海戦
アレクが部屋に戻り寝台に横になると、いつの間にか1時間ほど寝ていた。しかし何やら中庭の方が騒がしく目が覚める。アレクはあくびをしながら中庭に着くと、そこではバラキンとガガーリンが2人がかりでマリーと戦っていた。木刀のようなので練習だろう。
あっさりと、マリーが2人を倒すと。「もう1回」と言いながら試合を繰り返している。戦いが好きだから司令官などやってるんだと思うけど、小娘に負けて恥ずかしくないのだろうか・・
アレクは寝ぼけながら、試合の様子をみていると、マリーがアレクに気がついた。
「あ!アレクちゃん起きた?」
「ごめんね、寝てしまったみたい。みんなは?」
「子爵様となんかいろいろ難しい事話してたよ!」
なるほど作戦の準備などかもしれない。そういえば、正式に協力してもらえるか子爵に聞くのを忘れていた。アレクはとりあえず応接室でお茶を貰って目を覚まそうと立ち上がると、バラキンとガガーリンが目の前に来た。
「「すまなかった、英雄アレク殿」」
「え?」
「マリー殿から、過去の戦いの話も聞かせて頂き、英雄に年齢は無意味であることを知った」
「兵法だけでなく、剣も魔法も使える大賢者でもあると聞いた。本当に自分が恥ずかしい」
「マリー!」
アレクはマリーを見ると、脱兎のごとくその場から逃げ去った。
「大変申し訳無いのですが、魔法についてはご内密にお願いします」
「「承知した!」」
まあこれで、円滑な作戦遂行に繋がってくれれば、結果的には問題はない。アレクは少し応接室に用事があるのでと、丁寧に2人に断りをいれるとその場を離れた。応接室につくと、子爵も休憩に来ているようだった。
「おお、アレク様。お茶はいかがですか?」
「ありがとうございます。頂きます」
メイドが素早く、アレクにもお茶を煎れてくれた。
「子爵様、ところでご理解とご協力は頂けそうですか?」
「え?あ、ああ!十分理解しました。全力を持って海賊どもを追い払いましょう!」
「ありがとうございます。これが上手くいけばマルティーナの母親も無事に貿易業に戻れますので」
「アレク様・・・、もしかしてそのためにこの作戦を?」
「はい、そうです。もちろんツァーリ大公国の為にもなりますし」
「・・私は本当の英雄を知った気がします。私利私欲なく1人の少女の母親の為に大海賊と戦う・・」
確かに言葉で言われるとそうだが、今までもずっとそんな感じだしあまり気にならなかった。アレクはプラトーノフ子爵に、貿易船の調達と改修にはどのくらいかかるか聞いてみた。どうやら最短でも2週間はかかるという事だった。アレクは子爵には大砲指揮官と共に漁師の調達と目印設置指示。但しばれないように、普段の漁のように行動しながら、設置するようにしてほしいと伝えた。
「了解しました!」
どうやら、皆積極的に協力してくれるようなので、アレクはまた自分の部屋に戻って、もう一度、作戦の見直しを頭で行っていた。
2週間後、子爵から貿易船の作業が終わった連絡が入ってきた。ついに作戦が始まる。この2週間はバラキンは軍船2隻で哨戒を続け、水夫の練度と大砲の扱いの練度の訓練、ガガーリンもかなりの精度で目標に打ち込むことが出来るようになっていると報告が入っていた。
アレク達が造船所で改造された貿易船の進水式に立ち会っていると、棟梁が声を掛けてきた。
「アレク、貿易船の仕上げは完璧だ。後はお前の役割だ」
「素晴らしい改修です。どう見ても普通の貿易船にしか見えませんね」
アレクはこの2週間の間に子爵に頼んで、子爵の貿易船が大量の胡椒を買い付けに行くために子爵の港のテムニコフから莫大な金貨を積んで出発するという噂を流してもらっていた。そして改修した貿易船には子爵の旗を掲げる。海賊なら必ず食らいついてくるだろう。
アレク達は進水式の後、プラトーノフ子爵の館で主要な人々と最終確認するために集まっていた。
「みなさん、ついに作戦開始の日が来ました。それではアレク様より一言を」
「アレクです。皆様のご協力によって作戦への万全の準備ができました。これより、ガガーリン様の大砲部隊は岬に潜伏して頂き、海賊船団に最大の攻撃を行ってください。貿易船は改修によって速度と小回りが向上しました。バラキン様にはなるべく多くの海賊船をおびき出して下さい」
「アレクちゃん、私達は?」
「マリーとマルティーナは、僕と一緒に貿易船に乗ります。エカテリーナは子爵様とこちらで待機です。段階1のおびき寄せに何日かかるかわかりませんが、こちらが流した情報に食いついていれば、数日で現れるはずです」
