2話 上り坂の先
キャンプで出会った親子の言うとおり、首都と国境の街を繋ぐ街道はとても安全で危険な目に遭いそうなことは全くなかった。
二日目の旅路、淡々と歩く二人。
楽しく雑談ができるほどにはまだ打ち解けず、たまにぽつぽつと会話をする。
もうすぐ昼食だとか、火はどうやってつけるのとか、その程度。
「火は、炊事場にあったヤツの携帯型を買ってる」
「へえ」
やっぱり興味があったのかなかったのかわからない態度で会話は終了した。
値段はいくらくらいなのかとかどうやってリュックを燃やさずに持ててるのかとか、話を広げてほしいなあとイルクは思う。
ヘイムからキャンプまでは石がごろごろしている歩きづらい道だったが、首都アリオニア・キャンプ・ディクシリア間はちゃんと硬い土で整備されている街道。たまに雇われ兵士が立っている。
たまに行き違う馬に乗る人や牛で荷物を引く人。そういうのを見るたびにリオは目で追っていた。
「ディクシリアから別のとこに行くときは、何か動物を手に入れたいな」
イルクがそう言うと、リオは旅立っていちばん嬉しそうな顔で答えた。
「山で牛やヤギ飼ってたから、世話できるよ」
「おっとそりゃ意外」
体力に不安のあるリオと荷物を牛や馬に乗せることができれば、旅は楽になるだろう。実際二日目の到達予定地と思っていた場所には、このペースだとたどり着きそうにない。ディクシリアに着くのは三日目の午後のつもりだったがおそらく四日目になる。
イルクがヘイムを飛び出したとき、必要雑貨や食料で資金が尽きて乗り物のことなど考える余地もなかった。しかし高級食材屋さんに金を借りて町に戻ってでも馬を買うべきだったのか。さすがにカロンも町中で襲ってはこなかっただろうし、馬で走れば戦わずしてヤツらを撒けたかも。
しかし何もかも今更だ……ヘイムには戻れない。
名の知れた住人であったカロンが死に、死にざまを見た者がいて、口止めと追手封じのつもりで勇者を名乗った。
進むしかない。状況によっては、次の街も早めに出ないと。
二日目の夜は少し道を外れて休息を取った。
先にリオを眠らせてその間イルクは起きておいて、リオが起きたら逆にイルクが寝て。
安全な道なのは知っているが今後の夜間警戒の訓練のために。
三日目もそんな感じ。疲労を溜めない程度に歩き、たわいもない会話をし、交互に寝る。
そして四日目、今は昼前。
予定より時間がかかっている道中。肉も朝食で尽きた。
でもそれはちょうどいいタイミングだった。地図を見る限りもうすぐ目的地だ。
この、目の前の緩やかだが長い上り坂の先に……
「ま、まあ毎日山登ってたヤツは余裕だよな」
「荷物抱えて長く歩いた上での登りは初めてだけどね……」
最後の難所を坂のふもとから見上げる。道の先は空に続いていた。
まっすぐで、先の見えない上り坂に圧倒される。綺麗に等間隔に植えられた街路樹が、いかにも長距離あるぞと遠近法で見せつけてくる。
「ここを登ればすぐ街なの?」
リオの疑問に、イルクは地図を取り出す。
「こちら側より急な下り坂があって、その先のようだな」
「まだ先が……」
絶句するリオ。こういう坂道は得意でありそうなのに、やはり疲れが溜まっているようだ。
「休むか?」
「いや、もう食べ物ないんだよね。歩くよ」
数日前の嵐の日から多少涼しい日が続き秋の気配がし始めていたが、今日は久しぶりに暑い。イルクは薄い布の服を着ているが、リオはフェイスマスクはしていないものの、いつもの革のコートを着てフードを被っている。腕をまくり上げられる程度には薄手のものだが、さすが暑そうに見える。
「ところでさ、今日は暑いのにそこまで徹底して姿を隠さないといけない? 次の街の中でも?」
イルクの問いに、リオは困った顔をする。
結局聞けていない、彼の不可思議なチカラのこと。
聞きづらくて先延ばしにしていたけど、この先の街ディクシリアはヘイムより、そしてミモザやクオンザよりもっとずっと都会のはず。そんな中、保護者としては抱えて歩かないといけない爆弾の発動条件くらい知っていないといけないではないか。
「言いたくないかもしれないが、ちょっと聞いておきたいんだが」
「うん」
リオも覚悟はしていたのだろう。むしろやっと聞くのかといった感じに素直に返事する。
「あの光の力、完全にお前の意識下でやってるの?」
「意識下、とは」
「エンチャントの方は、完全に意識的にやってるだろうと思うけど」
「そうだね」
「なんというか、もうひとつの攻撃魔法みたいなのは、うっかり無意識で出ちゃったりしないの」
「しないよ、あんな危ない力」
嫌悪するようにそう言う。イルクの質問を、ではなく『その力』を。
