生死の意味
「ふう」
昔を思い出して、阿立は小さく息を吐いた。
当然だ。仕事の内容を誰かに話す事など、直属の上司以外では一度も無かった経験だ。
それが今では、捕まって観念した容疑者の様にペラペラと喋るありさまだ。
前の職場では、業務内容を他者に漏らす行為は重大な服務規程違反にあたる。良くて投獄。悪けりゃ死刑までありえる。
そんな大それたことを、今の自分は行えると言うこの現状に、阿立は呟いた。
「死とはいったい何のだろうな。……今の私は、なんなのだろうか」
化物か、はたまた未練漂う幽霊か……。
彼はまだ、自分の死を実感できずにいる。自分は既に死んだのだと言われても、今ここに自分は存在している。誰かと会話をし、物事を考え、あまつさえ触れる事も出来る。これをどうして死と言えようか。
例え目の前に自分の死体が置かれて「君は死んだ」と言われたとしても、彼はそれを「だからどうした」と一蹴するだろう。
自分の死体を自分で蹴るとは、なかなかできた物ではないが……。
しかし何より彼が死を実感できないのには訳がある。
生前、彼は死とはもっと無機質なものだと思っていた。
今まで何人かの人の死は見てきたが、それは常に、自分以外の誰でもない誰かの死だった。故に、彼が見る死は、常に傍観者の立場での死だった。当たり前だ。主観的な死などこの世のどこにもありはしない。ただ、誰かが死に、自分はそれを見ているだけだった。
ただ彼は、常に身近に接してきた死に対してなんの感情も抱かなかった。
その感情は異常だ。例え無関係な誰かの死であろうとも、死を見れば人はそれに対して恐怖する。それは人としての生存本能がそうさせるのだ。人は考える生き物だ。目の前で起きている事が自分であったらと考えると身がすくんでしまうのが常と言うものだ。
だが、彼にはそれがなかった。
自分ではない誰かが胸や頭から血を流して『動かなく』なっている。ただ人が動かなくなっただけの物が死。
彼はそれを知って、死とは命の停止ではなく。体の静止であるのではと考えた。
実に哲学的な話だ。
肉体の静止が彼にとっての死なら、今の彼は生きていることに他ならない。だが、生きているのなら今の彼のありようはいささか不可思議なことに溢れすぎている。
魔界と呼ばれる第六大陸。魔法と言う、世界法則から明らかに逸脱した常識。無機物に発現する知恵と、生命であり尊厳でもある死と言う概念。
これらの全ては、彼の知識には無かった事柄だ。話す岩も、重さを増す空間も、彼は未だかつて見たことがない。
ならここは何所だ? 死後の世界があるとして、彼はいったいどこに迷い込んだ?
――答えは出ない。
魔王と名乗る彼は、阿立を異世界から招いたと言っていた。だが、それのどこに信じる根拠が存在する。嘘をつく必要がないから嘘ではないなどと考えるのは素人の考えだ。
なぜ相手が嘘をつく必要がないと判断できる?
――俺は何を信じればいい。
いっその事、これは全て出来のいい夢であってくれた方がましだ。
だが、それを考える時間も彼には無かった。
コンコン、と扉をノックする音が聞こえる。
「阿立さん、いいですかな? 次の仕事の依頼なんですが」
魔王様直々の呼び出しだ。
では少し、全ての考えを保留にして、この世界を見てみようか。