マリー
アレクは市場を見て回り、ほしかった鍋を発見するも、銀貨5枚もしている。魚1匹の売価が銅貨2枚なので、卸値は銅貨1枚程度、よって鍋を買うには魚500匹ちかく売る必要がある。毎日1匹多く獲って、それを売ってもらっても1年以上かかる。
計算すればするほどアレクは絶望の縁に立っている気分になった。城での勉強でも数字は好きな方だったが、数字が得意なことがこれほど恨めしいと感じたことはなかった。
しばらく市場を回っていると陶器の皿や椀などの他に、木で作った炭を売っている店を見つけた。炭の値段は一袋で大銅貨2枚だ。これなら仕入値を考慮しても50袋。現実的な気がする。
『炭は一度に沢山作れる。その上、魚と違って取れない日は無い!』
その炭の値段を見た瞬間、炭作りこそ自分の仕事ではないかとアレクは思っていた。
普通の家庭で生木を使うことは少ない。部屋中煙だらけになるうえ、火の調整が難しいからだ。豊富な木があるのはこの豆の島と常闇の島しかない。結局生木でも市場で購入しなければならず、火持ちを考えれば炭を買うのも悪くない。
自分が常闇の島に住んでいることを店の人に伝え、この店に炭を卸す事は出来るか聞いてみた。
「うーん、まあそんなに量が無ければいいかな・・。売値の半分で仕入れてあげるよ」
常闇の島では不漁のため生活に困っていることが、他の島の人にも知れ渡っているようで、店の人は気を効かせて受けてくれたようだ。アレクは大きく喜び、店の人と握手をした。
その後、斧や鋸などの木工道具のお店を見つけた。
「(斧は銀貨4枚、鋸が銀貨6枚!鍋購入の為の道具が、鍋より高いとか・・)」
アレクは木工道具の価格の高さに小声で愚痴を吐いていた。ただとりあえずの炭作りなら、光る石があれば他に何も要らない事と思い出すと、目の前の価格は忘れることにした。その後、そのまま市場を色々と調べて周り、様々な商品の価格や品揃えを確認していた。
「あんた誰?」
突然、見知らぬ人がアレクに声をかけてきた。アレクが振り向くと身長は170cmくらいの褐色の女の子が話しかけて来たのだ。最初は自分の事と思えず、周りを見渡したが、やはり自分のことらしい。
「あの、どのようなご用件ですか?」
「だからあんた誰って聞いてるの?」
「アレクシスと申します・・」
「ふーん、やっぱり大陸の人間さ。その名前だと北方の国?」
「・・ところで、どのようなご用件ですか?」
「ちょっと話があるさ」
全く人の話を聞かない上、悪ぶった話し方をする褐色の少女は、アレクの頭を押しながら市場から離れた場所に移動する。周りに人気はなく、遠くなった市場の喧騒が小さく聞こえる。
褐色の少女は近くの石に腰掛け、自己紹介を始めた。
「あたいの名はマリー。大豆村の村長の娘さ。はっきり言おう、あたいはこの島々が大嫌いなんだ。この島を出て大陸に行くつもりさ。ただ流石に一人で大陸に渡るのは不安が残るさ。そこでだ!大陸出身の道案内がほしいというわけさ」
マリーの目を見る。確かに強い覚悟を持っているようだ。まだ随分先とはいえ、アレクも貿易船のお金を稼ぐ見当は未だに無い。豆の島の村長の娘なら、自分の分の旅費も出して貰える可能性がある。
大陸に戻れる可能性に気がつくと、急に妹の事が心配になってきた。しかし今はこの可能性をしっかり確認することだ。
「なるほどマリーさんは、案内人として僕を雇いたいと言うことですね?」
「そうさ、次の貿易船に乗る!」
「すでに貿易船の方たちにお話済みなんですか?」
「いや、まださ!」
返事は良い、しかし何か気になる。次の貿易船に乗ると言いながら、相手に話もしていない。それはまだいい、問題は彼女が何も考えていないように感じてしまう事だ。
見た目はすでに10代後半に見える。15歳で成人するわけだから、この人はもう立派な大人のはずだ。
「大陸のどちらに行かれる予定ですか?」
「大陸だ!」
「・・ご両親のご許可はあるんですか?」
「ないさ!」
「旅費は2人分、すでに準備済みですか?」
「ないさ!」
「私の案内人としての報酬はいつ頂けますか?」
「大陸に着いたらな!」
なんだろうこの人は、非常にまずい気がする。アレクはさっきまでの薔薇色の希望はすでに消えてなくなり、得も言わぬ不安が広がり始めたことを感じていた。
「マリーさん、残念ながら案内人の件はお断りさせていただきます」
「大丈夫だ!気にするな。とりあえずあたいの両親には内緒だ!」
・・話が通じない。
「あ!マリーさんすみません。人と約束があるので今日はこれで!」
アレクは言いながら走り出していた。マリーは突然アレクが逃げ出したので、呆気に取られているようだ。アレクは全速力でお店に戻る。すでにセリムはお店の片付けを終えて待っていた。
「遅いよアレク。もう出発するよ?」