アレク達は簡単な確認のあと、それぞれの持場に移動した。そしてアレクを乗せた貿易船が出港する。貿易船には、残っている子爵の軍船2隻も随行する。
貿易船が出港すると、通常の沖合での移動ではなく、すこし陸に近い海を移動し始めた。これは海賊がいると思われている海で、堂々と沖合を移動するのは常識的に考えればおかしいためだ。それと逃走し岬の先の罠におびき寄せる時も都合が良い。
貿易船は軍船を2隻を伴い、隠れるように貿易航路を進んでいると、1人の水夫が物見台から声をあげた。
「海賊船団を発見!数はおよそ・・20隻!」
どうやらアレクが流した情報に釣られ、あらかじめ港の近くの航路で待ち伏せしていたようだ。しかし聞いていた数よりも少ない。アレクはその数を聞いて伏兵として、どこかで待機している可能性に思い当たる。アレクは船長室に向かいバラキンと地図を覗き込む。
バラキンが地図の一角を指して「可能性があるならここですな」現在位置から離れているが、現在の敵の位置から考えれば、適切な航路上の場所を指していた。
『まずいです・・・、この作戦は1回しか使えないために、まとめてかなりの船を撃沈させなければ、また同じことの繰り返しになってしまいます』
「どうなされた?アレク殿」
『かといって、伏兵の場所まで行って合流させてから岬まで戻るのは、あまりにも不自然です。そうなると、今近づいている船に大海賊の船長がいる可能性に期待するしかありません・・・』
「アレク殿?」
「ああ、バラキン様。伏兵は遠くこちらに向かっている主力と合流させる余裕はありません。現在の敵主力を岬の罠に連れていきましょう!」
「了解した!」
バラキンはアレクの指示で素早く動き出した。貿易船は軍船と共に大きく旋回して、海賊から逃げる構えを見せる。それを見た海賊船団も、貿易船の逃走航路を予想し、大きく方向修正を行った。バラキンは海賊船の速度をよく観察し少しづつ追いつかれるように船の速度を調整する。軍船もその動きに合わせるように離れずに航行している。
「素晴らしい操船技術ですね・・」
アレクはバラキンの部下たちの技術に驚いていた。予想していたよりも手際がいい。暫く追走撃が展開されていると、もう海賊船団がかなりの距離に近づいてきている。
「バラキン様、敵の船団に船長旗が出ているか確認できますか?」
「暫しお待ちを!」
バラキンは物見の水夫に指示を出し、敵の船長が船団の中にいるか確認させた。
「海賊の船長旗を確認!あ、あれはトルケルの旗です!」
物見の水夫の間にざわめきが起こった。アレクは水夫たちの動揺の理由をバラキンに確認する。
「トルケルはロツェルン連合王国の海軍司令官だった男だ。無敗の将として船乗りの間では有名で、とある事件で王族の逆鱗に触れ、解任されて行方が知れなくなったという話しを聞いていたが、まさか海賊をしていたとは・・・、彼なら30隻の大海賊を率いているのも納得がいく・・」
どうやらバラキンも彼を恐れているようだ。彼の表情が一気に険しいものになっていた。
「バラキン様、相手が誰であれ僕達は彼らの得意な海戦をする訳ではありません。司令官が不安な顔をしては恐怖が部下たちに伝わります。どっしりと構えて下さい」
「わ、わかっている・・」
バラキンの落ち着いた態度が部下の水夫達に伝わったのか、貿易船は予定通りに進み海賊船団はもうすぐ後ろまで近づいてきている。軍船は貿易船に近づき一丸となって、岬と島の間の海を逃げるように進んでいく。海賊船団の先頭はトルケルの船で、すでにぎりぎり矢も届きそうな距離だ。
その瞬間、トルケルの船が一気に速度をあげた。どうやら他の船に合わせて速度を抑えていたらしい。物見の水夫から悲鳴のような報告が聞こえる。
「敵の船の速度が上がりました!追いつかれます!」
『まずい!貿易船近くの海賊船には砲撃ができない!』
アレクが大砲攻撃の弱点をついてきたトルケルの船に驚き、忸怩たる思いを抱いていると、岬の上の高台から姿も見えず、一斉砲撃の音が響いてきた。砲撃は正確に海賊船を轟沈させていく。海賊たちは周りを見渡しても、大砲の姿も見えないが次々と砲撃音が鳴り響く。
海賊船たちは、トルケルの後を追おうとするもの、逃げ出そうとするもの、止まってしまうものなど完全に混乱のさなかにあった。しかし海に浮かんだ目印を元に、正確な砲撃は行われ、7度目の一斉砲撃の音の頃には、大破していない船は存在しなかった。
