表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狼達の花宴 ~大軍師伝~  作者: 花和郁
巻の五 軍師の決断
45/66

(巻の五) 終章 新豊津城

「ようこそ豊津へ。お待ちしていました」


 立派な着物を着た直春は、南部三家の当主たちを鄭重(ていちょう)に出迎えた。


「今日はご馳走になりにきました」


 泉代成明が代表して答えた。市射孝貫(たかつら)と錦木仲宣(なかのぶ)もにこにこしている。


「これが新しい橋ですか。大変立派で驚きました」

(あし)大橋(おおはし)、分かりやすくてよい名前ですな」 


 鳥追城外の合戦から二十日余り、湖の河口を横断する橋がついに完成した。その祝いもかねて、冬至の祭りに三人の当主を招待したのだ。


「わざわざ遠くまでご足労いただき、感謝申し上げます」


 直春がお辞儀をすると、三当主は恐縮したように頭を下げ返した。


「こちらこそ、お礼にうかがうのが遅くなり、申し訳ありません」


「貴家のおかげで領地が倍になりました」

「本当に同盟を結んでよかったと思っております」


 合戦に勝利した桜舘軍は、修理した金平橋を渡って進軍し、その日のうちに野風城を手に入れた。この城は守備の武者がほとんどいなかったので、行った時にはもう逃げ出して空っぽだった。翌日、開飯城へ向かって包囲し、開城させた。定恭の献策で、攻撃側に城の構造をよく知る元右軍師がいることを示し、抵抗は無意味だ、武器を持っての帰国を認めると説得したのだ。

 茅生国全土を制圧し、増富領だった二十万貫を手中に収めると、直春は四年に渡る戦いの謝礼として三家に三万貫ずつを分け与えた。残りの十一万貫は桜舘領になった。成安家に使者を送って承認も得た。

 この結果、泉代家は十一万貫、市射家は七万貫、錦木家は六万貫になった。撫菜城は市射家に引き渡され、秋芝(あきしば)景堅(かげかた)は野風城主に移動した。


「国主様、お久しぶりでございます」


 一歩下がっていた小薙敏廉が進み出て直春に挨拶した。三当主と一緒に来たが、遠慮していたのだ。


「国主様の寛大で公平な仕置きに領民も喜んでおります。五形商人は来なくなりましたが、豊津商人との取引が増え、かえって(うるお)っております」


 鳥追領のうち、大長峰(おおながね)山脈のふもとの村々は木工が盛んで、寄木細工(よせぎざいく)が名産だ。豊津港から輸出され、都で人気を(はく)している。


「それもこれも、小薙家と領民たちのことを考えてくださる国主様や奉行の方々のおかげです。改めてお礼申し上げます」


 敏廉はかしこまって頭を下げたが、すぐに頬をゆるめた。


「やはり桜舘家を選んで正解でした。増富家にはいろいろと不満がありましたので」


 崩丘で小薙隊が包囲された時、定恭は救援を提案したが、持康は「家臣は主君のために役に立って死ぬのが仕事だ」と言って見殺しにして逃げた。停戦が成立して敏廉が戻ってくると不機嫌そうに迎え、声さえかけなかった。それが敏廉の心を変えた一番の理由だと定恭は聞いている。


「直春公こそ命をかけてお仕えするに足るお方だと家臣たちも申しております」

「それはよかった。俺たちも貴殿のような忠義の士を仲間に迎えられて喜んでいる」


 茅生国の平定終了後、敏廉は改めて諸将や武者たちの前で直春に忠誠を誓い、言ったのだ。


「直春公の高潔なお人柄と堅固で崇高なお志。それに共鳴して全力でお助けする大軍師や周囲の方々。その理想と絆に感服(かんぷく)致しました。わたくしも微力ながら協力させていただきます」


