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狼達の花宴 ~大軍師伝~  作者: 花和郁
巻の七 守る者たち
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(巻の七) 第二章 侵攻 下

 翌々日の夕暮れ、忠賢軍の諸将が食事を兼ねて集まった。


「火事が大きくならずにすんで本当によかったですね」


 直冬が黒いすすのついた顔で言った。火事場の跡片付けの指揮をとっていたのだ。


「素早い消火でしたな。町衆も感謝しておりましたぞ」


 これは錦木仲宣だ。定恭も言った。


「民の支持が得られましたので、この町に残す武者は少なくてすみそうです。噂が広がれば多くの村や町が我々を受け入れるでしょう」

「で、その立役者がこの男か」


 仲載に不審の目を向けられて、希敦は頭を下げた。丁寧な態度のつもりだろうが、どこか威張って見える。


「この町のことはよく知っておりますので、水桶(みずおけ)の多くある店にご案内したのですよ。家を失った民を収容できる建物や炊き出しの道具がそろう店、町衆の(おさ)たちを紹介し、皆さまが宿陣地を作るのにふさわしい場所もお教えしましたね」

「それは確かに助かった」


 仲載の口ぶりに感謝は感じられなかった。


「お前は有能らしいな。だが、成安家の家臣がなぜここにいる」


 諸将の視線を受けて、希敦は平然と答えた。


「先程まではそうでしたが、今後は青峰様にお仕えしたいと望んでおります」

「よくもしゃあしゃあと。主家を裏切るのか!」


 仲載はいらだった声を上げた。


「お前たちの総大将は西へ行ったぞ。成安家は滅びそうだと見てさっさと(くら)がえか!」

「まあ待て」


 忠賢は面白そうな顔だった。


「火事が大きくなってたら、消火を手伝っても町衆は俺たちを歓迎しなかったろうぜ。俺たちが攻めてこなけりゃ橋は燃えなかったんだからな。そういう意味ではこいつは役に立ったんだ。だが、火を放てと提案したのもこの男だと町衆が言ってたぜ」


 忠賢は笑みを浮かべたまますごんだが、希敦の仮面は崩れなかった。


「橋に油をまけばよいとは言いましたが、焼けとは言っていませんね。あなた方が迫ってきて慌てた連中が勝手にやったんですよ。私は勝つための策を進言しただけですね」


 忠賢は無言でじっとにらみ、希敦は静かに見返した。


「まあ、いいさ。信じてやろう。あの火事騒ぎのおかげで俺たちは民の信頼を得られた。それは事実だ」


 忠賢は表情をゆるめた。


「で、俺に仕えたいってか。桜舘家にではなく」


 希敦は頷いた。


「直春公には大副の両軍師がおられます。私は青峰様にこそ必要でしょうね」

「どうしてだ?」

「青峰様は武勇は桜舘家で一番ですが、はかりごとはあまりお得意ではないご様子。なのに軍師役を抱えておいででない。私の献策が役立つこともありましょう。また、最近十五万貫の大身(たいしん)になられたばかり。急に増えた家臣の統率にも、広い領地の仕置きにも、相談役はいた方がよろしいでしょうな。戦場以外でも私は役に立ちますよ」

「よくも自分で言えるな」


 忠賢は呆れた口調だったが受け入れた。


「よし、俺の家臣に加えよう。もう成安家には戻れないがいいな?」

「未練はありませんよ。先が見えている家ですからね」

「俺は反対です。こんな口先だけの男、信用できないですよ。やめた方がいいと思いますね」


 仲載は不満そうだったが、忠賢は視線で黙らせた。


「それで、今後の方針だ」


 希敦が定恭の隣に移ると、軍議が始まった。


「敵は逃げた。武者は無傷だ。どうするかだ」


 後を追わせた物見の武者が先程戻ってきた。鳥狩(とがり)旌興(はたおき)は夜を徹して西へ歩き続け、白泥国(しらひじのくに)との境に近い広靄(ひろもや)砦に入ったとのことだった。


「どんな砦なんだ?」


 忠賢の問いに、定恭と希敦が視線を交わした。


「鯖森国北西部一の港と聞きます。ただ、あまり大きな町ではないようです」


 先に定恭が口を開き、希敦が補足した。


「入海港に比べれば小さな田舎町ですな。砦もさほど大きくなく、港は民と共用でしたね。守備の武者は二百だったはずですよ」

「入海砦とどちらが堅固ですか」


 直冬が尋ねた。砦の武者五百は降伏し、捕虜となっている。


「一回り以上小さいですね。海に突き出た丘の上なので、攻めにくくはありますよ」

「それは少し厄介ですね」


 仲載が眉を寄せた。


「包囲して兵糧攻めでしょうかな」


 仲宣も思案顔だ。直冬も腕組みをした。


「時間がかかりそうですね。ここにも武者を残さなくてはなりませんし、白泥国(しらひじのくに)から援軍が来たら苦戦しそうです」


 沈黙が広がると、希敦が言った。


「それについては私に策がありますよ」

「言ってみろ」


 忠賢の試すような表情を希敦は自信ありげに見返した。


「あの砦は長らく敵に攻められる可能性がない場所でしたので、兵糧の備蓄は少ないはずですね。こういう手はどうでしょうか」


 聞いた諸将は顔を見合わせた。


「副軍師殿はどう思う」


 忠賢が尋ねた。


「やってみて損はないでしょう」


 定恭は少し考えて答えた。


「失敗したら兵糧攻めにすればよいのです。これは勘ですが、恐らく成功すると思います」

「よし、希敦に任せる。やってみろ」


 忠賢は命じた。


「必ずやご期待にお応えしますよ」


 希敦は薄笑いを浮かべた。



「国主になるはずがなぜこんなことに……」


 広靄(ひろもや)砦に入った旌興は肩身の狭い思いをしていた。諸将や武者たちは口にこそ出さないものの、戦わずに逃げたことを非難する雰囲気だったし、この砦の守将もいきなり転がり込んでこられて迷惑なのを隠そうとしなかった。

