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第九話

 聖騎士の宿舎は3つの棟から成る建物である。遠くから見てまず目に付くのはエントランスと食堂、それから一部の聖騎士の部屋などを有する中央棟だ。そこから左右に伸びる廊下伝いに西棟、東棟がある。2つの建物はくるりと中庭を囲んで中央棟とは反対の位置で渡り廊下で繋がれている。その2つの建物が一部から外れた多数が生活する場所だった。


 イリスは今、中央棟からその2つの棟を窓越しに見ていた。中天を幾分過ぎた太陽が少し赤みがかった土色をした壁を照らす。


 もう見慣れた風景はいつまでも続くように穏やかで、イリスは眠気を覚えた。ただでさえ午前中の訓練で疲れた体だ。昼食の満腹感が程よく全身を支配していた。ぽかぽかとした日差しが気持ち良い。その上、今日の神聖術の講師はクリスティアンだ……思わず眠りの世界へ誘われそうになりながら、イリスは欠伸を噛み殺した。


 周囲を見渡せば、皆同じような退屈な表情をしていた。そんな中、クリスティアンへの羨望の眼差しを送る者も数人では聞かないくらい居る。


 神聖術の講義は講師役の聖騎士ごとに部屋が与えられ、上層部が生徒役の聖騎士を割り振る形で行われるが、クリスティアンの講義を聞きたいと望む者は多いらしい。ちなみにイリスは単にルーカスが彼の講義を聞いているという事から選んだのだが……時折それが申し訳なくなる位だ。クリスティアンが優れた神聖術の使い手である事はルーカスから聞き及んでいたのだが、その人気を少し甘く見ていた。


 なるほど、こんな難しい術式の話をする位だ……それはそれは素晴らしい使い手なのだろうと、なかば皮肉を込めながら彼女は思う。その間にも、クリスティアンの低く耳触りの良い声がまるで子守唄のように聞こえ始めた。小難しい術式の話がそれを増長させ、眠りへといざなう。もしかしてこれは、自分に対する意地悪の一環だろうか、とイリスは被害妄想と責任転嫁をしたくなった。それにしても、今日は酷く眠い。


「……のため、このような場合は第3術式を使用する事が好ましく」


 あぁ、もう難しい話は御免だ……いいのだ、術式なんて使えれば。そうイリスが諦めて誘惑に乗ろうとした瞬間、脳裏に今朝のラルフの声が蘇った。


 ーー今以上に訓練に励み指示を待て


 思わず息を飲んで、彼女は軽く首を振って眠気を追い出そうとする。けれど深まった眠気はそんな位では消えてくれはしなかった。溜息をついてイリスは行儀悪く指を噛む。微かな痛みに眠気が少し遠ざかった。それにほっとしながら彼女はクリスティアンの声に集中する。クリスティアンの低い声が朗々と講義を続けていた。


「第3術式以外にも第1、2術式は効果は劣るものの有効です。対して第4術式は悪手です。4型魔獣には効果がないどころか支援にすらなります」


 魔獣というのは魔族が使役する獣の事だ。あるじとなる魔族の系統によって4種に分類される。魔族ほどの力は無いが、獣よりは遥かに厄介で神聖術で核を壊す以外に倒すすべは無い。その為、聖騎士軍の派遣の目的は半数以上がこの魔獣討伐だ。確か今度のラッシュリンゲンへの遠征の目的もこれだとルーカスからイリスは聞いていた。その時の事を思い出してイリスは溜息をつく。


(……私はいつになったら)


 いつになったら出陣出来るのだろうか。魔獣と対峙する日は来るのか。このまま訓練の日々で初陣さえ迎えられないまま……お飾りの聖騎士となってしまうのでは無いだろうか。


 今朝と同じ事を考えて、彼女はかぶりを振る。上に確認するとラルフは言ってくれたではないか。ラルフは約束を違えない人だ……その結果が悪いものだったとしても自分に教えてくれるだろう、とそこまで考えてイリスはもう一度、かぶりを振った。悪い方向ばかりに考え過ぎている、と自分でも分かっていた。


「では第4術式及び魔獣についての説明ですが……イリス・ゾルベルグにお願いしましょう」


 クリスティアンの意地の悪い声が聞こえて、周囲の視線が自分に集中する。一瞬遅れてそれを自覚してから彼女は立ち上がった。くしゃりと髪を掻き揚げようとして止めた。何の話だったかと記憶を手繰る。


「はい。……第4術式は火の術式でブルクハルト・カルステイン・フォン・オルデンリング前伯爵が発見しました。4番目に発見された術式で有ることから第4術式と呼ばれています。4型魔獣は火の属性を持つ魔族の使役する獣です」


 ゆっくりとイリスはうろ覚えの知識を口に出す。うろ覚えだと周囲に伝わらないよう、声音に気をつけながら。彼女の努力は実って、声は震える事なく説得力を持って周囲に響いていく。数人が先ほどのクリスティアンへ向けた視線と似たような羨望の視線をイリスへと向けている。それに混じって少しの強い視線を感じる。射るような視線の主を探したいという衝動が彼女を襲う。けれど、これだけの人の目の中、周囲に視線を向ける事はイリスには出来なかった。彼女はぐっと衝動を押し殺し、クリスティアンを見る。


(……4型でよかった)


 これが2型や3型だったら無言を貫くしかなかった、と思いながらクリスティアンをめつける。4型神聖術の発見はオルデンリング伯爵家の功績として彼女が伯爵令嬢だった頃に叩き込まれた。その事に少しだけ感謝しながらイリスは視線を更に強くした。そんな彼女に、クリスティアンが少しだけ口角を上げる。今までで一番薄い、けれど感心したようなその表情は……初めて本心から微笑んだようにイリスには見えた。一瞬混乱しながら彼女はクリスティアンを見る。けれど、もう彼はイリスを見てはおらず、まばたきする間に薄い笑みも幻のように消えていた。


(何、だったの?)


 深くなる疑問をイリスはかぶりを振り追い払う。今はそんな事をしている場合ではない、と言い聞かせて、彼女はクリスティアンの講義に耳を集中させる。


 ……脳裏にはクリスティアンの薄い笑みがいつまでも、ちらついていた。

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