 その時と同じうれしげな表情を、敏廉はしていた。


「さあ、渡ろうか」


 直春が先頭に立って橋を歩き出した。三家の当主のあとから菊次郎たちもついていった。


「通行料、やっぱり取ろうぜ。全面無料にする必要はあったのか」


 忠賢が未練がましく言い出した。


「随分金がかかったんだろ。便利になるんだ、ちょっとくらい負担させてもいいと思うぜ」

「駄目だよ。渡るのは商人だけじゃないし」


 田鶴は小猿の手を引いている。


「多くの人が自由に通れる方が豊津の町にとっていいんだよね?」

「そうです。商業も軍勢の移動もしやすくなりました。その効果は少々のお金よりずっと価値があります」


 通行料を取らないと言い出したのは菊次郎だ。架橋の責任者だった萩矢頼算は驚いたが賛成し、直春も頷いた。


「この橋は多くのものをつなぐ。三家との絆を強くし、新たに得た領地領民とのかけ橋となり、都への道を開く」

「兄上はそこまで考えているんですね」


 直冬は感心している。菊次郎は言った。


「そのために、南国街道など多くの道を整え、駅を置いて馬を備えました。一定距離ごとに宿場を設け、馬屋や蔵や荷車用の車庫を作らせ、飲食のできる店を開かせました。全て、早馬や使者、商人や旅人の便宜(べんぎ)を図り、行軍しやすくするためです」

「茅生国は遠い。きっちり支配するには必要なことだな。参考になるぜ」


 忠賢は真面目な顔だ。いつか城主になった時のことを考えているのだろう。


「民には大好評ですぞ。豊津の商人たちはもちろん、行商の者たちも葦江国に来やすくなったと申しております」


 蓮山本綱も話に加わった。


「そもそも、橋の工事自体が民の救済のためでもありましたからな」


 茅生国ほどではなかったが、一昨年(おととし)は葦江国も天候不順で米や麦が不作だった。これまでの戦で得た身代金や豊津帆でにぎわう港からの収入で橋を建設し、飢え死にする者が出ないようにしたのだ。他国から来る人々も歓迎し、橋の完成後は貫高が増えた分の働き手として、新田や商家で仕事を得られるように取り(はか)らった。


「橋の次は港の拡張ですね、兄上」


 長い橋を渡り終え、豊津の町へ入った。大きな屋敷や蔵が建ち並び、その間から浜辺が見える。大型船が多数桟橋(さんばし)に横付けされ、次々に船が来航し、あるいは出航していく。五年前とは見違えるほどの繁栄ぶりだった。


