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イン・テンポ

もんだいです。


それは 4がつのはれたひのことでした。


ある ひとりのしょうねんが いました。


かれは おうだんほどうを わたろうとしました。


しんごうは あおです。


そこに くろのおおきいくるまが やってきました。


それから どうなるでしょうか。




      * * *




 きいっという音がした。耳が痛い。恐らく車の音か何かだと思うけど、僕はそれにもびびった。


もしかしたら事故じゃないかとか、そこまでしなくてもクラクションじゃないかとか。


前は聞こえなかった音にも反応して、1人じゃろくに歩けない。前に進まない。


車から遠ざかりたくて壁に沿って歩いていたら、木の枝が飛び出していてぶつかった。


「黒瀬君?」


 僕の名前が呼ばれた気がした。大人しそうな女子の声。疑問というか、戸惑いというか。


 斜め右後ろにいたのは、橘さんだった。


 橘さんは僕を見てふわっと笑った。「久しぶり」


 今は5月の大型連休中なので、僕と橘さんは2日間あっていない。いや、橘さんだけじゃなくて他のクラスメートともなんだけど。


「橘さん、お出かけ?」

「うんまぁ、そんなものかな」


 僕の声は橘さんよりずっと低かった。女子の友達が多い橘さんには低音は聞き取り難いかもしれない。それでも彼女は僕ときちんと会話をしてくれて、本当に嬉しいしありがたい。


「黒瀬君は何処かに行くの?」


 何処にも行きたくない、それが僕の答だった。


 本当にちょっと外に慣れようと思っただけだ。橘さんに迷惑をかけないように歩きたいと思っただけ。


「えっとまぁ…、男の事情かな」

「ええー何それ、乙女の事情みたいな」


君はふふっと笑う。君の優しさは溢れ出るほどで、その泉は何処にあるんだろう。僕はそんなものを持っていないから、橘さんに何かをお返しすることなんて、できないよ。


しん。


 僕は喋るのがあまり上手くない。もしかしたら元は上手かったのかもしれないけど、とりあえず今の僕はちっとも上手くない。でも橘さんとは拙いけど喋れるし、反応してくれるから会話が成り立つ。唯一だった。


 すっと橘さんから笑顔が消えた。いや、疑問に変わったというべきか。別に怒ったとかそういうのじゃないから。


「というか、黒瀬君、場所覚えたの?」

「えっああ、まぁ」


 分からない、全然覚えてない。いつも橘さんに任せすぎていたから、現在進行形で迷子。


 今分からないって言ったら、また橘さんに迷惑をかけてしまうだろう。でも僕は、ずっと此処に棒立ちして何かを待つという勇気も無かった。


「……本当は、分からないんだ。此処が何処だか、分からない」


 分からないことは沢山あった。僕が此処にいるべきなのかも分からないし、いる資格があるのかも分からない。橘さんの隣にいて良いのかも分からないし、橘さんがどうして僕に構ってくれているのかも分からない。僕の生きる意味も、分からないままだ。


「じゃあ、一緒に帰ろう」


 橘さんは落ち着いて言った。高校生にもなって男女が一緒に歩いていたら誤解を生むことが多いだろう。でも僕は、橘さんの隣を離れて、拒否することはできなかった。


 だって、僕は。


 存在しているだけで、顔を合わせるだけで、言葉を交わすだけで、僕の中に持っている棘で橘さんを刺しているから。


 僕がいるだけで、悲しそうにする橘さんがいるから。


 まだ太陽は真上にある。空は、きっと青かった。




     * * *




もんだいです。


ほこうしゃようの しんごうは あおでした。


しょうねんが あるいているところに くろのおおきいくるまが やってきました。


しょうねんと くるまは ぶつかってしまいました。


あたりには おおきなおとが ひびき ひめいも きこえました。


どうろは ちのいろに そまりました。


それから どうなるでしょうか。

 



