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狼達の花宴 ~大軍師伝~  作者: 花和郁
巻の三 隣国の依頼
23/66

(巻の三) 第二章 三つの旅

「みんな、(さかずき)の用意はよいか」


 直春は自分の酒器を持ち上げて、大広間の人々を見回した。


「本日、降臨暦(こうりんれき)三八一六年藤月(ふじづき)二十日、泉代(いずしろ)市射(いちい)錦木(にしきぎ)・桜舘の四家は盟約を結び、互いに助け合うことを誓った。今宵(こよい)はその祝いの(うたげ)だ。大いに楽しんでくれ」


 直春は笑みを浮かべて声を張り上げた。


「我等四家の繁栄と、この同盟が長く続くことを願って、乾杯!」


 唱和する声が本郭(ほんくるわ)御殿の評定の間に響き渡り、すぐに食器や箸の立てる音がそれにとってかわった。


「めでたい! まことに、めでたい! いや、ありがたいと申すべきですかな」


 市射(いちい)孝貫(たかつら)がおどけた口調で言った。一杯目なのにもう酔っ払いのような振る舞いだった。


「こうして豊津城でうまい酒が飲めるとは夢にも思わなかったですぞ! 大神様(おおかみさま)に感謝感謝ですな!」


 わざとにしろ、四十二歳、三万貫九百人の家臣を持つ当主としては破格なほど崩れた態度と言える。だが、誰も眉をひそめたりしなかった。孝貫(たかつら)の言葉からは心底喜び安堵していることが伝わってきたからだ。

 錦木(にしきぎ)仲宣(なかのぶ)が大きく頷いた。


「まったくですな。今日は天下の名刹(めいさつ)天額寺(てんがくじ)に参拝し、漢曜(かんよう)和尚(おしょう)様にもお会いできました。帰ったら家臣たちに話してやりましょう。きっと喜びますぞ」


 こちらは五十一歳、三万貫の当主の威厳は失っていなかったが、顔をほころばせてくつろいだ様子だった。


「城に残してきた息子も安心するでしょう。いや、確かにめでたいことですな」


 一人で何度も頷いている。


「お酒をお()ぎ致しましょうか」


 黙って二人を見つめている三人目に妙姫が声をかけると、泉代(いずしろ)成明(なりあき)は笑みを浮かべて頭を軽く下げた。


「これはかたじけない。頂きます」


 二十八歳の六万貫の主は赤い杯を差し出した。酒が満たされると、押し頂くようにして口を付け、直春に言った。


「私もよい土産話ができました。桜舘公には心より感謝申し上げます。あなたのような方の盟友になれて、これほど心強いことはありません」


 成明(なりあき)はまじめな顔で頭を下げた。市射(いちい)孝貫(たかつら)錦木(にしきぎ)仲宣(なかのぶ)もそれにならった。直春と妙姫も居住まいを正した。


「こちらこそ、同盟の話に乗っていただき、大変喜んでおります」

「家臣や領民のため、お互い支え合って参りましょう」


 返礼を終えると、直春は妻から銚子を受け取った。


「さあ、もっとお飲みください。今日は当家の全力を挙げて皆様をおもてなし致します」

「では、遠慮なく」


 孝貫(たかつら)が杯を差し出し、他の二人を(うなが)した。


仲宣(なかのぶ)殿、成明(なりあき)殿も飲みましょうぞ。本当に味のよい酒ですぞ。どこの品でしょうな」

「都のそばで作られたものです。丁度北からの船が入港しましてね。俺も滅多に飲めない上物ですよ」

「なるほど、どこか(みやび)な香りが致しますな。さすがは伝統と格式を誇る桜舘家ですな」


 孝貫(たかつら)は世辞を言って大声で笑った。

 そんな当主たちを横目に見ながら、田鶴が吸い物を静かにすすった。


「随分盛り上がってるね」


 いつもの動きやすい格好ではなく、侍女用だがきれいな着物を着ている。動きにくいと文句を言っていたがなかなか似合っていた。行儀作法もこの一年で大分様になってきた。真白は横で芋をかじっている。


「まあ、あの三家が喜ぶのは当然だな。気持ちは分かる」


 答えたのは忠賢だった。手酌でどんどん飲んでいる。


「僕にも分かります」


 直冬が言うと、忠賢がからかった。


「十三歳になって少しは大人になってきたか? まだ酒も飲めないくせに」

「僕だって多くの家臣の上に立つ身ですから!」


 直冬は杯に入れた茶をぐいっと飲み干し、義兄を見やった。


「僕も同盟を結ぶなら直春兄様がいいです」


 雪姫が新しい茶を注いでやりながら笑った。


「私も! 安心だよね」

「そうだね。直春さんは裏切らないもんね」


 田鶴も言うと、忠賢が皮肉っぽい笑みを浮かべた。


「他のやつが信用できないからな」

「確かに氷茨(ひいばら)元尊(もとたか)のおかげかも知れません。感謝する気にはなれませんが」


 菊次郎は成安家を事実上動かしている連署の男の眼鏡(づら)を思い浮かべた。

 泥鰌縄手の合戦のあと、豊津城へ引き上げた菊次郎たちは手分けをして旅に出た。目的地は北と南と西だ。

 直春が担当したのは南の大門国(おおとのくに)への旅だった。茅生国の三家の救援を成安家は追認したが、墨浦(すみうら)城で正式に臣従の儀式を行う必要があり、その案内をしたのだ。直春と駒繋(こまつなぎ)城代家老の槻岡(つきおか)良弘(よしひろ)は楠島水軍の船で土長城近くの漁村まで三人の当主を迎えに行き、そのまま南下して成安家の本拠地墨浦へ行った。