「以前一通りの整備はしたが、来る船が増えて手狭になってきた。今後のことを考えればやっておくべきだからな」

「はい。そう存じます」


 頼算は主君の一歩後ろを歩いている。


「そのためにも、葦の江へつながる水路の工事を急がせます」

「湖に停泊して修理や改造を行えるようにするのです」


 直冬が説明すると、泉代成明が感嘆した。


「なるほど、もう一本橋を作っているのはそのためですか」


 対岸とつなぐ長い橋の手前に水路を掘って、可動式の橋を架ける予定だ。船を通す時は通行を一時止めて橋を上げる。水路の両端は水門を設け、船が通る時に開け閉めする。


「いざという時は、橋を上げて堀にします」

「師匠の考えなんです。町を橋の方から攻められないようにしたのです」


 直春と直冬が語った。豊津の町は半島のような場所にあるので、南側の守りを固めれば侵入できなかったが、橋ができるとそうではなくなる。


「念のための備えです。北には攻めてくる敵はいませんから」


 菊次郎は言い訳したが、三家の当主たちは気分を害するどころか感心した様子だった。


「用心は必要ですからな。もっともなことです」

「ここをあのような大きな船が横切るのですか。見てみたいものですなあ」


 市射孝貫と錦木仲宣はまんざら世辞でもない感想を述べた。この繁栄する町と自領をどうしたらより結び付けられるかを考えているようだ。


「こういった工事や湿地の干拓に出資した商人は、港の新しい施設を無料で利用できます。新田で作られた米を優先的に売買できるようにもします」


 頼算はこの条件で豊津の多くの商人から資金を集めた。


「まこと、国主様は名君でいらっしゃいますな」


 敏廉はまぶしそうに活気あふれる豊津の町と働く人々を眺めていた。


「三ヶ月前、五形の港でお会いした時、国主様は平和な世を実現するために戦っているとおっしゃいました。この光景を見れば、それを疑う者はおりますまい」


 直春たちが中央の通りを歩いていくと、街の人々が仕事の手を止めて次々に頭を下げていく。そして、顔を上げて、とても明るい表情を浮かべるのだ。


「あたしたち、感謝されてるんだね」


 田鶴はうれしそうだった。

 と、三人の当主がまた驚きの声を上げた。


「あれが新しい豊津城ですか」


 成明は手を額にかざして直春に尋ねた。


「あの高い建物は天守ですかな」

「そうです。とても見晴らしがいいですよ」


 天守とは物見(やぐら)を立派にしたような高い建物だ。初めて作ったのは()(くに)の封主報徳院(ほうとくいん)国胤(くにたね)で、遠くを眺めて警戒するだけでなく、青い(かわら)屋根と漆喰(しっくい)塗りの白壁の威容を見せ付けることで、周辺国や民を威圧する効果もねらっている。


「ただのまねではないんですよ。師匠は天守をお城の中心に置いたんです」


 国胤が鶴平(つるひら)城に築いたものは、城下町や北国(ほっこく)街道を見張るため、城の正門に近い位置にある。他の大封主家のものも同じようなねらいで正面から目立つ位置に作られた。しかし、菊次郎は天守を籠城戦の際の指揮所にしようと考えた。総大将と軍師が詰める場所だ。


「だから、すごく眺めがいいんです。お城の東西南北、全てが見えます。海も、港も、湖も、さっきの橋も、南へ延びる南国街道もです。下へ命令を伝える道具も師匠が考案しました」


 天守は五階建てで、山のように下の階が大きく上に行くほど幅が狭くなる。


「随分鳥が飛んでいますな」


 市射孝貫が空を見上げた。


「直春公、あれは鳩でしょうかな」

「そうです。伝書鳩といって、鳥に伝言を運ばせます。その飼育小屋が天守の四階にあります」

「鳥に手紙を?」


 錦木仲宣は驚いている。息子の仲載(なかとし)はあまり興味がないようだ。


「馬で運ばせた方が早いのでは。のろしもありますし」

「もちろん、そういった手段も使いますが、鳥の長所はどこからでも送れるところです。のろしの施設まで行く必要がありません」

「というと、戦場からでも?」

「そうです。勝ったことをその場でこの城やあなた方のご領地に知らせることができます」

「それは便利ですな」


 錦木仲宣は興味を持ったようだ。


「この城でうまく行ったら、皆様のお城にも鳥小屋を置き、互いに連絡できるようにしたいと考えています」


 伝書鳩の利用を言い出したのは菊次郎だ。以前成安宗龍に挨拶しに墨浦へ行った時、海の向こうの大恵寧(けいねい)帝国の商人と会い、そういう連絡方法があることを知った。興味を持って書物を取り寄せるなどして調べていたが、城を新築するにあたり、巣箱を設けることを直春に提案した。領地が葦江国の外にも広がったので、素早く情報をやり取りできる手段が必要だったのだ。のろしでは事前に決めたことしか伝達できない。


「連絡方法が増えるのはよいことですな」

「当家にもぜひ飼育の仕方を教えていただきたい」


 市射孝貫と泉代成明も乗り気のようだった。


「巣箱を見てみたいですな。天守に登らせていただけるのですかな」


 錦木仲宣は目を細めて巣箱のある辺りを見つめている。


「もちろんです。城に着いたらご案内しましょう」


 直春は笑った。


「それは楽しみですなあ」


 錦木仲宣は何度も「本当に高いですな。立派ですな」と繰り返していた。

 やがて一行は新城に到着し、門をくぐった。できあがったばかりの建物や施設を紹介しながら奥へ進み、本郭(ほんくるわ)へ入った。天守へ登って眺望(ちょうぼう)を堪能し、鳩係に飼育法と巣箱の説明を聞くと、興奮気味の賓客(ひんきゃく)たちを連れて、本郭御殿へ向かった。