 物見に出した武者は桜舘軍が入海砦を降伏させ、この広靄(ひろもや)砦に向かって進軍を開始したと知らせてきた。明日にはここに到着するだろう。


「この砦の兵糧は少ない。周辺の村に買いに行かせているが、(たか)が知れている。どうしたものか」


 御使島ではここ数年不作が続いて飢饉(ききん)が起きた国もある。戦も多かった。兵糧は慢性的に不足気味で、敵に攻められる恐れの少ない砦の備蓄は補充されていなかったのだ。


「こんなはじっこの砦に籠もっていても先がない。これからどうすればよいのだ」


 近頃眉間(みけん)のしわの数が増えたような気がする。誰かに相談したいが、あの自称軍師は行方不明になった。不愉快な男だがいないと困る。


「まったく、何もかも思い通りにならぬな」


 あぐらを崩して背を丸め、今日だけで三十回目くらいの溜め息を吐いていると、(ふすま)の向こうから声がかかった。


「鳥狩様、いらっしゃいますか」

「どうした。入れ」


 背筋を伸ばして返事をすると、廊下にいたのは米を買いに行かせた武者だった。


「どれだけ買えたのだ。その報告か?」


 尋ねると、武者は困った顔をした。


「いえ、実は、米をほとんど買えませんでした。民が売ってくれないのです」

「なぜだ? 代官頭の命令だぞ」


 しかも代金を払うのだ。大きな町の市場で買うよりは安いとはいえ。


「それが、いやな噂が流れておりまして」

「噂だと?」

「桜舘軍がもうすぐここにやってきて、米を市価の二倍の値で買ってくれるというのです。桜舘軍は行軍中、実際に米を買い集めているようです」

「なぜそんな必要があるのだ。入海砦の兵糧を手に入れたはず。足りないとは思えないが。……まさか、我等に兵糧を買わせないつもりか!」


 だとしたら、敵のねらいは。旌興は青ざめた。武者は気付かぬ様子で言った。


「米を強引に奪いますか」


 旌興は驚いた。


「民からか? それでは略奪ではないか!」

「戦に勝つためには致し方ないかと。その許可を得るために戻ってまいりました」

「しかし、反発が起きるぞ」


 民だけではない。領主である重臣たちも抗議するだろう。国主就任に反対されるのは確実だ。戦が終わったあと責任を追及される恐れもある。


「ご決断を」

「待て。少し考えさせてくれ」


 めまいを覚えてまた背中を丸めた時、木の階段を駆け下りる大きな足音がして、一人の武者が慌ただしく廊下に片膝をついた。


「最上階の物見台からご報告です! 楠島水軍の船団が現れました! 港に近付いてきております!」

「なにっ! 何隻だ!」

「三十隻はおります。ただ、妙でして」

「妙だと?」

「はい。乗せているのは武者ではないようです」

「では、何を積んでいるのだ」

「それが、米のようです」


 武者は言い淀んだ。


「甲板に俵が山積みになっているのです。三十隻全てがそうです」


 旌興はあごを落とした。


「それは兵糧か?」

「と思われます」

「そうか……」


 旌興の不安は確信に変わった。桜舘軍はこの砦を兵糧攻めにするつもりなのだ。輸送の船団が先に着いたのだろう。攻撃して奪いたいが船がない。


「兵糧の量からするとかなりの大軍がここへやってくるようです」

「入海港へ来た軍勢のほとんどが相手か」


 この砦にいるのは四千七百。港の管理と警固のための小ぶりな砦は長期の籠城には向かない。


「この砦は丘の上、背後が海に面した(がけ)だ。守りやすいが包囲されたら逃げ出すのは困難になる」


 敵は船で援軍や兵糧をいくらでも運んでこられるというのに。


「砦を出て合戦を挑んでも、敵は一万以上、勝ち目は薄い」


 侵攻してきた桜舘軍には噂に聞く副軍師が同行しているらしい。入海港で砦からまんまとおびき出されたばかりだ。どんな策を使ってくるか分からない。


「せめてもう少し武者と兵糧があれば……」


 言っても(せん)無いことだが悔しかった。旌興はうろうろと部屋の中を歩き回り、急に立ち止まって顔を上げた。


「よしっ!」


 廊下で待っている武者に命じた。


「すぐに諸将を集めよ。この砦を出発する!」

「かしこまりました。ですが、どこへ向かわれるおつもりですか」

「西だ! それしかあるまい! 白泥国へ行く。真赭(まそほ)城に入り、国主代(あがめ)典前(のりさき)様に援軍を頂いて鯖森国奪還の策を()る!」


 援軍が得られるかは分からないが、ここにいたら飢え死にか降伏しかない。白泥国は鮮見領と接しており、兵糧などの備えは十分なはずだった。


「急げ! 今日中に出発する!」


 明日には桜舘軍が到着する。その前に逃げ出さなければならない。


「生きていれば何とかなる。死ぬわけには行かぬのだ! 鯖森国を奪還して国主になるのだからな」


 その目標は随分遠のいたが、きっと実現させるのだと自分に言い聞かせた。それだけが旌興にとっておのれの行動を正当化し、絶望しそうになる心を奮い立たせる言葉になっていた。



