29話 泥地へ
とうとう旅立ちの日。
朝食を済ませ、宿の食堂で昼食用の弁当を作ってもらう。
宿を出て荷物をソリに乗せて、昨日の泥ヤギを引き取りに行く。
リオが店の主人から手綱を受け取る。
昨日はイルクからは遠目だったのでよくわからなかったが、他のヤギより少し大柄だ。店の主人の言うとおり健康そうであるし、ちょっと目があったからだとかでなく、やはりちゃんと選んだのだろう。
「念願の旅の仲間だな」
「うん」
ヤギの身体にソリをつなぐための道具のつけ方を習うリオにイルクが話しかけると、嬉しそうに頷く。
そして出発。
小石の転がる道を小さなタイヤで走るソリは重く、ヤギの引く綱をイルクとリオとが両側から一緒に引く。
「泥の上ならこのヤギだけでも引けるのかしら」
「大丈夫だろう。あのでかいカニですら泥の上なら楽に引けたし」
エリスは少しヤギから距離を取って歩いている。ちらちらとヤギを見るが、地面を跳ねるバッタなどをぱくっとするところを見ては目を逸らす。
「例えばさ、ネコがバッタを取ってても気にならないだろ?」
「ネコならね。ヤギがバッタ食べる姿はまだ慣れない」
イルクはもう肉食のヤギという存在を受け入れることができていたが、エリスはまだ違和感が拭えないようだ。
「バッタなんて人間でも食べるのに」
リオが呟く。エリスがいかにも不快そうな顔をする。
「あなたかイルクがバッタ齧ってるの見たらパーティ解散するから」
「齧らねーよ。……ないよね?」
「僕はあまり好きではないけど、ミレアは素焼きして食べていた」
「好きではないってことは一度は……いやそこは追及しないでおく」
「ミレアさんが健在だったらパーティ解散するとこだったわ」
◇◇◇
宿場町ディガーディスを出て街道に。
しかし左右に広がる街道は歩かず、目の前の小麦畑の中をまっすぐ伸びる小道を歩かせてもらう。
兵士が、気を付けてくださいねと声をかけてくる。
この小麦畑を越えたらこういう穏やかな風景はしばらくお別れかもしれない。
小麦畑が終わると荒れ地に泥が被るエリアに入る。
ソリに履かせたタイヤを外していると、ちょうど帰ってきたパーティが小道へと近付いてきた。
「やあこんにちは。今からかい? ここからまっすぐ日の沈む方向に歩けば、右手に中ぐらいの大きさの浮島が見え始めると思うよ」
「ありがとうございます」
三人で頭を下げた。
穏やかな風景は終わりを告げるが、冒険者の間にこういうマナーが浸透しているなら安心だ。
そして、とうとう泥地の旅が始まった。
◇◇◇
ヤギは滑りのいい泥の上なら自分の力だけでソリを引けている。それなのにリオも、ソリに繋がる綱を右の手に取り一緒に引いてあげていた。
「お前を疲れさせないためのヤギでもあるんだが」
「そうだっけ」
一瞬立ち止まって足元の小さなカニを口にしたヤギの首を撫でながらリオが答える。動物を相手にする彼はとても穏やかで、他人に、人間に対する不愛想さは全く感じられない。
「本当に、動物好きなのね」
そう言われ、ふとエリスに向けた顔はヤギに向けていた笑顔そのままで。
ただでさえ恐ろしいほどに整った容姿に無垢な笑顔。エリスはつい引き込まれて言葉を失う。
そしてその反応にリオはその笑顔のまま表情を曇らせる。
「動物は僕を変に思わないから」
「……ごめんね」
珍しくエリスは素直に謝る。リオは返事せずに歩き出した。
「でも変に思ったわけじゃないよ。……リオくんズルいよ、男の子なのに。そりゃその見た目で苦労してきたんだろうけど」
エリスは言い訳するが、リオは無視しているのか、無言のままヤギを引く。
「正直、嫉妬するよ」
しかしエリスがそう言ったとき、リオはコートを無造作に脱いでソリの上に投げ置いた。
「薄皮一枚で決まる見た目なんか、そんなに意味があるの?」
日光を受けて、きらきらと彼の金の髪が輝く。エリスにとっては屋外で初めて見る、コートをまとわぬ素の彼。黒を基調とした背景の中、そんなに意味がないなんて口が裂けても言えないほどにきらきらと輝いて見えた。
神々しいと言ったら言い過ぎか?
息を呑みつつもエリスは彼を再び刺激しないよう平然と、を心掛けて言い返す。
「意味があるからその薄皮を着てたんでしょ?」
「……コートのことじゃないよ」
ヤギはまた立ち止まってなにかを口にした。
リオも立ち止まる。
――僕の内側が、外側も、どんなおぞましいものかも知らないで!