「ようこそいらっしゃいました」


 妙姫と雪姫が盛装(せいそう)して待っていた。妙姫は既婚者らしく豪華な中にも落ち着いた色合いの着物だが、雪姫の打掛(うちかけ)は華やかなものだった。仲載(なかとし)があからさまに感嘆のまなざしを向けている。菊次郎は思わず足を止め、視線が合うと、雪姫は頬を赤らめてうつむいた。


「さあ、お座りください」


 直春が人々に座布団を勧めた。全員が腰を下ろすと料理が次々に運ばれてきた。


「都の酒です。豊津帆のおかげで近くなり、手に入れやすくなりました」

「遠慮なく頂きましょう」


 酒好きの市射孝貫が相好(そうごう)を崩し、にぎやかな(うたげ)が始まった。


「どうぞ。芋の煮っ転がしです」


 手伝いを買って出た嶋子が配って回る。芋を取ろうとした小猿を田鶴が叱り、飛び付いてきた真白を定恭が慌てて受け止めて笑いが起こった。合戦前の約束通り、雪姫の作ったかき餅も出され、仲載は真っ先に手を伸ばしていた。


「よし、俺たちも飲むか!」


 忠賢が早速銚子をつかみ、自分の杯の上に傾けようとした。


「僕がやりますよ」


 直冬が銚子を受け取り、注いでやっている。


「菊次郎殿、一献どうぞ」


 定恭が酒器を手にした。菊次郎は普段あまり飲まず、かき餅をゆっくり食べていたが、喜んで受けた。


「頂きます」


 お返しに定恭の杯も満たしてやった。


「軍師同士、仲がいいじゃねえか」


 忠賢がからかった。


「菊次郎殿は俺の上役です。当然のことです」


 定恭は澄ました顔だった。


「上役だなんて」


 菊次郎はむずかゆかったが、定恭はさらに言った。


「菊次郎殿は大軍師、俺は副軍師ですから」


 定恭は船の中の会談で約束した通り二万貫をもらった。砂鳥家の婿養子ではなくなったので、父の姓の柳上(やながみ)を名乗っている。


「菊次郎と毎日部屋に籠もってるが、何を相談してるんだ」


 忠賢は二人を酒の(さかな)にするつもりらしい。


「増富家の攻略方法です。今回の戦では茅生国しか取れませんでした。万羽国と槍峰国をどう攻めるかを検討しています」


 耳に入ったらしく、直春が顔を向けた。


「二人の意見を聞こう」


 三当主や他の人々も注目している。定恭と視線をかわし、菊次郎は口を開いた。


「蜂ヶ音家と同盟を結びましょう」


 直春は驚いたように目を見開き、落ち着いた声で尋ねた。


「理由は何だ」

「増富家を攻めるのを邪魔されないためです。まだ貫高は増富家の方が多いです。蜂ヶ音家が介入してくると、さらにやりにくくなります」


 二十万貫を失っても増富家は九十六万貫だ。桜舘家を中心とする連合は合わせて七十三万貫。蜂ヶ音家二十四万貫がどちらにつくかは大きな影響がある。


「毒蜂は持康の野郎と同盟中だろ」


 忠賢の疑問に、定恭が答えた。


「増富家は代替わりのごたごたで出陣できない間、蜂ヶ音家の勢力拡大を邪魔しようと敷身(しきみ)家に密かに資金援助をしました。儀久はきっとそれを知っています」

「執政二人と箱部守篤の考えだったそうです。定恭殿は『絶対に悟られて同盟関係にひびが入る』と止めたそうですが」


 菊次郎が言うと、定恭は苦笑を浮かべた。


「蜂ヶ音家を先に攻めるべきと進言した時は同盟を維持することを主張したのに、信頼を失うような策を行うのですから」

「儀久でなくても、増富家は同盟を一時的なものと考えていると思ったはずです。自分の邪魔をした家を裏切ることを儀久は全くためらわないでしょう」


 直春は少し黙り、静かな口調で言った。


