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狼達の花宴 ~大軍師伝~  作者: 花和郁
巻の七 守る者たち
59/66

(巻の七) 第三章 逆襲 上

「こうして、半空国、鯖森国、白泥国が敵の手に落ちました」


 墨浦城の百(じょう)の大広間に隠密担当の家老の声が響いていた。


「薬藻国では宇野瀬軍二万四千が連橋(つらねはし)城を包囲中、鯨聞国の戦は小康(しょうこう)状態ですが、遠からず鮮見家が再度侵攻を始めると思われます」

「お聞きの通りじゃ。当家の置かれた状況は厳しい。御使島から戻ってきた軍勢をどう動かし、どのように事態を打開するか、皆の意見を聞きたいのじゃ」


 連署(れんしょ)兼筆頭家老の杭名(くいな)種縄(たねつな)が居並ぶ重臣たちを見回し、こほんと咳払(せきばら)いした。


「では、わしから述べよう。半空国に反攻(はんこう)軍を送るべきじゃと存ずる」


 種縄(たねつな)が主張したのは自身が国主を務める国への侵攻だった。


「直春があの国を完全に制圧したら、大門国へ攻めてくるじゃろう。それを防ぐためにも奪い返し、北方の安全をはかるべきじゃとわしは提案する」


 確かに、ごもっともですな、と杭名(くいな)派の家老たちが賛同の声を上げた。氷茨(ひいばら)元尊(もとたか)の失脚後、人数が最多の派閥となり、種縄(たねつな)は連署の地位を得た。


「わしは違う意見ですな。鯖森国と白泥国を回復するのが先と考えますぞ」


 次席家老の(あがめ)典古(のりふる)が口を開いた。


「我等が派遣できる武者の数はいかほどでしたかな」


 典古(のりふる)は先程報告されたことを武者所(むしゃどころ)担当の家老にわざと確認した。


「一万三千、それが最大ですな」


 うむ、と典古は大げさに頷いた。


「桜舘家は武者を鯖森・白泥両国の各地に分散して配置しております。多いところで八千ほど、鯖森国南部の宇野瀬軍は約一万、どちらに対しても我が軍が上回りますぞ。一方、半空国の直春の軍勢は一万六千ほど、攻めても勝てるか心もとないですな」


 その通り、同感ですぞ、とざわめいたのは、二番目に数が多い(あがめ)派の家老たちだった。


「御使島を回復すれば、深刻な兵糧や金銭の不足が解消されますぞ。桜舘家と宇野瀬家の武者数を討ち減らすことにもなり、得が多いと思われませぬか」

「その両軍が協力したらどうなるのじゃ」


 種縄が冷ややかに指摘した。


「数で劣り、今は拠点の城の一つもないのじゃぞ。海の向こうで孤立し、戻ってくるのさえ難しくなりかねんじゃろう」


 種縄は言葉に力を入れた。


「鮮見家は弱っており、御使島の回復を急ぐ理由はないのじゃ。桜舘家と宇野瀬家がそちらに武者を分けている間に大門国周辺の敵を撃退し、墨浦を守るべきじゃ」


 対立する二つの派閥はどちらも過半を占めず、かつての氷茨(ひいばら)派のような圧倒的な力はないため、評定は空転(くうてん)することが多かった。この二年、成安家の動きが鈍かった原因だ。


「連署殿は屁理屈をこねておられるが、領国を取り返したいだけではありませぬかな」


 典古の声にいらだちがにじんだ。


「お家の大事より、ご自分の利権を守りたいようですな」


 崇家は成安家が墨浦に来る前からの重臣で、先代当主宗周(むねちか)が白泥国を制圧すると国主に任じられた。名門の自負から来る尊大(そんだい)な口調で政敵を挑発する。


「そちらこそ、白泥国をどうしても回復したいようじゃな」


 公家(くげ)の血を引くことを誇る種縄も、公家風の着物の(そで)をひるがえし、天宮(てんぐう)風の抑揚(よくよう)(ののし)った。


「半空国には我が息子幽縄(ふかつな)が三千の武者を(よう)して残っておる。連携して攻めれば勝利しやすいじゃろう。完全に制圧された白泥国とは状況が違うのじゃよ」

「逃げ遅れて山奥の砦に閉じ籠もったというべきですな。たった七日で一国を奪われるとは、情けない国主代ですなあ」

「そちらこそ、包囲軍とほぼ同数の武者を抱えておりながら落城したじゃろう。国主代の弟君は何をしておったのじゃ」


 もはや口喧嘩になっている。要するに、どちらも自分の領地のことしか考えていないのだ。武者や財力を失えば派閥をまとめられなくなるから本人たちには切実な問題だろうが。

 みっともない応酬は際限なく続くかと思われたが、けだるげな声が割って入った。


「二人とも、落ち着かぬか」


 重臣たちは耳を疑う顔で最奥部(さいおうぶ)の一段高くなった畳の方を見やった。


「こ、これは御屋形様(おやかたさま)