 ところが、連署(れんしょ)氷茨(ひいばら)元尊(もとたか)が約束の期日になっても墨浦城へ戻ってこなかった。三人は戸惑い、直春は成安家の重臣たちに急いでくれと働きかけたが、実力者の元尊なしで行うとあとでもめるからと断られた。

 結局、儀式が行われたのは四人の到着から十日もたってからだった。当主宗龍(むねたつ)に最も近い場所に座った元尊は、小封主たちを形式にのっとって淡々と紹介した。


「当家はいずれ都へ攻め上るつもりです。その時は道案内を頼みますぞ。増富家に降伏しなかったのは賢明なご判断でした。皆様は先を見通す目をお持ちですな」


 誓約が終わったあと、あからさまな作り笑いを浮かべてそう持ち上げ、服属を歓迎する言葉をかけたが、遅れたことには触れなかった。三家を救援した直春にはねぎらいの言葉すらなかった。

 元尊の本音は想像がついた。こんな小封主家は都へ向かって進軍すれば自然と帰順を申し出てきたはずで、今味方に付けることに得はない。むしろ増富家と直接勢力が接することになり、警戒すべき新たな強敵が増えて迷惑なのだ。忙しいのにこの程度のことで呼び出すなと、不機嫌さが見え隠れしていた。


「謝罪の言葉が欲しいわけではないが、もう少しふさわしい態度というものがあるだろう」


 直春は激怒し、抗議しようとして三人に止められた。

 墨浦訪問で、三家の当主は成安家に従属したことに安心するよりも不安を覚えた。もてなしは丁寧で、立派な屋敷で毎日御馳走を食べ、墨浦の名所を案内してもらえたが、重臣たちが会いにくることはなく、事実上放っておかれた。数万貫にすぎない自分たちは二百十万貫の成安家にとって取るに足らない存在だと思い知らされたのだ。

 成安家はもともと動きが鈍いし、重臣たちは元尊派と反元尊派に分かれて争っていて、自分たちより身代の小さい封主たちにさほどの関心はないらしかった。墨浦から遠い茅生国のことを本気で考えている者は少ないのだ。

 これでは援軍を頼んでも素早く送ってくれないのではないかと三家の当主は感じた。泥鰌縄手の時、成安家の軍勢は動いていない。三家の使者が到着してから勝報が届くまで三日あったのに、出陣の命令が出なかったのだ。実権を握る元尊は御使島で津鐘(つかね)家と鮮見(あざみ)家を裏切っていて信用が置けない。

 その上、儀式のあと、商工方の奉行が訪ねてきて、墨浦の商人が三家の領内で商売をする際、優遇し保護しろと要求された。元尊の名をちらつかされて、承諾せざるを得なかった。三家はもともと距離が近い豊津の商人と関係が深い。成安家の力を背景にした墨浦商人の進出を領内の商人や職人は喜ばないだろう。


 そんな彼等にとって救いだったのは直春だった。土長城で会った時に信用できそうな人物と感じたが、一緒に船で旅をし、毎日多くの時間を共に過ごして、その人柄に魅了された。これまでの戦いの経過を詳しく聞いて、桜舘家は貫高以上に力があり、泥鰌縄手の勝利は運がよかったわけではないと知った。新しい帆布による豊津港と葦江国の発展に、自領も乗りたいと思った。

 儀式が終わった日の夜、三家の当主は帰りは南国街道を北上したいと言い出した。直春が水軍を使って茅生国方面の情勢や留守の者たちからの手紙を毎日届けてくれたので、当面は安全と分かっていたのだ。

 直春は喜び、是非当家の城に立ち寄ってほしいと誘い、四人は昨日豊津城に入った。そして、今朝になって、三家の当主がそろって桜舘家と同盟したいと申し出てきたのだ。


「直春さんは行きの船の中で同盟を持ちかけて、知りたいことは何でも聞いてくれと言ったそうですよ」

「で、一緒に旅をして、こいつなら信用できると思ったんだろうな」


 菊次郎と忠賢が言うと、田鶴が笑った。


「あたしたちと一緒だね」

「うん。だから、僕も安心していたんだ」


 菊次郎は笑みを返した。忠賢はにやりとして杯にまた酒を注いだ。


「しかし、元尊ってやつは(うつわ)が小さいよな。そんなんで大封主家の連署が務まるのか」


 菊次郎も同感だった。


「大きな家は小さな家を保護して従えることで勢力を拡大していくものです。確かに成安家の得るものは多くありませんが、あまりにも冷淡な扱いでした」


 他家のことだが危うく見え、自分たちもそんな家に頼っていて大丈夫なのかと不安を覚える。


「元尊は目先の利益ばかりを見て、自家の行動が周辺の諸家にどう映るかを考えていません。大国だからとおごっていると、いつの間にか孤立していたということになりかねないですね」


 忠賢がふんと鼻を鳴らした。


()いたんだな」

「でしょうね」

「どういう意味ですか」


 直冬が首を傾げると、雪姫が言った。


「直春兄様が手柄を立てたのが嫌なのよ。三家を歓迎すると、桜舘家をほめることになるから」

「湿り原でも、宇野瀬家に勝ったあとも、当家は独断で和約を結んで、交易を再開しました。元尊は墨浦商人と結び付きが強いですし、勝手な振る舞いを何度も追認させられて怒っているのでしょう」


