過去はもはや存在せず
世界を変える方法はいつだって一つだけ。それを知ったのはつい最近の事だ。
私の職場は、あまり楽な所では無かった。資金は雀の涙ほど。慢性的な人手不足で、資料1つ確保するにも全て一人でこなさなくてはならなかった。
同じ職場の同期とはもう5年以上あってないないし、これからも会う予定はない。
週に一度行う上司への報告では日本語を禁止されている上に、毎回提出の場所と日時が変わっているからそこまで行くのに一苦労だ。
ついこの間まで、東南アジアの某国に仕事で行っていた。専門外の仕事だったが、人手が足りないからと急遽呼び出された。
その国の首都での仕事が、生きている内での私の最後の仕事になった。
昼間はうなるような暑さに身を焼かれ、夜は不気味なネオンに照らされている繁華街で飯を食い、寝るときは毎日違う娼婦と眠った。
なに、勘違いしてもらっては困るが、私は飽きやすい性格ではない。これも仕事の内だ。でなければ、わざわざ冷房のきいていない部屋で一夜を過ごすわけがない。
朝になれば顔を洗ってさっさと部屋を出て行く。次に彼女らと会うのはいつになるか分かった物ではない。
昼になればあの鬱陶しい日差しが、休むことなく私の頭上にこれでもかと降り注いでくる。
そんな事がいくらか続いた。
その間、私は退屈することを知らなかった。
この町は毎日がお祭り騒ぎで、本当に私を飽きさせない。
スリ、暴行、人売、ドラッグ、殺しに強姦。ポイントはただ強姦するのではない事だ。彼らは、対象を殺した後に強姦をする。
ひどい連中だ。吐き気がする。
罪と言う罪が、この町に溢れかえっているし、飽和したその罪がどこへと溢れ出すのか、考えただけで身震いがするよ。
人が死のうと、誰も気に留めない。
ある物がなくなったとして、騒ぎ出す彼らを誰も見向きもしない。
人の馴れとは恐ろしいもので、それが一般的には異常であったとしても、同時にそれが日常であるならば、誰もかれもがその事実をあっさりと受け入れる。例え受け入れきれなかったとしても、なかった事として記憶の片隅にほりこんで、おしまいにする。
「まるで軍隊みたいだろ」
久しぶりに会った同期がそんなことを言った。
軍隊なら人が死ぬのがあたりまえで、誰も気にも止めないと。
「それは違いますよ」
そう返す気にもなれなかった。
軍隊なら葬式もするし、死者に対して泣きも悲しみもする。
彼らはそれすらしない。
死者に対する敬意も、生者に対する思いやりもない。
「冗談だよ。あれはどちらかといえば群体と言ったほうが近い」
彼はそう言いなおした。
彼らは個として生きているのではなく、1つの集団として生きているのだ、と言う。
「それで、仕事の方はどうなっている」
彼はいきなり話を変えて来た。
「問題ありませんよ。かなり数を打ちましたからね。今日あたり暴れ出すでしょう」
そう言うと、彼は懐から小さな包みを渡してきた。
「追加だ。20回分ある。もう少し撒いたら終わらせるぞ」
そう言って彼は人の波に消えて行った。
包みの中身はここ数日で私がいろんな娼婦や中毒者に配っていたもの。
その価格は、通常レートのおよそ1000分の1。
ダンピングなんてレベルじゃない。ほとんどただ同然だ。
そんなものを配り続けていれば、いずれ元締めが怒鳴り込んで来るに違いない。
私たちの狙いはそれだった。
自分たちは別に、クスリの類を売ろうとしているのではなかった。目的はこの辺りの元締めが持っているであろう日本への麻薬密売ルート。その奪取、または何らかの手段での確保が目的だった。
だが密売のルートを渡してほしいと言って、はいどうぞと渡してくれる相手で無い事は確かだし(そもそもそんな奴らは絶対にいない)、こちらもそんな事ははなから期待していなかった。
作戦は実に単純。相手を怒らせて、のこのこやって来たところをドンとやるだけ。実にシンプルすぎる作戦だった。
いや、何も巨大な麻薬カルテルの1つを壊す、なんてことではなくその末端の1つを乗っ取ろうと言う話なだけだ。
なに? 乗っ取れるだけの力があるならいっその事壊してしまえばいい?
それはダメだ。
壊す行為は短期的に効果はあるが、長期的には意味がない。
全ての物は一度誰かによって作られた物だ。
誰かが作れるのなら、それを壊せたとしてもいずれ別の誰かが作ってしまう。
それでは意味がない。
破壊がその意味を保てるのは、新しい何かが生まれるまでのごく短い間だけで、それ以降、過去の破壊は存在したであろう事実にすぎなくなる。
破壊という行為では永続的な効果は見込めないのだ。
だが、それを奪えたとしたらどうだろうか。
奪う行為において現状は変化しない。厳密には影響が小さいと言うべきだろうか。
仮にだが、誰かがどこかの会社を買収したとしよう。その会社は何らかのメーカーで世界シェアが70%の大手だ。そのどこかの誰かは、買収した会社に今まで通りの仕事をしろと命じた。
これによって一体何が変わったと言えようか。変わったのは命令する者だけで、仕事の内容も、その会社が社会に与える影響は何も変わっていない。
もしもどこかの誰かが、今までの仕事は忘れて新しい物を作れと言ってきたらどうだろうか。シェアは他社に奪われ、パワーバランスは大きく変化し、社会は、少なくともその会社が作っていたであろう製品の業界は大きく変わる事になる。
話が少しそれてしまったな。ようは、潰してしまうと誰かがまた取り引きを始めてしまうからいっその事自分らが全てを管理しようという事なのだ。