      * * *




「あーあ…」


 布団の中でゴロゴロするのが好き。特に何もしないで、ただ、いる。


時計はまだ夕方の6時だった。


 最近第2のユウキと話すようになって、ちょっと疲れている。顔が一緒なのに性格が全然違うから。まぁ違くて当然なんだけど。 


 今日は学校が休みだけど、ユウキに会った。あの困惑の目からすると、道に迷っていたんだろうね。声をかけないわけにはいかなかった。


 黒瀬祐樹。ユウキは私の友達。家がちょっと近くて小学校の登下校が同じ班だった。今時班で登校するのはちょっと違う気がするけど、そのおかげでユウキと仲良くなれたんだと思う。クラスも何度か同じになって、異性の中では一番仲が良かった。


 中学も一緒。でも中学になったら班で登校じゃないし、たった3年だからクラスも一緒にならなかった。偶にすれ違ったら挨拶をするくらいで、話す機会は減った。多分もう小学校みたいに話せはしないだろうなって思ってたけど、その予想はひっくり返った。


 高校も、一緒。


 嬉しさはあるけど、漫画みたいにずっと一緒で1番の仲みたいな関係では無い。互いに同性の友達もいる。よくある、付き合ってるんじゃ、とかの噂を立てられることも一切無かった。そんなこんなで、幼馴染なんて言えるかな?


「内緒にしようかな」


 私だって友達が欲しかった。ユウキと仲を深めたいという思いが無かったわけではないが、今またユウキに偏ってしまったら友達は少なくなるだろう。それは私だけじゃなくて、ユウキにもだ。ユウキに友達がいなかったら、ユウキが困る。


 そして迎えた入学式。


「何でアイカが隣なんだ」

「名前の順だからだよ、クロセとタチバナだから」


 ユウキは今にも笑い転げそうだった。何がそんなに面白いのか分からないけど。


 疎遠になるつもりで学校来て、ユウキと同じクラスだどうしようって、考えた途端にこれか。私が考えた時間も思考も無駄だった。


 どう頑張っても話さないのは無理だ。隣の席でコミュニケーションを全く取らないなんて無理。それがユウキなら、尚更。 


 入学式は緊張した。今まで何度か経験してきたけど、こういう新しい環境の式とか会とかに弱い。それに、名前の順で並ぶから私とユウキは遠かった。いや別に悲しいとか思ってないし。


 あっという間に入学式は終わった。緊張してたけど、意外と校長先生の話は短い。面白みもなかったけど。


 教室に戻ると、よくある担任の自己紹介が始まった。まぁ、面白い先生かな。数学は得意だから。


「これから頑張っていきましょう。さようなら」


 周りの空気はちょっと沈んでいた。いや、固まっていたというべきか。緊張でそうなっているだけだと思うけど、話している人は数人しかいなかった。


 また、彼との距離を縮められるかと思って、


「ユウキ、一緒に帰ろう」

「ん?ああ、良いよ」


 おっあっさりOKしてくれた。意外。女子と帰るとかあり得ない的な感じで拒否るかと思ってたのに。


「チャリ?」

「ううん、歩き」

「一緒だ」  


 適当に鞄に真新しい教科書類を詰めて、まだ慣れてない校舎内を下駄箱を探して歩いた。2人して方向音痴だから結構迷う。楽しい。


 学校から家まではそんなに距離は無いけど、私たちは小学生ぶりに一緒に帰った。


「久しぶりだな」


 うん、と私は頷いた。


 久しぶりだ。ユウキの顔を間近で見るのも、ユウキの息を傍で感じるのも。


 小さいころはあんなにやんちゃで、でも私より頭が良くて。中学は私立行っちゃうんじゃないかって焦ってさ。ユウキが受験するなら私もしようと思って少しずつ勉強に励んだ。まぁ結局受けなかったんだけど。


 大人っぽい顔立ちになっていた。中学の頃、ユウキがイケメンだと周りに噂されていた気がする。うん確かに整っていると思う。男子とそんなに関わってこなかったから顔の重要度が分からないけど、男だなってことくらい分かる。