 説明した菊次郎に、雪姫が意味ありげな視線を向けた。


「菊次郎さんのこともかも知れないね」

「師匠がうらやましいんですか」

「対抗心だろうな。元尊も自分では名将や名軍師のつもりなんだろうよ」


 直冬に教えながら、忠賢は空になった銚子を残念そうに揺すっている。


「こっちは宇野瀬家を撃退し、葦江国を統一、水軍まで従えた。今度は隣国へ進出し、増富家にも勝った。向こうは貫高が四分の一の鮮見(あざみ)家に苦戦中。比べちまうんだろうな」

「そういうものですか……」


 直冬はよく分からないらしいので、菊次郎は忠賢に新しい酒を渡して御使島(みつかいじま)の情勢を語った。


「鮮見家は国力と武者数でまさる成安家相手にうまく戦っています。秀清(ひできよ)は本気で御使島を征服するつもりのようです。並々ならぬ野心の持ち主ですね」


 葦江国の西方、つまり御使島の揺帆国(ゆれほのくに)へ向かったのは、家老の秋芝(あきしば)景堅(かげかた)仕置(しおき)奉行の萩矢(はぎや)頼算(よりかず)だった。新しい帆布で船が豊津から都へ直接向かう場合、置杖国(おきえのくに)の先端で風待ちをすることになる。港を整備してもらわなくてはならないし、商人たちの安全の確保も必要だ。成安家と敵対する家だが話を通しておく必要があった。

 水軍の船で港へ乗り込んだ景堅たちは、鮮見家の水軍に攻撃されることも覚悟していたが、近付いてきた役人に用件を伝えるとあっさりと入港を許された。直春の親書を渡すと翌日国見(くにみ)城へ案内され、当主に面会することができたという。


「恐るべき柔軟さでした。利益になると思えば慣例やそれまでの関係にとらわれずに話を聞き、即座に対応する家風のようですな」


 昨晩、景堅はしみじみと述懐した。よほど感じるものがあったらしい。頼算(よりかず)も同じ思いのようだった。


「当家も国主様を始めとして開明的なお方が多く、湿地や森の開墾、新しい帆布、水軍の取り込みなど斬新な策を次々に打ち出してきましたが、鮮見家も大変勢いがあると思いました」


 その家風を作ったのは、現在三十二歳、景堅と同い年の当主秀清と側近たちだった。

 置杖国(おきえのくに)は「杖を置く」という名の通り、御使島の中で最も奥にある辺鄙(へんぴ)な土地だ。国主の伊佐木(いさき)家は早くに力を失って飾り物にすぎなくなり、長い間五つの小封主が十九万貫を分け合っていた。鮮見家はその中で最大の五万貫を有していたが、周辺国と婚姻同盟を結んで争いを避けていた。

 秀清は庶子に生まれ、家を継ぐ可能性のない子として邪魔者扱いされ、放置されて育った。幼い頃から武芸が好きで、お情けで付けられた老僕と二つ年上の小姓(こしょう)矢之介(やのすけ)の世話を受けながら、剣や弓に熱中し馬で走り回っていたが、学問には興味を示さなかった。

 ところが、平和な鮮見家に突如内乱が起こった。当主が頓死(とんし)し、跡目をめぐって多くの子供たちが争い始めたのだ。糸を引いていたのは隣の封主家だが、他の三家もそれぞれ自家に都合のよい者を支援し、血みどろの戦いが繰り広げられた。兄弟が十一人もいたため情勢は混迷を極め、三年が過ぎても収束しなかった。

 そんなことには無関係に過ごしていた秀清のもとに、ある日二人の若者が訪ねてきた。家老の一つ朽無(くちなし)家の兄弟だった。兄の智村(ともむら)は秀清に忠告した。


「あなたはねらわれていますよ」

「まさか。俺は庶子だぞ。存在すら誰も覚えていないさ」


 十四歳の秀清は笑ったが、智村(ともむら)の言葉は事実だった。秀清は兄の一人に養われていたが、彼と敵対する別の兄が、武芸に秀でた秀清を脅威に感じて殺そうとしたのだ。

 屋敷は十人の武者に襲撃された。朽無(くちなし)家の兄弟が駆け付け、勇猛な弟の規村(のりむら)が敵を撃退したが、老僕と矢之介(やのすけ)が犠牲になった。

 たった二人の家族の遺体を前に秀清は号泣した。その背中へ智村が声をかけた。


「復讐したいですか」

「もちろんだ! 襲撃を命じたやつの首をこの手で斬り落としてやる! そうしなければ気が済まないぞ!」


 秀清は叫んだ。


「では、当主におなりください」


 智村は秀清の足元に片膝をついた。


朽無(くちなし)家は家老の家柄です。鮮見家当主をお助けするのが仕事です」

「当主になれば復讐を手伝ってくれるのだな」

「はい。当家の全力を挙げてお味方致します」


 規村(のりむら)も言った。


「お下知に従い、決して裏切らないとお誓いします」


 秀清は頷いた。


「兵はいくらいる」

「当家の武者は三十人です」

「上等だ」


 秀清は凄絶(せいぜつ)な笑みを浮かべた。


「すぐにかたきの屋敷に乗り込むぞ。明日の朝日は拝ません」


 秀清は朽無家の手勢を率いて兄の屋敷を急襲した。すさまじい働きぶりで油断していた護衛の武者を蹴散らし、許しを請う兄の首を宣言通り()ね落とし、中にいた者を皆殺しにした。

 秀清はその屋敷を根城にして兵を集め、戦を始めた。秀清は死や怪我を恐れなかった。戦いが快楽であるかのように()()として敵中に飛び込み、槍を振るって歯向かう者を一人残らず殺した。