「すみません!セリムさん」
アレクは待たせたお詫びと言って、セレムの網を持つことにした。
2人は桟橋に着き係船索を外し小舟に乗ると、アレクはすぐに船を漕ぎ出した。セレムに炭の相談をしようかと、セレムの顔を見ると、彼は桟橋の方をじっと見ている。
「あれは大豆村のマリーさんかな?桟橋で何してるんだろう?」
アレクの背筋に寒気が走る。ゆっくりと後ろを振り向くと、マリーが桟橋からアレクを見ていた。
◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇
常闇の島に戻ると、アレクは船に載せてもらったことのお礼を伝えた。その後アレクは炭作りの準備の為、すぐに自分の小屋に戻った。大事な部分は木と窯だ。木の切り出しと石の切り出しが必要になる。
「そういえば森の中に空白地帯があったな。どうせ木を伐採していくならそこに向かってみようかな」
まずは木の伐採から始めることにした。材木小屋から岩山の頂上を結ぶ線の上にある木々を、道を作るように光る石の水力で切っていく。森の端から10mも行かない所で森の雰囲気が変わってきた。
すでに20本ぐらい木を切り倒している。木は水力でその場で小さく切って薪の大きさにし、材木小屋の横に積み上げていく。これだけでも普通に薪として使えそうだ。
さらに木を切り倒していると、ついに先日襲われた木の化物が現れる。
「来たな!先日のようには行かないぞ!」
実はアレクは化物を待っていたのである。化物は森から出ない為、森を切り開いてしまった時にどうなるかの確認がしたかったのだ。
川を使った遠回りな道を使い、岩山を昇って石を切り出してくるのは、正直かなりの労力だ。
それなら森を真っ直ぐ突き進んで、岩壁を切り出したほうが移動距離も減る上、平地なので丸太の上に板を載せ石を運ぶことも出来る。
「不思議だけど、切り取られた森は、やはり彼らの領域では無くなっている?」
木の化物をよく見ると、木が残っている森から一定の距離しか出てこれないようだ。
普通の木こりなら接近しないと戦えないためかなり危険だが、アレクは近づかずに攻撃できる強力な光る石がある。アレクは光る石を手に取り水力攻撃を行った。
「ギギッ!ギギッ・・」
先日の叫び声の様な音よりも、断末魔のような音になっている。アレクは手の様な枝と、根っこの部分を最初に切り落とし、攻撃できない様にしてから本体を縦に真っ二つにした。化物は大きな声のような音を上げ、他の木のように倒れ込んだ。
すると真っ二つに割れた化物の中に、光る石のようなものが埋まっているのを見つける。
すでに危険な雰囲気は消え去っているが、警戒しながら化物の体の中にあった光る石を取る。しかしこの光る石は一応光って入るものの、光が黒い緑のような色になっており、不気味な輝きとなっていた。
「なんか嫌な雰囲気を持った石だな・・」
アレクは森の出口あたりに穴を掘って化物の石を埋め、後で分かるように目印を付けておいた。不思議なことに、倒れた化物の体は普通の木と同じものになっていた。
その日は結局20mぐらいまで奥に進んだが、最初の1体以外、化物は現れなかった。
次の日、朝起きると体中が痛い。昨日かなりの木を切り倒し、薪ぐらいに細かく切った大量の木片を、森から小屋まで運んだせいだろう。腕を回しながら体をほぐした後、最後の1枚の少し臭い鯨肉を食べつつ、午前の仕事の魚獲りに海に向かった。
アレクは魚を2匹獲っただけで小屋に戻ってきていた。早く伐採を進めて行きたいのだ。化物も倒せるようになった自分に少し酔っているのかもしれない。
昨日進めたところまで森に入っていくと、また森から不穏な雰囲気が漂っていた。見ると3匹ほどの木の化物が森の中からアレクを見ているようだった。
「動けないんだから、数がいたって意味が無いのにな」
アレクは正面の化物に攻撃を始めると、なんと残りの2匹がすでに木を伐採し入れなくなったはずの場所に入り込んできた。
「な、なんで!?森じゃ無くなった所は来れないんじゃ!?」
アレクは必死に逃げ出そうとするが、気を緩めていたせいで駆け出す時間が遅れていた。
木の化物の、手のような枝がアレクの足に絡みつく、振り払おうと足を振り回しても一向に取れそうに無い。すぐ近くにもう1匹の木の化物が迫ってきていた。
アレクは光る石から高圧な水を出そうとするが、焦っているせいかうまく水の力を想像できない。
その間にもう1匹の化物の枝が、更に足に巻き付き下半身の自由が完全に奪われてしまう。2匹は根っこのような足を動かしアレクに近づいてくる。
「こ、殺される!」
アレクは苦し紛れに火の力を想像する。
