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狼達の花宴 ~大軍師伝~  作者: 花和郁
巻の六 伸ばした手
53/66

(巻の六) 第四章 簗張曲 上

「みんな、よくぞ城を守り抜いてくれた」


 軍議が始まると、直春は真っ先に言った。


「一人一人の働きは聞いた。力を合わせて頑張ってくれたようだな。感謝する」


 朝方天守の最上階で姿を見せ、近付いてくる成安軍を追い返すと、直春はすぐに評定の間に諸将を集めた。到着が昨夜遅くで、菊次郎と翌朝の迎撃の打ち合わせをしただけだったのだ。


「あんまり手応えはなかったぜ、元尊の野郎はよ。もう少し苦戦するかと思ったんだがな」


 忠賢は皮肉っぽい口調だった。


「充分苦労したじゃない。数があんなに多かったし」


 田鶴は直春の帰還を素直に喜んでいた。ほっとしたらしい。主人の気持ちが伝わるのか、膝の上の小猿もうれしそうだ。


「これでもう攻めてこないよね」

「いや、あの男は諦めないでしょうな」


 実佐が腕組みしている。


「同盟を破っての侵攻ですぞ。反対する者も多かったはず。それを押し切って出陣してきた以上、簡単には引けぬでしょうな」

「元尊には対抗する派閥がありますからな」


 蓮山本綱も直春と一緒に帰ってきていた。


「ここで引いたら失脚は確実。連署をやめさせられますな」

「出陣の日の朝、元尊は武者を整列させて演説し、完璧な作戦を立てたと言ったそうですよ。狢河原の大敗で失った力を取り戻そうと賭けに出たのでしょう」


 妙姫が言うと、忠賢が鼻で笑った。


「完璧な作戦だと? 確かに驚いたが裏切っただけじゃねえか」

「それが特技ですからね」


 仲載も吐き捨てるような口調だった。直冬は何かの痛みをこらえるような顔になった。


「勝てずに帰ったら大恥をかきますね。よほど自信があったんだと思います」

「実際、よくできた作戦でした」


 定恭が評した。


「遠い国に主力をおびき出して足止めし、大軍で(から)の本拠を奇襲する。桜舘家でなければうまく行ったはずです。直春様と菊次郎殿、他の皆様の力があってこそ守り切れたのだと思います」

「相手を間違えたな。俺たちに喧嘩を売るなんてさ」


 忠賢は意地悪い表情をした。


「元尊って野郎は詰めが甘いよな。いつも最後に失敗しやがる」

「あの男の目論見を打ち砕いたのは、みんなの知恵と頑張りだ。とても誇らしく思う」


 直春は本当にうれしそうだった。


「妙と雪姫殿もよく知らせてくれた。鳩を飛ばすのが遅れていたら、俺たちが知るのは翌朝になっていた。それでは多くのことが遅かったかも知れん」

「雪が菊次郎さんに成安家の動きを伝えた方がいいと言ったのです」


 雪姫は菊次郎の方を見ず、直春に向かって言った。


「墨浦に軍勢が集結していたから、どこを攻めるか知りたいだろうと思ったの」


 鳩は貴重で運べる情報は少ない。手紙の内容は厳選しなければならないが、妙姫は妹の言葉に従い、成安家の様子を探らせた。宇野瀬家や鮮見家との戦であっても、桜舘家に影響があるかも知れないからだ。町人にまぎれた隠密が元尊の演説を聞いて豊津城に連絡し、妙姫と雪姫は即座に峰前城へ鳩を放った。

 成安家の動きをいぶかしんだ菊次郎は、峰前城から早馬を走らせる手はずを整えていたが、夜間に馬を飛ばすのは難しい。日が暮れる前に受け取れたのは、この連携があってのことだった。

「帰りの道中の食事と寝場所の準備もよくやってくれた。指示した菊次郎君もさすがだが、その日に到着する場所を予想して用意を整え、毎日伝令をよこしてくれたのはありがたかった。おかげで行きより三日も早く帰ってくることができた」

 萩矢頼算は黙って頭を下げた。妙姫や雪姫、実佐と相談して茅生国の各城へ連絡し、必要な物資を豊津から荷車や水軍の船で送ったのだ。


「定恭殿の献策も大いに役立ったぞ」


 増富領を抜けて鳥追(とりおい)領内に入ると、多数の荷車が街道の脇に並んでいた。武者たちは鎧兜や武器をそれに積み、交代で引きながら先を急いだ。朝日が昇ると握り飯を腹に入れて歩き出し、昼食や夕食も小荷駄隊が予定地で作って待っていた。


「その行軍方法は今後も使えるかも知れませんね」


 妙姫の言葉に武将たちは皆頷いた。鎧を着て歩くより速いし疲労が少ない。槍峰国まで勢力圏が広がったので、移動の高速化は必要だった。


「全員が最善を尽くしたのですね。やっぱり桜舘家は強いです」


 直冬の言葉が皆の気持ちを表していた。


「では、今後についてだ」


 直春の言葉で人々は表情を引き締めた。戦はまだ終わっていない。


「元尊は諦めないだろう。こちらはどう対処するか、意見を聞こう」


 自分に視線が集まるのを感じたが、菊次郎は違うことを言った。


「その前に、諸国の情勢を伝えておきます」

「そうだな。聞いておこう」


 直春が頷くと、菊次郎は壁の布製の地図へ目を向けた。花千代丸の誕生の祝いに菊次郎たちが贈ったものだ。


「まず、槍峰国のその後です」


 視線を受けて、隠密の(おさ)の田鶴が膝元の書簡を取り上げた。


「増富持康は蜂ヶ音家とにらみ合ってるよ。押されてるみたい」


 蜂ヶ音儀久(のりひさ)は桜舘家と増富家の戦が始まると、国境(くにざかい)の守りを固めて興味深く観察していた。そこへ直春から槍峰国は自由に切り取ってよいと使者が到着し、立返浜(たちかえりはま)の合戦の結果が届いた。


「今こそ好機。槍峰国北部を頂くぞ」


 儀久は即座に五千を率いて侵攻し、(とざし)城を包囲した。この城は采振家が北の守りのために築いた城で、堅城として名高い。守備の武者は二千、守将(しゅしょう)は守りに徹し、挑発しても城を出てこなかった。

 包囲が始まって三日後、城に急報が届いた。


「蜂ヶ音軍が皆様のご領地を荒らしておりますぞ」


 見張り台に登ってみると、周辺のあちらこちらで煙が上がっている。守将は新家、副将は旧家で茅生国に領地があったが、武将の四分の三は采振家の旧臣の外様衆で近隣の領主だった。