「蜂ヶ音家は信用できるのか」


 直春ならそう尋ねるだろうと菊次郎は予想していた。


「当面はできると思います」


 その判断の理由を述べた。


「増富家は合戦で大敗し、大打撃を受けました。しかも槍峰国制圧を立案した名軍師を失いました。衰退は明らかです。儀久は既に見限っているでしょう」


 定恭も同意見だった。


「儀久は計算高い男です。今回の戦で当家の実力を改めて認識し、戦うより手を結んだ方がよいと考えているはずです。ただ、国主様は高潔なお人柄、毒蜂の誘いは断るかも知れないと思っているでしょう。こちらから働きかければ喜んで乗ってくるに違いありません」


 直冬が腕組みをした。


「つまり、信用はできないけれど、当家に勢いがあるうちは裏切らないということですね」

「そうです。僕たちがよほどの失敗をしなければ、同盟は維持されます」

「非常に陰湿であくどい手を使う男ですが、武略にすぐれ、味方につければ心強いです。敵に回すのは避けるべきでしょう」

「なるほど、よく分かった」


 直春は頷いた。


「君たち二人がそろって勧めるのだから、それだけ意味のあることなのだろう」


 直春は三家の当主に向き直った。


「俺は当家の軍師たちを信用しています。よって、この同盟を結びたいと思います。お三方のご意見をうかがいたい」


 市射孝貫は答えた。


「直春公は我等の盟主。あなたのお考えに従いましょう」


 錦木仲宣も言った。


「油断ならぬ男ですが、このお二人がこうまでおっしゃるのですから、きっと大丈夫でしょう。ならば、大いに利のある同盟と考えます」


 泉代成明はすぐには口を開かなかった。


「大軍師殿。当面は信用できると言いましたね。いずれは敵対すると考えているのですか」

「そうです。僕たちと目指す方向が違いすぎます。あの男は平和な世を築くことに何の魅力も感じないでしょう。今は互いに利があるということです」

「なるほど」


 成明はさらに少し考えたが頷いた。


「直春公の理想と対極の男であることが気にかかりますが、あなたがお気にされないのなら、私も反対はしません」

「では、すぐに同盟の使者を送るとしよう」


 直春が断を下した。両軍師は言った。


「同盟の細かい条件や約束する内容は明日中にまとめて皆様にお見せします。この同盟を増富家に知られてはなりません。内密にお願いします」

「槍峰国攻略の際、俺は毒蜂と交渉しています。その時の伝手(つて)を使って蜂ヶ音家に接触するつもりです」

「よかろう。二人に任せる」


 菊次郎と定恭は頭を下げた。


「しかし、お前等本当に仲がいいな」


 忠賢は面白がるのを通り越してやれやれという口調だった。


()けるだろ」


 視線を向けられて、田鶴はむっとした顔になった。


「ばかなこと言わないで。もう酔ったの?」

「これくらいの酒で酔うかよ」


 忠賢は空になった銚子を頭の上で振り、「おい、もっと酒を持ってこい」と料理を運ぶ者に言い付けた。


「でも、確かに、すごく息が合っていますね」


 直冬が見比べている。


「相手の考えが分かっているみたいです」

「そうですね。そういう部分はあります」


 菊次郎は認めた。


「一部を言えば全部が伝わり、その先のことを考えた言葉が返ってきます」


 定恭もしみじみと頷いた。


「結論を先に言ってしまっても、理由をすぐに察してくれて、やり取りの流れが淀みません。増富家にいる時は、軍師とは孤独な仕事だと思っていました。話し相手はいたのですが、彼は聞く一方で、語るのは主に俺でしたので」


