女神新生 俺と彼女の世界変革の時 6
気が付くと零士は階段をのぼっていた。
いつからそうしていたのか記憶すらもすでにあやふやで、されど終わりは未だ見えず。
ここには、自分と、自分が今踏んでいる二歩分の段差しかない。
それ以外は無明の暗黒が広がるばかりで、今踏んでいる階段も、足を離した途端に闇の中に沈むように消えてしまう。
先へ進むにはそこにあるとも限らない階段の存在を信じて、ひたすらに闇の中へ足を踏み出さなければならない。
そんな心をすり減らす作業を、果たしてどれほど繰り返しただろう。
後ろを振り返っても、そこに自分が辿ってきた道はすでになく、前を向いてもやっぱりそこに道はない。
……本当に自分は先へ進めているのか。
そもそも、この世界に終わりはあるのか。もしかしたら、自分はこのままずっとここから出られないのでは。
そんな不安が常に頭の片隅に付きまとうが、それでも、前に進む足を止めないのは、まだ果たしていない華恋との約束があるからだ。
やっぱり先にプロポーズしないでよかった。
もしあの時していたら、たぶん自分はすでにこの暗黒世界で気が狂ってしまっていただろう。
心の支えがあるだけで、人はこんなにも強くなれる。
それに、最終決戦を前にプロポーズするのは、なんか死亡フラグっぽくて嫌だったから。
だからあの時もただ一言、「倒そう」としか言わなかった。
この戦いが終わったら、なんて、死亡フラグの代名詞みたいなものだ。もし言ってたらきっと、死の王との戦いの途中であっさり死んでいたかもしれない。
「――――――ふっ。馬鹿馬鹿しい」
自分以外に聞くもののない空虚な笑みが闇の中に吸い込まれて消える。
もしかしたら死んでいたかもなんて、それこそ今まで何度もあったじゃないか。今更そんなことを考えるなんて、それこそナンセンスだ。
こんなことでも自分はまだ笑える。だから大丈夫。
この試練の本質は、どこまでも耐え忍ぶこと。
先の見えない闇の中を、決意という刃の下に心を隠して、ひたすらに耐えて、進み続ける。
彼がこの闇の世界の最奥に辿り着いた時、その柔らかな心を傷一つなく保っていられたなら、彼の決意は何物をも切り裂く神の刃となるだろう。
先へ進もう。彼女との約束を果たしに行くために―――――――。
◇ ◇ ◇
華恋の目の前に一枚の大きな姿見がある。
ここには自分と、その姿見以外には何もない。周囲を見渡しても気が遠くなりそうなくらいどこまでも真っ白で、地平線どころか、空と大地の境界すら判然としない。
姿見と自分の立っている高さが同じだから、辛うじてここに足場があると分かるだけで、それがなければとっくに距離感を失って、自分すらも見失っていたに違いなかった。
姿見に映る自分を見る。
そこに映っているのは努力の果てに手に入れた輝かしい美貌などではない。
チビで、ブスで、デブ。饅頭みたくパンパンに肉が詰まった顔はニキビだらけで、見ているだけで汗の臭いまで鏡越しに伝わってきそうな、醜いかつての自分。
……ああ、私、こんなにブスだったんだ。
今改めて見ると、その酷さがよくわかる。
『……ほんと、どいつもこいつも最低だよね。顔が奇麗になっただけで急に態度変えちゃってさ』
「えっ――――――?」
突然、鏡の中のかつての自分が話しかけてきた。
『少し前まで人のこと、ゴミでも見るような目で見てたくせにさ、今じゃみんな私に羨望の眼差しを向けてくる。……ほんっと、気持ち悪い。どいつもこいつも見た目でしか人を判断しないクズばっか。死ねばいいのに』
鏡の中の自分が、醜い心の内をドロドロと吐き出す。
『加苅くんだってさ、結局、私がブスのままだったら、絶対好きになんてなってくれなかった』
「そ、そんなこと……っ!」
『無いって、言い切れる? 無理だよねぇ! だってアンタが彼と付き合いだした時には、すでにアンタは美少女だったものねぇ!』
「やめてッ‼」
思わず叫んで耳を塞ぐ。
しかし鏡の中の自分の声は、鼓膜を震わせることなく脳に直接響いて華恋をさらに追い詰める。
『確かに彼はいい人よ? こんなブスな私でもイジメから助けてくれたし、嫌な顔一つせずに相談にも乗ってくれた。……けど、そこに私への好意は無かった。ぜーんぶ、彼が自分で決めたルールに従ってただけ』
「それは……」
『ほらやっぱり。口では言わないだけで、彼もそうなんじゃない。そりゃそうよね。誰だってこんなブスより、アンタみたいに綺麗な方がいいに決まってる』
「……」
とうとう反論の言葉すら失い、華恋は耳を塞いだまま俯き黙り込んでしまう。
それをいいことに、鏡の中の華恋は昏い愉悦に顔を歪ませ、さらにその身に溜まった毒を吐き出し続ける。
『アンタなんて所詮、綺麗な仮面を付けてなきゃなーんにもできない臆病者じゃない。人は変われる? 変われないよ。三つ子の魂百まで。変わったと思ってもそれはただの思い込み。人間の本質がそう簡単に変わるもんか』
「ちがう……ちがうちがうちがうっ‼ 私は変わった、彼が私を変えてくれたのっ!」
『お綺麗な仮面のおかげで? 笑わせないで。アンタなんて、誰にでも好かれる仮面の下で変わったような気になってるだけじゃない』
「ち、ちが……」
『いいえ、違わない。だってアンタ、今から昔の顔に戻っても、堂々と友達や彼の前に出て行ける?』
「……っ」
否定しようにも、言葉が出なかった。
その通りだと思ってしまった自分が悔しくて、堪えきれない悔しさが涙の雫となって、ニキビでボロボロの頬を濡らす。
『分不相応な綺麗な顔を手に入れて舞い上がっちゃってた? 彼氏まで出来て、幸せな夢は見れた? あははっ、残念でした。アンタにはその姿がお似合いよ』
「……っ!?」
言われて、嫌な予感に鏡を見上げる。
するとそこに映っていたのは、眩いばかりの美しい自分の姿。
……なら、鏡の中の醜い自分はどこへ消えた?