「アイカは何部入るの?」

「また美術部にしようかなって思ってる。ユウキは?」

「帰宅部」

「中学もそうだっけ?」

「そう。運動も音楽も得意じゃなかったから」


 私らの中学は運動部が多いのに文化部は吹奏楽部か美術部しかない。運動が得意じゃないとほぼ2択になるわけで、まぁ運動が苦手でも大丈夫な運動部もあるんだろうけどさ。ユウキは写真を取るのが好きだったから美術部かと思ったけど、残念ながら美術部は本当に美術部で絵を描く部活だった。私は絵が好きだったから、すんなり美術部入ったんだ。先輩も良い人で、絵が上手くなりたいっていう感じの人もいたから、ユウキも入れば良かったのにともちょっと思った。


「じゃあ、もう一緒に帰れないか」

 ユウキの顔が一瞬で疑問になった。「はぁ?」

「俺がアイカを待てば良いんだろ」

「えっ申し訳ないよそれ」

「俺がアイカと一緒に帰りたいだけ」


 一緒に帰りたい、それは私の中でちょっと引っかかった。何かは分からない。小学校の頃なんて毎日飽きるほど一緒に帰ったのに、今更そんなってことかな?


「久しぶりにアイカと話せて嬉しかった」 




      * * *




もんだいです。


くろいおおきいくるまと たおれているしょうねんが いました。


きゅうきゅうしゃの おとが ひびきました。


きゅうきゅうしゃは しょうねんを のせました。


あたりは ちのいろに そまったままでした。


くろいくるまにも ちが ついていたかもしれません。


それから どうなるでしょうか。




      * * *




 風呂からあがった。バスタオルを肩にかけながら、僕は自分の部屋への階段を上がる。


 15段のこの階段はシンプルとはいえない形をしていて、落ちたら危ないだろうなって毎回思う。僕が落ちたことがあるのかどうかは分からないけど、少なくとも記憶にある中では無い。


 部屋のドアを開ける。視界に映りこんできたのは、棚の上のミニカーだった。シルバー、深緑、ピンク、黄色…。綺麗に飾られたそれは、きっと僕が愛を込めて手入れをしていたのだと思う。


 昔の僕だったらこれを眺めて楽しかったのかもしれないけど、今の僕にはその感情の欠片もない。寧ろ逆だ、こいつらは僕から記憶を奪い去って、橘さんまでもを苦しめる。そんなの、犯罪と変わらない。こいつらは人殺しのようなものだ、だから少しくらい刑罰を受けたって問題はないはず。きっと僕以外にも、そういう感情を持っている人って、沢山いるだろう?だったら、こんなもの、無くなればいい…。


「僕にだって、自由の権利くらい」


 だから僕は、僕の思い出を自ら放棄した。部屋の隅っこに置いてあった段ボールを引きずってきた。


 ひとつひとつ、ミニカーを段ボールに詰めようとした。


記憶がなくなってからずっと、僕が望んでいこと。それが今やっと叶うんじゃないか。目の前から怒りと恐怖の対象が消えて、僕の部屋はシンプルになって。


……なのに。


「車は嫌いになったはずだから…」


 手が動かない。寒くもないのに、体が震える。目から、雨が降ってくるよ。それが茶色い箱に当たって、染み込んでいくよ。


 ミニカーを段ボールに詰めるその動作は、スローモーションのようにゆっくりだった。それとは関係なく、僕の涙はポタポタと流れていく。ずっと今まで溜め込んでいた、そんな曇りが一気に太陽にあたって溶け出すように、僕には制御できなかった。