 秀清の面倒を見ていた兄は始めは喜んだが、(くだ)った武者を加えて兵力を増していく弟を恐れるようになり、殺そうとして殺された。やがて秀清は最大の勢力を持つまでになり、他の兄弟を全て攻め滅ぼして鮮見家の当主になった。

 続いて秀清は周辺の封主を攻め始めた。混乱の原因を作った家を手始めに、一つずつつぶしていった。封主たちは同盟を結んで対抗したが、秀清の勇気と戦機を見抜く目、智村の知恵、規村(のりむら)の武勇と采配によって勝利を重ねた。

 そうして他の四家を滅ぼして置杖国を統一し、国主の伊佐木(いさき)家を追放した時には七年がたっていた。二十一歳になった秀清は、朽無兄弟に一度だけ尋ねた。


「なぜ俺を当主にしようと思った」


 智村は怜悧(れいり)そうなまなざしで主君をまっすぐ見上げて答えた。


「あなたには勇気と非情さと、抑えきれない活力を感じましたので。目標が決まればどんどん動き出し、到底誰かの家臣に収まっていられるお人柄ではないと思いました」


 規村も無言で頷いた。秀清は腰の刀を抜いて二人につき付けた。


「俺は止まらない。次は御使島を統一する」

「どこまでも共に参ります」


 兄弟は頭を下げた。

 秀清は軍装を血の色の赤で統一すると揺帆国(ゆれほのくに)にねらいを定め、廻山(めぐりやま)盆地の定橋(さだはし)家を攻撃した。さらに三年をかけて東部の山際(やまぎわ)を領する山辺(やまべ)家を滅ぼし、海処(うみが)家・(くぬが)家と戦った。氷茨元尊と組んで揺帆国を手に入れると、()むことを知らぬしつこさで成安領となった鯨聞国(いさぎきのくに)へ攻め込み続けている。

 桜舘家が鮮見家へ景堅(かげかた)頼算(よりかず)を派遣したのは、新たな航路と港整備の件だけでなく、この新興の封主家が成安家相手にどこまで戦えるのかを探るためでもあった。


「お話は分かりました。前向きに検討しましょう」


 頼算が新しい帆布の開発状況を説明すると、朽無智村は港の整備を了承した。当主に確認しなくてよいのかと秀清を見ると、平然としている。領内の仕置きは智村に任せているようだった。


「当家としましても、置杖国の港が栄えることは歓迎します。領内の産物を都へ売れるかも知れません。当家には水軍がありますので」


 鮮見家の国見城は以前は海辺を領して水軍に強かった海処(うみが)家の本拠地だった。


「既に水軍の船を利用して交易を行っているとうかがいましたが」


 景堅の言葉を智村は肯定した。御使島の西側に位置する鮮見家は、さらに西の手の国との交易に乗り出している。そちらには内の海の海流交易の拠点の穂雲(ほぐも)港があり、梅枝(うめがえ)家という大封主家がいる。穂雲城のある田美国(たみのくに)は米の大産地で、鮮見家はそこから兵糧を買い入れているという。


「水軍を交易に使うことは智村様が思い付かれたそうですな」


 水軍の維持には金がかかる。自分たちで稼がせようと智村は言ったという。


「軍団が田や畑で兵糧を作ることはありましたから。水主(かこ)の訓練にもなりますので」


 兵士に農業をさせて自給自足することは昔行われていたが、水軍でやるのは聞いたことがない。面白い発想だと頼算は思った。


「石材がご入用でしたら、豊津にも運ばせます」


 揺帆国の山辺(やまべ)家の旧領で産する石は、加工しやすく色も美しいので、墓石や石垣などに向いている。御使島周辺でしか使われていなかったが、売り込みをかけて販売先を増やしているという。梅枝家もたくさん購入しているらしい。


「その帆布にはとても興味があります。完成したら当家の船にも取り付けていただけますか」


 智村の要請を頼算は承諾した。


「構いません。どのみち入手なさることは防げないだろうと考えておりました。商船に偽装してお出でください。こちらの水軍の顔が立ちませんので」

「それはいずれご相談しましょう」


 成安家の手前、敵対する封主家の水軍の寄港を認めることはできない。鮮見家にとっては桜舘家との関係を示すのは牽制になるが、智村は交易と港発展の実利を取るだろうと頼算は思った。


「新航路の開設に当たり、両家の間で取り決めを交わしたく存じます」


 景堅は用意していた二枚の紙を取り出した。既に直春の署名と花押(かおう)が両方に書いてある。


「今後、成安家の命令で当家は貴家と戦うことがあるかも知れませぬ。その時も、商船の出航を(はば)んだり商人を人質に取ったりしないとお約束ください。こちらも貴家の派遣する商船には特段の保護を与えることを誓います」


 これは必要なことだった。成安家は現在御使島で苦戦している。桜舘家に出兵を命じる可能性は皆無ではなかった。

 智村は少し考えて、秀清に頷いた。当主は段上から降りてきて、筆を受け取り署名した。その横に朽無兄弟と父の治村(はるむら)が名を書いた。それを確認して、景堅と頼算も署名した。


「両家の友好が長く続くことを祈りたいですな」


 治村(はるむら)は人のよさそうな顔にほっとした表情を浮かべていた。実は、五十八歳の治村が筆頭家老兼執政で、智村と規村は肩書の上では側仕えの用人と武者奉行にすぎない。

 兄弟が父を朽無家の当主にしているのは、まだ三十九と三十六の自分たちが権力を振るうことへの反感を避けたいのもあるが、もう一つ大きな理由があった。幼い頃に秀清の家族だった老僕と近習のかわりが治村なのだ。