広靄(ひろもや)砦は手に入れたな。血を流さずにだ」


 三日前は旌興が座っていた軍議の間で、忠賢は諸将を見渡した。


「お前の手柄だな」

「予想通りの結果ですな。まあ、あの国主代と状況なら当然ですよ」


 希敦は大したことではないという口ぶりだったが、内心鼻高々なのが見て取れた。それを不快そうに横目に見て仲載が尋ねた。


「民が米を持って集まっていますね。買うんですか」

「兵糧は十分だったな?」

「はい。足りています」


 定恭が忠賢に答えると、希敦は言った。


「ならば買わずともよいでしょうね。金の無駄ですよ」

「ですが、追い払うわけにも行きません。うそをついたことになってしまいます」


 定恭の発言に、直冬も頷いた。


「民はがっかりするでしょうね」


 希敦はやれやれという顔になった。


「では、通常の値段で買えばよいでしょうよ。成安軍は去り、他に買い手はいないのですからね」

「いえ、倍の値段を支払うべきです。軍資金には幸い余裕があります」


 定恭は購入にかかる予想金額を述べて進言した。


「約束をたがえれば、桜舘家は民をだますと思われ、今後出す布告を信じてもらえなくなるでしょう。民は我々がどんな領主か不安に思っているはずです。多少の金銀を惜しむべきではありません」

「民の信頼の代金というわけか。よかろう、全部買ってやれ」


 頭を下げる定恭を、希敦はつまらない男だと言いたげに見下ろしていた。


「これで鯖森国の北部は平定した。ここまではよかった」


 忠賢は諸将の間に広げてある御使島の地図へ目を向けた。


「問題はこの先だ」


 忠賢は苦虫をかみつぶした顔になった。理由は先程届いた知らせだった。


「願空め。この国に手を出してくるとはな」


 宇野瀬家は一万を水軍に運ばせて鯖森国南部に上陸させたのだ。


「想定しておくべきでしたね。まさかこれほど早く動いてくるとは」


 仲載は悔しそうだった。直冬は嘆いた。


「墨浦を目指して同時に侵攻すると、大門国の北半分は当家が占領することになります。それでは半国しか手に入りません。それが理由でしょうが、約束に反していますよ」


 事前の話し合いでは、宇野瀬家が薬藻国と大門国、桜舘家が半空国と鯖森国、鮮見家が鯨聞国と白泥国を取ることになっていた。だから、忠賢はこの国に侵攻してきたのだ。


「大門国の北部を当家がちゃんと渡すように担保(たんぽ)を取るつもりかも知れません。文島(ふみじま)沖を宇野瀬水軍が自由に動けるようになったから侵攻できたのですね」


 定恭は手に持っていた書簡を開いて、隠密が知らせてきた海戦の様子を話した。


 成安家の本拠地墨浦は崖が続く海岸が急に奥に引っ込んで湾になった場所にある。湾の入口を塞ぐ出立島(いでたちじま)が警固衆の砦だ。

 そこへ宇野瀬水軍の船団が近付いてきたのは、忠賢たちが鯖森国に出発する前日の昼だった。中型の盾船(たてぶね)十二隻、小型の早船(はやぶね)二十隻の上で武者が弓を持って攻撃の構えだ。


「敵襲だ! 海で俺たちに挑むとは! 思い知らせてやれ!」


 海の向こうの大恵寧(けいねい)帝国と貿易をしている成安家は水軍に力を入れていて、宇野瀬家とは船の数も練度も違う。接近して火矢を射かけてくる宇野瀬水軍に対し、警固衆は即座に全船が出航、襲いかかろうとした。


「逃げるぞ! 追え! いい機会だ。立ち直れないくらいにたたいてやる!」


 豊津沖の海戦で数を減らしたとはいえ、大小合わせて六十隻を超える。動く砦のような巨大な城船(しろぶね)を五隻も含んでいた。宇野瀬水軍は倍近い相手が出てきてかなわぬと見たか、東へ引き返していく。


「文島に着く前に捕まえろ! 船出(ふなで)砦に入らせるな!」


 二年前まで成安家の(けい)国貿易の出発地だった港が今は宇野瀬水軍の拠点だ。墨浦の目の前に敵がいるせいで、警固衆は遠くに出かけていくことができなくなった。ここで宇野瀬水軍を撃破すれば、御使島の戦いに船を派遣できる。