「し、失礼いたしました」


 連署と次席家老は一瞬動きを止めたが、驚愕を顔にはり付けたまま慌てて答え、口を閉ざした。


「わしも聞きたいことがある。よいか」

「はっ、何なりと」


 司会役の家老は当主へ向き直って頭を下げたが、信じられぬという顔だった。

 宗龍(むねたつ)が評定で自分から発言するなど前代未聞(ぜんだいみもん)だ。いつもやる気なさそうに耳をほじっているか、連れてきた側女(そばめ)の尻でも撫でているからだ。(すみれ)を寵愛するようになってからは、こうした場に出しゃばらない娘なので同伴することはなくなったが、つまらなそうに黙っていて、船を()ぐこともしばしばだった。どういう風の吹き回しだろうと家臣たちはいぶかしむ様子だった。


是正(これまさ)、意見を聞きたい」

「はっ」


 この広間で唯一宗龍(むねたつ)の発言を喜んでいた老将は平伏した。


「軍勢を連れ帰ったのはそなただからな」


 是正は鯨聞国で要餅(かなめもち)城に籠もった鮮見軍を包囲していたが、(ひそ)かに撤退の準備を進めていた。(おさえ)砦の巣早(すはや)博以(ひろもち)に菊次郎から接触があったと聞いて、侵攻が近いことを察したのだ。半空国の大敗の知らせと墨浦へ戻れとの命令が届くと、翌日成安軍は包囲を解き、慌ただしく城から離れていった。


「是正が去っていくだと? 追撃するぞ。合戦の恨みを晴らす!」

「危険です。沖里(おきざと)公が何の備えもしていないはずはありません」


 朽無(くちなし)智村(ともむら)は止めたが、秀清は八千を率いてあとを追い、日が傾き始めた頃に最後尾をとらえた。


「蹴散らせ! 蹂躙(じゅうりん)しろ! 是正を討て!」


 秀清たちは森の中の一本道を進む成安軍に襲いかかった。


「て、敵だ! 逃げろ!」


 成安軍は焦って走り出し、引き離そうとする。


「追え! 追え!」


 勢いに乗った秀清たちが速度を上げて追いかけると、急に視界が広がった。


「ここは草地か!」


 森が終わり開けた場所に出た秀清は、馬を止め、周囲を見回して愕然とした。槍を構えた徒武者がぐるりと大きな輪になって囲んでいたのだ。


「待っていたぞ!」


 雷のような太い声には合戦で覚えがあった。太鼓が激しくたたかれると、武者たちが槍先をそろえて向かってきた。


「しまった、罠だ! 追撃は中止だ! 引き返せ!」


 秀清は叫んだが、次から次へと鮮見家の武者が森から駆け出てくる。


「敵の伏兵です! 後ろから来ます!」


 鮮見軍を通過させて道を塞ぎ、草地の方へ追い込もうとしているのだ。


「ちいっ、引き上げるぞ! 森へ逃げ込め!」


 それしか生き延びる方法はない。


「全員、全力で走れ!」


 秀清の判断は早かった。馬首を右手に向けると、強く腹を蹴った。


「死にたくない者は続け!」


 秀清は雄叫びを上げながら敵武者の列に突っ込んだ。それを見て、馬廻り衆が遅れまいと馬をあおり、呆然としていた他の武者も槍を握り直して駆け出した。


「走れ! 走れ!」


 うおおおと絶叫する武者の群れは槍の林に突撃し、突き、振り回し、()ぎ払ってどうにか道を切り開くと、一斉にそこへ殺到し、森へ駆け込んでいった。是正は無理に道を塞がず、次第に輪を狭めながら横や背後から槍や矢で攻撃させた。鮮見軍は二千を超す死傷者を出し、秀清も軽傷を負ったという。


「是正が鮮見家を破ってくれたから他の国へ出兵できるのだ。まことに大儀(たいぎ)であった。見事な武略だ」


 宗龍は宿将をほめた。この当主が誰かに感謝するのも初めてのことだった。


「こたびの軍勢も率いるのはそなたになろうな」


 重臣たちは誰も否定しなかった。


「ゆえに問う。そなたはどこを攻めるのがよいと思うか。忌憚(きたん)なく存念を述べよ」

「かしこまりました」


 指名された驚きと発言の機会を得られた安堵(あんど)に日焼けした(あかがね)色の顔をほころばせて、沖里是正は言上(ごんじょう)した。


「わしが思いますに、現在最も急を要し、かつ意味がある軍勢の派遣先は薬藻国と存じます」


 重臣たちは意外そうな顔をした。


「理由はいくつかございます。まず、御使島を急いで回復する必要はございませぬ。半空国と薬藻国で勝利すれば、桜舘・宇野瀬両軍は占領地から撤退するか、しなくとも孤立して援軍を望めぬ状態になります。攻略は難しくありますまい。逆に、御使島に軍勢を派遣して大門国を手薄にすれば、両軍はここぞとばかりに墨浦に攻め込んでまいりましょう。また、鯖森国と白泥国を取り戻したら、態勢の立て直しが終わるまで軍勢の多くをとどめる必要がございます。その間当家は動けなくなり、敵を()することになりましょう」


 典古は悔しそうな顔をしたが黙っていた。


「では、大門国に隣接した二国のうちどちらを先に攻めるべきでございましょうか。半空国の桜舘軍は一万六千ほど、薬藻国の宇野瀬軍より少のうございますが、桜舘家は強敵です。直春公の統率力、銀沢(かなさわ)信家(のぶいえ)の知略、共に恐るべきもので、勝てたとしても大きな損害をこうむるやも知れませぬ。また、桜舘軍は幽縄殿が半空国にいる限り、大門国へ侵攻してこられませぬ。願空の大軍に囲まれている連橋(つらねはし)城の救援を優先すべきと存じます」