 兄弟はあくまでも下知に従う家臣の立場を貫いている。多くのことを任されているだけに、そうでなくてはならない。正室や側室はいるが、秀清は野獣のような男なので、彼をしっかりと受け止めて甘えさせてやることは期待できない。死んだ老僕に雰囲気が似ている治村だけが秀清の心の支えなのだ。陰謀など決して(たくら)めそうにないこの老人にだけ、秀清ははにかんだような笑顔を見せるそうだ。秀清にそういう一面があることが、他の家臣を安心させている。


「じい、この者たちに町を案内してやれ。あとはお前たちに任せる」


 用件は終わったと見て、秀清は立ち上がった。


「面白い話を聞かせてもらった。戦場で会ったら容赦はしないが、うまくやりたいものだ」


 平伏する景堅と頼算に告げて、当主は去っていった。


「ご命令ですので、国見の町をご案内致しましょう」


 治村は本当に港見物に付いてきて、様々なことに丁寧に答えてくれた。

 国見の町は一年前まで湊口(みなとぐち)と呼ばれていた。名前の通り河口が港になっていて、内の海の海流交易の船が手の国へ渡る前に風待ちをする。昔から栄える町なのだ。

 国見とはその地域の施政者が高いところから国の状態や民の暮らしぶりを眺めるという意味だ。城が小高い丘にあり、港や海も、東側の平地や山も見渡せるからだという。秀清がよい景色だと言ったところ、智村が提案したそうだ。御使島全てをここから統治するという野望が感じられる。

 荷を積む港ではないので豊津のような大きな蔵は少なく、船大工の工房の他に、芝居小屋や娼館など、暇を持て余した船乗りを当て込んだ施設が多い。治安はよく乱れた感じがしないので、この封主家なら置杖国に新しくできる港の運営を任せても安心だと景堅と頼算は思ったという。


「お二人は鮮見家について、率直にどのような印象を持たれましたか」


 菊次郎は昨夜、城に戻ってきた直春と一緒に彼等の報告を聞いた。


「秀清という当主は大物ですな。底が知れぬ感じがしました」


 景堅は言った。


「朽無智村は確かに頭が切れます。領内はよく治まり、水軍による貿易は順調です。規村の武勇と統率力も大したものです。しかし、彼等が腕を振るえるのは、二人を信頼し、斬新な策を即座に承認して実行させる秀清のおかげですな。学問には興味を示しませんが、智村の献策の価値を理解し判断する能力はあるようです。智村も重要な問題は主君にきちんと説明し、決して独断では進めないと聞きました」


 御屋形様(おやかたさま)が智村様に鋭いご質問をなさったことで失敗を未然に防げたことが何度もあるのですよと、世話をする用人が教えてくれたそうだ。智村が意図的に流した噂に違いない。そうやって、主君がすぐれていること、自分が決して専横してはいないことを家臣たちに理解させているのだ。それは分かった上で、景堅は事実だろうと感じたらしい。


「戦では野生の勘のようなものがあって、好機と見ると自ら敵につっこんでかき乱し、敗走させてしまうそうです。敵に回せば恐ろしい相手です。友好関係を築くべきと考えます」


 いずれは同盟にまで持っていけるとなおよいでしょうなと景堅は述べた。

 一方、頼算の意見は少し違った。


「秀清は大変な野望の持ち主です。戦を好み、どこまでも領地を広げていこうとします。友情を(はぐく)める相手ではありません。利害が一致するうちは手を組んでいられますが、敵対したら遠慮なく攻め込んでくるでしょう。そこにためらいや、これまでの恩や友誼(ゆうぎ)があるからといった甘さはありません。あれを飼いならしている朽無兄弟はすごいですな」


 当方に利のある範囲で友好を維持し、それ以上の期待はしない方がよいということだ。


「秀清は御使島統一を目指しているようですが、それを果たしたら足の国へ攻め込んでくるでしょう。当家が天下を目指すなら、いずれは決着を付けなければならなくなります。他の誰かが作った平和に満足して(ほこ)を収めることはないと思います」


 深めるのは経済的な関係のみにするべきでしょうと頼算は述べた。

 今夜の宴に、景堅と頼算も出席している。茅生国三家の似た立場の家老たちと交易の振興などについて意見を交わしているようだ。

 菊次郎が話し終えると、忠賢が感想を述べた。


「要するに、想像してた以上に油断ならない相手だってことか」

「そういうことですね。できるだけ戦は避けたいです」

「まあ、秀清には感謝だな。おかげで氷茨の野郎が遅れてきて三家がこっちに付いたんだからな」


 後ろに空の銚子がいくつも置いてある。実に酒に強い男だ。直冬が尋ねた。


「成安家は苦戦しているんですよね。鮮見家はどうやって戦っているんですか。四十六万貫で二百十万貫の成安家に勝てるわけはないと思うのですが」


 師匠、教えてくださいと言われて、菊次郎は説明した。


「軍勢を率いて正面からぶつかっているわけではありません。それでは勝ち目がないですから。内乱を扇動(せんどう)し、混乱に乗じて成安軍をたたいているのです。恐らく智村の策でしょう」


 昨年の夏、元尊は津鐘(つかね)家をだまして城を落とし、滅ぼした。津鐘家の旧臣は全て降伏したが、家老以上の大きな家は仕官を許されず、主だった者は投獄されて殺された。利権を奪い、戦の資金を出した墨浦の商人たちに与えるためだ。