 菊次郎は心から言った。


「よい師を得ました。定恭殿には学ぶことばかりです」

「とんでもない。俺があなたの弟子です。まだ一ヶ月足らずですが、多くのことに気付かされ、自分の浅学(せんがく)を痛感しました」

「あなたは十歳も年上です。学舎では次席だったと聞いています。学識では遠く及びません」

「年齢は関係ありません。菊次郎殿は俺の上役ですし、合戦では完敗しました。あなたの方が実力はずっと上です」


 忠賢が声を上げて笑った。


「似た者同士だな」

「本当に相手のことをよく分かっていますね。でも、菊次郎さんの一番弟子は僕ですから!」


 直冬は「一番」を強調した。少し寂しいのかも知れない。


「軍師ってこういう人ばっかりなの?」


 田鶴と小猿は呆れ顔だ。


「仲がよいのはいいことではないか」


 直春は喜んでいる。


「双方にいい刺激になるだろう。ますます軍師の才能に磨きがかかるに違いない」

「はい。そう感じます」

「学舎で一方的に敵視されたことはありましたが、互いに切磋琢磨(せっさたくま)して高め合える相手は初めてです」


 菊次郎は真顔で、定恭は幸福そうに答えた。


「さすが軍学好きだな」


 忠賢は酒臭い息で笑い、直冬も頷いた。


「確かに、似た者同士ですね」


 増富家から寝返った定恭が桜舘家に受け入れられるかどうか、菊次郎たちは心配したが、予想より反発は少なかった。合戦のあと、直春と菊次郎は武者たちの前で新たな軍師を紹介し、面会して引き抜こうとしたが定恭は一度断ったことや、それを持康に知られて処分されそうになったことを話した。また、忠賢や直冬などを通じて為続のしたことが噂として広まり、ひどすぎると同情を集めたことも大きかった。何より、菊次郎が好敵手と認める名軍師であり、その実力はみんなよく知っていたので、味方になれば心強いと多くの者が思ったのだ。


「この同盟がうまく行けば、定恭殿の初手柄となるな」

「はい」


 秘密同盟なのですぐには明らかにできないが、増富家との戦いをとても有利にするはずだ。


「つまり、頭のよい人は同類が好きなのですね」


 妙姫がまとめるような発言をした。


「そうだね。菊次郎さん、楽しそう」


 雪姫まで言った。ちょっとすねた口調だ。もちろんわざとだろう。


「そういうことではないのですが」


 話していて心地よいのは事実だが、他の仲間とのやり取りもそれは同じだ。どこが楽しいかは少し違うにしても。雪姫も分かっているようなので、別なことを口にした。


「かき餅、おいしいですよ」


 雪姫は少し驚いて、うれしそうな顔になった。仲載が気付いて大声で言った。


「本当においしいですよ。料理上手ですねえ」

「ありがとうございます」


 雪姫は頭を下げた。忠賢はにやにやしながら眺めていたが、独り言のように言った。


「なあ、菊次郎。今回俺は策を使ったよな。で、思ったんだが、結局さ、頭がいいってどういうことなんだろうな。どういうやつが頭がいいんだ」


 直冬がこれに食い付いた。


「そうですね。どうしたら頭がよくなるんでしょうか。知りたいです、師匠」


 菊次郎は定恭の顔を見て、ややためらって口を開いた。


「僕の意見ですが、頭がよい人とは、それがどういうことか常に考えている人です」

「なんだそりゃ?」


 忠賢が首をひねった。


「この城の料理番は、ここにあるように、おいしい料理を作ります。彼はいつも、おいしいとはどういうことかを考え、少しでも料理をおいしくしようとしています。忠義に厚い武家もそうです。忠義とは何か、どうしたら忠義を尽くしていると言えるのかを考え、実践(じっせん)しています。直春さんも、封主家の当主とは、主君とは、領主とはどうあるべきかを常に考えているから名君なのです」