ガガーリンの大砲隊は、逃げられそうな海賊船を優先的に攻撃し、岬の先奥深くまで進んだ船を後回しにしていたのだ。ただそうすることによって、逃げ出す海の上に轟沈した海賊船の破片などが行く手を塞ぎ、さらに身動きが取れなくなっている。まさに素晴らしい手際だった。
10度目の一斉砲撃の音を聞く頃には、海賊船団は得意の海戦を一回も行うこと無く、トルケルの船以外は沈没した。岬の下の浜辺に泳ぎ着いた海賊たちは、子爵の騎士団によって捕縛されていた。
しかしアレク達の貿易船はまさにトルケルの船に蹂躙されようとしていた。軍船がトルケルと貿易船の間に入り、貿易船を守ろうとするが、トルケルの船は軍船を子供の如くあしらい、1隻また1隻と大破させていく。アレクはトルケルの船を見て驚いた。砲の向きが海戦砲撃の基本である長距離砲撃用に上を向いていないのだ、どう見ても飛距離が出ない真横に向いている。
アレクはトルケルの船の先端についている衝角の大きさにも驚いた。軍船同士の戦いに衝角を使うことは殆ど無い。しかし大砲の位置といい、衝角といい、このトルケルの高速船は接近戦なら最強だろう。アレクはトルケルが天才であることを感じた。
そしてそのトルケルが貿易船についに追いついた。バラキンが船砲撃の指示を出す。水夫たちが次々と船側の隠し板を取り外し、船尾についた大砲を顕にしながら、バラキンが減速の指示を出す。貿易船は一瞬進みを遅くすると、トルケルの船の先端が船砲の射線に入った。その瞬間船砲が下向きに発射されトルケルの船首を破壊する。
しかしトルケルの船も隠し板の後ろから船砲が現れた瞬間、減速に入っていたのだ。何という判断力と操船技術。貿易船の船砲が次に撃った2発目は虚しく海に吸い込まれる。アレクはこのトルケルという海賊が化物よりも恐ろしいものに感じていた。しかし次の瞬間、物見の水夫からまた衝撃的な報告の声が聞こえた。
「大変です!縄付き大型弩が船尾に打ち込まれ、こちらの船と繋がりました!」
たった数十秒という間に、トルケルの船は瞬時に速度を落とすだけでなく、自分たちの速度が低下して追い付け無くなることを判断し、このような状況を想定して設置された縄付き大型弩を打ち込んで、船尾から乗り込んできたのだ。
「総員!白兵戦の準備!」
バラキンが叫ぶ。アレクはさらにまずい状況に気がついた。海賊船など船同士が接舷するのは、船側と船側の壁の低い所だ。荷物の出し卸にも使われる場所のため、一番乗り込みやすく船同士の密着面積も大きい。そのため、白兵戦などでは、そこに何本も木の梯子をかけて乗り込むのだ。
アレクも当然、船側からの侵入と想定し、段階4の白兵戦に備えて罠を仕掛けておいた。しかし船尾から縄を張って乗り込んでくるなど、アレクの想定外だったのだ。すべての罠が役に立たなくなった。
「マリー、出番です。ただ僕から離れず自分の命を一番にお願いします」
「了解!アレクちゃん!」
「マルティーナは海賊達の顔をよく確認して下さい。直接は攻撃の必要はありません」
「顔?と、とりあえずわかった!」
すでに船尾では海賊が何人か乗り込んできており、縄でできた梯子が1本掛けられている。恐ろしいほどの手際の良さだ。間違いなく、船尾からの白兵戦についてもかなりの訓練が行われていたはずだ。
そのうえ貿易船に乗船した後、海賊たちは無闇に攻撃してこない、海賊側の人数がこちらの人数を上回るまで、慎重に牽制のみを行っている。残念ながらバラキン率いる部下は腰が引けているのか、その意図を読めずに一緒になって牽制しあっている。
「バラキン様!敵が増えると不利になります!今すぐ攻撃を!」
「あ、ああ!全員突撃!!」
さすがのバラキンも言われてすぐに気がつき、突撃命令を出して貿易船の甲板は戦場となった。
バラキンの部下もなかなか奮戦はするものの、戦闘を息をするように行う海賊の相手ではなく、じりじりと数を減らしていく。逆にマリーの周辺は海賊達がかなりの数でやられているため、戦場の天秤は未だ傾かず、お互いの数だけを減らしている。
アレクが味方の損害が大きすぎることに苦い顔をしていると、突然、海賊たちの後ろから身長190cmくらい、しかし巨大な筋肉らしき厚みのある体格によって、それよりはるかに大きく見える男が、海賊をかき分けて前に出た。
「おい!お前らの司令官を出せ!話しをさせろ!」
バラキンがアレクの顔を見ると、アレクが頷くのでバラキンが前に出た。
「わしの名はバラキン!この貿易船の船長だ!」
