無くなった水着と金欠な俺
続き。
卵焼きを焦がした次の日。
俺は自分の席に座ったまま、静かに呟いた。
「灯花って、違うクラスだったんだな」
「えっ? 今更実感したの?」
「まぁ、うん」
最近ではこちらのクラスで俺と文香&灯花が集まることが多くなっている。毎回昼休みや放課後になると灯花はとてとてと毎回こちらに向かってくるので、やっと実感が湧いたのだ。
「遅れた……ごめん」
「大丈夫大丈夫。別に遅れてないよ、灯花は」
「ん。そう言ってもらえると助かる」
遅れていたのはこの俺だった。そうか、だからこのクラスでは文香しか寄ってこないんだな、などと考えてみる。
完全な自惚れだが、もし灯花がこのクラスの生徒だったら、絶対休み時間毎に来てくれると思うし。
「あ。二人に話があった」
「おうよ、何の話だい?」「何の話?」
真剣な表情――――ではなくいつもの無表情でそう言った灯花に対して、こちらもしっかりと聞こうと耳を傾けるが、灯花はすぐには口を開かない。言いづらいことなのだろうか?
「誰にだって直接言いづらいことだってあるさ、それは灯花も例外ではないってことだろ?」
「いや、ただ忘れただけ」
「「忘れただけかい!!」」
おお。見事なハモりツッコミ。数十年一緒に過ごしてきているだけあるな。
「それも冗談。本当はチケットを貰ったから、一緒に行こうって言おうとしただけ」
「冗談はいらなかったんだけどな……」
なるほど。確かに灯花の手に二枚の紙が握られていることに気づく。目の前にいて気づいてなかったのかよ、という話になるかもしれないが、灯台下暗しとも言うし、案外近い物は認識しずらいもんだ。これは俺の非ではない……、はず。
「ところで、何のチケット?」
「プール。と言っても、新しいプールとかじゃなくて、既存のプールだけど」
「それでもありがたいよ。ここら辺りは当然だけど、お金を払わなくちゃ入れないからね」
それにしても、この二人とプールか。それは少し胸が躍るっていうもんだ。
「えっと灯花ちん、それって私もだよね?」
「さっき二人にって言った」
「え? 二人にって、俺と文香だけ、ってことか?」
「ん、そう」
あらら。これは少しばかり想定と違うことになりそうだった。灯花いないのか……。決して文香に不満があるわけではないが、チケットを灯花から貰っておいて俺達だけが楽しむっていうのも……、なんだか申し訳ない。
それに、文香とは幼馴染の関係だが、一度としてプールだけは一緒に行ったことがなかった。こちらから誘っても「無理っ」とばかり言われてきたので、その度に一人で行くという行為を繰り返してきたのだ。
「じゃあいいわ。灯花も行かないって言うなら申し訳ないし」
「そ、そうだよ! 灯花ちんからチケットだけ略奪っていうのも……微妙だし……」
略奪て……。自分達だけで楽しむことを考えたらあながち間違ってもいないのだろうか。
「僕も付いて行っていいの?」
「当然だろ! な、文香?」
「う、うん! 当たり前だよっ」
「でもチケットは本当に二枚しかない」
「俺が自分で買うからいいよ。もし俺と灯花が出会ってなかったら迷わず文香に渡していただろうし」
二人の出会いがいつからなのかは知らないが、そこを邪魔するわけにはいかない。
「分かった。じゃあ明日行こう」
「明日!? 随分急だね……」
「? 文香なんか用事ある?」
「そ、そういうわけじゃないんだけど……ちょっといい?」
「ん……あ。そういうことか。分かった、じゃあこの後行こう?」
どうやら俺には言えない話らしい。文香は真っ赤な顔で灯花の発言にコクコクと頷いている。聞き出してもみたかったが、聞いた後のことを考えて止めておいた。紳士だからな、俺は。
「宗谷、僕と文香は用があるから、また」
「了解。気をつけてな。女二人なんだし、あんまり遅くならないように」
俺は親か。と内心でツッコんでから二人と別れる。
久々の一人帰宅だった。