 人々は直春に目を向けた。


「同様に、頭がよいとはどういうことかについて熟考(じゅっこう)し、自分の意見を持っている人は頭がよい可能性があります。逆に、頭がよいという言葉を意味をよく考えずに使っている人はあまり頭がよくないかも知れません」


 幾人かがどきりとした顔をした。


「ですから、この問いを思い付いた忠賢さんは頭がよいのです。少なくともよくなる素質はあります」

「そうきたか。おだてるなよ」


 忠賢の口調は軽かったが、なるほどと感じたようだった。


「定恭殿はどう思いますか」


 直冬に問われ、副軍師は言葉を選びながら返答した。


「自分の偏見(へんけん)に気付ける人は頭がよいと思います」


 直冬は驚いた顔をした。


「何かを判断する時、人はどうしても自分に有利な結論を下しがちです。大局的に、公平冷静に、自分の損得や利害を横に置いて物を見られなければ、結局は無意識におのれの思い付きや判断を肯定し、よい考えだと思ってしまいます」


 忠賢は言いたいことは分かるが納得はしないという顔だった。


「完全に公平なんて不可能だろ。誰の見方も(かたよ)ってると思うぜ」

「そうです。ですから、俺はいつも不安です。間違っていないか。見落としはないか。結果に責任を取れるのか。自分は本当はとても愚かなのではないか、と」


 人々は黙って耳を傾けている。


「そこで、常に自分に問うています。この考えは本当に正しいのか、もっとよい考えはないのかと。そうやって少しでも自分の思考を客観的に眺めて、どんな偏りがあるかに気付ける人は頭がよいと思いますし、失敗もしにくいと思います」


 定恭は溜め息を吐いた。


「持康様にお仕えしていた時、あの方はどうしてその不安に襲われずにいられるのか不思議でした。わざと目を背けているのか、間違っている可能性に本当に気付いていないのか、分かりませんでした。何の根拠もなく自分は正しいと信じているように見えました。そういう人や、考えを深めて真実を追求するのをやめて開き直ってしまう人も、あまり頭がよくないと思います。他人の意見を取り入れる時も、偏見や利害が邪魔をします。もちろん、考えても結論の出ないことはたくさんありますが」


 定恭は直春をじっと見た。


「世の中のほとんどの人は、自分や仲間の損得と都合しか考えていません。増富家の家臣たちも家全体のことより自分や自派閥の利益を求めて行動していました。その点、直春公は天下を見つめていらっしゃいます。菊次郎殿という名軍師を得ながら盲目的に頼らず、献策を納得できるまで吟味(ぎんみ)なさいます。なかなかできないことだと思います」


 広間は静まり返った。それぞれ考えにふける人々を見渡して、泉代成明が言った。


「両軍師とも、直春公は名君ということでは一致していましたな」


 応じたのは妙姫と雪姫だった。


「そうでしたね」

「名軍師二人をうまく使っている直春兄様が一番頭がいいのね!」

「それはほめすぎだ。ここにいるのは賢い人たちばかりだと思うぞ」


 直春が笑うと人々は緊張を解き、おだやかな表情になった。すると、直冬がまじめな口調で意見を述べた。


「僕はあまり頭がよくないと思っています。そう思うようにしています」


 菊次郎はとんでもないと言いかけたが、直冬の表情を見て思いとどまった。


「自分がいかに愚かかを知っている人が一番賢いと僕は思います。自分がどれほど物を知らず、物事を知ったと言えるほどになることがどれほど難しいかを分かっていれば、自分は賢いとうぬぼれたり、他人をばかだと笑ったりしなくなります。もちろん、これは僕の(とぼ)しい知識と小さな脳みそで出した答えですけれど」