 これは大きな恨みを残した。先祖代々受け継いできた利権は武家にとって自家の基盤であり誇りだ。無理矢理奪われ、一族の者を殺されて黙ってはいられない。

 旧家老の家々は利権を持っていた実力者だけに影響力が大きく金もある。それが鯨聞国(いさぎきのくに)の各所で蜂起し、商人の屋敷を襲い、成安家の武者を襲撃した。山の砦を拠点に街道を通る者たちから金品を奪う者も現れた。

 これを鮮見家が支援し始めたのだ。資金や武器を流すだけでなく、武者を動かして、討伐に走り回る成安軍を攻撃した。賊が現れたと聞いて出動した部隊が伏兵に襲われたり、手薄になった拠点に山賊が攻め込んで暴れたりした。


 元尊は揺帆国から撤退後、墨浦に戻るつもりだったが帰れなくなった。利権を手に入れた商人たちは自分たちを守れと要求し、成安家の主力はいまだに鯨聞国(いさぎきのくに)に釘付けになっている。

 そこへ、飢饉(ききん)が追い打ちをかけた。昨年御使島では稲穂が育つ時期に曇りや雨の日が多く、気温が低かった。津鐘家や鮮見家との戦いで、多くの田畑が荒らされた。御使島最大の穀倉地帯である鯨聞国で収穫が激減し、食料が高騰して兵糧にさえ事欠く有様となった。村同士の争いや食料の奪い合いで小勢り合いが頻発した。

 鮮見家は新たに手に入れた国見港の収益で潤い、水軍が手の国から兵糧を買い入れて、むしろ活動を活発化させている。元尊はとうとう成安家に従う全ての封主家に兵糧の供出(きょうしゅつ)を命じた。


「当家も兵糧を要求されました。増富家と戦が起こるかも知れないと伝えたのですが、断り切れず半分の量を送ることになりました」


 元尊の心証が悪いと、いざという時に援軍を派遣してくれないかも知れない。宇野瀬家から得た賠償金で資金には余裕があったので、直春が決断したのだ。


「鯨聞国はひどい状況みたい。成安家を恨む声が広がってるって」


 田鶴は飢饉に苦しむ民に心を痛めている。成安家の動きに関わることなので、隠密にも御使島の状況を探らせている。


「鮮見家は勝てると思うか」


 忠賢に視線を向けられて、菊次郎は首を振った。


「今のままでは無理でしょうね。財力と兵力が違いすぎます」


 雪姫が尋ねた。


「鮮見家は宇野瀬家と同盟したんだよね。それでも駄目なの?」

「駄目でしょうね。成安家は二百十万貫です。当家や茅生国の三家を含めれば二百五十一万貫、圧倒的です。宇野瀬家は今は一百二万貫、鮮見家は四十六万貫、両側から挟んでいるとはいえ、戦いを挑まれても成安家は勝てるでしょう。ただ……」

「ただ?」

「何かがあれば分かりません」

「何かって何ですか、師匠」


 雪姫と一緒に直冬も身を乗り出した。


「具体的には言えません。よほど大きな事件ということですね。御使島で今の状況が続けば成安家はじわじわと力を削られて、どこかに無理が来ます。そこに何かが起これば成安家が傾くかも知れません。それに、宇野瀬家には赤潟(あかがた)武虎(たけとら)骨山(ほねやま)願空(がんくう)がいます」

「確かに、あの二人なら何かたくらみそうですね。警戒した方がよさそうです」


 直冬が腕組みをすると、忠賢がからかった。


「なんだ、軍師のまねごとか」

「僕は真剣に桜舘家の今後を(うれ)えているのです!」

「憂えるだなんて、難しい言葉を使うのね」


 田鶴が感心した。


「難しくはないよ。心配するって意味だもん。かっこよく言ったつもりなのよ」

「姉様も田鶴もひどい! 子ども扱いしないでください!」

「そのせりふが子供の証拠だな」


 忠賢が直冬の頬を指でつっついた。それを手で振り払って直冬は怒った。


「元服してもう一年です。十三歳なんです! 武将の一人として扱ってください! 直春兄様たちが旅で留守の間、忠賢さんと一緒にこのお城の守りを任されたんですよ!」

「はいはい、お子様、お子様」


 菊次郎が思わず微笑んだところへ、直春から声がかかった。


「菊次郎君。こっちへ来てくれ。交渉の様子を知りたいそうだ」


 気が付くと三家の当主に注目されていた。菊次郎は立ち上がり、上座の方へ行った。直冬と雪姫も付いてきた。田鶴と小猿も移動すると、忠賢もやれやれという顔で腰を上げた。

 菊次郎は隣に座った蓮山本綱と一緒に二人の旅の話を始めた。

 菊次郎と本綱が向かったのは豊津の北だった。足の国の最北部、槍峰国(やりみねのくに)だ。直春たち三人と出会った温泉町はこの国にある。増富領が間にあるので、水軍の船で向かった。

 槍峰国(やりみねのくに)の国主は采振(ざいふり)家という。代々の国主家で、一時は衰退して増富家の従属下にあったが、三代ほど前から勢いを盛り返した。特に、現当主の氏鑑(うじあき)と弟の氏総(うじふさ)が傑物で、今では槍峰国の四分の三に加え、西隣の煙野国(けぶりののくに)の半分を支配するまでになった。