 それでも、ミニカーは片付ける。昔の僕の思い出だけど、目の前にはあってほしくない。だから。


 排除する。


 僕のミニカーは、偏りがなく多色だった。つまり、あの色もあるということ。


「黒の、車」


 この車だけは、しまえなかった。でも飾りたくなかった。触りたくもなかった。僕の目の前に、現れないでほしかった。


 辛い。眩暈がする。視界が眩んで頭痛がする。


 車を全部ほっぽって、僕はベッドに潜り込んた。 


 嗚咽が漏れる。きっと下にいる母さんに聞こえたら心配をして駆けつけてきてしまうだろう。だから、できるだけ部屋から声が出ないように、枕に顔を埋めて泣いた。


 僕の涙には色がない。声にだって色がない。僕の心には、もう色なんて無くなった。でも、でもこの車には、黒っていう色がある。僕にはない色がある。僕にぶつかって来て、道路を血に染めて、僕から記憶を奪って、橘さんの笑顔を奪って、そんなものにも色があるのにっ!


 何で僕には色が無いんだろう。


 何で僕には記憶が無いんだろう。


 何で橘さんは毎日悲しそうな顔をしなければならないのだろう。


 何で、なんで。


 何で、僕は。


 橘さんを笑顔にできないのだろう。


「うわぁ―!!!!」 


 ベッドの中で泣き叫ぶ僕は、非常に惨めだった。




      * * *




 団地内に鶏の声が響いた。


「おはよう黒瀬君。昨日ぶり」

「橘さん、おはよう」


 疲れているのか眠いのか元気のない少年と、吹き飛ばすようにふわっと笑う少女がいた。


「大丈夫?今日からまた学校だよ」


 ちょっと重そうな鞄を持って、橘と呼ばれた少女は歩き始めた。


 黒瀬もそれについて行く。でもそこには、見れば分かるほどの微妙な距離感があった。


 その隔たりを保っているのは黒瀬だろうが、橘もそれには気づいているだろう。


「ねぇ橘さん」


 ある程度家から歩いたところで、黒瀬が口を開いた。小さい声じゃ聞こえない距離。だからきっと、腹から声を出している。


 橘は後ろを振り返った。「ん?」


「僕は…。僕は、記憶が戻らないと、僕じゃない?」

 考えていたのか、不安げな、でも今思いついたような質問ではない質問が投げかけられた。きっと前々から用意していた、聞きたかった。でも聞けなかった。そういう雰囲気の漂う言葉だった。


 橘に不安は無い。当たり前のことを当たり前に言う、それだけだった。


「ユウキはユウキだよ」


 外なのに、橘のその言葉は妙に響いたような気がした。 


 黒瀬は、橘の隣に行く。 


 車は怖くない。記憶が無いのも怖くない。実際は怖いのかもしれないけれど、怖くないと印を押した。


 怖くない。だって、アイカがいるから。


「ありがとう、アイカ」



      * * *




しょうねんは びょういんに いました。


さいわいなことに いのちは たすかりました。


ですが かれは きおくを うしなっていました。


じぶんが だれだかも わからず 


みまいにきたひとが だれかも わかりませんでした。


そこには かれのかぞくと ひとりのしょうじょが いました。




「たちばな、さん?」

「うん、たちばなあいか。藍色に、花って書くよ」

「僕の、名前は?」

「ゆうき」


 肩くらいの長さの髪だった。それは綺麗に艶のある黒で、彼女は鉛筆を持った。


 『橘 藍花』と書かれた下に、『黒瀬 祐樹』と書いた。


 鉛筆の芯は、黒かった。 

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― 新着の感想 ―
[一言] えっとこれ橘さんは黒瀬くんを特別に全然思っていないって読んで思ったんですけど合ってますか 橘さんからすると黒瀬くんが記憶無くしたとしても特に問題ではないと思ってるように見えるので 事故の前…
[良い点] なんだか悲しいお話でしたが、橘さんがいい女の子で良かったです。黒瀬くんは救われた方ではないでしょうか。 この作品はかなり深いです。 ひらがなで書かれた問題文は黒瀬くんの事故を描いていました…
[良い点] 間の平仮名の文が、より緊迫感を出していて良かったです。 オチもよく、面白かったです。 [一言] ドキドキしながら読みました。 次回作も楽しみにしてます‼︎
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