「出撃の許可を頂きたい!」


 外様衆は守将に迫った。自領が荒らされているのだ。とても放っておけない。儀久は煙野国(けぶりののくに)の毒蜂と呼ばれ、残酷な手段もためらわない男だ。領民や親族がひどい目にあっているかも知れない。


「いや、駄目だ。出撃すれば毒蜂の思う壺。待ち伏せしているだろう」


 守将は出撃を認めなかった。こんなあからさまな挑発に乗れば、出ていった者たちは討たれ、武者が減ったこの城は落ちるだろう。

 外様衆は納得せず、激しい口論になった。領地が荒れれば収入が減るし、民の信頼を失ってしまうのだ。

 彼等の心配は現実のものとなった。


「蜂ヶ音軍はあちらこちらで領地や館に火を放っておりますぞ」


 次々に届く知らせは悪いものばかりだった。誰々の領内では刈り取り間近の麦畑が焼き払われた。別な場所では領主の館と武者の長屋が襲われ、女や子供が大勢連れ去られた。どこどこでは溜池の(つつみ)が崩されて立派な屋敷が水につかった。牧場の柵が壊されて馬や牛を連れていかれてしまった。

 その噂を肯定するように、蜂ヶ音軍は城から見えるところに十字に組んだ木を数十本立て、女や子供を縛り付けて棒でつつき、悲鳴を上げさせた。投降しなければ誰それの領地を焼く、娘を武者たちの慰み者にするといった矢文もたくさん射込まれた。

 外様衆は半狂乱になって守将に詰め寄った。


「あんたは領地が遠いところにあるから我慢しろなんて言えるんだ。武者たちも家族や財産を心配して落ち着かない。親族や領民の無事を確認して避難させたいんだ。外に出してくれ!」


 守将はなだめようとしたが身の危険を感じ、暴れる者たちを武者に取り押さえさせた。

 その夜、異変が起きた。


「なにっ、勝手に門を開けた者がいるだと!」


 知らせを受けて守将が飛び起き門に向かった時には、示し合わせた蜂ヶ音軍が城内に突入していた。攻撃側の呼びかけに外様衆は次々に降伏し、守将以下新家旧家の者たちは討ち取られるか捕虜になった。あとで分かったことだが、外様衆の中に儀久と通じていた者がおり、不安にさせるような噂を流し、数人を抱き込んで城門を開けたのだ。

 城に入った儀久は外様衆に言った。


「あの煙は焚火だ。十字の木に縛った者たちも金を払って演技させたのだ。領民も家族も屋敷も財産も全て無事だ」


 外様衆は信頼できる家臣を領地に派遣し、儀久の言葉を確かめると、増富家を離れて儀久に仕えることを誓った。

 儀久は現在、城を補強し新たに武者を雇うなど、切り取った領地を確保する動きをしている。新家や旧家の領地だった土地は没収し、帰順した元の持ち主に返したり、この戦で功があった者に与えたりしたようだ。持康は落城を知って慌てて軍勢を派遣したが、堅城に籠もった儀久を攻めあぐねている。


「民に被害がなくて本当によかったね」

 この言葉で田鶴は報告を締めくくった。それをやさしい目で見やり、直冬は感心したように口を開いた。


「儀久は自分の悪名を策略に生かしたのですね」

「外様衆は采振家の旧臣です。儀久の実力も恐ろしさもよく知っています」


 残酷と噂される儀久が自分たちの大切なものには手を出さずにいてくれたことで、信頼できると思ったのだろうと定恭は言った。


「持康より頼りになると思ったんだろ」


 忠賢は一言で切って捨て、仲載も冷ややかな口ぶりだった。


「そりゃそうですね。俺だって、領地や家臣を守ってくれない主君には仕えたくありませんね」


 外様衆が増富家を離れて儀久に仕えた理由は、その知謀に改めて感じ入ったのもあるだろうが、持康が(とざし)城の救援に一兵も送らなかったことが大きいのは間違いない。


「どうして見殺しにしたのですか」


 直冬が尋ねた。


「自ら助けに行くべきだと思います。立返浜(たちかえりはま)の大敗のあとで、外様衆は動揺しているのですから」

「当家が峰前城の武者の半分を陽光寺砦へ移動したためでしょう。五形城や万羽国内の城を攻めるつもりかと警戒したに違いありません」

「例の件か」


 問う視線を向けた直春に菊次郎は首肯(しゅこう)した。


「では、(かかと)の国の動きに移ります」


 一呼吸おいて、はっきりした声で告げた。


「宇野瀬家とは同盟が成立しました」

「条件はあの通りだな?」

「はい。当家と宇野瀬家が共同で発行する手形を持つ商人は、駒繋(こまつなぎ)城の通行税がかからなくなります。豊津帆の作り方も教えると約束し、既に旭山(あさひやま)城下の職人が豊津にやってきています。それに加えて、願空はもう一つ条件を出しました」


 野司から菊次郎が放った鳩は翌朝には豊津城に到着し、妙姫は駒繋城の槻岡良弘に同盟の使者を命じた。面会した願空は、軍勢を動かして成安家を牽制することを承知したが、菊次郎の知恵を借りたいことがあると言った。福値(ふくあたい)家に背後を突かれると困るので、あの家の動きを止めてくれと頼んできたのだ。菊次郎はすぐに策を立て、鳩で途中の城へ伝えて直春の許可をもらうと、峰前城に連絡した。


深奥国(みおくのくに)の南半分を治める南谷(みなみたに)家は増富家に従っていました。これを脅して当家に(くら)がえさせれば、福値家と間接的に境を接することになります」


 南谷家はたった三万貫だ。陽光寺砦に軍勢を集めて使者を送ると簡単に屈服した。これで桜舘家は福値家の本拠地葉寄国(はよりのくに)へ通じる道を手に入れたことになる。深奥国(みおくのくに)の北半分の北平(きただいら)家が脅威に感じて援軍を求めれば、主家である福値家は応じざるを得ない。