「貴殿が有名な銀沢信家殿か。本当に若いのだな」


 四十七歳の采振氏鑑(うじあき)は菊次郎たちを歓迎し、持ちかけた同盟にも前向きだった。


「当家にとっても悪い話ではない。貴家は大変勢いがあると聞いている。増富家の脅威に協力して立ち向かおう」


 五十八万貫の(あるじ)はまんざら世辞でもなさそうに言って笑った。四十四歳の弟も身を乗り出して湿り原や泥鰌縄手の話に耳を傾け、いかにも感心した風に相槌を打っていた。

 菊次郎は采振家の出方を読み切れていなかったのでほっとした。本綱も同じだったようで、二人きりになった時に漏らしていた。


「当家は采振家の縄張りをかすめ取ったようなものだ。情より利を優先する方々で助かったよ」


 湿り原の合戦のあと、采振家は茅生国の五家に働きかけて同盟を結んだ。増富家を合計貫高で上回る勢力で挟み込み、あわよくば五家を従属させようとねらったのだ。持康軍が熊胆(くまのい)領に再侵攻すると、手薄になった増富領の砦を攻めていた。

 だが、南部三家は中部二家が滅ぶと成安家を頼り、援軍に向かった菊次郎たちが戦いをあっさりと終わらせてしまった。腹が立たないはずはないが、増富家は二家分十二万貫を加えて八十九万貫になり、単独で戦うのは苦しい。桜舘家の力を当てにしたいのだろう。


「増富家は茅生国を諦めていません。戦が起こった時は背後を攻めてください」

「こちらが攻められた時は、貴家にそれをお願いする」


 采振兄弟は遠からず茅生国で再び戦が起こると見ている。その時、また増富領を攻めるつもりなのだ。桜舘家から情報が得られる方が采振家は戦いやすい。


「成安公によろしく伝えてくれ。敵対する意志はない」


 桜舘家と手を組めば、成安家と間接的に結び付くことになる。今は距離があるためあまり得はないが、成安家が大きく動くことがあれば采振家も無縁ではいられない。その備えとしてもこの同盟は意味があると考えたようだ。


「要するに、采振家との交渉は成功したのですな」


 市射(いちい)孝貫(たかつら)に確認されて、菊次郎と本綱は頷いた。


「はい。同盟は成立しました。今度戦いが起きれば背後を攻めてくれると思います」

「それは喜ばしいですな。いや、ありがたいことです」


 錦木(にしきぎ)仲宣(なかのぶ)も安堵の表情を浮かべた。采振家を裏切った形の三家としては、恨まれていないか気になっていたらしい。采振家の援護があれば、増富家は全力で攻めてこられない。


「では、采振家は信じてよさそうなのですね」 


 妙姫は夫の聞きたいことを分かっている。


「信用できると思います。ただ……」


 菊次郎が口籠ると、直春が表情を引き締めた。


「あの男か」

「はい。評判通りの人物のようです」


 菊次郎が答えると、泉代(いずしろ)成明(なりあき)が思い当たった顔をした。


「桜舘公のご懸念は煙野国(けぶりののくに)毒蜂(どくばち)ですか」


 いかにも直春らしいと思ったようだ。


「確かに信用できぬ男ですが、当面は我々の脅威にはなりますまい」


 雪姫が妙姫に小声で聞いた。


「誰のこと?」


 直冬と田鶴も知らなかったらしい。


(はち)()()儀久(のりひさ)という人ですよ」


 菊次郎は答え、本綱と顔を見合わせて、采振家筆頭家老とのやり取りを話した。


「桜舘公は足の国を切り取る許可を得ているという噂を耳にしましたが、本当ですかな」


 采振兄弟の前で、(はち)()()儀久(のりひさ)はとぼけた口調で聞きにくいことをずばりと尋ねてきた。


「増富領へ貴家の方から攻め込む場合は、当家にも知らせていただきたいのですがね」

「増富家が茅生国をねらうのであれば、当家はあの三家を支援します。その結果増富家の城を落とす必要が出るかも知れませんな」


 当たり障りのない答えを返す本綱と菊次郎を、儀久は遠慮なく値踏みしていた。

 この四十三歳の男については、いろいろと噂が流れている。

 蜂ヶ音家は代々の家老で、現当主の儀久は采振兄弟に長年仕え、功績は非常に大きかった。家中最大の六万貫をもらったのがその証拠だ。

 しかし、領地は切り取ったばかりの煙野国(けぶりののくに)に移された。采振兄弟は儀久の能力を認めつつも、好きにはなれなかったのだろう。というのは、儀久は戦場でもよく戦ったが、本領は謀略にあったのだ。煙野国を切り取る過程で少なくとも五人は暗殺している。


「本拠の野司(のづかさ)城から最も遠い場所に置かれたことに、儀久は表立っては不満そうな様子を見せていないそうです。しかし、今回の戦では、増富家を攻めるために出兵を促されても、近隣国の動向が気になると言って動きませんでした。これが家中で疑念を生んでいると聞きました」


 これに加えてもう一つ、儀久が采振兄弟から(うと)まれる理由がある。蜂ヶ音領の北隣を領する家老鎌柄(かまつか)真滋(さねしげ)の領地を勝手に併合したのだ。

 鎌柄(かまつか)真滋(さねしげ)は戦上手で、数々の武功を立てて四万貫をもらった。儀久の娘夜々(よよ)姫をめとり、三十代半ばと十五歳という年の差がありながら仲睦まじかった。すぐに息子が生まれ、目に入れても痛くないほどの可愛がりようだったという。

 ところが、その頃から親族に不幸が相次いだ。兄弟や有力な家臣が次々に事故や急病で亡くなったのだ。儀久の仕業ではないかという噂が流れたが、真滋(さねしげ)は一笑に付した。しかし、昨年、酒を飲んでいる最中に突然苦しみ出し、妻の目の前で息絶えた。