「やつら、砦に入りませんぜ。もっと東へ逃げていきやす」


 警固衆頭(けいごしゅうがしら)打帆(うつぼ)澄暁(すみあき)は少し考えたが、決断した。


「進路そのまま! 敵を追う! この辺りは俺たちの縄張りだ。よそ者が勝てると思うなよ!」


 大門国と文島の間には西から東へ海流が流れている。


「潮に乗れ! 一気に追い付くぞ!」


 警固衆は加速したが、宇野瀬水軍もこの二年で研究したのか海流と追い風をうまく使い、なかなか距離を詰めさせない。


「どこまで逃げるつもりだ」


 とうとう文島を通り過ぎ、薬藻国の沖までやって来た。


「暗くなってきやがったか。帆を半分畳め! 船灯(せんとう)をつけろ!」


 夜の航行は危険だ。岸が近いし、潮の流れもある。船同士の衝突を避けるためにも、速度を落として位置を示す(あか)りをともす必要があった。

 宇野瀬水軍の船尾も光り始めた。やがて日が暮れ、辺りは闇に包まれた。


「この暗さでは戦はできん。夜が明けてからだ。やつらを見失うなよ!」


 周囲の陸は真っ黒だが、宇野瀬家の船団の小さな灯火の群れは蛍のように闇の中にぼんやりと浮かんでいる。

 そうして追うことしばらく、深夜になった頃、船員が騒ぎ出した。


「敵がいません! 灯りが消えやした!」


 副将の報告に澄暁(すみあき)は首を傾げた。


「探せ! 近くにいるはずだ!」

「どこにも見えやせんぜ。消して逃げようとしてやがるんでしょうか」

「そんな無謀なことをするとは思えないが……」


 そうしたやり取りが数回続いた頃、左手に明かりが見えた。


「いやした! 北へ曲がったんですな」

子群(こむら)湾へ隠れるつもりか。袋の鼠だな」


 東へ行ったと思わせて、磯触国(いそふりのくに)の半島と薬藻国に囲まれた広い湾内に逃げ込んだようだ。


「よし、湾に少し入ったところで、岸から安全な距離を取って停止する。この海峡は狭い。俺たちと戦わずに逃げ出すことは不可能だ。明朝の決戦に備えて交代で休んでおけ」


 警固衆は見張りを立てて休息をとった。


「て、敵襲ですぜ!」


 翌朝、東の空が白み始めた頃、船室で横になっていた澄暁の耳に危急を知らせる叫び声が飛び込んできた。


「小舟が多数向かってきやす!」


 慌てて甲板に出て海を見ると、漁師が使うような小さな船が数十(そう)、六人から八人ほどの漕ぎ手をのせて前方から突っ込んでくる。


「南からは早船! 宇野瀬水軍です!」


 小型の快速船二十艘も四十本の(かい)を同時に動かして猛烈な速度で近付いてくる。狭い海峡の外側に隠れていたようだ。


「後方から襲撃だと! 急いで(いかり)を上げろ! 帆を張れ! ()ぎ手をたたき起こせ!」

「間に合いません!」


 止まっている船に早船が近付き、周囲を走り回りながら火矢を打ち込んできた。桜舘家をまねたのか、鳥もちでくっつく油玉もある。漁師用の小舟には(まき)や干し草が満載されていて、油をかけてあるのか煙をもうもうと上げながら火の玉になって衝突してくる。漕ぎ手たちは直前に海へ飛び込んで岸へ泳いでいった。


「とにかく船を動かせ! 止まっていたらいい的だ!」

「敵は帆と(かじ)をねらってますぜ! 早船がどんどん近付いてきやす!」

「背後から来るなら前へ行くしかない! 前進だ! そのうち速度が上がってくる!」


 合図の鐘が激しくがんがんと鳴らされ、船体から生えた数十本の(かい)が水をとらえると、船は左右に揺れながら少しずつ進み始めた。他の船も湾の奥へ向かっていく。


「敵から距離を取れ。こっちの方が漕ぎ手は多い。速度は出るんだ」


 水主(かこ)たちを励まし、武者には矢を射返させて、宇野瀬水軍を追い払いながら速度をぐんぐん上げる。そうはさせじと追いすがり、包囲するように左右に広がって追ってくるが、だんだん距離が(ひら)いていった。


「よし、この調子で引き離す。途中で旋回して湾の出口を目指すぞ」


 敵は立ち塞がって脱出を阻もうとするに違いない。激戦になるだろうが、こちらには巨大な城船(しろぶね)もあるし数でまさっている。突破できるはずだ。


「罠にはまったと焦ったが、小舟の攻撃で燃え上がった船は七隻か。思ったよりも少ないな」


 悔しくはあったが、少しほっとした。


「受けた以上の損害を与えてやる! いや、ここでやつらを全滅させる。それで文島の奪還もかなうはずだ!」


 気合を入れ直した、その時だった。


「お(かしら)! この海は! やられましたぜ!」


 副将が絶望的な声を上げた。


「どうした!」

「ここは藻場(もば)でさあ! 遠浅ですぜ!」


 子群(こむら)湾は深くない。奥に行けば行くほど浅くなり、砂底や沈んだ岩に海藻がびっしり生えている。海中の森に大きな魚の稚魚(ちぎょ)や小さな魚がたくさん()んでいるのが名前の由来だ。薬藻という国名も似た理由だった。宇野瀬水軍は包囲すると見せかけて、湾の中でも浅い場所へ追い込んだのだ。


「だが、この辺りはまだ航行できる深さのはず。初めて来た海ではないんだ。地形くらい分かっている」


 つぶやいて海を見下ろし、水面を覆う海藻に驚いた。


「海底に生える藻がなぜこんな水面に。……もしや」


 慌てて岸辺に目をやってうめいた。


「砂浜が広い! 引き潮か!」


 襲撃が昨晩だったのは潮の満ち引きを考えてのことだったに違いない。


「まずい! すぐに旋回しろ! 船底が砂に付くぞ!」

「遅かったようですぜ!」


 周囲を見渡すと、城船が五隻全て停止していた。真っ先に乗り上げたのだ。


盾船(たてぶね)も十隻以上やられましたぜ!」


 仲間の船の三分の一が身動きが取れなくなっていた。他の船も慌てて向きを変えようとして途中で動けなくなったり、藻が櫂にからんで速度が落ちて漂ったりしている。


「敵が迫ってきやす!」


 宇野瀬水軍の早船が、さらに小舟が背後から襲いかかった。


「敵が小さな船ばかりだったのはこのためか……」


 成安家の大型中型の船の群れは、宇野瀬家の小舟に火矢を浴びせられ、次々に燃え上がっていった。矢で反撃しているが、動けない船など燃えやすい木の棺桶(かんおけ)だ。火がついた船から水主(かこ)たちが海に飛び込み、無事な船に泳いでいく。