「もう一つ、願空は宿木(やどき)資温(すけはる)が邪魔だと言いました。福値親水(ちかみず)仲違(なかたが)いさせてほしいと要求されました」

「その口ぶりだとうまく行ったのだな」

「はい。昨日報告が届きました」


 菊次郎が策を立てて手紙を送ると、願空は早速福値領へ軍勢を派遣した。


「宇野瀬軍襲来!」


 のろしが上がり、当主親水は資温を連れて出陣した。


「敵は三千か。一気に攻めるぞ」


 五千の親水軍を見た宇野瀬軍は慌てた様子で森の中の道を国境の方へ戻っていく。


「敵は()気付(けづ)いているぞ! 追撃だ!」

「お待ちください」


 勝利を確信した親水を資温が止めた。


「我々が出陣してくることを敵は予想していたはずです。慌てているにしては撤退の様子が整然としています。これは罠でしょう。恐らく左右の森に伏兵がいます」


 親水はがっかりした顔をした。


「ならば、警戒しながらゆっくり前進せよ。敵に近付きすぎるなよ」


 宇野瀬軍は親水軍の鼻先を悠然と後退し、次第に速度を上げて引き離すと森を出て、開けた場所に布陣した。


「なにっ、伏兵がいた痕跡(こんせき)はなかっただと? そんなばかな」


 森を調べた武者の報告を聞いて資温は首を傾げ、親水は激怒した。


「逃げていく敵を攻撃すればたやすく勝てた。お前のせいで好機をのがしたのだ! 臆病者め!」


 資温をどなり付けると、親水は物見を出して敵の様子を偵察させた。


「陣内は静まり返っております。寝ているのか、物音一つしませんでした」


 資温はもしやという表情をした。


「馬の声もか」

「はい。狼の遠吠えが聞こえましたが、馬が騒ぐ声は起きませんでした」


 資温は親水に言った。


「きっと我が軍を夜襲するつもりです。馬の口に(ばい)をふくませて声を出せなくしているのです。寝たふりをして逆襲してやりましょう」


 福値軍は一睡もせずに待ち構えていたが、宇野瀬軍は来なかった。


「襲ってこぬではないか!」


 夜が明け、疲れ切った顔の親水に嫌味を言われて資温は不思議がった。


「とにかく、武者たちに食事をさせて交代で休ませましょう」


 そう提案したところへ伝令が飛び込んできた。


「敵襲です! 全軍で突撃してきます」


 寝ていない上に空腹だったので、福値軍はさんざんに打ち破られた。

 命からがら城に逃げ帰った親水は資温を無能者と罵倒し、敗戦の責任を()うて処刑しようとした。諸将のとりなしで思いとどまったものの、しばらく顔を見たくないと資温の登城(とじょう)を停止させた。

 二日後、また宇野瀬軍が攻めてきた。今度も三千で、二千が国境にとどまり、一千は旭国(きょくこく)街道からはずれて脇道を山の方へ進んでいく。


「敵は少ない武者をさらに分けたのか。愚かだな。一気に敵の本隊二千を急襲して撃破してやろう」

「お待ちください」


 親水が出陣すると知り、資温は軍勢の前に飛び出して面会を求めた。


「恐らく二千はおとりです。攻撃すれば一千に背後を襲われます。敵の本隊は同数の二千を派遣して牽制させ、別動隊一千を三千で打ち破りましょう。それで敵は撤退します。別動隊を放置すれば領内を荒らされますぞ」


 親水は不愉快そうだったが、舌打ちして命じた。


「ならば、お前が別動隊の相手をしろ。俺は敵本隊をたたく」


 親水は三千を率いて国境に向かった。やむなく資温が二千で敵の別動隊に近付いていくと、倍の数を見てかなわないと思ったのか撤退していく。


「随分あっさり諦めるな」


 おかしいと思っていると、急報が届いた。


「敵の増援二千が国境へ進軍してきます」

「しまった。今度は五千だったのか。大殿が危ない」


 資温は五百にこのまま牽制しつつ追尾するように命じ、一千五百を率いて国境へ急いだ。行ってみると、親水隊は陣形を解いて食事をさせていた。


「もう戦いは終わったのですか。ほとんど無傷のようですが」


 資温が本陣を訪れると、親水は怪訝(けげん)な顔をした。


「なぜお前がここにいる」

「敵に援軍が来たと聞いて、お助けに参りました」

「そんな必要はない。俺は勝ったぞ」


 二千の宇野瀬軍は親水隊の接近を知って逃げ腰になり、ほとんど戦わずに撤退していった。援軍の二千も一緒に引いていったという。


「そんなばかな。大殿をねらったのではなかったのですか」

「別動隊はどうした」

「抑えに五百を残してきましたが。……まさか」


 慌てて様子を見に行かせると、分隊は壊滅していた。敵の一千が国境に向かう動きを見せたので追いかけると、背後から襲われ、挟み撃ちにされたという。敵は二百を分けて森に隠し、伏兵にしたのだ。敵の一千は街道沿いの町や村をいくつか焼き払い、悠々と宇野瀬領へ戻っていったという。


「ばか者が!」


 親水は顔を真っ赤にしてわめいた。


「お前のせいで武者が死に、領内が荒らされたのだ! 責任を取れ!」

「大殿をお救いしようと……」

「言い訳するな! 役立たずめ! お前がいない方が勝てたのだ! 当家が負け続けだったのはお前のせいだ!」


 親水はこれまでの敗戦の責任を全てなすり付けて処刑しようとしたので、資温は身の危険を感じて福値家を出奔し、行方(ゆくえ)知れずとなった。

 話を聞いて、直春は感心したように言った。


「さすがだな。あの知将を手玉に取ったか」

「あまり後味はよくありませんが」


 菊次郎はうなだれた。


「決して悪人ではなく、現在のところ敵でもない人でしたので」

「菊次郎殿の策は見事ですが、追い出される方にも油断がありました」


 定恭の言葉は自身の経験もあり、実感が籠もっていた。


「親水はもともと資温をうとんじていました。追い出す理由が欲しかったのだと思います。資温は側近の優遇をやめるように何度も諫言(かんげん)していたようで、側近たちが悪口を吹き込んでいました」

