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一目惚れ

 ジョンが契約書を手に入れた翌日の早朝、キングレイ邸に12人の客人が訪れた。ミュルディスの12氏族から代表がそれずれ一人ずつ、キングレイの当主の助けに応えてやって来たのだ。


 ジョンは、キングレイに長年、一族で仕えている従僕の青年クリス・コールウェイに起こされた。ジョンは存分に貪っていた怠惰な眠りから無理矢理起こされたため、不機嫌に答えた。


「なんだ、クリス。そんなに急いで何があったんだ」


 ぶっきらぼうに言う主人に構わず、興奮しているクリスは早口で答えた。


「旦那様に呼ばれたとおっしゃるミュルディスのお客様が12人もお尋ねになられました。これがキングレイの盟約ですか。父から聞いていましたが、本当にあったんですね」


 ジョンは目が飛び出るかと思った。昨日のことは酔いが見せた夢ではなかったのだ。クリスに、できるだけ早くもてなしの準備をするよう他の使用人に伝えろと命令し、念入りに支度する。古くから続く貴族であるキングレイの当主として、みっともないところは一つも見せたくなかった。


 そしてジョンは使用人が用意できるように、ゆっくりと応接室に降りた。話を聞かされたときは激しく高鳴っていたジョンの心臓は、既にいつものペースに戻っている。彼が軍にいたときに習った平常心を常に保つべしということを、彼は忘れてはいなかった。


 ジョンが部屋に入ると、12人は立ち上がり、最上位の礼をした。


「みんな、今日は来てくれてありがとう」


 ジョンは少尉としての経験から人前に立つことは慣れているため、一斉に礼をされても戸惑わなかった。全員をざっと見渡し、一拍置いてから、威厳を込めた声を出した。


「我らが主、あなたの声を聞き、我らは参じました。なんなりと仰せください」


 12人で声を合わせながら言う。エヴァはジョンの姿を見たときから、胸をときめかせていた。


 無造作感を出しつつも整えられている貴族的な金髪、時折さみしげな輝きを放つ琥珀色の瞳、ブロンズ色に焼けた肌、男らしさが溢れるハンサムな顔立ち、意思の強そうな眉、きりっとした口元、低くよく通る声、こんな完璧な男性は初めて見たとエヴァは思った。


 頭を下げているエヴァは、彼の配下であるミュルディスとしてではなく、ただの女性として彼のそばにいたいと思わず願った。もし心の機微が記号で表現されるならば、エヴァの周りにはハートが飛んでいるだろう。


「礼はいい、休んでくれ。申し訳ないが、昨日のメッセージは誤って送ってしまったんだ。君たちと盟約を交わしたキングレイは私一人になってしまっていて、情報を正しく受け継ぐことができなかったから」


 その言葉に場の雰囲気は騒然となった。キングレイを哀れに思う者や盟約から開放されるかも知れないことに喜ぶ者、12人の心うちは様々だ。エヴァは前者に近かった。彼女はキングレイの血筋に感情を寄せるより、ジョンの手を取り支えたいと思っていたからだ。


「君たちの動揺もわかる。だが私も当主になったからには最善を尽くすから、安心してくれ。キングレイはどんな苦境にも絶対に負けない」


 ジョンの声は湖に石を投げた様に、12人の心に深く沈んでいった。彼の言葉は希望的観測ではなく、事実を述べているのだと誰もがわかった。


「今日のところは助けを求めることは何もない。先ほども言ったとおり、来てくれてありがとう。これからもよろしく頼む」


 ジョンはクリスを呼び、準備ができているか小声で尋ねた。クリスは頷き、時間を多くとってくれた主人に感謝した。


「せっかく来てくれたのだから、ぜひゆっくりしていってほしい。クリス、みなさんを案内してくれ」


 そのとき、ジョンは初めてエヴァの姿を見た。燃え盛る炎のような赤毛、夏の森のような深緑色の瞳、ふっくらとした魅力的な唇、古典的な美人が、結構年が行っているだろう集団に混じっている様子は不思議だった。そしてエヴァは、ジョンの体に穴を開ける勢いで彼を見ている。ジョンは引き寄せられるようにエヴァを見返した。