 諸将は静まり返って耳を傾けている。


「それに、半空国を取り返しただけでは、状態が戦の前に戻ったにすぎませぬ。しばらくしたらまた三家に三方から攻め込まれましょう。相手に大きな打撃を与え、領地を削って弱らせてこそ、当家に未来が生まれます。そのためには半空国を回復後、葦江国に攻め込み、豊津城を落とす必要がございます。そこまでして初めて勝利と申せましょう」


 戦場で(きた)えられた是正の太い声は大広間の(ふすま)をびりびり震わせて響き渡った。


「ですが、それには一万三千では足りませぬ。敵軍師の必死の抵抗をはねのけて、氷茨公が落とせなかった堅城を攻略できるだけの武者数が必要でございます。ゆえに、まず薬藻国に軍勢を送り、宇野瀬軍を追い払うのでございます。願空は強敵ですが何度も戦っており、奇策を使う銀沢信家よりはやりやすい相手、しかも鯖森国へ一万を分けて武者数は減っております。連橋(つらねはし)城の我が息子正維(まさつな)の軍は七千七百、力を合わせればきっと勝てましょう。宇野瀬家に大打撃を与えたのち、薬藻国の武者も率いて半空国と葦江国に攻め込むのです。幽縄殿のもとへ軍略にすぐれた者を送り込んで手助けさせれば、それまで桜舘軍を引き付けながら守りきらせることができましょう」


 言葉を切り、是正は深々と頭を下げた。


「どうか、わしに出陣のご命令を頂きとうございます。必ずやおのれで口にしたことをやり遂げてまいりますぞ」


 重臣たちは顔を見合わせ、上座(かみざ)の当主へ一斉に目を向けた。考え込んだ宗龍が口を開く前に、次席家老が発言した。


「是正殿、御使島より墨浦と陸続きの二国が優先とおっしゃりたいのですな。しかし、薬藻国が先というのは、そなたの領国だからではないですかな」


 典古はさげすむような目つきだった。


「居城と籠もっている息子を心配しておるだけに聞こえましたな」


 種縄も言った。


「おのれの領地のある国を優先すべきと主張するとは見え()いておりますぞ」

「そうではありませぬ。全体を見た上で申し上げております」


 是正は首を振った。


「薬藻国は領国だからこそ、地勢(ちせい)や人々をよく知っていて戦いやすいのでございます。必勝を()するなら、自分の庭のような土地を選ぶのは当然のこと」


 是正は再び宗龍へ平伏した。


「御使島の桜舘軍はしばらく戻ってまいりませぬ。今が好機、占領が安定すれば軍勢は半空国に移動し、攻めにくくなります。それどころか桜舘軍単独で墨浦に攻めてくるかも知れませぬ。連橋城内の息子は善戦しておりしばらくは持つでしょうが、早目に援軍を送って救援し、宇野瀬軍撃退と桜舘軍撃破に協力させましょうぞ」

「善戦しておるなら放っておいてよいじゃろう」


 種縄は呆れを隠さなかった。


「薬藻国はしばらく持つのじゃ。御使島も急ぐ必要はないのじゃろ。ならば半空国を取り戻すべきじゃ。桜舘軍が海を渡って移動してくる前にな」

「現在戦闘中の国を放っておいて他所(よそ)を攻めるとおっしゃるのか」


 是正は食い下がった。


「必死で城を守り援軍を待ち望んでいる武者たちはがっかりいたしますぞ」

「恵国貿易のためには半空国が必要なのじゃ。(あがめ)殿もおっしゃった通り兵糧や金銭の不足が深刻になりつつあるのじゃぞ」


 木材や薬草など輸出する品々の産地を領していることが杭名家の財力と影響力の(みなもと)だった。


「直春の軍勢を破りあの国を奪い返せば、豊津が危ないと御使島の桜舘軍が引き上げるやも知れぬじゃろう」


 種縄は宗龍に体を向けた。


「御屋形様、恐れながら申し上げます。この墨浦を奪われたら当家は終わりでございます。薬藻国はまだ奪われておりませぬが、半空国はこの大門国との境まで敵に占領されております。御屋形様や(すみれ)様をお守り申し上げるためにも、桜舘軍を墨浦から遠ざけよとのご命令を頂きとうございます」


 小さく頷いている家老が多かった。古くから仕える重臣ほど大門国に領地があるのだ。


「そうか、墨浦を守るためか。それが最優先だな……」


 宗龍はあごを撫でて少し迷い、頷いた。


「是正、お前の言うことも分かるが、ここは連署の進言を取る。先に半空国を取り返し、大門国との境から敵を遠ざけよ。その後に薬藻国を救援する」

「かしこまりました。ご命令をお受けいたします」


 無念の表情で是正が深々と頭を下げると、宗龍はなだめるような口調になった。


「息子を案じる気持ちは分かる。鯖森国や白泥国から戻ってきた者もわずかだがおる。その者たちの準備が整ったら薬藻国へ送ろう。それでどうだ」


 是正は驚いた顔をし、目を(うる)ませて礼を述べた。


「ご配慮いただき感激いたしました。必ずや直春公を討ち破り、半空国を回復してまいります」

「うむ、頼んだぞ」


 宗龍が頷くと、ほうっという深い息が評定の間に広がった。やり取りを呆気に取られて眺めていた重臣たちが思わず口からもらしたのだ。

 宗龍は評定や仕置きに全く関心を示さず、連署の進言を中身もよく聞かずに承認してきた。しかし今回は自ら判断を下し、家臣の心情に配慮まで示したのだ。驚天動地(きょうてんどうち)の出来事だった。目をしばたたく者や聞いたものが信じられぬという顔の者もいる。