「やることにいちいち反対されると腹が立つのは分かりますが、手放しちゃいけない人物ですな」


 仲載は呆れた様子だった。忠賢は鼻を鳴らした。


「願空に攻められても持ちこたえてたのは、あの男のおかげだろうに。先が見えたな」

「うむ。軍師は大切です」

「そうですな。菊次郎殿がいなかったら今の当家はありませんな」


 本綱と実佐はしみじみと言った。 


「でも、よくあの資温をだませましたね。さすがです」


 直冬は悔しげだった。どうしたらこの人に勝てるのだろうかと途方に暮れている様子だ。


「頭が切れるからこそ、引っかかったのですね」


 妙姫が言った。


「親水一人なら罠に気付かずに普通に戦っていたかも知れません」

「その場合はもっと大敗していたでしょうね」


 定恭が言った。


「資温が出てこない場合の対処法も書き送ったそうですから」

「お前でも引っかかったか?」


 忠賢がにやりとした。


「さあ、どうでしょう」


 定恭は微笑んだだけだった。


「とにかく、これで深奥国(みおくのくに)はしばらく安全ですね」


 直冬は当家にとって利益になったと考えているようだった。


「福値家は南谷家へ手を出す余裕はなくなりますよね」


 周囲に同意を求めたが、田鶴は不満そうだった。


「あたしはこういうの嫌い」

「どうしてだ?」


 忠賢が尋ねると、乙女は悲しそうに言った。


「菊次郎さんらしくない。人をだまして追放させるなんて」

「そんなこと言っても仕方ありませんよ。ねえ?」


 直冬が周囲に同意を求めると、忠賢が振り向いた。


「大軍師殿はどう思ってんだ」


 菊次郎は苦笑した。


「願空に踊らされました。僕らしくないのはその通りです」

「へえ、負けを認めるんですか」


 仲載が意外そうな顔をした。


「負けといいますか、やらない方がいいことをやらされたのは事実です。当家にとって損です」

「そうなのですか?」


 直冬は驚いている。


「宇野瀬家とは何度も戦いました。今回同盟を結ぶことになりましたが、いつまた敵対するか分かりません。成安家と絶縁した今、戦になった時、願空の背後を突いてくれる家は福値家しかありません」


 菊次郎は壁に貼られた吼狼国の地図へ目をやり、人々もつられて長斜峰(なはすね)半島の辺りを眺めた。


「可能なら、互いに宇野瀬を牽制して助け合おうと盟約を結びたいところでした。福値家が探題を名乗ることを成安家が認めず対立していたので無理でしたが」


 忠賢はそういうことかという顔をしている。


「ところが今回の出来事です。親水はすぐに自分が失ったものの大きさを知り、僕と当家を恨むでしょう。願空は僕の策だと言いふらし、当家との同盟の強固さを成安家と福値家に示そうとするはずです。もし当家が宇野瀬家と敵対しても福値家との協力はすんなり行かないでしょうし、資温を失ったあの家は頼りにならないかも知れません。今後、どんどん願空に領地を削られるでしょうからね」

「願空はそれを分かっていてやらせたんですね」


 直冬は悔しそうだった。願空にも、彼のねらいに気付かなかった自分にもだろう。


「当家が断れないと知った上でですな。手強い相手です」

「良弘殿もはらわたが煮えくり返ったでしょうな」


 本綱と実佐はこうしたことを察していたようだ。


「だが、どれだけ損だろうと、それが必要だったんだろ?」


 忠賢はさばさばと言い、直春は頷いた。


「その通りだ。だから、菊次郎君は策を立てたのだ」

「当家はまず、この戦いに勝たなければなりません。先のことは生き延びてからです」


 元当主の妙姫もはっきりしていた。


「福値家は単独では宇野瀬家に対抗できません。同盟相手が必要です。その時が来れば、手を結ぼうと向こうから言ってくるかも知れませんね」

「そこで恨みを優先するようなら、福値家は長くは持たないでしょうよ」


 仲載も同意見のようだ。


「そういう事情なら、分かる」


 田鶴は表情をゆるめた。


「菊次郎さんも嫌だったんだね。安心した」


 菊次郎が答えようとした時、雪姫がつぶやいた。


「資温さんはどう思っているのかな」

「えっ?」


 直冬が姉に顔を向けた。


「それは、多分、だまされて悔しいと思いますけど」

「どういうことだ?」


 直春がやさしく尋ねると、雪姫は長い髪を揺らして義兄を見上げた。


「福値家を離れた方が、資温さんのためにはよかったかなと思ったの。いつか殺されてしまったかも知れないし」


 自信なさげに言葉をしぼませた雪姫に、菊次郎は微笑んだ。


「ありがとうございます。でも、それは本人にしか分かりません。家臣を残して飛び出すのは悲しかったでしょう。きっと僕のことを不愉快に感じていると思います。一方で、当家の立場も分かるはずです。彼は有能ですから、きっとすぐにどこかの封主家に仕官がかなうでしょう」

「成安家はやめてもらいたいぜ」


 忠賢が冗談めかして言い、仲載も調子を合わせた。


「増富家もですね」

「他に近い家は、斧土(おのづち)家、蜂ヶ音家がありますな」


 本綱は地図を眺め、実佐も考えている。


「案外宇野瀬家かも知れませんな」

「近隣国はないと思います。福値家と戦うことになりますから。友人や恩人がいるはずですよ」


 直冬は呆れ、妙姫がさえぎった。


「他人の心配をしている余裕はありません。当家の戦いのことを考えましょう」


 人々は口をつぐみ、直春に視線を戻した。


「では、成安家との戦についてだ。城は守り切ったが、まだ大軍が領内に居座っている。皆の見立てでは撤退はしないだろうという。これをどうやって追い払うかだ」


 いよいよ本題だ。


「蜂ヶ音家が増富軍を引き付けてくれているとはいえ、槍峰国に残してきた外様衆と陽光寺砦の味方のもとへ、可能な限り早く戻らねばならない。どうすれば、元尊に諦めさせられると思うか」


 全ての目が菊次郎に向いた。


「合戦を申し込みましょう」


 直春をまっすぐに見て進言した。


「全軍でぶつかり合って決着をつけます」

「合戦がよい理由は何だ」


 直春は問いを返してきた。


「一つ目は、早く終わらせて槍峰国へ向かうためです。籠城戦は時間がかかります。二つ目は、戦いが長引けば同盟国が裏切る可能性があるからです」

「願空か?」


 忠賢の言葉に頷いた。


「半分はそうです。成安家の軍勢の半数がここにいるとはいえ、薬藻国(くすものくに)を攻略するのは簡単ではありません。それよりも、葦狢(あしむじな)街道を通って駒繋城や千本槍(せんぼんやり)城へ進出する方が容易です。願空がその誘惑に()られる可能性はあります。もう半分は蜂ヶ音儀久です」