幸運にも爆発的な炎が現れ、2匹どころか周りの木々も燃やしていく。しかし火が現れる場所はいつも石からだが、アレクは恐怖によって光る石を強く握りしめてしまって石が見えなくなっていた。にも関わらず、化物に向かって突き出した石を握った拳の先から炎が現れ、化物と一帯の森を焼いているのだ。
化物が炎に包まれるのと同時に、化物の手のような枝も外れる。アレクは足が自由になった事に気づき、全力で森の外に来げ出していた。そして森の外に出た瞬間に気を失った。
◇◇◇◇◇◆◆◆◆◆◇◇◇◇◇
目が覚めると、そこは自分の小屋だった。状況が飲み込めず周りを見渡す。暫く起き上がった状態で放心していると、自分が石の使いすぎで気を失った事を思い出した。自分の右手で顔に触ろうとした時、自分の右手が恐怖で強く握られていることに気が付き、自分の左手を使いながらゆっくりと手を広げた。
「ええ!?光る石が無い!?」
気を失うまで光る石を握っていた事ははっきりと覚えている。
しかし自分の手は今の今まで固く握られており、落としたとは思えない。もしかして自分を運んでくれた人に取られてしまったのだろうか・・。アレクは手のひらを見ながらそんな事を考えていた。
そして手のひらを返し手の甲も見てみる。
「う、うわーーーー!!」
アレクは思わず大声で叫んでしまう。
手の甲の親指の付け根あたりに、小さく光る石が見えているのだ。どうやら強く握りすぎたせいか、手に石が埋め込まれてしまったのだ。アレクはひとしきり大声を出した後、冷静さを取り戻す。
「胸の石と一緒みたい・・、痛みは無いし違和感も無い・・・」
アレクは小さく見えている光る石をじっと見ると、以前確認したように5色の光とその他沢山の光が輝いている。やはりこの光る石は今まで育ててきた岩山の石のようだ。
「もう使えなくなってしまったのか・・・」
アレクは今までの訓練を思い出し、大きな喪失感を感じていた。アレクが一人項垂れていると、水の入った小さな盥を持った人が小屋に入ってきた。
「あ!アレクちゃん、元気になったな!」
「アレクちゃん?」
アレクが顔を上げると、そこには昨日豆の島で会ったマリーが立っていた。
「マ、マリーさん!?どうしてここに?」
「えー?恩人にそりゃないだろう?森の脇に倒れていたのをここまで運んでやったんさ」
マリーの話を聞くと、今日の市場当番の人がこの島に帰る時に乗せてもらったらしい。昨日セリムを見かけていたので、最初にセリムの所でいろいろな話を聞いた後、合わせてこの小屋も教えてもらったという。なぜこの人はこんなに行動力があるのだろう・・。
「助けて頂いてありがとうございます」
「気にすんなさ!あたいの大事な案内人だからな」
ううっ、案内人の依頼が断りづらくなってしまった。彼女がわざわざ村長の家に戻って借りてきた盥の水を手ですくって飲み。やっと人心地がつく。
「それでマリーさんはどのようなご用件で?」
「金の相談さ」
「・・いや、僕は全然お金持ってないです。マリーさんの方がお金持ちでは?」
「家には内緒だから、親からは借りられんさ」
「あの、僕8歳ですよ?お金の相談されても・・」
「この話を知っているのはお前しかおらんさ。島の人間達に話したらすぐに親に伝わる」
困った人だ。僕にどうしろと言うのだろうか。炭作りの計画も、森の化物の問題や光る石が手に埋まってしまった問題も、問題だらけで鍋すら買う見通しがつかないのに・・。
「ところで小舟で来たということですが、今日はどうやって帰るんですか?」
「帰らんさ」
「はい?」
「親には泊まり込みで大陸の話を聞きに行くと言ったさ」
「どこに?」
「もちろんここさ!」
頭痛がしてきた。この厩舎よりも酷い所に泊まろうというのか。
「お知り合いのようですし、せめて村長さん宅に泊まって頂けませんか?」
「やだ」
「なぜですか?こんな魚の陰干し用の物置小屋より、よほど良いと思いますが?」
「セリムがうざいんさー、あたいは漁師の嫁になんぞなりたくないさ」
なんと、あの真面目なセリムさんが、良く言えば天真爛漫なマリーさんに求婚しているとは。
とても大変な結婚生活が待っているとしか思えない。
確かにマリーさんは大陸系の彫りが深く、目や口も大きく綺麗な顔立ちをしているし、体が細い割には胸も尻もしっかりある。特に腰がすごく細いのが貴族あたりには人気が出そうだ。
しかし漁師や農家など肉体労働系の仕事やその家庭にはあまりにも似合わなすぎる。
まず体力が持たないだろう。その上この性格だ。下手な貴族令嬢よりもタチが悪い。
アレクは、この問題だらけの状況にどこから手をつけていいのか分からず、思わず大きなため息をついた。
「どうしたアレクちゃん、まだ調子悪いのか?」
・・きっと悪い人では無いとアレクは自分に言い聞かせていた。
ついに女の子成分が。と思いきや性格に難が・・・。こ、こんなはずでは・・