リオはそしてそう口にしそうになり……飲み込んだ。
その暗い表情に、イルクがぽんと肩に手を置く。
「まー俺は見慣れたぞ。ちょっと派手なだけだしな。仲間うちしかいないときはそうやって脱いどけば、エリスもすぐに見慣れるさ」
イルクのフォローはリオにとっては的外れでわずかに首を傾げてしまうが、一応気は遣ってくれていることはわかった。
「そうするよ。山を出てから外ではずっとコート着てたから、少し日焼けくらいしないと」
イルクの手を払い除けるように身体をひねって、リオは軽く作り笑いを見せる。
イルクが優しいヤツなのはわかる。
わかるけど。
父、いや賢者グランが勇者に会うなと言っていた意味もわかるけど。
僕は今、ミレアの計画の上にある。
これ以上慕っては……いけない。
そんな思いを隠して。
もともとベタベタ触らせてくれるタイプの人間ではないしとイルクはこの数日すぐに触れた手を払われ続けていることには特に気にせず、再び歩き出したリオとヤギとに並び歩く。エリスはその後ろのソリの横を歩いている。
「そういえば、そのヤギに名前つけたりしないの?」
後ろからのエリスの不意な発言は、暗い表情のリオを少し明るくした。
「僕がつけていいの?」
「そりゃ悪くないだろ」
「灰色だから……グレイとか」
「やめて。ヘイムのおっさん思い出す」
「……? 誰だっけ」
「そういうのは覚えてないのかよ……」
◇◇◇
歩いているうち、泥地に入るときに聞いたものと思われる小さな森のようなものが見えてきた。浮島だ。
時を刻む機械のような高級なものは持っていないが、太陽の位置を見る限りは正午も過ぎて一時間くらい。ディガーディスで買った弁当は歩きながら食べてしまっていたが、休憩するにはちょうどいい時間。
「避ける理由はないわよね?」
「もちろん。初浮島だし、なんなら一晩泊まってもいいくらいだ」
「それは気が早くない?」
「いちばんすぐ疲れるヤツがなに言ってる」
滞在時間はともかく、浮島に寄ることに異議を唱える者はいない。少し進路を右に変えて、木々の見える方向へ歩を進める。
歩いている途中で胴体部分が両手のひらよりちょっと大きいくらいのサソリを見つけてイルクが仕留め、麻袋に入れた。リオが、毒針のついた尾は高く売れて胴体とツメは加熱すれば内側が食べられると、あの分厚い本に書いてあったと思われる知識をなにも見ないまま告げる。
泥地に入って数時間。
魔物という感じのものには未だ出会わず、普通の動物の範疇の生き物ばかり。立ち止まれば出てくるだろうミミズを除けば脅威は感じない。
そして初めての浮島に足を踏み入れた。
茎か根かわからない丈夫な植物が絡み合い、そして水分の飛んだ泥が土となってその上に草と木を生やしている。聞いていたとおり果樹のようなものも見かけた。もう収穫され済みだったけれど。
日の入りにはまだ遠い、余裕のある時間帯。休憩をしている他者もおらず、伸び伸びとした休息が取れそうだ。
「町から三時間程度の場所で、わざわざ休憩する人もいないか」
見回ってきたが他人も食べ物も見つけられず帰ってきたエリスが言う。
「俺たちは初心者だからちょうどいいさ」
イルクはサソリを胴体とツメと尾と、そして細い足とに切り分けながら答える。ヤギが物欲しそうに見ているのでサソリの足を差し出したら、ヤギは迷わず口で受け取りバリバリと齧った。
「まだ次の浮島を目指せる時間なのに……」
リオは木の枝と枯葉を雑に集めながら、ひとり不満そうにしている。
「休憩している間に誰かここを通りかかって、あっちに徒歩何時間くらいのとこに浮島あったよみたいなこと教えてくれればいいんだけどな」
「ずっとそんなふうに他人任せで進まないといけないの?」
「最初は神経質なくらいがいいさ。まー処理終わったしサソリ焼いてみようぜ」
イルクが先を急ぎたがるリオをなだめながら、耐火袋に入れられた火の魔法石を集められた枯葉の上に置く。枯葉はゆっくりと煙を吐き始め、そして火がついた。耐火袋を裏返して石を掴み、危なくないよう袋を丁寧に元に戻し口を縛る。
「便利だよね」
「取り扱い注意だけどな」
そして火のついた枯葉の上に木の枝を置き、その上に解体したサソリを殻のついたまま乗せる。リオが火の上にパラパラと枯葉を落としていると、エリスがソリの荷物の中からスコップを取り出した。
「私は水を掘るっていうのやってみるね」
泥地では泥を丸く掘り穴を作ると、その中に水が染み出してくる。そして時間を置いてのち丁寧に上澄みだけすくえば泥の混ざらない綺麗な水が汲めるという。町で買った真水も水筒ひとつ分あるが、基本は現地調達ですむはずだ。
「ひとりだとうっかり足を止めてしまうとミミズが来て危ないかもな。リオ、火の番と水汲みの手伝いどっちがいい?」
「水に行くよ」
「じゃよろしく」
リオはすでに泥の上に向かっているエリスを追いかけていった。イルクはぼんやりと、焼かれていくサソリを見る。
カニはディクシリアでもディガーディスでも食事処で提供されているのを見かけた。きっとサソリも大差ない食材なのだろう。
ヤギは火にかけられたサソリには興味を惹かれないようで、足元に絡まる植物の根を見回し虫かなにかを探している。そんなヤギを観察しているうち、サソリは徐々にぱちぱちと殻の隙間から水分を出し始め、食欲をそそる香りも漂わせ始めた。
意外とちょろいな、闇の帝国。
そんなことを呑気に考えていたら、人の気配が。
リオだけが手ぶらで帰って来たのだ。
「一人か? どうかしたのか?」
「人影が見えたから、エリスさんがコート着てきていいよって」
「人影?」
「うん、遠くからここを目指している感じの数人」
リオはコートを羽織りながら答える。
「冒険者仲間かな? 見てくるわ」
こんなほぼスタート地点で賊が来はしまいが、ディクシリアから出発してすぐに襲われたこともあったし警戒はしたほうがいいだろう。
イルクはそんなことを思いながら、泥の上へと向かった。