「毒蜂か。ありえますね」


 仲載がつぶやいた。


「峰前城の外様衆は采振家の旧臣です。直春さんが当分戻ってこられないと分かり、儀久に誘われたら、寝返る者が出ないとも限りません」

(とざし)城もそうやって落としたんでしたな」


 本綱が唸り、実佐が言った。


「両家とも当家が強い間は頼りになる同盟国ですが、隙は見せられませんな」

「一方、元尊にも早く決着をつけたい理由があります」


 菊次郎は地図を指さした。


「まず、御使島(みつかいじま)です。鮮見(あざみ)家に使者を送り、元尊軍の出陣と陣容を伝えました。秀清と朽無(くちなし)兄弟がこの好機を見逃すはずはありません」

「でしょうな」


 三人に会ったことがある頼算はその通りという顔をした。


「願空も動くでしょう。当家は約束を果たしました。あの老人は案外律儀(りちぎ)ですので、成安家を攻めるはずです。願空が支持されるのはそういうところがあるからです」


 忠賢は狼のような目つきで考えている。


「元尊は墨浦の連中から帰ってこいと言われるってことだな」

「少なくとも、家中で非難の声が高まるのは避けられないでしょう。元尊の軍勢は僕たちの二倍です。合戦は十分勝ち目のある賭けだと判断するでしょうね」

「全力で決戦か。俺に異存はない」


 直春は戦士の顔になっていた。


「みんなはどうだ。反対の者はいるか」


 誰も声を上げなかった。


「よし、では、合戦だ。菊次郎君、作戦を頼む」


 言い出したからには考えてあるのだろうと信頼の笑みを浮かべている。もちろん、その通りだ。


「敵は二万、こちらは九千弱です」


 菊次郎は木の床に木片を並べて陣形を作った。人々は円くなってそれをのぞき込んだ。


「少数が多数に勝つには、敵の大将をねらうしかありません。持康公は自分から前に出てきましたが、元尊は本陣を動かず多くの武者に守られているでしょう」

「臆病だからな」


 忠賢の口ぶりは元尊が聞いたら顔色を変えて激高(げっこう)しそうな調子だった。


「狢河原の敗北はお前が逃げたからだと言われ、今回は決して逃げないと約束したそうです。引きずり出すのは容易ではありません。道を開いてこちらから敵の本陣へ攻め込まなければなりません」


 菊次郎は「元尊」と書いた木片を敵の陣列の背後に置いた。


「そのため、一隊をおとりにして弱点と思わせます。その部隊を攻撃しようと元尊が予備の武者を吐き出したら、道を開いて敵本陣を奇襲します」


 地図の上で複数の木片を動かして見せた。


「そのおとりは誰がやるんだ?」


 忠賢が視線を動かさずに尋ねた。


「作戦はいいが、この役は大変だぜ」


 元尊はその部隊を集中攻撃してくるだろう。それを受け止めて持ちこたえなければならない。


「問題はそこなんです。弱点と思わせるには武者を少なくしなければなりません。それでも踏ん張って、敵の攻撃を引き付けてもらわなくてはならないんです。その部隊が崩れたら合戦は負けです」


 ううむ、と実佐が唸った。


「僕は本綱さんに任せようと思います」


 次席家老は承知とも嫌とも言わずに黙っている。命じられれば受けるということだ。


「俺がやるのはどうだ」


 直春が言い、妙姫が顔色を変えた。


「考えましたが駄目です」


 菊次郎は首を振った。


「合戦に負けても、このお城に逃げ込んで籠もることができます。元尊には早く帰らなければならない事情がありますので、勝てないまでも守り切ることはできるかも知れません。槍峰国の状況は悪化するでしょうが」 


 万が一直春が討たれてしまったら桜舘家は終わりだ。口に出さなくても、みんな分かっていることだ。


「それに、直春さんの部隊が一番少なかったら怪しまれます。軍勢の列の背後にいるなら護衛が少なめでも疑われないでしょうが、この戦ではそんな贅沢(ぜいたく)はできません。直春さんにも一隊を率いて戦ってもらいます」


 忠賢があごを指で撫でた。


「俺ってのはないんだな?」

「忠賢さんは騎馬隊ですので、この役には不向きです」


 忠賢も分かっていたらしい。


「となると本綱か」

「はい。経験でも守りの戦のうまさでも、適任かと」


 人々が頷いた時、大きな声が響いた。


「僕がやります!」


 直冬だった。菊次郎は驚いた。反対しようとしたが、直冬が先に言葉を続けた。


「僕はまだ十七歳、経験も他の人に劣ります。数日前には夜襲で判断を誤って武者を大勢傷付けました。元尊も僕なら簡単につぶせると(あなど)ってくれるでしょう」

「しかし……」


 危険すぎる。死傷する可能性の点でも、役目を果たせるかという意味でも。そう口にしようとしてためらった菊次郎を横目に見て、直冬はさらに言った。


「そのかわり、お願いがあります!」


 両手を木の床について頭を下げた。


「この合戦に勝ったら、田鶴と結婚する許可をください!」

「ええっ!」


 田鶴が叫び、小猿が膝から飛び上がって逃げ出した。菊次郎は出かかった驚愕の言葉をかろうじてのみ込んだが体中が震えた。雪姫も目を見張っている。仲載は口笛を吹きそうな様子で、忠賢はそう来たかとにやにやしていた。実佐・本綱・頼算は驚いた顔だが口を挟むつもりはなさそうだった。


「本気なのだな?」


 直春が確認し、直冬が頷くと、妙姫が大きな息を吐き出した。意外そうな様子はないので、察していたのかも知れない。


「田鶴殿はどうなのだ」


 問われて、乙女は顔を赤くした。


「急に言われても困るよ。勝手に話を進めないで!」

「急ではありません。夜襲の前に求婚しました」

「返事は何と?」

「断られました。でも、諦めるつもりはありません」

「なるほど、それであんな無茶を……」


 仲載がつぶやき、しまったという顔で口をつぐんだ。


「田鶴殿が承知しないのでは、俺は賛成できないぞ」


 直春はどうしたものかと妻を見た。妙姫はおだやかに言った。


「私たちは田鶴さんにあなたとの結婚を命じるつもりはありません。そんなことをしても意味はないでしょう」

「それでかまいません。田鶴を口説き落とせたら、結婚に反対しないと約束していただければよいのです」

「本人が承知すれば、もちろん祝福するが」

「私も異存はありません。実現すれば、喜ばしいことだと思いますよ」


 直春夫婦は言い、菊次郎に目を向けた。固まっていた菊次郎は我に返り、反射的に雪姫を見た。姫君は弟と田鶴を見比べて呆然としていた。


「田鶴は絶対に説得します」


 直冬は真っ赤な顔と荒い息で言い切って、憤然(ふんぜん)としている田鶴へにっこり微笑み、頭を下げたまま続けた。


「もう一つお願いがあります。菊次郎さんと雪姉様の結婚も許可してください」

「ちょっと、直冬、いきなり何を……」


 雪姫が慌て、菊次郎を見て目が合うと、二人は同時にうつむいた。菊次郎が上目づかいで周囲の様子をうかがうと、実佐・本綱・頼算はさらに驚いていたが無言で、直春夫婦は顔を見合わせていた。