一人で歩く帰路というのは珍しく、いつもは気づかなかった小さなことなどが分かって面白い。……おまけに長い……。少々お小言がすぎる文香やあちらのペースに引き寄せる灯花などがいてくれれば、今日ほどそう思ったことはなかった。
だが、神様が少しだけでもこの惨めな男に気を使ってくれたのか、目の前には我が妹。
「おーい、莉子ー」
「……お兄ちゃん!」
莉子がいると分かった瞬間に変わる印象。俺ってここまで単純だったのか……。
「あ。そういや莉子さんや、俺の水着ってあったっけ?」
「お兄ちゃんの? うーん……前捨ててなかった?」
「そうだっけ!? そうなると不味いなぁ……」
「なになに? お兄ちゃんプールにでも行くの?」
「あーうん。明日文香と灯花って子とね」
「はぁ!?」
うわっ、いきなりなんなの我が妹。そのセリフはこちらが使いたいところなんだけど……。
「明日プールに行く!? しかも文香さんとだけでなく、違う女の子さんも!?」
「あ、ああ。うん」
「……今日はお赤飯だわ……それに鯛も準備してもらわないと!」
「口調がおかしいぞー莉子さんや」
「はっ! ご、ごめんね? ちょっと衝撃が強すぎて……」
「うん、気持ちは分かるけど。正直、こっちの方が衝撃受けたけどね」
小学四年生とはいえ流石女子といったところか。そういう話題には目ざといのね。
俺は家までの道のりで、何とか水着の場所を莉子と話し合って思い出そうとしたが、最後まで答えが出て来ることはなかった。これはもう買うしかないのか?
だが、残念ながらバイトもしていない俺には、金なんていうもんは無い。お小遣いを一応貰っていないわけではないが、この前本に使ってしまっているのだ。
基本前借り制度なんてない家の事情で、残るはこの莉子に借りるくらいだが……。高校二年生がJSにお金を借りるっていうのも、物凄く格好悪い。
「お兄ちゃん、お金無いの?」
「うぐっ……千五百円は持ってる……」
「それじゃ買えないんじゃない? ……私が貸してあげようか?」
「自分が惨めだという負の循環に嵌りそうだから、止めておく」
それに学校のプールってわけではないのだ。そこら辺の短パンとかで事足りるだろう。
「あー私もプールに行きたいなー」
俺の方をチラチラと見ながら莉子はそんなことを言った。それで隠せてるつもりなのかと、いつもの癖でツッコみたくなったが、グッと我慢して文香に電話をかける。
『も、もしもし!?』
「あー俺だよ俺、宗谷」
『それは分かってるよっ。それで用はっ?』
「なんか莉子も行きたいらしくてさ。大丈夫かなって」
『莉子ちゃんなら大歓迎! と、言いたいところだけど、チケットの件は……』
「そういやそうだったな。ま、俺が払うから大丈夫。じゃあ莉子は連れて行く、でいいんだな?」
『う、うん! じゃあ明日ね!』
「おう」
やたらとテンパってた文香との通話を切り、俺は莉子に向き直った。
「文香がいいって。でも金が無いとプールには行けないから、仕方ないし俺が払ってやるよ」
「いいよ別に。私は私でちゃんとお金持ってるもん。お兄ちゃんよりお金持ちだよ? そうだ! 連れて行ってくれるし、私が出してあげよっか?」
「だからいいって。小学四年生に借りる高校生がどこにいる」
「あれぇ? でもでもだけど、私この前お兄ちゃんに百円貸してって言われたような気が……」
「さ、さぁな。それは幻覚や幻聴の類の話だろ。それか夢とか」
それに借りたのは百円じゃないしな。正解は五百円だ! ……余計にダメだった。
「じゃあ色々準備してくるから! ご飯出来たら言ってね!」
「あいよ……ちなみに、今日も卵焼きだからな」
「了解であります! たーだ、今日は焦げてないといいなぁ」
「……分かった」
あれは苦かったからな。俺としてもごめんだ。
何はともあれ、明日は文香や灯花と初プール。
楽しめればいいなぁ、と俺は呟いた。
ありがとうございます。