「敵は帆をねらってきやす! 藻で舵がきかない船も出ているようですぜ!」


 副将の声に悔しさがにじんでいる。澄暁(すみあき)は腹をくくった。


「もはや勝つことはできない。今は一隻でも多く無事に戻ることだ」


 合図の鐘を鳴らさせた。


「全軍撤退だ。なりふり構わず逃げろ! 逃げてくれ!」


 自身の乗る盾船にも旋回を指示した。漕ぎ手たちが水をかき、慎重に船の向きを変えた。


「全力前進! 帆も張れ! 櫂を必死で漕げ! 湾の外へ脱出するぞ!」


 大声で命じると、船は宇野瀬水軍の集団に向かって突進を始めた。激しい火矢の雨が降り、こちらも武者全員で射返す。澄暁自身も弓を持って矢を放ちながら、必死で武者たちを鼓舞した。

 他の船もまねをし、船団と船団が正面からぶつかり合った。さすがに船の大きさが違うため、衝突を避けようと敵の方がよけてくれる。船縁(ふなべり)がこすれ合い、こぶしで殴れそうなほど敵武者をそばに見るすれ違いを耐え抜いて、澄暁たちは敵船の群れを通過した。湾を出る前に振り向くと、仲間の船の半数以上が取り残されていた。


「鐘と旗信号で合図を送れ。降伏せよ、死ぬな、生きよと」


 澄暁が静かに命じると、復唱した水主(かこ)は涙を浮かべて走っていった。


「願空にしてやられた。宇野瀬水軍を(あなど)った報いだ。俺の責任だな」


 ついてきたのは二十隻を下回っている。多くは帆の一部が破れたり、多数の櫂を失ったりしていた。


「墨浦に帰ろう。捕虜になったやつらを戦が終わったら取り返そう」


 身代金は莫大な額になるに違いない。がん、とこぶしを欄干(らんかん)にたたき付けた澄暁に、副将が言った。


「敵もそれなりの損害を受けたはずです。ただ、墨浦に来た時は盾船も十隻以上いたのに、あの湾にはいやせんでした。どこに行ったんでやしょうね」

「そういえばそうだな。……まさか!」


 澄暁は青くなって墨浦へできるだけ急ぐように命じた。だが、海流があるため文島との間の海は通れない。島を大きく迂回して潮の流れを避け、風を待って進むしかなかった。

 嫌な予感は当たっていた。


「俺たちが留守の間に砦を襲われたか」


 出立島(いでたちじま)に近付いた澄暁たちは破壊され焼け落ちた根拠地に呆然とした。砦の上にも、桟橋(さんばし)を離れて迫ってくる船にも、宇野瀬家の旗が掲げられている。


「お頭たちが出ていった翌日の昼、宇野瀬家の盾船十二隻やその他小舟が多数襲ってきやした。武者を満載していて、勝ち目はありやせんでした」


 やや離れた小さな入り江に脱出した船が集まっていた。留守を預かっていた武将は抵抗して殺され、その息子が率いていた。


「やつら、女子供には手を出しやせんでした。墨浦に逃げ込んで無事でいやす。ですが、港にあった船や道具、蓄えていた食料は全て奪われ、焼かれやした。恵国へ行く船もやつらの手に落ちやした」


 澄暁は天を仰いだ。


「やられた。天下に名が轟き恵国にも知られた警固衆がこんな有様とは」


 目にはこらえきれない涙が浮かんでいた。


「これでこの海は願空のものだ。墨浦は丸裸になった。当家は立ち直れないかも知れん」


 成安家のこうむった損害は船や人員だけではない。長年財政を(うるお)してその力を支えてきた恵国との貿易が不可能になったのだ。

 西の丘に夕日が隠れ、湾内の水面は墨を溶かしたように真っ黒になった。見慣れたその光景に、澄暁は懐かしさや親しみではなく、初めて恐ろしさを感じていた。 


「以上が隠密の報告です。この戦いの結果、宇野瀬家は御使島に軍勢を送り込むことが可能になったのです」


 定恭が語り終えても、しばらく誰も発言しなかった。


「数が倍の警固衆を手玉に取ったのですか。さすが願空ですね」


 やがて直冬が溜め息を漏らした。とてもまねできないと思ったようだ。


「いきなり実行できる作戦ではありませんね。かなり前から準備していたに違いないですよ」


 仲載は顔をしかめている。願空は始めから鯖森国の南部を占領するつもりだったらしい。そのためにこの海戦を計画したのだろう。こちらより一手先を読んで動いていたことになる。


「泊城の守備武者は一千四百だったな?」


 忠賢が希敦に尋ねた。


「そうですよ」

「なら、すぐに陥落するか」

「抵抗せずに降伏するかも知れません」


 忠賢の言葉を肯定したのは定恭だった。


「代官頭の鳥狩旌興は入海砦に武者を集めていました。他にまとまった数の武者がいる拠点はなく、援軍は望めませんので」

「彼が私の進言を聞き入れて泊城に籠もっていれば、宇野瀬軍が上陸してもそのまま守りを固めているだけでよかったのですがね。鯖森国南部は宇野瀬家の手に落ちるでしょうな」