 種縄も驚いていたが、我に返ると家臣の首座(しゅざ)として宣言した。


「御屋形様のご裁断が下された。沖里公はただちに軍勢を整えて出陣なさるのじゃ。皆も協力するのじゃぞ」


 ははっ、と家老たちは平伏した。典古も渋々という顔で同様にした。


「御屋形様、一つ提案がございます」


 顔を上げた是正が言った。


「なんじゃ。申せ」


 宗龍が(うなが)した。


「半空国攻略の作戦でございますが」


 是正は概略(がいりゃく)を語った。


「おもしろい計画だ。さすがは是正だな」


 宗龍は頼もしそうな笑顔になった。


「よかろう。やってみよ」

「ありがたき幸せ。では、その役目、明告(あけつげ)殿に任せたいと存じます。鯨聞国では大層立派な戦いぶりでございました」


 注目を浴びた知業(ともなり)は急いで申し上げた。


「わたくしでよろしければ喜んで」

「二人とも頼むぞ。すぐにでも出発してもらいたい」


 是正と知業がそろって頭を下げた。


「では、評定は終わりといたします」


 司会役の家老が告げ、宗龍は去っていった。


「これで領地と幽縄(ふかつな)は守られるな」


 ほっとした種縄の独り言は予想外に大きく響いたが、重臣たちはそれどころではなかった。当主の変貌について小声で話し合いながら期待と不安の表情で大広間を出ていく。


「驚きました。御屋形様が自らご判断なさるとは」


 知業に話しかけられて、是正は難しい顔で頷いた。


「喜ぶべきことではあるが、戦によい影響となるかは御屋形様次第だな」


 知業はどういう意味かと聞きたげな様子だったが、ためらって別なことを口にした。


「それにしても、あの作戦は、何と申しますか、沖里公らしくないですね」


 是正は否定しなかった。


「正々堂々と攻めると思っておったか」

「そういうのがお好みかと」

「それで勝てればそうする」


 老将は胸の前でこぶしを握り締めた。


「だが、敵はあの大軍師だ。正面から押していったら負ける」

「沖里公でもですか」

「わしでもだ。あれはまことの知恵者(ちえもの)だ」


 六十を超えているとは思えぬたくましい腕に筋肉が盛り上がった。


「作戦の詳細を詰めたい。これから屋敷に来ぬか」

「俺ももっと詳しいお話をうかがいたいと思っていたところです」


 老将は二十七歳の知業を連れて、御殿(ごてん)の出口の方へ歩いていった。



「沖里公が墨浦を出陣したそうです」


 半空国の港町の砦で、菊次郎は諸将を集めて隠密の知らせてきた情報を語った。


「数は一万、旭国(きょくこく)街道を東へ進んでいきました。連橋(つらねはし)城の救援に違いありません」

「君の予想通りか」


 直春はさすがという顔だったので、菊次郎は少し照れた。


「常識的な判断ということですね。包囲されている城を救いに行くのは当たり前です。沖里公にとっては自分の城で、守っているのは息子ですし」

「こっちに来るのもいるよね」


 隠密の(かしら)の田鶴が言った。


「ここ半空国との境の足首(あしくび)砦に一千の援軍が来るようです。薬藻国で戦う間、当家が墨浦に攻め込むのを防ぎたいのでしょう。それでも砦の武者数は四千になったにすぎません。小荷駄隊も二千ほど一緒で、砦を強化するつもりだと思います」 

「ということは、半空国にはしばらく攻めてこないでしょうな」


 泉代(いずしろ)成明(なりあき)が言った。


材木山(ざいもくやま)砦を落とす好機ですね」

「それを考えていたのだ」


 直春は腕組みをした。


「あそこを落とさないと先に進めないからな」


 菊次郎たちがいるのは大門国との国境(くにざかい)から一日の距離の寧居(やすらい)港だ。(うち)(うみ)に面したこの町の真ん中を貫くのがいかだ川で、さかのぼっていくと湖がある。そのほとりの砦に、半空国の国主代杭名幽縄(ふかつな)が立て籠もっているのだ。