「それも反対はしないが、仲載殿の申し込みもある。俺としては本人たちの気持ちを尊重しようと思う」

「私はこの前言った通り賛成ですが、それも二人の意思があってこそです」


 人々の視線を浴びて菊次郎は困った。雪姫は耳まで真っ赤で、下を向いたまま菊次郎の言葉を待っている。忠賢は一層にやにやし、仲載は不愉快そうに言った。


「雪姫様が菊次郎さんを好いているなら結婚を無理強いする気はありませんが、はっきりお答えを頂くまで俺は諦めませんよ」


 自分が促されていると察し、菊次郎は顔を上げた。先日妙姫の前で言ったことを繰り返そうとすると、忠賢が先に口を開いた。


「めでたい話で結構だが、どっちも勝ってからのことだろ。まずは合戦だ。そのあと本人たちで決めればいいと思うぜ」


 直春は菊次郎を見つめていたが、頷いた。


「忠賢殿の言う通りだ。俺も妙も、誰が誰と結婚しようと反対はしない。皆大切な友人で仲間だ。幸せになってほしいと思うし、助けが必要なら喜んで力を貸そう。だが、今は戦の話に戻したい。よいか」

「はい」


 直冬は目的は達したという顔で承知し、答えを出したくない菊次郎と雪姫も小さく首を縦に振った。田鶴は文句を言いたそうだったが、結局何も言わなかった。


「おとりの役、僕に任せてください」


 直冬は再度、しっかりした口調で言った。


「きっと役目を果たして見せます。田鶴に一生懸命戦っているところを見せたいんです」

「今まで何度も見てるよ」


 田鶴は恥ずかしさでいらだった言い方になっていた。


「いいえ、今までは男として見てもらっていませんでした。田鶴に求婚できる、女を幸せにできる男だと証明したいんです!」

「直冬様」


 本綱が大人のまじめな態度で問いかけた。


「手柄を立てようと焦っておられませんか」

「手柄は立てたいです」


 直冬は家老をまっすぐに見返した。


「立てて田鶴を手に入れたいです。でも、無茶はしません。同じ失敗は繰り返しません。今度こそ必ずやり遂げてみせます」


 その目をしばらく見つめて、本綱は直春に告げた。


「私は反対いたしません」

「拙者も直冬様を信じますぞ」


 幼い頃から近くで見守ってきた実佐は目を(うる)ませていた。


「二人とも、感謝します」


 直冬は深く頭を下げた。


「やらせてみろよ」


 忠賢が言った。


「俺もいいと思いますよ」


 仲載も続いた。


「あなたを信じます。あなたの幸せのために必死で戦いなさい」


 妙姫は厳しくもやさしい口調だった。弟の成長を喜んでいるようだ。


「はい、姉上。必ず勝って、田鶴と結婚します。姉上たちのように幸せになります」


 直冬は上の姉に誓った。


「よかろう」


 直春は決断した。うれしそうだった。


「直冬殿に任せよう。頼もしい覚悟だ。男を見せてくれると期待している」


 念のためという風に尋ねた。


「菊次郎君も異存はないな」

「はい」


 直冬は経験でも実力でも本綱に及ばないが、その心意気に動かされた。少年は大人になろうとしているのだ。


「田鶴殿もよいな」

「直春さんがいいならいいよ。心配だけど」


 田鶴は赤い顔で渋々といった風に承認し、膝に戻ってきた小猿を後ろからぎゅっと抱き寄せた。


「少しうらやましいですね」


 菊次郎は聞こえないようにつぶやいた。自分はつい考えすぎて尻込みしてしまう。直冬のまっすぐさとひたむきさがまぶしかった。


「では、こうしましょう」


 菊次郎は深呼吸して頭を切りかえると、木片を移動して配置を変えた。


「直冬さんをおとりにするなら、この陣形がよいでしょう。こう動いてもらいます」


 説明して定恭に目を向けると、副軍師は感心したように同意した。


「素晴らしい作戦だと思います。俺からも提案があります」


 木片を動かしながら策を説明した。


「なるほど、それも加えましょう。きっとうまく行くでしょう」

「ありがとうございます」


 定恭は深々と頭を下げ、微笑んだ。


「菊次郎殿は作戦を修正なさるのですな」

「よいと思ったから取り入れたのです。誰の意見でも役に立つなら採用します。僕は万能ではなく、間違いを犯しますから」

「元尊は配下の意見を聞かないそうですよ。全部自分で決めて押し付けるとか」


 定恭の言葉に、直春がそういえばという顔をした。


「出陣前、完璧な作戦と言ったのだったな。この合戦は、菊次郎君と俺たち桜舘家の全員対元尊一人ということだ」

「なら、俺たちの勝ちだな」


 忠賢がにやりとした。


「一対一でも菊次郎に知恵比べで勝てやしない。ましてや、俺たちの知恵と勇気を合わせたら結果は見えてるぜ」


 田鶴が頷いた。


「あたしたちも手伝うしね」


 定恭が切なげなまなざしになった。


「俺にもおぼえがあります。自分一人で考えねばならず、しかも足を引っ張る人がいました」

「それじゃ、菊次郎には絶対に勝てっこないな」

「はい、勝てませんでした」


 実佐が考える顔になった。


「成安軍に明告知業という武将がいますな。城攻めでよい動きをしていました。要注意と思いましたが、実力を発揮できないかも知れませんな」

「無理だろうな」


 忠賢はあっさり言った。


「元尊に家臣の能力を引き出せるとは思えないぜ」

「忠賢殿の言う通りだ」


 直春は楽しそうだった。


「俺たちは勝つ。間違いないな」

「はい」


 人々は頷き合い、直春を見た。


「では、その作戦で行こう。両軍師とみんなの知恵を合わせた作戦だ。きっと勝てる」


 直春が声を張り上げた。


「決戦は明後日、紫陽花月(あじさいづき)一日だ。すぐに元尊に使者を送る。各自、準備を進めておくように」


 諸将は頭を下げ、軍議は終了した。


「しっかりやれよ、お坊ちゃん」


 忠賢は直冬の頭をぐりぐりと撫でている。仲載は肩をたたいて励ましていた。


「直冬さんは勇気がありますね」


 こちらをちらりと見て部屋を出ていく雪姫を見送り、菊次郎は溜め息を吐いた。


「僕も覚悟を決めなくては。でも……」


 戦いが終わったら、向き合わなければならない。自分の背負っている過去の重い罪と、三つ年下の姫君に。どんな選択が正解なのか、分からなかった。


「合戦に集中しよう。勝つしかないんだ。みんなのためにも、僕自身のためにも。全てはそれからだ」


 こぶしをぎゅっと握って背筋を伸ばすと、菊次郎は軍師としての仕事を果たすために部屋をあとにした。



「これで注文はすんだな」


 定恭は布を扱う店を出て、夕暮れが近付く空を見上げた。頭を下げる店主に見送られて、豊津の中央通りを城の方へ歩き出した。


「にぎやかな町だ」


 五形の町も大きいが、豊津はそれ以上かも知れない。新しい城を作るのと並行して行われた区画整理や拡張で、活気の中にも秩序や統一感がある。


「もともとここは町衆(まちしゅう)の力が強いからな」


 大商人たちを中心に町人たちが団結してこの町を管理し、発展させてきた。桜舘家や楠島水軍とも対等に交渉してきた歴史がある。彼等の気概(きがい)と誇りが町の雰囲気や景観を作っているのだ。