「あれ使うと絶対気を失うし。ミレアにも、父……グランにも、うかつに使うと気を失ってる間に他の人に間違いなく殺されてしまうって言われてるし」
「なるほど」
確かに危ない力だ。呪文を唱えるわけでもない、どんなタイミングで発動するかもわからないあの圧倒的な破壊力を見せられたら、敵対する者は発動者が無力なうちに確実に息の根を止めておきたいと思うだろう。
イルクは納得して頷いたが、リオはその様子を訝しげに横目で見る。
「……他の人って、君も入ってるつもりだったんだが」
坂を進みながら呟いた言葉は、イルクにはよく聞こえなかった。
「なんだって?」
「ん、なんでもない」
リオとしてはあの時、どうあがいても囚われの身になるか命を落とすかのどちらかになると思っていた。
勇者が殺され、自分は捕まり何かに利用されるか。
あの不気味な男だけでも道連れにして、他の雇われた男たちか勇者に、殺されるか。
しかしこのお人好しで何も考えてなさそうな勇者は、どうにかやってあの雇われたちを排除して、自分を助けてここまで来た。殺そうとするどころか気味悪がる様子も見せず。
いつか、僕を見捨てなかったこと後悔するだろうな。
リオは軽く溜息をついた。
リオにはリオの事情があったからだ。
彼の、闇の帝国に行きたい理由。それは勇者と敵対することになる可能性もある理由。
だから決して言えない。
自分を闇の帝国まで連れていける可能性のある者など滅多にいるものではない。
なんとか取り入って、目的地に行かなければ。
結果、恨みを買うことになっても――
斜め前を歩くイルクの背を見る。自分の歩むスピードに合わせて歩いてくれているのがわかる。多分、予定より時間がかかっているのだろうがそれに文句を言う様子もない。
いい同行者だ。強いし、この上ない。
だからこそ、心が痛む。
利用しようとしていることに。
イルクが斜め後ろを見ると、リオは暗い表情をしている。
やっぱり聞かれたくなかったのか。
そう思うと、ふと顔を上げた彼と目が合った。
心臓を、魂を鷲掴みにしてくるような感覚。
しかし目が合った瞬間、その魔眼が閉じられたように感じた。
彼の目は、開いたままなのに。
イルクの表情がこわばると、リオは不思議そうな顔をした。
「……どうしたの?」
「いや、どうしたっていうか」
この感情が表情には出てしまう素直な少年は、このとき本当に言葉通りのどうしたの、という表情だった。あの光の力を使ったときは、おどおどとこちらの様子を窺うような表情をしていたのに。
無意識なのか、今の目は。
それとも単なる気のせいか?
この強い日差しの中、日光が反射して変な感じに見えたのか。
「そういえばさっき、姿を隠さないといけないのかって言われたけど」
「あ、ああ」
「ミレアが旅の初めにこれくれて、基本これを着て姿を隠しておきなさいって言われただけなんだ」
リオはフードを深く被りなおす。上り坂で足元を見ながら歩いているから顔は全く見えなくなる。
「守らなかったら嫌な目にもあったしね」
「……嫌な目?」
「うん、言いたくないけど」
本来イルクが知るはずのない、ミモザとクオンザのことを言っているのだろう。リオはそこまで話したら黙り込み、ゆっくりと坂を上ってくる。
「まあ言いつけなら仕方ないか。でもフェイスマスクはやりすぎと思う。逆に目立つぜ」
イルクは追い付いたリオの真横で笑って見せる。
そして内心、死した彼の師匠に苦情を言う。
ミレアさん、あんた何か知ってたよな?
死ぬ前にちゃんと本人に伝えておけよ……!
上りの坂がもうすぐ終わる。
青空と土の薄茶色の触れ合うところに、少し違う色が見え始める。
「お、見え始めたぞ」
「?」
イルクとリオの身長差は三十センチ近くある。
イルクに見えても、リオにはまだその色が見えないのだろう。
しかしもう数歩、歩いてリオにもわかった。
遠く、黒い地平線が。
リオは速足で坂道を上りきり、景色を見渡せる場所で立ち止まる。
「あれが……」
足元には下り坂と大きな街。そしてその先に、日光を受けてしっとりと黒く輝く大地。
「そう、泥地。ダムダラヴェーダ帝国領内」
地平線の彼方まで黒い、泥の大地。
それを見つめ、しばらく動かないリオ。
イルクは彼がこの景色に満足するまで、待つことにした。
彼がこの黒い大地に何を感じているのかは知らないけれど。
リオは、拳をぐっと握り、黒い大地を見ていた。
この泥の大地の遥か先にいる者に思いを馳せる。
それのことを考えると、真っ黒な絶望の感情が襲ってくる。
少し近付いたせいか……今まででいちばん、強く。
行かないと、あの闇の中心へ――