「砦の武者は約三千。多いというほどではないが、無視できる数でもない。墨浦に進軍中に背後で暴れられると面倒だ。この国に残す武者も増やさねばならなくなる」

「国主代がとどまっている限り、この国を完全に制圧するのは難しいですぞ」


 小薙(こなぎ)敏廉(としかど)は四十六歳になり、貫禄(かんろく)が増してきた。


「武家も民も報復を恐れて当家に従いづらいでしょうな」

「杭名家は成安家が墨浦に来るより前からこの土地の国主をしていたそうですよ」


 市射(いちい)孝貫(たかつら)はおだやかな口調だ。


名家(めいか)ですし畏敬(いけい)されているようですな。(した)われているかは別ですが」

「我々も嫌われてはいないようですぞ」


 安瀬名(あぜな)数軌(かずのり)麾下(きか)の騎馬隊を点在する町や村に派遣し、成安家が去り桜舘家が領主となったことを知らせる役目を務めてきた。


「国主様の仁政(じんせい)はこの国でも有名ですから、すぐに当家領になったことを喜ぶようになるでしょうな」

「だといいがな」


 直春は謙遜(けんそん)したが自信はあるらしい。


「というわけで、材木山(ざいもくやま)へ向かいたい。ようやく機会が来たと思う」


 支配の受け入れをためらう民を従わせるためにも国主代を討ちたかったが、この一ヶ月、直春は戦を控えていた。鯖森国の制圧が一段落つくまで援軍を求められる可能性があったし、鯨聞国から是正が戻ってくるという情報があったため、攻略に時間がかかりそうな材木山へ軍勢を派遣できずにいたのだ。


「忠賢殿から勝利の報告も届いた。墨浦へ進軍する際の後顧(こうこ)(うれ)いを()つためにも、あの砦を落としておきたい。よいだろうか」


 直春に可否を問われ、大軍師は答えた。


「成安家は今動かせる武者のほとんどを薬藻国に派遣しました。材木山を直春さんが攻めると知っても何もできないでしょう」

「ならば攻めよう。俺が行く」


 直春は決断を下した。


「できるだけ早く落としてこよう。どんな砦なのだ」

「隠密の報告ではさほど堅固ではないようですよ」


 菊次郎の視線を受けて、田鶴が説明した。


「砦というより、代官所を高い壁で囲ったものみたい。あんな山奥に敵が攻めてくることはないもんね。この国はずっと全部が成安領で戦がなかったし」


 膝の上で小猿の真白(ましろ)がきょろきょろしている。


「材木を育てる人と伐採(ばっさい)して下流へ送る人を管理して税を取るために作ったんだと思う。普段は百人しか武者がいないみたい」

「ならば攻略は難しくないだろう。宗龍公が薬藻国を優先したのは、そういう砦だから救うのは無理だと諦めたのだろうか」


 直春は怒りを感じているようだ。自分なら決して見捨てないと思うのだろう。


「少しなら持ちこたえられると判断したのかも知れませんね。沖里公は願空を撃退したら即座にこの国へ攻めてくると思います」

「時間はかけられないということか。薬藻国が優先されたことを伝えれば、交渉で開城させられるかも知れんな」


 直春は腕を組んだ。


「できれば力攻めはしたくない。そんな戦で武者を傷付けたくはないな」

「今後のためにもですね」


 菊次郎が(おさえ)砦の守将をだますのに大金を使ったのは、損害をできるだけ出さずに半空国を攻略するためだった。武者を御使島にも分けた状態で墨浦の巨城(きょじょう)を攻めなければならないのだから。


「無理はしないでね。何かあったら妙姫様が悲しむし」


 田鶴は豊津城を離れられない直春の妻子や雪姫のかわりに様子を見に来たのだ。


「やっぱり僕も行きましょうか」


 菊次郎は言ったが直春は断った。


「君はここでやることがあるのだろう」

「墨浦や大門国の情勢調査と攻略作戦の修正、この港など占領した町の民の慰撫(いぶ)、手に入れたお城や砦の防衛体制の確立と武者の配置の手配などですね」


 半空国を桜舘家の領国に組み込むための様々な措置(そち)だ。


「忙しそう」


 田鶴は聞いただけでげんなりした様子だった。


「手伝ってもらってはいますが」

「最初が肝心ですからな」


 仕置(しおき)奉行の萩矢(はぎや)頼算(よりかず)は笑った。半空国攻略後すぐにやってきて、今後の統治の土台になる帳簿(ちょうぼ)を集めて確認したり町の有力者に話を聞いたりと毎日忙しそうだ。


「この町のことは部下に指示しましたので、材木山に同行しますよ」


 木材は半空国の主要な産物の一つだ。恵国貿易の輸出品であり、国内の需要も大きい。桜舘家の財政を大いに(うるお)すことが期待されているので、仕置(しおき)奉行がじきじきに行って様子をつかみ、加工職人が逃亡したり町が荒れたりしないようにするのだ。


成明(なりあき)殿も来るし、八千八百を連れて行くからこっちは心配ない。大丈夫とは思うが、墨浦へ目を光らせておいてくれ」


 直春と相談してそういう分担になったのだ。


数軌(かずのり)殿、孝貫(たかつら)殿、菊次郎君を頼む」

「お任せください」

「大軍師殿は必ずお守りいたします」

「あたしもしばらくこの町にいるね」

「田鶴殿がいれば安心だな」


 義理の妹に直春はやさしいまなざしを向けた。

 こうして河口の町寧居(やすらい)から桜舘軍の主力は出発し、菊次郎は五千弱と留守をすることになった。白地に金や赤をあしらった立派な甲冑姿の直春は、腰に脇差「虹鶴(こうかく)」と実戦用の長刀を帯びて愛用の槍を持ち、大きな白馬に乗って去っていった。



 寧居港を出発した直春たちは、材木山まで二日半かけて行軍した。目的地は大長峰(おおながね)山脈にほど近く、川に沿った細い道がうねうねと続く。八千八百の武者と四千の小荷駄隊は細長い列を作ってもく(もく)と歩いた。