「直春公は本当に敬愛されているな」


 そうした歴史ある町が、新しい帆布や新田開発によって一層の繁栄を享受(きょうじゅ)している。商圏である茅生国が桜舘家の版図(はんと)に加わったことや、宇野瀬家との関係改善も大きいだろう。さきほどの店でとても鄭重な対応をされたのは、大口の注文をしたこと以上に、直春の副軍師だからだろうと感じた。


「安心して歩けるのもいい」


 刺客(しかく)を警戒して家臣が五人ついてきたが、戦の最中なのに治安はとてもよい。桜舘家が勝つと信じている者が多いので、慌てたり不安になったりした者たちによる狼藉(ろうぜき)がないのだろう。


「暴動や反乱を恐れずにすむと合戦に使える武者が増える。これも桜舘家の強さだ」


 城を(から)にして出陣できたことが、この家のこれまでの勝利の一因なのだ。


「おっ、ここにもあったか」


 小さな乾物屋(かんぶつや)に目を引かれた。いかの干物(ひもの)が店先に数枚ぶら下げてある。


「この町の産物だろうか」


 つい足を止めて眺めていると、後ろから声がかかった。


「失礼ですが、柳上(やながみ)様ではありませんか」


 振り返ると嶋子(しまこ)だった。小太郎もいる。護衛らしい武者を三人連れていた。


「立ち止まってどうかなさいましたか」


 頭を下げて話しかけてきた。


「いや、大したことではありません」


 定恭はお辞儀を返して答えた。

(らち)もないことを考えてしまいまして。そちらこそ、大勢でお買い物ですか」


 嶋子は苦笑気味に肯定した。


「はい。お金を持っているとみんなが知っていますので、護衛が必要になって、自由に出歩けなくなりました」


 亡夫利静(としきよ)の命を投げ打った働きのおかげで、毎年一千両を直春から受け取っている。


「二人ではとても使い切れない額を頂けますので、お寺で和尚様が開いている子供向けの学問塾に小太郎を通わせて、運営費を提供することにしました。今日は子供たちの文具やおやつを注文しにきたのです」


 小太郎も六歳、出会った人にきちんと挨拶ができるようになっている。


「失礼ですが、そちらは何をなさっていらしたのですか?」


 問われて、今度は定恭が苦笑した。


「合戦で使うのぼり旗を注文した帰りです。これを見付けましてね」


 干物を示すと、嶋子は納得した様子になった。


「そういえば、いかがお好きでしたね。お買いになったのですか」

「いいえ。家にまだありますので。ただ……」


 定恭は迷ったが、ふと口にしたくなった。


「俺はこの町に来る時、妻と別れました」


 嶋子も当然事情は知っている。


「当家に移った直後は、妻や養父母や祖母に随分ひどいことをされたと思っていました。しかし」


 言葉を切って干しいかへ目を向けた。


「いかは買うと高いですね」

「そうですね。海の物は安くありません」


 沖に舟を出すのは命がけだし、魚を()る権利を守るためのお金や領主への運上金(うんじょうきん)があるので、どうしても値が高くなる。


砂鳥(すなどり)の家にいた頃、俺はこれを毎日食べていたんです。持ってこいと言うと、すぐにあぶったものが出てきました。好んでいた酒も買ってみると上物だったと分かりました」


 干しいかは砂鳥家で作っていたが、売ればそれなりの利益になるものだ。常に在庫があるわけでもなかったろう。酒も安くはない。砂鳥家の財政に影響を与えるほどではないが、贅沢をさせてもらっていたのだ。


「俺はずっと冷遇されていると感じていました。家に馴染(なじ)もうとこれほど努力しているのに、なかなか受け入れてもらえないとね。ですが、離れてみると、向こうもかなり気を使っていたことに気が付きました。文句を言わずに高価なものをいくらでも食べさせてくれるくらいには。きっと他にも、俺が気付かなかっただけで、妻や義父上(ちちうえ)義母上(ははうえ)にはいろいろ苦労をかけていたのでしょう」


 定恭は寂しそうな顔をした。


「俺を裏切った友人についても、思い出すのは楽しかったことばかりです。いまさら仲直りしたいとは思いませんが、なぜこうなってしまったのかと残念に思います」


 嶋子は黙っていかを見つめていた。小太郎は分かっているのかいないのか、行儀よく静かに待っている。


「私も夫を失いました」


 嶋子は丘の上の天額寺(てんがくじ)へ目を向けた。


「始めは、なぜ私たちを残して死んでしまったのかと随分恨みました。お金よりも、義士(ぎし)の妻という名誉よりも、あの人に生きて戻ってきてほしかった。手を怪我して武家を続けられず、仕事がなくなってしまってもかまわなかった。自分一人で決めてしまって本当に勝手な人だ、私や小太郎への愛はその程度だったのかと憎らしく思いました。置き去りにされた女のわがままかも知れませんが」


 定恭は驚いたが、何も言わずに耳を傾けた。


「ですが、あれから三年が経ち、少し心境が変わりました」


 嶋子の瞳は赤くなり始めた空の色を(たた)えていた。


「あの人なりに私たちのためを思ってしたことだと、考えるようになったのです。国主様や菊次郎様はきっと私たちを守ってくれるはずと信じて、お預けしたのだろうと。夫のおかげで私たちは豊かに暮らせていると、近頃は感謝もしています」


 小太郎は何かを感じたのか母を見上げた。


「正直なことを申しますと、まだもやもやする気持ちはあります。けれど、立ち止まっていても何にもなりません。この子のためにも、あの人のためにも、私たちは歩いていかなくてはいけません。日々を前向きに生きよう。そう思うようにしています」


