしまうことにはならないだろうか。
一々効率的に動かすよりも、本能のまま力任せにぶん殴った方が早くて強い。
規格の合わない運用方法が、文字通りの枷になっていたとしたら……?
屁理屈みたいな理論だが、すでに涼という出鱈目な存在がそれを証明してしまっている。
そして、自分もレベル99の高みへ到達したことで、今まで積み重ねた技術が逆に枷になっていたとしたら……。
目の前に立ちはだかる剛はこう言った。『オレはお前の内なる影だ』と。
もしやコイツは、今まで積み重ねたものを手放したくないという、俺の無意識から生まれた存在なのではないだろうか。
だとすれば、オレがコイツを倒すには、
『……どうしたッ‼ 早く構えろッ‼ それとももう自分の負けを認めたかッ!?』
「……いや、これでいいんだ。もう構える必要すらない」
完全な脱力。一見、戦意を喪失したかのようにも見えるだろうが、これでいい。
『……ッ、見損なったぞッ‼ 貴様のような腰抜けはオレではないッ‼ 貴様を殺してオレが本当の螺合剛だと証明してくれるわーッ‼』
剛が効率的な動きが生み出す爆発的な加速で突っ込んでくる。
「シャァ―――—――ッ‼」
『ッ!?』
脱力から一転、全身の筋肉を総動員した本能のままの拳が剛の顔面を強かに捉え、遥か彼方までぶっ飛ばす。
やはり、認めたくはないが……普通に全力でぶん殴った方が早くて強い。
あの人と同じ高みまで上り詰めた嬉しさと、今まで積み重ねたものを捨てなければならない悲しみ。
同時に押し寄せる相反する感情を、短い呼吸と共に吐き捨てる。
『ぐぅ……ッ!? み、認めない‼ オレは認めないぞッ‼ 今まで積み重ねた努力が、しょんな筋力任しぇの出鱈目に負けるなんて……そんな事、絶対にあっちゃいけないんだァ――――――‼』
「目的を履き違えるなッ‼ オレの目標は涼さんを倒すことだろうッ‼」
黄金のオーラを爆発させた剛の燃える魔力拳の連打を、自らも金色のオーラを纏い獣のような動きで全て回避。
そのまま一気に近づいて肉弾戦へ。
本能のまま振るわれる力任せの拳と、人類が積み重ねてきた技術の応酬。
人の技術を捨て去り、本能のままに拳を振るうごとに、自分が人間よりも一つ上の存在に変化していくのがわかった。
はじめは向こうの方が上だった両者の差は、気が付けば逆転しており、いつしか戦いは剛が圧倒する一方的な展開になっていく。
『こんなッ、こんな馬鹿なことがあってたまるかァッ‼ 積み重ねた鍛錬と技術がただの筋力に負けるなんて、しょんな事がッ‼』
「なら、お前は涼さんの存在すらも否定するんだなッ!?」
『しょ、しょれは……ッ』
言い淀んだ剛の懐に潜り込み、そのまま胸倉を掴み上げた剛が貫くような視線でしゃくれ野郎の目を真っ直ぐに睨む。
気付けば剛の纏うオーラだけ、黄金から透き通るサファイアのような青へと変化していた。
「誰よりも憧れた人すらも否定して、何が最強だァァァァァッッ‼」
『――――――――――――ッ!?』
隕石のような頭突きが振り下ろされ、衝撃波が吹き荒れる。
渾身の一撃をモロに食らい、白目をむいて力なく膝から崩れ落ちる剛。
自分の内なる闇を乗り越えた剛の前に扉が現れる。
倒れ伏したまま塵と消える自らの影には一瞥もくれず、剛は光あふれる扉の先へ踏み出した。
※危険ですので鼻からカレーうどんを食べるのは絶対にやめましょう。