「この辺りはどんな作物を育てているのだ」


 案内役の商人に直春が尋ねた。川のそばの狭い平地は余すところなく畑になっているが、野菜は少ないようだ。


「薬の材料ですな」


 しばしば材木山まで出かけていくという寧居港の材木商の番頭(ばんとう)は、植わっている木や草を指さした。


「よもぎはお分かりですな。お(きゅう)のもぐさにいたします。あの池は(はす)、つまり蓮根(れんこん)でございます。牛蒡(ごぼう)生姜(しょうが)(くず)も使う部分は土の中ですな。あちらはどくだみと千振(せんぶり)、花の時期ではございませんが桔梗(ききょう)芍薬(しゃくやく)牡丹(ぼたん)もございます」

「そんなものも薬に使うのだな」


 直春は感心している。


「薬草の栽培が盛んと聞いてはいたが、大層なものだ」

「売り先は玉都(ぎょくと)と吼狼国各地でございますね。恵国へも輸出しております。向こうでも栽培できるようですが、海に近い地域はこちらから運んだ方が早いとか。墨浦に(やかた)を持つ恵国商人が時折その年の出来具合を見にいらっしゃいますよ」


 番頭は盛んに知識を披露し、何でも答えてくれた。今後木材の商売を管理する桜舘家のために、寧居港の材木問屋たちが相談して推薦したのが六十に近いこの人物だった。


「寧居の町では、薬草を乾燥させたり包んだりするだけでなく、薬の調合もしております。薬草を湿気から守ったり酒に()けて薬酒(やくしゅ)を作ったりするための(つぼ)を焼く職人もたくさんおります」

「薬の栽培を奨励(しょうれい)したのは杭名家か」

「さようでございます。何百年か前のご当主様が恵国へこっそりお渡りになり、あちらで売れるものを調べてこられました。それ以来、この国では薬草や材木を育てるようになったのでございます」


 半空国は二十五万貫だが、それは初代の安鎮総武大狼将(あんちんそうぶだいろうしょう)高桐(たかぎり)基龍(もとたつ)の時代に決めたものだ。現在の実高(じつだか)はその数倍はございましょうと番頭は語った。


「あれは菊か」


 直春は川のほとりに目を向けた。


「やはり薬用でございます。ちょうど花の時期でございますな」


 川に沿って黄色い帯がどこまでも続いている。数十万本の花畑が見頃だった。


「どんな効能があるのだ」

(せき)、めまい、目のかすみ、でしたかな。墨浦の薬屋で売られております」

「では、菊次郎君に今度贈ってみようか」

「噂に聞く大軍師様でございますか」

「ああ。最近夜遅くまで兵法書や地誌(ちし)などを読んで考えにふけっているからな」


 直春は笑った。

 そうして、一層険しくなっていく山道を登り、三日目の昼前に目的の町に到着した。


「ここは縛池(しばりいけ)でございます。この池と少し先の(くら)(うみ)の間の短い川は丸太川(まるたがわ)と呼んでおります。砦は湖のほとりにございます」


 材木山とはこの一帯の呼び名だ。真ん中に湖があり、周辺の山で育てた木を伐採して枝を払って浮かべておく。それを集めて短い丸太川へ流し、縛池(しばりいけ)のほとりの町で木材に加工していかだを組み、川を下って寧居港へ向かうのだ。


「案外大きな町だな」

「山の管理や木材の加工の職人と家族、合わせて千人ほどが住んでおります」


 街道と池の間に加工場が並び、道の反対側は長屋が(のき)を連ねているが、人の姿はどこにもなかった。


「俺たちが攻めてくると知って家に閉じ籠もっているのだな」


 直春は町の顔役の屋敷へ案内させた。


「わしらは戦には関わりたくありません。どうか乱暴なことはなさらないでください」

「安心しろ。俺たちの敵は町衆ではない」


 (おび)えた様子の老人に、直春は一切の略奪や狼藉(ろうぜき)を禁じる(むね)を約束した。


「砦の様子を聞きたい。国主代は砦にいるのか」

「何も申し上げられません。両軍のどちらにもお味方いたしかねます」


 老人はそう言うと屋敷の門を閉じてしまった。小薙敏廉は無礼だと怒ったが、直春はなだめた。

「国主代を恐れているのだろう。先へ進もう」

 縛池から再び川に沿って行軍した。丸太川はすぐに終わり、大きな湖に出た。(くら)(うみ)は細長く途中で折れ曲がっているので、見えているのは全体の四分の一ほどらしい。


「砦はあそこでございます」


 湖が右に曲がる辺りに大きな壁がそびえている。三千が立て籠もるには十分な広さがありそうだ。


「一旦停止。隊列を整えよ」


 戦闘隊形を組み、泉代(いずしろ)成明(なりあき)隊三千九百を先頭に前進した。


「これは関所か」


 右手の崖が左側の湖に迫ったところに、土俵(つちだわら)を積み上げた高い壁が築かれていた。真ん中に荷車が通れる幅の隙間があって扉はないが、明らかに通行を(さまた)げるためのものだ。二ヶ月前に来た時はなかったと番頭は言った。