「んーー?お前じゃないだろう?」
巨体の男はバラキンを値踏みするように眺めると、バラキンの言葉を否定していた。バラキンはその巨体の男から発する雰囲気に呑まれており、よく見ると足が震えているように見える。
「わしはトルケルだ!この作戦を仕切ってるやつに話がある!・・ここにはいないのか?いや、そんな訳はない。これだけの事を考えつくやつが、ここに居ないわけがない!出てこい」
戦場だった甲板が、トルケルの出現によって静寂に包まれる。
「僕です。アレクと申します。これ以上の人的損失はお互いに意味がありません。トルケル様もそうお考えかと。しかし、私共も無条件では引けないことも理解されているのでは?」
海賊たちの目に驚きと驚愕の目がアレクに注がれる。自分達の船団をほぼ全滅させ、トルケルの船も船首がやられて船足に影響が出ている。そして生え抜きの海賊達と五分の攻防をしている者たちの敵の司令官が子供だったのだ。
しかしトルケルだけは、まわりの海賊達とは全く違う反応だった。
『この子供だけが俺の真意を見抜いている。俺の巨体の前にあっても動ずること無く、まっすぐに目を見てくる。相当死線をくぐり抜けたやつだ。それにこの俺をも出し抜く戦術。並の人間ではないだろう』
「アレクとやら、この戦いを仕切っているのはお前で間違いがないか?」
「はい、そうです。すべての始まりからです」
「なぜ海賊と戦うことにしたのだ?」
「それは、僕の友人の母親が貿易の仕事が出来なくなってしまったためです」
「大公の為ではないのか?」
「大公にはお会いしたことも、頼まれたこともありません」
「それでは出世のためか?」
「僕はこの国の人間でもありません」
その言葉を聞き、一部の海賊たちが驚きざわめき出す。するとトルケルがいきなり大声で笑い出す。その姿に海賊たちは静かになり、貿易船の水夫たちが呆気にとらわれていた。
「ぐははは!面白い子供だ!このような人間初めて会ったわ!」
「僕もトルケル様のような人には初めて会いました。正直、化物よりも恐ろしいです」
トルケルの笑いは更に勢いが増した。ひとしきり笑い終わるとトルケルが話し出す。
「くくく、それでは結論としようか」
アレクとトルケル以外の甲板にいる全員に緊張が走った。皆戦闘が再開され殺し合いが始まると予感したのだ。
「わしらはこの国の航路から退散する。今後は手出しせん」
甲板の上にいた人間で、すぐにこの言葉の意味を理解するものはいなかった。アレク以外呆気に取られたからだ。トルケルの言葉が唐突で予想外過ぎた。しばらくの放心の後、海賊の一部が騒ぎ出した。なぜ莫大な金貨を奪わないのか、貿易船にそんな財宝は無い事が彼らにはまだ理解できていない。
「アレクもそれで良いな?」
「もちろんです。トルケル様」
「ところでアレク。困ったことがあったらわしの所にこい。まあわしが行くかもしれんがな!」
「ありがとうございます」
他の人達には、短くも意味が分からない言葉をアレクとトルケルが交わすと、トルケルは撤退の号令を掛け、自分の海賊船に戻っていった。貿易船に残っている人たちは未だ放心状態のまま立ち尽くしている。
「ア、アレク殿・・、結局どうなったのですかな?」
「戦いは終わりました。我々は勝ち、無事に海賊団を追い払ったのです」
アレクの言葉を聞き、甲板に歓声が響く。アレクは怪我をした水夫達に治療を施し始め、皆港に帰る準備を始めた。
1時間後、アレク達と司令官達はプラトーノフ子爵の館の会議部屋に集まって、プラトーノフ子爵やエカテリーナに結果を報告していた。
「さすが、私のアレク様!大勝利ですわ!」
「いえ、まさに皆さんのお力が勝利を掴んだのです」
「まさに歴史に残る戦いだった・・、我らの大砲部隊が歴史的快挙を成し遂げたのだ」
戦闘に参加した者しなかったもの者、すべてが戦いの勝利を喜び、航路が安全になることに安堵を得ていた。プラトーノフ子爵はあまりの感動にむせび泣いているようだった。
「しかしあのトルケル相手に海戦で勝つなど、歴史的偉業ですわ!アレク様!」
「エカテリーナが考えるような楽なものではありませんでした。それに僕が見る限り次に戦ったら、確実に負けます。彼は天才で歴戦の勇者であり、本物の将です」
参加者全員の情報の共有が終わると、皆それぞれの帰途についた。アレクも戦闘はしていなかったものの、トルケルとの交渉で疲れてしまっていた。アレクはいつも通りに魔石の訓練を行うと、早めに睡眠を取った。