「その結論に達することは愚かな人にはできません。人というのは自分は賢いと思いたいものですからね」


 菊次郎は言った。


「その通りだ。そう思うところから学びが始まるのだ。直冬殿は立派だ」


 直春の言葉に人々は皆頷いた。


「よし、結論が出たところで、もっと飲もうぜ。お殿様たちもどうだ」


 忠賢が銚子をつかんで直春に向けた。


「もらおう。今日は祝いの日だからな」


 直春の杯が満たされるのを待って、成明も(うつわ)を差し出した。


「私も頂こう」

「では、私も」

「頂戴しましょう」


 忠賢は三当主にも注いでやり、四人で乾杯している。


「雪、どうしたの?」


 妙姫が妹に声をかけた。


「さっき菊次郎さんが言ったこと……」


 雪姫はうつむいて何かを考えていた。


「頭のよい人のことですか」

「うん」


 雪姫は頷いて、つぶやくように言った。


「つまり、やさしい人は、やさしいってどういうことなのか、いつも考えている人ってことだよね。それはどうしてかな」

「えっ?」


 直冬は怪訝(けげん)な顔をした。田鶴が小猿に生の芋をやる手を止めて雪姫を見た。


「やさしくしてほしいからかな。やさしくしたいからかな。それとも、やさしくしないようにするためかな」

「どういう意味ですか、雪姉様」

「ううん、なんでもない」


 雪姫は首を振って立ち上がった。


「茶碗蒸し、持ってくるね」


 ちらりと菊次郎を見て、厨房(ちゅうぼう)に戻っていった。

 菊次郎はしばらく定恭や忠賢や直冬たちと話していたが、席を立った。三当主に随行してきた家臣たちは別室で歓待を受けている。友茂たち四人はそちらにいるので、様子を見に行こうと思ったのだ。

 邪魔をしないように廊下からそっと(のぞ)くと、四人は三家の家臣たちに囲まれていた。どうやら菊次郎について質問攻めにあっているらしい。盛り上がっているようなので、そっと(ふすま)を閉じた。

 廊下を大広間の方へ進んでいくと、話し声がした。角を曲がった先に雪姫がいた。茶碗蒸しの深皿が六個ほどのったお盆を持っている。


「それ重いでしょう。運ぶの手伝いますよ」


 前を塞ぐように話しかけているのは仲載だった。


「ありがとうございます。でも、一人で運べますから」

「俺が持ちますって。一緒に行きましょうぜ」


 雪姫は困っている。菊次郎は迷ったが、近付いていった。


「どうかしたんですか」


 雪姫が顔を向けて息をのんだ。


「大軍師殿……」


 仲載が露骨に顔をしかめた。


「僕も手伝いましょうか。ちょうど戻るところですから」


 雪姫は二人の顔を素早く見比べて、菊次郎に盆を差し出した。


「お願い」

「はい」


 菊次郎が受け取ると、雪姫はくるりと身をひるがえした。


「厨房にまだあるの。取ってくるね」


 そのまま早足で廊下の角を曲がって見えなくなった。


「ちっ!」


 仲載は舌打ちし、盆をつかんだ。


「俺が運びますよ。重いものは持てないんですよね」


 菊次郎が手を離すと、仲載は盆を軽々と持ち上げて大広間の方へ歩き出したが、立ち止まって首だけ向けた。


「大軍師殿も雪姫様を好きなんですか」


 菊次郎は答えなかった。


「負けませんよ。雪姫様は絶対に俺の妻にします」


 挑戦状をたたき付けると、仲載は去っていった。


「ふう」


 菊次郎は溜め息を吐き、ややためらって厨房の方へ向かおうとした。が、すぐに足を止めた。少し先の角を曲がったところで、雪姫が隠れるように壁にもたれていた。


「聞いていたんですか」


 雪姫は黙っていた。菊次郎もそれ以上何も言えず、雪姫から目を逸らした。廊下の木の床を見つめる菊次郎の横顔を雪姫は悲しそうに見上げると、背中を壁から離した。


「私、戻るね」

「手伝います」


 菊次郎は慌てて言った。


「いらない」


 雪姫は振り返らずに歩き去った。

 追いかけるべきだろうか。

 迷ったせいで、動けなかった。拒絶されているように感じたのだ。

 結局、また溜息を一つ吐いて、菊次郎は大広間へ引き返していった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