 なんでじいさん、ばあさんの中に若い美人がいるんだ? もしかして彼女、実はすごい年がいってるのか? それにしても美人だ。


 ジョンはエヴァを頭からつま先まで眺めた。そして、どう見ても20代前半の彼女が老齢の集団に混じっていることで、年齢不詳なのかと疑った。




 11人のミュルディスは、もてなしに感謝しながら、一人、また一人と帰っていった。ジョンは最後に残っているエヴァを、ちらりと伺う。


 エヴァは緊張した様子で、食後の紅茶を飲んでいる。彼女の物言いたげな雰囲気は、ジョンを落ち着かせなかった。軍人として生きてきた彼は、既に貴族として振舞う努力が限界に達していたこともあり、ついに彼女にどうしたか、尋ねることにした。


「ミス・マッケナ、落ち着かない様子だが、どうしたんだい?」


 エヴァはジョンの目を見て、美しく微笑んだ。その微笑みに、ジョンの心臓は不整脈をおこしかけた。


「エヴァと呼んでください、キングレイ様。私、あなたのお役に立つために、ここに残りたいんです」


 ジョンは耳を疑った。美しいエヴァがそばにいてくれることは嬉しいが、彼女に頼むことなど一つもない。


「……役に立つとは?」

 はあ、その訝しげな顔も素敵……違う、落ち着きなさい。レディのように礼儀正しく振舞うのよ。

「あなたが望むなら、なんでも、です。お困りのご様子なので、私で良ければ力にならせてください」


 エヴァは微笑みながらも、真剣な声で答える。彼には私が必要だってわかる。きっと運命なんだわ。エヴァはミセス・マッケナの猫の比喩を思い出した。私は今、美味しそうな鳥を狙う猫みたいな顔をしているわね。


 ジョンの体に、ビリっとした電流が走る。エヴァの瞳に映る、楽しげな煌きは、兄夫婦が死んでから久方ぶりに見る輝きだった。グリーンウッドに来る道中で会った女性たちも、そんな目でジョンを見たが、彼女たちには全く興味がわかなかった。しかしエヴァは別だった。


「そうだな、確かに私は困っていたかも知れない」


 ジョンは自分の口から出た言葉に驚いた。彼女に惹かれ始めている自分を制御することはできない。彼は大人しく白い旗を掲げ、エヴァを自分のものにすることを決めた。


「ぜひ君に助けてもらうことにするよ。ありがとう、君は優しいんだね。では、私のことはジョンと呼んでくれ」


 ジョンの優しげな声と微笑みに、エヴァはうっとりする。


「はい、ジョン様」


「様はつけなくていい。礼儀作法に厳しい人は、ここにはもういないから」


 ジョンは悲しそうに笑った。そして彼は立ち上がり、エヴァに手を差し延べる。その姿は夢で描いていた王子のようで、彼女の心臓は素早いビートを刻む。エヴァは震える手で、ジョンの手をとり立ち上がった。


「朝早く来てくれたから、疲れているだろう。今日はゆっくり休んでくれ」


 エヴァはその提案をありがたく受け入れることにした。


「はい……お気遣い、ありがとうございます」


 エヴァの口からもれるように出た甘い声と幸せそうな瞳は、ジョンの心臓を跳ねさせた。ジョンは思わず、自分の無骨な手と重なっている白く繊細な手を、ぎゅっと握ってしまう。


「ああ、すまない。痛かっただろう、本当に申し訳ない」


 力も強いなんて、(たくま)しくて素敵。彼をかっこよく見せてる筋肉は、王都にいるなよなよした貴族たちみたいな作り物じゃなくて本物なんだわ……。それに後悔してる顔も、子犬みたいで可愛い。


 傷つけてしまったと落ち込んでいるジョンは、心の底から謝罪した。軍で鍛え抜かれた、普通の女性よりも遥かに強い自分が、女性を無意識的にも傷つけるなんてことは、ジョンにとって最低な行為だったからだ。しかしエヴァは全く気にしていなかった。そしてエヴァは彼の手を握り返した。


「気にしないでください、ジョン。私は全然、気にしていません」


 エヴァの手の温かみは、ジョンの心を暖かくした。そして彼は固く誓った。


「ありがとう、エヴァ。しかし君を傷つけるようなことは、二度としない。誓うよ」


 ジョンの誠実な瞳は、エヴァの既にトロトロに溶けている心のまだ残っている部分を、徹底的に溶かし尽くした。そして彼が自分の運命の人なのだと、エヴァはもう一度、確信するのだった。


9/20にジョンの髪色を変えました。

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