 希敦はつまらなそうに言った。


「あの(たぬき)じじいもそれが分かってたんだな。俺の獲物を奪いやがって」


 忠賢が怒るのは無理もない。直春から鯖森国一国の平定を任されたのだ。出し抜かれて半分持っていかれましたでは面目が立たない。


「お殿様は一国を七日で落としたんだ。半国しか取れなかったなんて言えるかよ」

「では、どうなさるのですかな」


 希敦はいつもと変わらぬ嫌味っぽい口調で忠賢に問うた。


「入海砦へ戻り、南部へ向かって宇野瀬家と戦うのですかな」


 忠賢はちっと舌打ちした。


「そうしたいところだが……」


 視線を向けられた副軍師は首を振った。


「宇野瀬家とは同盟中です。仲違(なかたが)いは成安家を喜ばせるだけです。連携が取れなくなると勝利できる可能性が(いちじる)しく低くなります」

「第一、勝てるんですか」


 仲載は尋ねた。


「上陸したのは一万ですよね」

「白泥国に逃げた成安軍四千七百は無傷で、希敦殿の情報では真赭(まそほ)城に三千五百がいますから、この砦に三千は残さなくてはなりません。入海砦には仲宣殿の一千五百を置いていて、この時点で宇野瀬軍を下回ります。勝てても大きな損害が出るでしょう」

「ならばどうする」


 定恭が答える前に、希敦が言った。


「白泥国へ攻め込むのがよいですな。案内できますよ」


 直冬は耳を疑う表情になった。


「えっ、国境を越えるのですか。約束を破ることになりますよ」 


 事前の取り決めでは白泥国は鮮見家が取るはずだった。


「同じことを進言しようと思っていました」


 諸将に注目され、定恭が口を開いた。


「理由はいくつかあります」


 言って、指を一本立てた。


「まず、真赭(まそほ)城の八千二百をどうにかしないとこの砦の安全が確保できません。我々が引き上げれば奪い返しに来るのは確実です。南部の宇野瀬家への警戒も考えると、墨浦攻めに向かえるのは五千ほどでしょう」


 直春や菊次郎と決めた計画では、鯖森国を制圧したら軍勢の半分を大門国を攻めるのに回すことになっていた。直春たちが半空国を落としたあと進撃を停止したのは、宇野瀬家の薬藻国攻略を待つだけではなかったのだ。


「二つ目に、我々が攻めない場合、宇野瀬家が白泥国を占領するかも知れません。鮮見家は沖里是正に大敗して勢いを失っていて、鯨聞国の制圧すら時間がかかるでしょう。白泥国は二十五万貫、鯖森国南部を合わせると四十万貫以上を得ることになり、当家との貫高の差が大きくなります」


 成安家を滅ぼしたら宇野瀬家と戦うことになるかも知れない。定恭のほのめかしに直冬はごくりとつばを飲んだが、他の者たちは当然のこととして受け止めていた。


「三つ目、白泥国を奪ったら鮮見家は怒るでしょう。ですが、取らずに譲ったら秀清は満足するでしょうか。あの男は戦いを生きがいにしているところがあります。御使島を統一すると公言してもいます。間違いなく鯖森国に攻め込んでくるでしょう。白泥国を奪わなくても戦うことになるのです。ならば敵に取られる前にこちらのものにしてしまう方が、鮮見家だけでなく、南部の宇野瀬家との戦もしやすくなります」

「なるほど……」


 直冬が唸って腕組みした。


「要するに、白泥国を取らないとあとで困るってことですね」


 仲載は納得したようだ。もともと止まるより進む方が好きな男なのだ。


「理由は分かりましたが、勝てるのですか」


 直冬は定恭に顔を向けた。


真赭(まそほ)城を落とせるのでしょうか」

「そこが問題だな」


 忠賢も定恭の言ったことは分かっていたらしい。前進しても勝てる確信がなく、命令を出すのをためらっていたようだ。

 定恭は少し考え、意見を述べようとしたが、その前に希敦が口を開いた。


「それは私に案がありますよ」


 口調はいつも通り不遜(ふそん)だが自信ありげだった。


「言ってみろ」


 忠賢に促され、希敦は詳しく話した。聞いた諸将は無言で視線を()わした。


「それは……俺は反対です」


 直冬は顔をしかめていた。


「効果的かも知れませんけどあくどいです。直春兄様はきっと許可しません」

「俺はいいと思いますよ」


 仲載は軽い口調だった。


「少ない損害で城が落ちるなら文句はありませんね」


 定恭は態度を保留した。


「個人的には好みではありませんが、きっとうまく行くでしょう。南部の宇野瀬軍や墨浦攻略を考えれば武者を傷付けたくない状況ですので、やめろとは進言できません。忠賢殿の判断に任せます」

