第3話
俺は今真鍋先生に言われ、訳も分からないまま校長室の前にいる。
なにがともあれ、まずは中に入らないと校長と話さないと何のことで呼ばれたのか理解できそうにない。
俺はとりあえずこの状況を打開しようと目の前にある校長室の扉をノックすることにした。
「はい、どうぞ」
ノックに対する返事は扉の向こうからすぐに聞こえてきた。
「失礼します、真鍋先生に伝えられて来ました2年5組の神崎光一です」
「おお、神崎君ですね。どうぞ中に入ってください」
初老の優しそうな男性の校長先生に招かれ目の前で対になっている二つの黒いソファの片方に座る。
話すのはもちろんのこと、校長先生とこの距離まで近づくことすら俺には初めてだ。普段から学期の初めと終わりの式で全校生徒の前で話す校長の話を聞くことがあるが、檀上との距離はだいぶ離れている。
「えー、神崎君。今日君に来てもらったのは君の妹さん、我が校の生徒会副会長である神崎花凛さんのことについてなんです」
花凛のことだと?成績や退学というような話で呼ばれたんじゃないのか?
「えっと、花凛がどうかしたんですか?」
「はい、実はつい最近頻繁に花凛さんの身元確認を要求する電話が日本第三公社から来るようになっているんです。彼らは、花凛さんがどこか特別な家系の生まれではないかと言っています。
生徒の個人情報の保護は学習機関として最優先すべき事項なのですが我々もUEに関わる以上、第三公社の要求を無視することはできないんです。」
第三公社が花凛の身元情報を聞き出してきた!?第三公社という機関はいったい何がしたいのだろうか?
そもそも第三公社とは民主主義や社会主義などの二派から独立したUEの出現により生まれた第三派でUE中心の社会を求める政治組織である。UE関連はすべて第三公社が管理しているため、必然的にその教育機関たる装科大学などもその管理下に置かれることになる。
そのため、校長の言っていることもよくわかる。
しかしそんな巨大政府のような機関が付属高校の生徒会に所属する一介の生徒の情報をわざわざ直接問い合わせてまで確認したがるなんて、どう考えても普通じゃない。
「花凛は僕の家族です。いくら花凛が優秀でUEの制御に長けているからと言って、それが銘家の出身であるという証拠にはならないと思います。とにかく花凛は正真正銘神崎家の人間です」
この説明は全く要所を捉えていないし、根拠となる部分もないため説明としては完全に0点である。しかし具体的なことはよく分からないが、花凛が何かに巻き込まれてしまうならそれは何としても避けたい。ただそれだけである。
「ははは、そうですよね。わかりました、わざわざ校長室までありがとうございました。実技考査ぜひ頑張ってください」
「えっ、もういいんですか?」
「はい、私が頂きたかったのはご家族の証言ですのでこれで大丈夫ですよ」
てっきりこれから事情聴衆のごとく家族に関する質問に答えさせられるのかと持っていた俺はあまりの簡潔さに驚いた。
そんな俺に校長は優しく微笑んだ。何を根拠に大丈夫と言っているのかはわからないが、校長の発する言葉は何故か自然と安心させられる。大丈夫なんだ、そんな気持ちにしてくれたのだ。
校長に挨拶をすると校長は再びの微笑みその微笑みを後に俺は校長室を出た。
花凛は神崎花凛…か。
花凛とは双子で、物心がついた時から一緒に過ごしている関係だ、と聞かされている。実は今の俺は10歳からの記憶しかない。つまり10歳までの俺自身のことは母さんや花凛などに聞いたことしか知らないのだ。
「これより実技考査を開始します。生徒は各々の教室に待機し放送で呼ばれた生徒から順に指定されたスペースに移動、その後係りの者の指示に従って試験を開始してください。なお、試験終了後は下校が許可されているので下校を希望する生徒は各自の判断で下校してください」
校内に試験の開始を告げる放送が響き渡る。
もう始まるのか。早く教室に戻らないといけないな。
俺は放送で呼び出された生徒の流れに逆らいながら駆け足で2年5組の教室へと向かった。
教室に入ると、クラスメイト達は「今回は特訓したとっておきの技がある」とか、「前回の結果が良かったから今回は余裕がある」といった明るい内容の会話をいたるところで交わしていた。
自分の席に座ると俺が戻ってきたことに翔が気付きこちらに向かってきた。
「やっと帰ってきたか光一。いったいどんな用件だったんだ?」
「ああ、ちょっと花凛のことでね。えっと…まあ花凛は色んなところから注目されてるらしいし、それで本人は困っていないかって校長先生に尋ねられたよ」
「おいおい、校長と話したのか?それはご苦労様なこったぁ」
そう言って、翔は俺の肩に手を置いて耳元に口を近づける。
「まあ、安心したぜ。てっきり成績のことで呼び出されたんじゃないかと思って冷や冷やしてたぞ」
翔は笑って俺の胸元をどついてくる。
やっぱりこいつはこのクラスの中で一番の俺の理解者だと思う。
翔は俺が置かれている状況を把握しつつ、毎回実力考査のたびに俺の成績のことを心配してくれる。
「全く、優男にもほどがあるって、この野郎!」
抑えられない喜びから大きめの声になってしまったが、そう言って俺も翔に笑い返す。
すると翔は「そうそう」と何かを思いついたかのような仕草と伴に口を開く。
「今日は昼に一緒に飯食べる時間がとれねぇと思うから今のうちに屋上らへんで食べとかねぇか?」
「そうだな、ってまだ俺パン買ってないぞ。わりっ、ちょっと下で買ってくるよ。」
そう伝えて財布を鞄から取り出そうとした俺の肩に翔の手が乗る。どうしたのかと思い顔を上げると、そこには見慣れたパッケージを3つ持つ翔の姿があった。
「その必要はないぜ親友。買うのが手間になると思って行きにコンビニに寄って買ってきておいたぜ、山名咲のコクうまスパイシーカレーパン×3!!」
「お、お前ってやつは!!!」
そう、翔の手に持っていた山名咲のスパイシーカレーパンは俺の大好物。俺の購買での購入率は100%、勿論今も買いに行こうとしたのもお目当てはこれだ。
翔と石原にはいつも「何でそればっかり食べ続けて飽きないのか」とか「お前の下は本当安上がりでいいよな、めでたいこった」と褒められているのか、貶されているのかわからない(多分貶されてる方に近い)ことを言われている。
しかし俺は何を言われようとこいつを、山名咲のスパイシーカレーパンを愛し続けると決めているのだ。そう、たとえ世界を敵に回しても。
両手で拳を作りながら固い決意を再確認していると、
「カレーパンひたすら食べ続けても世界は敵に回んねぇから安心して食え」
翔の言葉と共に三つの我が盟友が翔の右手から高々と空中を舞った。
俺は慌ててそれをキャッチすると安堵のため息を吐き、堪らず翔に抗議した。
「おい!落ちて中身が生地からルーが出たらどうしてくれるんだ!山名咲のスパイシーカレーパンはルー超たっぷりなんだぞ!多すぎて罪悪感が生まれるレベルだ!」
しかし、俺の抗議を背に教室の外に向かう翔は扉に手をかけるとこちらを向いた。
「おら、さっさと屋上行くぞ。話したいこともあるみてぇだしな」
翔はそう言って口の端を軽く上げるような笑みを浮かべながら扉を開けて教室の外へと出ていった。
いくら顔が平均より良い、というか正直に言うとイケメンだからってそんなところで平気でキメるなよ。
しかもばっちりキマっていたころがさらにムカつく。
俺は心で涙しながら、憎きイケメンの後を追いかけた。