 嘆き悲しむ()()姫を儀久が訪ねてきた。鎌柄家は主だった親族が死んでいるので、あとを継いだ二歳の孫の後見を引き受けると申し出たのだ。夜々姫は父を疑い、断った。すると、数日後、姫の茶に毒が入っていた。夜々姫は父を呪い、息子を守るように家臣たちに頼んで絶命した。

 その夜、大騒ぎの城へ儀久が乗り込み、幼い孫をさらっていった。主を人質に取られて、鎌柄(かまつか)家の家臣たちは屈服した。儀久の後見を受けたいという請願を采振兄弟は許し、四万貫は事実上併合された。


「ひどい! 欲望のために娘を殺すなんて!」


 田鶴は話の途中から涙を浮かべていた。


「親として、人として道にはずれてるよ!」

「でも、証拠はないんです。状況がそうだというだけで、儀久の仕業と断定はできません。だから采振兄弟も罰しなかったんです。この程度の疑惑で殺すのは惜しい有能な人物ということです」


 菊次郎の言葉に、直冬や雪姫は全く納得できない様子だった。


「師匠はその人の仕業ではないと思うんですか」


 答えたのは忠賢だった。


「やったのは間違いなくその男だ。そうなんだろ?」


 儀久の風貌を思い浮かべて菊次郎は頷いた。


「この男ならやりかねないと思いました」

「私もです。あれは欲の塊です。欲しいものを手に入れるためなら手段を選ばないだろうと感じました」


 本綱が珍しく苦々しい口調で断言した。


「噂では、儀久はあとで娘について、『生きていれば他家か家臣にまた嫁がせられた。まだ使い道があったのにもったいないことをした』と言ったそうです」


 直冬や雪姫が眉をひそめた。菊次郎も同じ気持ちだが考えは違った。


「采振兄弟は立派な人物に見えました。しかし、戦はきれいな方法だけでは勝てません。ああいう男にも利用価値があります。だから、とがめなかったんでしょうね」

「頭が切れるくせにそういうことを平気でやれるやつってのは、結構貴重だからな。悪い意味で腹が据わってるんだろうぜ」

「敵に回したら恐ろしいですね。何をするか分かりません。采振家には用心した方がよさそうです」


 小猿を抱き締めて田鶴が叫んだ。


「二人とも、なんでそんな人をほめるの!」


 ほとんど悲鳴だった。


「成安家のあの人といい、どうしてこんなひどいことができる人ばかりなの! あたしたちは平和に暮らしていたいだけなのに!」


 故郷の村を滅ぼされたことを思い出したのだろう。真白が主人を心配そうに見上げた。直冬がおろおろしている。雪姫が茶を差し出した。


「田鶴、これを飲んで」


 受け取って一気に飲み干し、少女は深い息を吐いた。


「ごめんなさい」


 目をぬぐっている。菊次郎は申し訳ない気持ちになった。


「僕も人のことは言えません。合戦の作戦ではいつも相手をだましていますから。大勢を殺していますし」


 忠賢が驚いて口を開きかけたが、その前に大きな声が響いた。


「それは違うぞ、菊次郎君!」

「直春さん……」


 菊次郎はびっくりして顔を上げた。


「戦は確かにだまし合いや殺し合いだが、そこには互いに合意がある。やってよいことと、いけないこともある。敵味方はそれを分かった上で全力で戦うのだ。それで負けたら、自分たちの力や知恵や準備が足りなかったのだ。だが、氷茨や蜂ヶ音のやったことは人の道にはずれている。人の心を持つ者にはできないだろうという安心を裏切ることで利益を得ようとした。そんなやり方が何度も通じるものか。一時(いっとき)はうまく行っても、いずれ必ず手痛いしっぺ返しを食らうだろう」


 直春は菊次郎をまっすぐに見た。


「君はそんな人間ではないはずだ。違うか」

「違いません」


 菊次郎はとてもうれしかった。こういうところが直春のよいところなのだ。


「師匠は悪人ではありません!」

「菊次郎さんはいい人だと思う」

「あたしもそんなことは思ってないよ」


 直冬・雪姫・田鶴が言った。忠賢は黙っていたが表情で同意見だと分かった。妙姫が微笑んだ。


「自信をお持ちなさい。直春様に信じられているのですから」

「ありがとう」


 菊次郎は照れた。涙が出そうだった。


「俺たちは堂々と戦って勝つ。それでこそ民や家臣を従えることができるのだ」

「桜舘公のおっしゃる通りです」


 泉代成明が言った。


「我々も自家や民を守るため、本気で戦う覚悟があります。領主として、彼等に恥じねばならぬようなことはしないしさせません。その誇りがあるから、はるかに力が上の桜舘公にも物怖(ものお)じせず、互いに助け合おうと言えるのです」


 驚いていた他の二人も大きく頷いた。


「まったくその通りですな」

「心より同意致しますぞ」


 成明は杯を掲げて笑った。


「あなた方となら、どこまでも一緒に戦って行けると信じていますよ」

「こちらこそ、よき同盟相手を得て喜んでおります」


 直春が応じた。

 市射孝貫と錦木仲宣も杯を持ち上げた。菊次郎たちも杯や湯のみを持った。振り向くと、他の列席の人々も皆、自分の器を持ってこちらを見ていた。

 直春の高らかな声が大広間に響いた。


「我々の未来に、乾杯!」


 全員が唱和し、すぐに大きな笑い声が湧き起こった。

 その夜は遅くまで明るい声が途切れなかった。

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