「なら、結論は一つだ」


 忠賢は大将らしく声を張り上げた。


「俺たちは真赭(まそほ)城を落とし、白泥国を手に入れる。お殿様の怒りは俺が引き受ける。希敦、すぐに取りかかれ」


 希敦はにんまりと笑った。


「必ずや城を落とし、雇っていただいたご恩をお返ししますよ。我が手腕をご覧あれ」


 悪だくみを楽しむ笑みから不快そうに目を逸らして、直冬はつぶやいた。


「菊次郎さんがいればこんな方法をとらなくてもどうにかできたのに」


 それが聞こえたのか、定恭は申し訳ないような、仕方ないとなだめるような表情をしていた。



「た、大変ですぞ!」


 真赭(まそほ)中郭(なかくるわ)の旌興の部屋に、武者が一人駆け込んできた。建物の外が騒がしい。


「どうした」


 不機嫌そうに返事をした代官頭に歩み寄り、武者は声をひそめて報告した。


典前(のりさき)様の家宝の甲冑に墨汁(ぼくじゅう)がかけられているのが見付かったそうでして」

「数代前の御屋形様に頂いたというあれにか?」


 旌興は聞き返し、次いで吹き出した。


「それは怒ったろう。誰がやったのだ?」


 少し愉快な気分だった。(あがめ)典前(のりさき)は次席家老の弟であることを(かさ)に着て、旌興を見下す傾向があったのだ。


「分かりません。国主代様はかんかんで、詰問(きつもん)の使者を送ってきました」

「なぜここに?」


 旌興は首を傾げた。


「鯖森衆の仕業ではないかと疑っておいでなのです。はっきり申せば代官頭様の指示だと思っておられるようです」


 旌興は呆気にとられた。


「なんだと! ()(ぎぬ)だ! わしはそんなことはせんぞ!」

「今、庭で押し問答になっておりまして」

「身に覚えがない。そう言ってやれ! それとも何か証拠があってのことかとな!」

「ははっ!」


 武者が出ていくと旌興は溜め息を吐いた。白泥衆と鯖森衆は折り合いが悪く、何かといざこざが絶えないのだ。

 白泥国の武将たちからすれば、旌興たちは領地を守らず、戦いもせずに逃げてきた臆病者たちだ。追い返すわけにも行かないから受け入れたが、いきなり転がり込んできて城の半分を占領し、兵糧をものすごい勢いで食いつぶしつつある。

 しかも、鯖森国を取り返すのにこの城の武者を借りたいと言う。白泥国は鮮見領と接しているし、墨浦に半数近い武者を連れていかれたことは同じなのでとても協力できない。旌興は見るからに戦場経験が浅く勝てる見込みもなさそうだ。


(あがめ)家はこの国の国主。わしは代官頭。身分は向こうが上だが数はこちらが一千以上多いからな」


 要するに鯖森衆が目障(めざわ)りなのだ。


「こちらもいたくて居座っているわけではない。早く出ていきたいのはやまやまだが、攻め戻るには武者と兵糧が足りぬのだ」

「白泥衆の力はどうしても必要ですな。桜舘家は着々と領国化を進めておるそうです」


 藁焚(わらたき)希敦(まれあつ)相槌(あいづち)を打った。この男は先日戻ってきて、桜舘軍が道にあふれていて通れなかったと言い訳し、鯖森国の状況を手土産に語った。


「直春公は民を手懐(てなず)けるのがうまいそうだ。早く取り返さねば民の心があちらへ傾いてしまう。南部も宇野瀬家が平定しつつあるしな」


 焦りは(つの)るが動けない。そのせいで、国主代の鎧に墨汁という話で笑ってしまったのだ。


「誰がやったにせよ、捕まったら処刑されるな」


 希敦もざまあみろという顔だ。


「洗っても落ちませんな。修理に出すしかありませんね」


 典前(のりさき)が怒り狂っているさまを想像して、いくらか留飲(りゅういん)を下げたのだった。

 ところが、笑ってはいられない事態になった。今度は鯖森衆の馬の飼葉(かいば)に誰かが毒草を混ぜたのだ。馬は武家にとって命の次に大切なものだ。武者たちはかんかんで、なだめるのは大変だった。


「白泥衆の仕業だと言う者もおりますよ。鎧に墨汁の話を聞いて代官頭様が笑ったのを知り、国主代様が命じたという噂もございますな」

「そんなばかなことがあるか。いくらなんでもそんなことはなさるまい。皆、心を落ち着けよ。敵を間違えるな」


 そう(さと)しつつ、旌興は嫌な雰囲気が城内に広がっていることを感じざるを得なかった。

 こうした出来事はその後も続いた。白泥衆に人気のある美人の侍女が入浴中をのぞかれたり、干してあった鯖森衆の武者たちの着物が水たまりに投げ込んであったりした。白泥衆の武者頭が酔って歩いていて背後から矢を射かけられ、転んで軽い怪我をしたかと思えば、鯖森衆の武者が暗がりに張ってあった縄に足を引っかけて、置かれていた(くわ)に倒れ込みそうになったこともあった。これらは誰が何の目的でしたことかはっきりしなかったが、武者たちは相手陣営の仕業と決め付けた。遂には城の金庫番が襲われて軍資金を奪われたり、鯖森衆が必死の思いで広靄砦から運んできた米俵に火がつけられて一部が焼けたりした。

 そうしたところへ、桜舘軍がやってきた。騎馬隊の一部は南下していったが、八千ほどが真赭(まそほ)城のそばに残った。


「今は敵の撃退が最優先だ。それを忘れるな」


 旌興は武者たちを鼓舞して回ったが、白泥衆とは担当する防衛場所を離し、食事をする部屋を分けるなど、対立の深刻さを実感することになった。


「これはまずいな。こんなところを攻められたら」


 だが、桜舘軍は城下町の外に布陣したまま動かなかった。その状態が数日続き、武者たちの緊張が途切れ、敵のねらいが分からず事態が動かないことにいらだちが広がり始めた頃、城の庭で手紙が見付かった。


「数日中に城門を開けますので、約束の金とあの連中の処刑を必ずお願いします、だと? 差出人不明だが、桜舘軍に()てたものだな。これは皆に知らせるなよ」


 旌興は箝口令(かんこうれい)()こうとしたが遅かった。噂は城内に(またた)く間に広がり、鯖森衆と白泥衆はお前たちが送ったものだろうと互いを責め、口喧嘩が殴り合いに発展した。

