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神を娶らば  作者: キャン
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第3話 恵みの森、ミルボ

 サイゼラ村の北方に、長く深く広がるミルボの森。古い言葉で、"恵みの森"という意味だ。

 その名の通り、ミルボは古くから、村の人々に多大な恩恵をもたらした。元より気候が温暖な地域ではあったが、ミルボの森より流れ出るキュフレル川のおかげで、清らかな山水を豊富に得ることができた。さらにキュフレルは、ミルボの森から肥沃な土も運んで来る。そのようにして、長い歳月をかけて形成された平野に、サイゼラ村はある。


 キュフレル川はほどなくして、キジークの海へと流れ出る。妖魔の海とも呼ばれる荒海だ。

 サイゼラ村は、北は魔獣の棲む深い森に、南は妖魔の海に遮られ、ほとんど外界とは隔絶されている。それでもサイゼラ村は豊かで、飢える人などいなかった。肥沃な大地には多様な作物がよく育った。時おり森から迷い込む魔獣は、村にとり最大の脅威ではあったが、同時に、魔獣の肉はまたとないご馳走であり、その濃い血液からは万病に効く妙薬が得られ、骨や毛皮で作られた農具や衣服は何世代もの使用に耐えた。


 それゆえの"恵みの森"である。


 サイゼラ村の人々は、常に森を畏怖し、森に感謝して暮らしてきた。10年前の大襲撃は、人と森との長い歴史の中でも、やはり特異であった。

 あるいは、ミルボの奥で何か異変があったのかも知れない。もちろん、森の中の出来事など知る由もない。しかし人々は、口々にこう噂した。


「猛き獣の神がけしかけたのだ」と。


 調度、魔獣の襲撃が収束した頃、北の森の彼方から、どんな獣とも似つかぬ巨大で禍々しい影が飛び立つのが目撃されたことが、噂に信憑性を与えた。

 今日に至るまで真実は分からない。それこそ、神のみぞ知るところだ。


 それでも、そうだとしても、森と寄り添う人々の心の根はたくましい。古の昔より、絶えず続けてきた神事がある。

 "ミルボ祭"

 年に一度、秋の月が最も天高く輝く夜に、村人総出で行われる、森の恵みに感謝を捧げる祭りだ。

 元々は、森の実りが最も豊かで、魔獣の襲撃の心配も少ないこの季節に行われたのだが、10年前のあの日からは、獣の爪牙にかかった者たちの魂を弔う意味を持つようになった。

 そのミルボ祭が行われるのが今夜である。


 森から切り出された一本の老木を加工して作られた祭壇には、新鮮な農作物や木の実、あるいは御神酒などが供えられ、さらに、寿命を迎えた農具工具なども祭られている。

 ちなみに、祭壇に用いる老木は、キュフレル川沿いの森の入口近くから切り出す。深く森に立ち入り獣たちの棲みかを荒らすことは許されない。年に一本。誰と文書を交わしたわけでもない、これが森との約定であった。


 祭壇の周りで村人たちは、大いに飲食を楽しむのだ。

 宴席には、この日のために醸しておいた穀物酒や、魔獣の干肉なども供され、人々の胃袋を暖める。

 そして、夜が更ける前に、祭壇には火がかけられ、村人たちは静かに祈りを捧げる。立ち上る火柱に乗って、数多の魂たちが天に還ってゆくのだ。

 獣の魂にも、道具の魂にも、そして人間の魂にも、彼らは等しく祈りを捧げる。もちろん、自分たちの家族や友人を奪った魔獣を憎まない者などいない。それでも、全ての魂に畏敬の念をこめるのが、森に暮らす人々の生き方だ。

 そんな心の有り様を、今のカイルはとても好ましく思っていた。全てはそのように生まれ、そのように生きた結果なのだから。


「よし、カイル。剣を取れ」


 そんな祈りの夜に、不穏な言葉を放ったのはレイ・グラントだ。皆酒も回り、口も滑りやすくなる頃合いである。いつものように、レイとカイルの間では、自警団に入るの入らないのという問答が行われた。熱烈な勧誘をのらりくらりとかわすカイルに業を煮やしての一言だ。

「今夜は武器を持つには相応しくないな」

 カイルも決して戦わないとは言わない。無手で仕合おうということだ。祈りを捧げるべき夜に、剣で血を流すわけにもいかない。とは言えこの二人が殴り合えば、間違いなく血は流れるのだが。


「お、またあいつらか!」

「レイ、今日こそカイルをぶっ飛ばしてやれよ!」

 ほどよく酔いも回った大人たちは、二人を止めるどころかさらにけしかける。村長の娘であるフュリーでさえ、諦めを通り越して最早無関心に近い。カイルとレイが剣を交え拳を交える光景は、ほとんど日常のようなものだ。

 そして人々は知っている。この二人の対決は、決して大事には至らないということを。つまり、それほどに二人の実力には大きな隔たりがあるのだ。


 ほどなくして、レイ・グラントは地を舐めた。かなり善戦したと言って良い戦いだった。一見するとレイの方が圧倒的に手数が多く、無数の拳をカイルの体に打ち込んでいた。だが、カイルの打たれ強さは尋常のものではない。気が付けば、レイは地に伏し、カイルは呼吸すら乱れていないのだ。


 夜更け前になり、祭壇に火がかけられた。

 先刻の喧騒が嘘のように、人々は黙して静かに祈りを捧げた。

 天に還る数多の魂に祈りながら、同時にレイは、打倒カイルを改めて誓うのだった。

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