「武者はいないようです。砦を守るためのものではないのかも知れません」


 萩矢(はぎや)頼算(よりかず)は首を傾げていた。積み上げられた土俵は町の側が階段状になっていて、砦の方は垂直の壁だった。砦に行かせないためなら逆にするはずだ。


「俺たちが来たことを知らないとも思えん。ここで戦うつもりはないのだろう」


 そう言って、直春は先に進んだ。

 関所を抜けると砦の全体が見えた。成安家と杭名家ののぼり旗が多数ひるがえっている。


「湖に突き出た崖の上にあるのか」


 攻めにくい場所ではあるが、(やぐら)は物見用らしいものが一つだけだ。城壁も高さはあるもののあまり厚みはなさそうだった。


「田鶴殿の情報通り、籠城には向かなそうだな」


 実質は山と町を管理する代官所であり、本格的な戦闘を想定した造りではないのだ。これなら落とせそうだと思いつつ、慢心(まんしん)(いまし)めて慎重に進んだ。

 砦のそばまで来ると、泉代隊は盾をかざして守りを固め、ゆっくりと接近していった。敵の出方を見るのだ。交渉の可能性を探るねらいもある。


「おかしいな」


 砦から攻撃がない。泉代隊も戸惑っているようだ。二百人ほどが隊列を離れ、門に近付いていった。


「あっさり開いたぞ」


 扉は簡単に破壊され、入っていった武者たちがすぐに戻ってきた。


「中は空のようです」


 成明自身が馬で駆けてきた。


「罠は見当たりません」

「食料などはあったのか」

「全て持ち出されているようです」

「放棄して逃げたのか」

「そのようです」

「だが、どこへだ?」


 直春軍の他の武将も集まってきた。話を聞いて拍子抜けしたようだ。


「とにかく中に入ろう。今夜の宿が必要だ。簡単に片付いたのはありがたいが、敵の行方が気になる。周辺に抜け道があるのかも知れん。田鶴殿はないと言っていたが」

「物見を出しましょう」


 相談を終え、武将たちはそれぞれの部隊を連れてきた。小荷駄隊も砦に収容し、昼食を用意させて食べ始めた時、突然(とき)の声が起こった。


「どこからだ?」


 城壁の窓から辺りを見回して、直春は目を見開いた。


「なぜ背後に! 隠れていたのか!」


 先程通ってきた土俵の関所の上に成安家ののぼり旗がひるがえり、焦げ茶色の鎧が多数槍や弓を構えていた。


「あの家紋は杭名家、半空国主代の幽縄(ふかつな)ですぞ! 明告知業の旗もありますな!」


 小薙(こなぎ)敏廉(としかど)が指さし、直春は即座に命じた。


「防御の態勢をとれ! 攻めてくるぞ!」

「退路を塞がれるとは。まずいですな」


 武者たちは食事を中断して武器を取り、守りを固めて攻撃に備えたが、敵は接近してこなかった。


「関所から動きませんね」


 物見(やぐら)の上で敵を観察しながら萩矢頼算は言った。


「防御の態勢に見えます」

「攻撃してこないのはなぜだと思う」


 直春の表情が硬い。答えを分かっていて尋ねているのだ。


「我々を打ち破ることが目的ではないからでしょう。恐らくねらいは足止めかと」

「わざと砦を空にして入らせたのか」


 直春は歯を食いしばった。


「俺たちをここから出られなくして、攻めるのはやはりあちらか」

「寧居港でしょうね」


 頼算の顔も青かった。


「墨浦方面から軍勢が迫っているはずです。推測ですが、薬藻国へ行ったという沖里公ではないかと。明告知業は一緒に鯨聞国で戦っていたそうですので」

「つまり」


 直春の手の中で愛用の槍がぎりぎりと音を立てた。


「菊次郎君が危ない」


 (けわ)しい表情で、直春は関所の壁をにらんでいた。


『狼達の花宴』 巻の七 材木山周辺図

挿絵(By みてみん)



「もう一度言ってください」


 声が震えてしまった。


「は、はい。沖里是正が一万六千を率いて足首(あしくび)砦を出発しました。現在南国街道を北上中、夕方にはこの寧居の町に到達すると思われます」


 菊次郎の表情をうかがって、伝令の武者は申し訳なさそうに続けた。


「昨日の日暮れ前に山中から大軍が現れ、足首砦に入りました。旭国(きょくこく)街道を進んでいた軍勢が大長峰山脈を越えてきたようです。砦の防備強化のためと言っていた一千と、もともと砦に逃げ込んでいた半空国の武者約三千も沖里公の軍勢に加わっております」