嫌な予感に全身から血の気が引いていく。恐る恐る自分の頬に触れると、酷く荒れた感触が太い指先に伝わった。
自分の手を見る。なんて太く短い指。
身体を触る。パンパンに肥え太った肉の塊がそこにあった。
「嫌……っ、嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ‼」
あまりに許容し難い現実に、華恋の中で何かが弾けて崩れ去る。
『ほら、私たちの愛しの王子様のご到着よ。見てもらいなさいよ。アンタの醜い姿を。これでもまだ私を愛してくれるって、聞いてみなさいよ‼』
醜い自分を嘲笑う鏡の中の自分が、背後を顎で指した。
華恋が恐る恐る振り返ると、闇の回廊を抜けてこの場所に辿り着いた零士が、華恋に気付いてこちらに近寄ってくるところだった。
気付けば鏡の中にいたはずの自分は自分の横に並び立ち、近づいてきた零士を柔らかな笑顔で出迎える。
『零士くん! 無事だったんだね。よかった……』
「……なあ、華恋さん。コイツ誰?」
「『えっ……?』」
零士が美しい方の華恋を指差して、醜い華恋に尋ねる。
『な、何言ってるの!? 私のこと忘れちゃったの!?』
「あ、わかった。そういう試練なんだなコレ。自分の闇と向き合う的な。漫画とかでよくあるやつ」
お得意の豊かな想像力で瞬時に状況を把握する零士。大正解だが、これでは試練もクソもあったものではない。
「な、なんで……? どう見てもそっちの私の方が奇麗なのに……」
「……はぁ。今更顔がブスに戻った程度で俺が華恋さんのこと間違えたり嫌いになったりするわけないだろ。見損なうなよ」
「……っ! ご、ごめん」
零士の曇りなき眼にまっすぐ見つめられ、ばつが悪そうに目を逸らす華恋。
闇の中でどこまでも研ぎ澄まされ、とうとう神へと至った零士の決意がこの程度で揺らぐはずもなかった。
少しでも彼の心を疑った自分が恥ずかしい。
『ふ、ふざけないでよ! どんなに優しいこと言っても、どうせ口先だけじゃない! 零士くんだって、ブスより綺麗な私の方がいいに決まってる! そうでしょ!?』
美しい自分を差し置いてブスな自分と心を通わせる零士に、ヒステリックな悲鳴を上げて食って掛かる闇華恋。
それを零士は煩わしそうに横目で受け流すと、目を逸らしたままのブスな華恋の方へと近づき……
「んむっ!?」
その唇を強引に奪った。
それはその場しのぎのやけくそではない、確かな愛を感じる優しいキス。
慈しむような唇の触れ合いに、次第に華恋の強張った顔もとろけていく。
『嘘……。信じられない……』
「正直さ、もう顔とか関係ないんだよ。俺が好きなのは花沢華恋っていう女の子の心そのものなんだからさ。……それに、こうして見ると、痩せてニキビが消えれば中々愛嬌のある顔だと思うぞ?」
零士が華恋の弛んだ顎を持ち上げて、愛おし気に頭を撫でる。
「そ、そうかな……」
「うんうん。それにやっぱり華恋さん、セクシーな唇してる」
「ぶ、ぶひ……っ」
当てつけみたく急にイチャイチャしだしたバカップルを前に、闇華恋が悔しそうに歯ぎしりする。
そしてそのまま諦めたようにがっくりと肩を落として、やれやれと嘆息した。
『……はぁ。そこまでまっすぐ愛されちゃったら、私、消えるしかないじゃない…………』
闇華恋の姿が真夏の陽炎のように揺らいで消えていく……。
すると醜い子ブタの身体に亀裂が走り、まるで蛹から美しい蝶が羽化するように、そこから眩いばかりの光が溢れ出す。
ブスの殻を破り、その中から生まれ出るは、一点の曇りも無い、玉のような美貌。
過程はどうあれ、唯一華恋の美貌を僅かに曇らせていた心の闇が晴れたことで、彼女の美貌はついに完全なる完成を見た。
本来なら己の闇と向き合い、自分との対話の中で自らの心の闇を乗り越える試練のはずが、どこまでも真っすぐな零士の愛の力で華恋の心の闇そのものが消えてしまったため、結果的にこうなった。
本当に試練もなにもあったものではない。
すると姿見がドアへと変わり、先への道が開かれる。
ドアの向こう側は混沌と揺らめく様々な色の光で満たされており、その先がどうなっているのかはわからなかった。
「行こう」
「うん!」
きっとこの先でみんなが待っている。
そんな確信めいた予感に背中を押され、頷きあった華恋と零士は、今度こそはぐれないようにしっかりと手を繋いでドアの向こうへと足を踏み出した。
究極完全体ヒロイン爆誕
愛の力ってすげー(小並感