 最初に誰が刀を抜いたか分からないが、あっという間に数人の乱闘は軍勢同士の武器を使った戦いに発展した。


「死傷者が出たら関係修復が不可能になるぞ!」


 旌興は現場に駆け付けたが、同様に現れた典前(のりさき)と話し合おうにも双方の武者に阻まれ、矢や投石で狙われて建物の中に逃げ込むしかなかった。


「よそ者はこの城から出ていけ!」

「そっちこそ籠もってないで出撃して戦ってきたらどうだ!」


 武者たちは(ののし)り合っている。


「両者を引き離すしかないですな」


 希敦が城壁の守りについている者たちを呼びに行き、間に割って入らせようとした。


「同じ白泥衆だろ! どうしてあいつらの味方をするんだ!」

「違う! 味方ではない! とにかく落ち着け!」

「うるさい! 邪魔するならお前たちも斬るぞ!」


 ()(どもえ)になって混乱は一層ひどくなり、手が付けられなくなった。

 その時、城内に危急を知らせる鐘が鳴り響いた。桜舘軍が大手門と裏門に殺到したのだ。守りの武者が減っていたのでたちまち塀を越され、数で押されて門を破られると、組織的な抵抗をできずに城は陥落した。敗北の続く成安家に不安を感じていた土着(どちゃく)の小領主たちの多くがあっさりと降伏したのだ。氷茨元尊が同盟していた桜舘家を裏切った件もあり、より信じられる主君を選んだわけだ。典前は側近に守られて逃亡し、旌興は捕虜となった。


「お前が臆病者の代官頭か」


 忠賢の前に引き出されて、旌興は仰天した。


「藁焚殿、お主、まさか!」

「私の才を認め、策を採用してくださる主人に乗りかえたのですよ」


 希敦は嘲笑う顔つきだった。


「連れていけ」


 牢屋に向かって歩かされながら、旌興は呪いの言葉を叫び続けていた。


 評定の間に諸将が集まり、各人が城内施設の制圧完了と点検結果、捕虜の数と扱いなどを忠賢に報告した。


「実は一つ気になることが」


 米蔵と金蔵の担当だった定恭が、接収した金銀や兵糧の量を告げたあと、付け加えた。


「金額が帳簿(ちょうぼ)と合わないのです。誰かがどさくさにまぎれてくすねたのではないかと思います」

「ほう」


 忠賢は眼を細くした。


「聞けば、突入前にも御用金を盗まれたことがあったと金蔵番が言っていました」


 定恭が希敦を見やると、忠賢も視線を向けた。


「お前か」

「はい」


 希敦はあっさりと認めた。


「いくら取った」

「合わせて五百両ほどですな」


 希敦は悪びれずに答えた。


「実は借金がありましてな。飢饉の前に父が田畑を広げようと開墾(かいこん)したのですが、不作が続いて返済できなくなりましてね。私も墨浦で学びながら学費は働いて稼いでいたのですよ」


 頭を下げて()びる笑みを浮かべた。


「こたびの手柄の褒美として、得た金を頂けませんかね。落城させた策略の代金ですな」


 忠賢は面白そうに自称軍師を見つめた。


「広靄砦の時は金を要求されなかったな」

「あれは命を助け、仕官を許していただいたお礼なので特別ですよ。これからは毎回お金を頂きます」


 直冬が露骨に顔をしかめた。


「家臣が主人を助けるのに対価を要求するなんて」

「お金が欲しいのですよ。そのために仕官したのです」

俸禄(ほうろく)をもらうことになったでしょう」

「それは通常の家臣としての働きに対するものですよ。こういう献策は頭をとてもひねらなくてはならないので別料金ですな。ただでは教えられませんね」


 直冬は呆れた様子だったが、忠賢は笑っていた。


「ずうずうしいやつだな。だが、そういうのは嫌いじゃない。いいだろう。くれてやる」

「さすがは忠賢様。見込んだ通りのお方ですな」


 希敦はにんまりと笑った。


「よろしいのですか。御用金ですが」


 定恭が確認すると、忠賢は頷いた。


「俺も貧乏が嫌で百姓をやめて飛び出した口だ。気持ちは分かる。死傷者が少なくてすんだんだから、五百両くらい安いものだ」

「そうお考えでしたら、もう何も申し上げません」


 定恭が引き下がると、直冬も諦めたように深い息を吐き、聞こえぬようにつぶやいた。


「城の外から策略をしかけるならまだ分かります。味方を(よそお)って裏切り、敵に売り渡しておいて、報酬を求めるなんて」

「ともかく、これで白泥国は俺たちのものだ」


 忠賢は満足そうだった。


「南にある飛石(とびいし)砦も仲載が落とした。鮮見家と宇野瀬家は入ってこられないぜ」


 定恭の予想通り泊城は無抵抗で宇野瀬軍に降伏し、鯖森国の南半分は奪われたが、かわりに白泥国一国二十五万貫を得たのだ。十分な戦果だろう。


「戦後処理を急ぎましょう。半空国で直春兄様が待っています」

「まずは投降した者たちを調べて希望を聞き、麾下(きか)に加える者と解き放つ者、追放する者を決めましょう。名簿を作って国主様にお届けし、ご許可を頂きます。白泥衆が加わって予定より多くなりましたので、一ヶ月はかかります」

「それは副軍師殿に任せる。俺はいつでも戦えるように武者たちと馬を整えておく。戦はまだ始まったばかりだからな」


 当初の計画とは異なった結果になったが、御使島方面の制圧は終わった。戦の中心はふたたび足の国に戻ることになるだろう。出番はきっとあるはずだと忠賢たちは思っていた。

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