「……分かりました。ありがとう」


 かろうじて礼を述べて下がらせたが、菊次郎は蒼白になっていた。


「先日砦に来た小荷駄隊二千も武者だったのですな。荷車を引いていた馬と積み荷が軍馬と武具だったそうですぞ」


 安瀬名(あぜな)数軌(かずのり)は悔しそうに唇をゆがめたが、市射(いちい)孝貫(たかつら)は落ち着いていた。


「半空国方面は守りに(てっ)すると見せかけて、実はこちらを攻めるつもりだったとは。やられましたな」


 田鶴は申し訳なさそうにしていた。


「墨浦にとどまってた五千の小荷駄隊が南国街道を進んできてるって。兵糧の準備が遅れてるから沖里公は先に出陣したって噂だったけど、うそだったんだね」


 膝に乗せた小猿のように背を丸めている。


「昨日の朝、大長峰の山の中でのろしが上がったって聞いた。直春さんの出陣を知らせたんだと思う。あたしも気付かなくてだまされた。ごめん」


 菊次郎は首を振った。


「責められるべきは僕です。してやられました」

「もう一つお知らせがあります」


 孝貫が言った。


「半空国の北部や中部の五つの村が襲われ、放火されたり、収穫したばかりの米を蔵から奪われたりしたようです。逃亡し隠れていた成安家の武者が数十人ずつ確認されております。村長(むらおさ)から要請があり、榊橋(さかきばし)殿の騎馬隊一千が手分けして鎮圧に向かったそうです。槻岡(つきおか)公も大馬柵(おおませ)城を動けないようですよ」


 忠賢は十五万貫の(あるじ)となったので、直春直属の騎馬隊は榊橋(さかきばし)文尚(ふみひさ)(かしら)に任じられた。


「ここには来られないということですね。明らかに陽動です」


 緊急の要件と呼び出されて走ってきたのでまだ息が切れていた。はあと深い息をして(しず)めようとしたが、半分は溜め息だった。


「沖里公の作戦でしょう。薬藻国へ行ったと見せかけて直春さんを材木山へ出陣させ、寧居港を攻め落とそうというのです」

「ねらいは国主様ですな」


 孝貫(たかつら)が指摘し、数軌(かずのり)は右のこぶしを左の手の平に突き込んだ。


「主力もろとも材木山に閉じ込めるつもりでしょうな」


 材木山街道はいかだ川に沿った一本道で、寧居港のすぐそばで大馬柵(おおませ)城方面へ伸びる南国街道の裏道と合流する以外、他の地域へ抜ける道がない。その裏道もいかだ川にかかっていた橋を幽縄(ふかつな)が逃げてくる時に焼いてしまったので使えなかった。


「この町を奪われるわけには行きません。ここが落ちたら当家は終わりです」


 寧居港に数千を置けば材木山街道を封鎖できる。直春を人質に取られるも同然だし、主力が動けない間に半空国どころか葦江国まで攻め取られてしまうだろう。


「僕たちの考えは完全に読まれていました。沖里公の思う通りに動いてしまいました」


 菊次郎はうなだれた。その視線の先で、そろえた両手が畳に置かれた。


「大軍師殿、しっかりしなされ」


 孝貫(たかつら)だった。酒宴の時のおどけた振る舞いからは想像できない深みのある声だ。


「国主様にすぐにお知らせしましょう。急いで引き返してきていただきたいと。到着まで、我々はこの港町を守るのです」


 数軌(かずのり)もあぐらから正座になった。


「あなたが頼りですぞ。敵は名将沖里公。数は三倍以上の一万六千。我々は合わせて四千八百。知恵をお貸しください」


 二人は平伏した。


「天下統一のためにも、我等が生き残るためにも、お願いいたします」

「頭を上げてください」


 菊次郎は驚いたが、二人とも動かない。困って、菊次郎は両腕を伸ばし、二人の手を取った。


「弱気なところを見せてすみませんでした」


 腕を引いて顔を上げさせ、それぞれの目を見つめた。


「敵の策にはまるとこんなに衝撃を受けるものなのですね。自信を無くしそうになりました」


 照れたように笑って菊次郎は言葉に力を込めた。


「でも、大丈夫です。僕たちが負けたら当家は終わりです。直春さんの夢のためにも、この町を守り通さなくてはなりません。お二人の力を貸してください」

「もちろんですとも」

「よろこんでご指示に従いますぞ」


 孝貫と数軌はほっとした顔になった。頼みの大軍師が青い顔では困るし武者たちも不安がる。


「大軍師様が国主様に同行されなかったのは幸いでしたな」

「沖里公が知ったらがっかりするでしょうな」

「そうなるようにつとめます」


 菊次郎は答え、田鶴に顔を向けた。


「手伝ってくれますか」

「うん。真白もね」


 頭を撫でられた小猿はよく分かっていないらしく四人を見回している。


「では、すぐに戦の準備をしましょう。時間がありません。材木山には伝令を送ります。敵に捕まらないように、商人の格好で行ってもらいましょう。僕からの使いだと分かる人がよいですが」

「俺が行くよ」


 笹町(ささまち)則理(のりまさ)が名乗り出た。


「国主様は俺の顔を知っている。俺が菊次郎様のそばを離れてやってきたら重大な案件だとすぐに分かるはずだ」


 他の三人の護衛も反対しなかった。


「菊次郎様を頼む」


 則理(のりまさ)に言われて、(かしら)格の楡本(にれもと)友茂(ともしげ)が約束した。


「必ずお守りします」


 蕨里(わらびさと)安民(やすたみ)柏火(かしわび)光風(みつかぜ)も頷いた。

 菊次郎は手早く手紙を書き、則理(のりまさ)は受け取ると一礼して部屋を出ていった。


「では、作戦を立てましょう」


 菊次郎は作らせたばかりの寧居港の簡単な地図を広げ、少し考えた。


「意見を聞かせてください。遠慮はいりません。田鶴もです」


 大軍師は口を開くと概略(がいりゃく)を述べ、細かな指示を伝えていった。

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