 嶋子はかすかに微笑んでいた。


「幸いお金はありますので、あの戦でご家族を亡くされた方、特に未亡人や、幼いお子さんがいらっしゃる方には、できるだけ援助をしています」


 二人はしばらく無言で夕暮れの港町を眺めた。潮の香りを含んだ風が、家路を急ぐ人々をやさしく撫でて通り過ぎていく。

 ふっと溜息のように一つ息を吐いて、嶋子は言った。


「よろしければ、今度学問塾にいらしていただけませんか。菊次郎様と定恭様は子供たちの憧れなんです。手作りの弁当を差し入れますから、それを食べるだけでも」


 定恭も微笑んだ。


「そうですね。この戦が終わったら、顔を出してみましょうか」

「ぜひに。お待ちしています」


 定恭は小太郎の頭を撫でた。


「賢い息子さんですね」


 少年は頬を染めて照れ、尊敬のまなざしを向けてくる。


「ありがとうございます」


 嶋子は笑って丁寧に頭を下げ、町の喧騒(けんそう)の中に消えていった。


「俺も帰るか」


 定恭は再び城に向かって歩き始めた。五人の護衛がすぐ後ろをついてくる。

 なぜあんな話をする気になったのか。嶋子もなぜあんなことを聞かせてくれたのか。


「誰にも言ったことがなかったのにな」


 つぶやいて、定恭は両腕を上げ、伸びをした。


「さあ、合戦だ。勝たないとな」


 この町を守るために。彼女のような悲しい思いをする人を少しでも減らすために。


「それが軍師の仕事だからな」


 かつては自分を婿に迎えてくれた砂鳥家のために戦っていた。今は何のためなのだろう。

 深くは考えないことにしたが、以前よりずっと意欲が湧いてくる自分に気が付いていた。



「合戦の申し込みだと!」


 新しい宿陣地内の豪農の屋敷で、元尊は昼食をとりながら今後の方針に頭を悩ませていた。そこに届いた知らせに、思わず振り返った。


「はい。こちらに異存がなければ、明後日、正々堂々と戦おうと申しております」


 郷末は板廊下に片膝をついている。


「明日までに返事が欲しいと言って帰っていきました」

「そう来たか!」


 どうお答えになりますかと郷末が尋ねる前に、元尊は上ずった声で叫んだ。


「もちろん、受ける。それしかない!」


 右手をぎゅっと握り締めた拍子に、竹の箸がぼきりと折れた。


「敵の思う壺ではございませんか。誘ってきたのはあちらです」

「当然、やつらには勝算があるのだろう。早く終わらせたい理由は想像がつく」


 危ぶむ郷末に、そんなことは分かっているという表情を元尊はした。


「だが、こちらにとっても悪い話ではない。時間がないのはわしらも同じだからな」


 元尊は遠からず墨浦へ引き上げなくてはならなくなる。宇野瀬家が文島国(ふみじまのくに)を占領したからだ。たった二万貫にすぎないこの島の陥落は、成安家に大きな衝撃を与えた。

 理由は二つある。まず、文島は臥神島(ふせがみじま)という横たわった大きな狼の後ろ足のすぐ下に位置し、つま先に当たる大門国(おおとのくに)に極めて近い。本拠地墨浦の目の前に敵の飛び地ができたのだ。隠密の調べでは、願空は武者五千と水軍を駐屯させているという。成安家の主力は元尊と共に葦江国にあり、他の方面も兵力はぎりぎりだ。墨浦の守りは大丈夫なのかと、留守居の重臣や商人などから恐れる声が上がっているそうだ。

 もう一つ、より深刻なのは、文島が恵国(けいこく)貿易の中継点であることだ。墨浦を出港した船は文島で最後の補給をし、東の大陸との間に横たわる広い海へ乗り出す。途中点々とある島をたどって進むのだが、その最初の一島が文島なのだ。ここを押さえられると、島を大きく迂回する危険な航路をとらざるを得なくなる。貿易がしにくくなれば、成安家の財政と墨浦の商人は大打撃を受ける。


「葦江国より文島を取り返す方が先だと、帰還の催促が来ている」


 元尊はぎりぎりと奥歯を鳴らした。


「こんなところで帰れようか。城を落とせず、領地も全く得られず、御屋形様にどうご報告すればよい」


 対立する派閥は大喜びするだろう。墨浦を危険にさらし文島を奪われた責任を追及されれば、連署の解任は確実だ。資金を出させた墨浦の商人たちにも、何も手に入らなかったとは言えない。


「勝つしかない。こんなところで立ち止まるわけには行かぬのだ」


 望んだのは天下統一。その壮図(そうと)はまだ(ちょ)()いたばかりだ。


「桜舘家と大軍師の小僧は必ず邪魔になる。これ以上大きくなる前につぶさねばならぬ。避けられぬ戦だったのだ」


 郷末は反論せず、ただ問うた。


「勝算はおありなのですか」

「こちらは敵の倍以上、数では有利だ。それを生かす作戦を考える」


 戦場に指定してきたのは簗張曲(やなはりくま)と呼ばれる場所だった。城と元尊軍の宿陣地のほぼ中間にある平坦地で、大軍を展開可能だ。


「城が近い。勝っても逃げ込まれると厄介だ。直春を殺すか捕らえる必要があるな」


 元尊は食べかけの膳を横へ押しやった。


「作戦を考える。しばらく誰も入れるな」


 郷末が頭を下げて去ると、元尊は亡き師陰平(かげひら)索庵(さくあん)(のこ)してくれた兵法の書物を横に積み上げた。


「最高の作戦で大軍師めを討ち破ってくれる」


 多数の書物を次々にめくり、途中郷末が持ってきた握り飯をほおばりながら、その夜は一睡もしなかった。


「これしかない。この動きだ」


 翌朝、陣形を書き出した紙をもう一度眺めて元尊はにやりと笑った。部屋の外で寝ずの番をしていた郷末に命じる。


「諸将を集めよ。軍議だ」


 桜舘家は明日滅亡する。まずは葦江国を平定し、茅生国も制圧し、増富家と同盟する。文島の邪魔者を排除後、いよいよ都へ向かうのだ。


「見えてきたぞ。天下への道が」


 狢河原の敗北後も諦めようと思ったことはない。成し遂げると自分に誓ったのだ。つかもうと大きく伸ばした手をいまさら引っ込めるくらいなら、始めから野望など持ちはしない。


「俺には夢を見る資格がある。実現する力も覚悟もある。立ち塞がるあの若造どもを掃除し、天下への道を切り開いてみせる」


 元尊は立ち上がり、紙を手に板廊下を踏みしめて評定の間へ向かった。

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